「歴史の憧憬」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

和泉古社寺探訪」大鳥神社・

2016-07-26 04:01:24 | 日記
「和泉古社寺探訪」大鳥神社・大阪府堺市西区鳳北町1の1の2・式内社・旧官幣大社
和泉国一ノ宮は大鳥神社である。
祭神は日本武尊と合わせ地域の豪族大鳥連祖神を祀っている。
社伝に依れば東夷征伐の帰途我に病蒙り、伊勢国は能褒野に於て薨去(こうきょ)され白鳥と化し当地に留まったという。
大鳥氏は『新撰姓氏録』に和泉国神別で大中臣朝臣と同祖、天児屋根命の後なりとある。大同元年(806)神封二戸が寄せられた。神階は『日本三代実録』貞観元年(861)従三位昇叙された。
その後『和泉国神名帳』には正一位とある。
『延喜式神名帳』では名神大社に列し、祈年、月次、新嘗の官幣、祈雨神祭に八五社に一として臨時奉幣に預かり和泉国一ノ宮として朝野の崇敬を受ける。
平清盛、重盛父子が熊野詣の帰途に当社に祈願をして和歌、神馬を奉納している。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も社領を寄進し社殿の造営を行なっている。
天正年間には戦火で社殿は焼失、慶長七年(1602)豊臣秀頼により再興された。德川綱吉は柳沢吉明に修繕をせしめた。
★『古事記』のヤマトタケル説話の日本武尊命を祭神としている。
元来は一豪族の祖神を主体に祀っていたが、日本武尊が征西し熊襲を平定、再びイズモタケルを征伐し、再度東征し、伊吹山で病に倒れて、伊勢国の能褒(のぼ)野(の)で死去する。
遺体はその地に葬られるが、陵墓から白鳥が飛び立ち、大和国の琴引原で留まり、再び河内国の古市舞い降り、最後に大鳥の池に舞い降りた古事に習って社殿を建てて祀った。
この白鳥の舞い降りた由来で日本武尊の祭神として祀ったようである。
しかし本来大鳥氏は中臣氏と同じく天児屋根命を祖神としていたので、一時天照大神を祭神として祀っていた経緯があるようである。
和泉国で唯一の神名大社になって、境内の面積も一万五百坪の広さで、大鳥氏が強力な豪族として大きな影響力を有し、武功の神として平清盛も戦勝祈願をしたと伝えられており、一ノ宮大鳥神社として形成されていった。
鎌倉期には大鳥美波比神社・大鳥鍬靫神社・大鳥井瀬神社・大鳥濱神社と共に「大鳥五社」を形成し、「大鳥荘」となる。中世では和泉国一ノ宮として国衙から崇敬を受けるが、その後大鳥氏に代わって田代氏が主導権を奪われ衰退する。
神仏習合の時代には別当寺に大鳥山勧学院神鳳寺の行基なども関与し、三重の塔が建立し栄えた。
織田信長などの寄進を受けるが、戦火で焼失し豊臣秀頼の社寺造営の籠を受けて、神鳳寺共に栄えるが明治の廃仏毀釈によって神鳳寺の五重の塔など破却され、末寺共々大鳥神社も衰退していった。
明治維新の社格制度で再び官幣大社として再建され、祭神も祭神考証の結果、大鳥連の祖神に変更された。
これには神社側の反発が有ったが内務省の通達で決定された。
神社側の意向に沿った日本武尊が加えられ祀られたのは、国家管理から離れた戦後の事だった。
本殿の造りも大鳥造りと言う。「切り妻造・妻入り社殿」と言う出雲大社に次ぎ古い形式を持つ古形式を保っている。神の妹と言われていることもあり、謎の多い神である。
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『戦後日本の あの日あの時』114「昭和29年文化・芸術」

2016-07-12 04:23:06 | 日記

◎1月2日、皇居、一般参賀に38万人。二重橋で大混乱。死者16人、負傷者69人。
◎1月9日、東京都、街頭での広告放送等による騒音に対処するための騒音防止条例を公布。
◎1月16日、世界男子スピードスケート選手権大会開催(札幌丸山公園、日本初の世界選手権。
◎1月20日、丸ノ内線池袋~御茶ノ水開業(戦後初の地下鉄開業)
◎2月8日、全国23婦人団体代表、売春禁止法規制全国大会開催。
◎2月15日、第一回憲法擁護国民大会開催(日比谷公会堂)
◎2月19日、シャープ兄弟と力道山・木村政彦のプロレス試合、初興業(プロレス人気高まる。
◎3月2日、保守党3党、原子力建造補助費2億3500万円を54年度予算修正案として突如提出。
◎3月6日、読売新聞、第五福竜丸の水爆放射能被災をスクープ。マグロの市価半値になる。
◎3月31日、市政ブーム、新たに35市誕生。
◎4月19日、東京・元町小学校の便所で2年生の女子絞殺(鏡子ちゃん事件)
◎4月23日、青年法律家協会創立。◎学術会議第17回総会、核兵器研究の拒否と原子力研究3原則。(公開・民主・自主)を声明。
◎5月9日、原水爆禁止署名運動杉並協議会結成。杉並アピール発表。
◎6月4日、近江絹糸労組、組合承認及び外出、宗教、結婚、通信の自由など人権を訴えてスト突入。
◎6月28日、第13回世界体操選手権大会(ローマ)日本初参加、種目別で金メダル2個。
◎7月30日、政府、滞貨黄変外米配給決定。
◎8月8日、原水爆禁止署名運動全国協議会結成。
◎9月6日、黒澤明監督の「7人の侍」溝口健二監督の「山椒大夫」ともにベニス映画祭に銀獅子賞を受賞。
◎9月26日、青函連絡船洞爺丸、台風15号で座礁転覆、死者行方不明死者1155人。
◎10月4日、東京教育委員会。都立朝鮮人学校に1955年以降の廃止を通告。
◎10月8日、相模湾で遊覧船が定員超過で転覆沈、麻布中学生22人水死。
◎11月3日、法隆寺金堂昭和大修理、20年ぶりに完成落慶法要。
◎11月9日、警視庁、警察官600人でヒロポン密造の御徒町のマーケットを急襲。



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「大阪古社寺探訪」神峯山寺”

2016-07-10 04:59:42 | 日記
「大阪古社寺探訪」神峯山寺”新西国14番札所“・高槻は京都と西山に抜ける東海自然歩道は「神峯山寺」の標識辺りから細い山道、車のすれ違いも難しい、曲がりくねった山間を行くと谷川の向こうに山門が見える。
境内を行くと石段の上には、風雪を感じる古風な本堂には日本最初の毘沙門天霊場で古くより信仰され、別名多聞天と呼ばれ、開山は役行者で本尊の毘沙門天(別名多聞天)は役行者が刻んだものである。修行中の葛城山の山中で、北側の山中に光明を射すのを見てこの地に来た役行者は金毘羅童子に霊木を教えられ刻んだのが四方に光を放ち、一つが京都は鞍馬寺、一つは河内は信貴山の毘沙門天に、一つはこの山の北の峰に飛び散り、根元の残った像がこの寺の本尊になった。奈良時代の宝亀年間には光仁天皇の皇子開成皇子が帰依し多くの伽藍堂塔を寄進した。毘沙門天は武運長久、軍神の守護仏として古くより信仰され、都の鬼門を護る、北方鎮護を担う為に、王城鎮護の霊場として比叡山で最澄によって毘沙門天像が祀られた。この寺と皇室との関係は深く、光仁天皇の勅願により境内には天皇の頭髪を納めた十三重の塔があり幕末、明治には伏見宮那家親王や有栖川家綾仁親王の御真筆が残されている。また武神が鎮座する地域として、足利義満や豊臣秀頼の生母淀君殿の寄進が寄せら徳川家にも加護を受け、大いに栄えたが江戸中期に多くの堂塔が焼失した、往時は二十一坊、寺領千三百石も有った時勢の面影は無く、昔の姿には戻らなかった。現在は五坊で法灯を役行者の伝統を受け継いでいる。神峯山は仏教の聖地として比叡山と並び七高山の一つに数えられ本堂に当たる宝党院に安置されている阿弥陀如来蔵と二体の聖観音菩薩立造は平安作の重文であり「新西国札所十四番」となっている。また比叡山の阿弥陀信仰の融通念佛宗の大阪布教の経由の寺として、一般庶民の商売繁盛の祈願の寺として豪商鴻池家などの商人の信仰の寺でもあった。
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