「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「浪速史跡探訪」西山宗因の句碑は宗因ゆかりの大阪天満宮にいずれも俳号である梅翁名で2基建てられている。

2017-07-13 04:44:55 | 温故知新
「浪速史跡探訪」西山宗因の句碑は宗因ゆかりの大阪天満宮にいずれも俳号である梅翁名で2基建てられている。
肥後国八代城の家老加藤正方に仕えていた宗因は、1632年(寛永9年)熊本の加藤主家改易に遭い、八代城も没収され家中離散となった。
 宗因は京の本圀寺に隠棲していた主君の正方を追い上京し、主君を慰めながら、連歌師里村家に出入りし、連歌に生きる。1647年(正保4年)里村家の推挙により、大坂天満宮連歌所宗匠となった。
 また、1656年(明暦2年)天満宮の傍らに『向栄庵』(有芳庵ともいわれる)を開くなど、大坂を中心として活躍した。
 1674年(延宝2年)「宗因千句」を出し、『さればここに 談林の木あり 梅の花』と詠じて「談林派」を宣言。連歌・俳諧の革新を目指し、大坂の裕福な商人達の圧倒的な支持を受け、一世を風靡した。
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