「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「浪速今昔百景」「青蓮寺」

2016-07-29 04:28:13 | 大阪古社寺探訪
「浪速今昔百景」「青蓮寺」・地下鉄谷町線四天王寺下車夕陽丘出口百メートル、大通りを西に入り学校、寺とその角に表通と違い静かである、西は見晴らしの良い上町台地。本尊は金剛界大日如来、真言宗高野山で摂津八十八カ寺札所、大坂十三仏札所である。
寺院の建物は比較的に新しいが、門の脇のくぐり戸のチャイムを鳴らし朱印をお願いすると、住職は快く中に招き入れた。
住職に案内され境内の墓地の由緒ある墓ばかり、江戸時代の歌舞伎役者の一代無縁墓、竹田出雲の墓など大阪市の市跡指定に相応しい石碑ばかり、本堂の前の「仏足」も住職は私に由縁などを自坊を誇りを持って語ってくれたのが印象的であったこの地の界隈の寺院や歴史の話に境内の案内をして貰った。創建、由来を聞けば伝統ある上町台地にあって、転々してその数奇な寺運を知ることが出来る。推古、聖徳時代に遡り、鴫野の地で法案寺として中古生国魂宮と習合し大いに栄えていたが、豊臣の大阪城築城を機にこの地に移され生玉十坊として栄えたが、明治の廃仏棄釈で衰退し神仏分離令で縮小したという。
その後分散された二院と茶臼山に在った青蓮寺の寺号を移し、大日如来、不動、愛染両明王、弘法大師を祀っている。

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「浪花今昔百景」吾彦山観音寺「我孫子観音」

2016-07-28 04:38:17 | 大阪古社寺探訪
「浪花今昔百景」吾彦山観音寺「我孫子観音」地下鉄あびこ駅下車西直ぐにあって、開基聖徳太子と言われ、往時は東、西、中の三坊を中心に三十六の堂塔があって大いに栄えた。
空海が中之坊不動院建立をして再興した。この寺の本尊は、天平四年(742)聖武天皇の病気のとき行基を和泉の水間の滝に派遣し滝から観音像を得て慶安年間に迎えお祀りしたと言う。
護摩堂の本尊「油の不動明王画像」は後醍醐天皇の勅願仏といわれている。
その他に楠木正成、秀吉の武具類などの寺宝は多くあったが明治の火災で焼失明治三十年(1897)に再建された。
境内は「厄除け観音」として節分、初午には大法会があって「入学」「安産」などの庶民の願いは現世利益として、人の絶えることは無い。
境内にある大きな大楠の木は「観自在」と名付けられ子の地の人々を七百年近く見守り続けてきた物で南北朝の戦乱、大阪夏の陣を見てきた生き証人である。

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「大阪古社寺探訪」水無瀬神宮

2016-07-28 04:23:54 | 大阪古社寺探訪
「大阪古社寺探訪」水無瀬神宮・大阪府三島郡島本町にある神宮。旧社格は官幣大社。旧称は水無瀨宮。祭神は後鳥羽天皇・土御門天皇・順徳天皇を祀る。創建は後鳥羽天皇の離宮水無瀬殿の跡に建立された。承久の乱で隠岐に流されそこで崩御した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、仁治元年(1240年)、水無瀬信成・親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し、上皇を祀ったことに始まる。明応3年(1494年)、後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀨宮の神号を奉じた。境内には、環境庁認定「名水百選」に選ばれた「離宮の水」がある。江戸時代まで仏式で祀られていたが、明治時代に神式に改められ、水無瀨宮に改称した。後鳥羽天皇と同じく承久の乱により配流されてそこで崩御した土御門天皇・順徳天皇の神霊を配流地から迎えて合祀した。明治6年(1873年)に官幣中社に、昭和14年(1939年)に官幣大社に列格し、水無瀬神宮と改称された。
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