36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

下りエスカレーターを上るために一歩一歩向上する

2016-07-23 18:53:33 | 意識を整える

 先週はOzakiが考える世の中のイメージ図をお伝えしました。
じっとしていると足元がどんどん下がってしまう、
そんな下りエスカレーターに我々は乗っているのではないか?
というのがそのイメージです。

 では、具体的に下りエスカレーターに対して、
どのように世の中を渡っていけばよいのでしょうか?
Ozakiなりの回答になってしまいますが、お伝えしたいと思います。



 我々が日常生活で見る下りエスカレーターはせいぜい商業ビルの1階分、
高さにして約5m前後で途切れています。
東京都内で深いところを走っている路線につながるエスカレーターや
羽田空港地下から国内線発着ロビーに直通するエスカレーターでは
数十メートルに及ぶものもあるようです。

 さて、みなさんに質問です。
こうした様々なエスカレーターですが、流れに逆らって
下りエスカレーターを駆けあがることは可能でしょうか?
実際にやってみようという方はいらっしゃらないとは思いますが、
念のため、実験はしないでくださいね。

 おそらく、高低差が5mのエスカレーターであれば、
女性の読者の皆様も含めてそれほど難しくないと思います。
ざっと計算すると普通に階段を歩くように上れば
20秒程度以内で上の階に到着できることになります。
頭の中でイメージしてみると

 「あ、なんとなく一つ上の階に行けそうだな」

と思っていただけるのではないでしょうか?



 さて、では長いエスカレーターではどうでしょうか?
長さが長くなればなるほど、階段を上るのも嫌になりますよね。
しかもその階段を上ろうとすると地面がそれほど速くないとはいえ、
下がっていくとなると実質的に上る距離は相当なもの。
さすがに嫌になってしまうのではないでしょうか?
がんばればなんとか上りきれるかもしれませんが、
さすがに上の階に着いた時にはへとへとになっているはずです。
(くれぐれも実験しないでくださいね)



 
 へとへとになるほど頑張れば、長いエスカレーターでも
なんとか上りきれるのでしょうが、
人生の下りエスカレーターは終わりがありません。

 最後のひと踏ん張り、
 もうちょっと頑張れば休憩できる、
 上りきってしまえば後は歩かなくていい、

といった考え方はすべて通用しないのです。

 さて、この状態でどうやれば上の階にたどり着けるのでしょうか?
それはただただ自分のペースで流れに逆らって上り続けるというもの。
そしてどんな状況でも決して歩みを止めない。
日々、平常心を保ちながら淡々と成長していく以外に
上の階にたどり着く方法はないとOzakiは考えています。



 終わりがある「短い」エスカレーターであれば、
その何mか、何十mかがんばって「短距離走」をすれば
上の階にたどり着けるかもしれません。
しかし終わりがなければ「短距離走」は体力を失うことを考えると
それほど効果的ではないように思います。
そうではなくて、急激なペースアップを伴わず、
体力をあまり失わない範囲で足元が下るスピードをわずかに上回る速さで
歩き続ける方が長期的には上の階にたどり着けるはず。

 だからこそ、Ozakiは体温が上がらない範囲で
日々一歩一歩歩き続けることで長期的に成長する
「36℃の経年優化」を推奨しているのです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

下りエスカレーターにどう向き合うか

2016-07-16 21:39:32 | 意識を整える
 ブログ記事を公開し始めてからずいぶんと時間が経ちました。
改めてこのブログのコンセプトをお伝えすべく、
今回と次回でOzakiの基本的な考え方を改めてご紹介したいと思います。

 皆さんは下りのエスカレーターに乗って、上に向かって駆け上がる、
というあまり好ましくない遊び(?)に興じたことはあるでしょうか?
反対の上りエスカレーターに乗って下るでもよいのですが、
他人への迷惑を考えなければ、あれはあれで面白いものです。
(注:良い子はやってはいけませんが、Ozakiはかつてやっていました)

 実際にやってみると当たり前ですが、足場が自分の進行方向とは
反対に動いていますので、思うように進めません。
もし下りのエスカレーターに乗って上の階に到達しようとするならば、
エスカレーターが下るスピードよりも速く上り続けるために
いつも以上に早いスピードで歩かねばなりません。
今となっては読者の皆様の誰もやらないと思いますが、
理論としてはわかっていただけるはずです。



 さて、誰もやらないと表現した↑の行動ですが、
Ozakiはこの世界の人間誰もが既に下りのエスカレーターに乗っている、
そして、必死に駆け上がり続けられる人と気づいたらどんどん下の階に
降りてしまっている人の差が開き続けている、と感じてなりません。

 というのも、今の世の中というのは

 世界人口が過去最高のスピードで増加している
 ロボットや人工知能が過去最高のスピードで進化している
 
の二つの要素が絡み合って人間一人当たりの「仕事」は
どんどん減っている、と言えます。
これは人間という存在全体にとってみれば、
(資本主義経済を前提とするのであれば)
一人あたりの価値がどんどん希薄化する、
それも自分の努力云々以前に時間の経過に伴って
希薄化し続けることを意味するとOzakiは考えているからです。



 自分の意思や行動で世界の人口増加を止めることはできませんし、
これまで人間がやっていた単純労働の大半はロボットが行っています。
知的作業の一例である将棋ソフトが名人級の棋士を負かす時代ですから、
この流れを止めるというのもさすがに無理があるでしょう。

 こうして考えていくと現代に生きるということはすなわち
自分の意思とは無関係に下りのエスカレーターに乗っているのと
似たような状況にあると言えるのではないでしょうか?

 その上で、良いか悪いか、また格差問題をどう考えるかはさておき
実態として単純労働者やロボット、IT技術等を使って
価値を生み出す仕組みを作り、「仕事」に困らない人がいる一方で、
そうでない人は事実上歯車代わりに使われて体調を崩す等のきっかけで
ある日代わりの人間に交代を命じられ、他に「仕事」が見つからない、
という状況も起こっています。



 こうした現在の資本主義社会を取り巻く環境を全く捨てて、
新しい暮らし方を提案、実践することも可能ではあると思うのですが、
そうそう簡単ではありません。
そして、そういう生き方を実現するためには何か圧倒的な「強み」でもって
上述のような下りエスカレーターから降りなければならないとも思います。

 圧倒的な「強み」を持つに至るまでではなくても、
この世界で自分自身の価値を希薄化させないためには
下りエスカレーターの上で一歩一歩上の階に向かって
歩き続ける必要があるのではないでしょうか?



 今回はなんだか非常に堅苦しく、かつ厳しい内容になっていますが、
Ozaki自身の偽らざる現在の世界認識をお話しさせていただきました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

目上の人に何を提供できるか(その2)

2016-07-02 17:09:49 | 意識を整える


 前回は時間単価が自分とは比べものにならないほど高い方と会う時、
自分の側からどういった価値の提供ができるかをお話しました。
今回は反対にそういう方と会う時、ついやってしまいそうだけど、
Ozakiが個人的に絶対にやってはいけないだろうと考えていることを
お伝えしたいと思います。



 Ozakiが目上の人にやってはいけないと思っていること、それは

「何か自分に役に立つことをしてくれませんか」

 とお願いすることです。

 えー、それじゃ何のためにすごい人と会うんだよ!

というツッコミが聞こえてきそうではありますが、
これはOzaki自身の反省も踏まえて導き出した結論です。
時間単価が高い、目上の人に会う時には
自分から可能な限りの価値を提供するように心がけ、
相手からは直接的な見返りを求めない、これがベストだと考えています。



 Ozakiはかつてとある人にこっぴどく叱られた経験があります。
それはまだ知り合って間もない状態であったにも関わらず、
その方の経験や知識がその時点でのOzakiに役立ちそうだったので、

 あれを教えてください
 この場合はどうですか?
 こういうケースではどうしたらいいでしょうか?



と質問を羅列したメールを何度も送りつけたことがあります。
さすがにその方の堪忍袋の緒が切れたのか、

「このやりとりは相手の時間を奪っているということを理解しなさい」

という非常に厳しい一言だけが返ってきました。
その時からその方とはやり取りすらさせてもらえていませんが、
これは極めて恐ろしい事態です。
自分のコミュニケーション一つ、ふるまい一つで
それ以降、自分よりも優れた知識、経験を持つ方とのつながりが
一切断たれてしまう、つまりそれ以上何も教えてもらえなくなるからです。



 自分よりも目上の方は圧倒的に情報を持っていることが多いでしょうし、
人脈も自分より広く、そして深いはずです。
また、たいていにしてそういった方はより多くのお金が自由になり、
そして同時に権力(権限)も大きいことが一般的だと思います。
そういう相手を前にすると、何かお願いしよう、という気持ちは
自然に湧いてくるもので、この誘惑を止めるのは非常に難しいです。



 しかしながら、一旦冷静になって考えてみましょう。
Ozakiの残念な事例を引くまでもなく、皆さんが後輩や学生に
一方的にいろいろとお願いばかりされたらどう感じますか?

 ○○について教えてもらえませんか?
 ▲▲さんを紹介してもらえませんか?
 □□という体験をさせてもらえないでしょうか?

などなど、一方的なお願い攻撃をされたら皆さんが
どれだけ人格者であってもさすがにどこかで辟易するはず。
それと同じことを自分が目上の方にしないというのは
人付きあいをする上での最低限の礼儀ではないでしょうか?
特に自分自身が大きな付加価値を提供できそうにない相手の場合、
面と向かってお時間を頂けるだけでもありがたいはず。
その上で何か要求するというのは少なくともOzakiにとっては恐れ多いこと。
自戒も込めて、目上の人にほど何かをお願いする時には
慎重になった方がよいと思います。



 目上の人に限らず、誰かに何かをお願いするというのは、
本来は自分がそれ以上の価値を相手に提供していてはじめて
相手方は何かやってもいいかな、と思うわけです。
もちろん何の対価も受け取らずに黙ってやってくれる人もいるでしょう。
しかしながら、そういう時には「信頼を失う」ことで
相手が何かやってくれていると考えるくらいでちょうど良いかもしれません。

 自分がちょっとやそっと頑張ったくらいでは価値が提供できない相手には
お願い攻撃をしたくなる誘惑をグッとこらえて、
まずは自分が価値を提供し続けることです。
それが実現できていれば、相手方も必ず何らかの価値を提供してくれます。
具体的に言えば、

 お願いしていないけれど、貴重な情報をくれた
 お願いしていないけれど、重要な人物を紹介してくれた
 お願いしていないけれど、滅多に行けない場所に連れて行ってくれた

といった結果につながる可能性があるわけです。
もしそういった目に見える価値が得られない場合でも(期間でも)
時間単価が圧倒的に高い人の考え方や行動を目の当たりにする、
そういう学びは得難い価値のはず。
そういう方に何とかして価値を提供しようとするプロセスそのものも
自分自身を成長させるいいきっかけであると考えれば、
お願いしたくなる気持ちも我慢できるかもしれませんね。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

目上の人に何を提供できるか(その1)

2016-06-25 10:27:37 | 人間関係

 今回は目上の人と会う時に、どういうことを意識したほうがよいか、
Ozakiなりに書いてみようと思います。
もちろん、これは実際に面談する方と皆さんの関係性にもよるでしょうし、
確固たる一つの答えがあるとも思っていません。
あくまでOzakiが意識していること、そしてその考え方の背景のご紹介です。



 Ozakiは縁あって「時間単価」が極めて高い方々にお時間を頂く
という機会がしばしばあります。
それは例えば先週ランチに呼ばれた緒方貞子さんであったり、
日本一のメルマガを配信されている
鮒谷周史さん(http://www.2nd-stage.jp/profile/)であったり、
各国大使級の方々、またそのお知り合いの方々等と
ご一緒させていただくこともあります。



 そういう方々の「時間単価」が高いということは想像に難くないですが、
具体的に言えば、上記で取り上げたような方の場合、
2時間の講演をやれば数百万円単位の報酬が必要なケースもあります。
1000人規模の会場を借りて一人数万円の料金でも定員が埋まる人であれば、
会場費用と手数料(スタッフ人件費、広告費等)を差し引いて、
講演者への謝礼はそのくらいになりますよね。



 実際にHPでざっと検索してみましたが
1対1でコンサルティングをやって1時間数十万円というケースや
弁護士報酬の平均が1時間2~3万円、高い人では数十万円なのだとか。
こういった報酬はサラリーマンでいうところの「税込収入」ですので、
その稼ぎに必要なインプットであるデータの収集やプレゼン・文書作成の
手間や経費も含まれています。
正確な「時間単価」ではないのですが、もしその方と1時間なり2時間を
1対1で過ごした時に支払わなければならない金額を考えれば
報酬として支払う必要がある金額がベースになると思います。



 同じ時間でこれだけの金額を得られる人
(=アウトプットとして世界に付加価値を提供できる人)
と無料でお会いできるのであればそれは素晴らしい機会ですよね。
Ozaki自身、このことを強く意識して、面談する目上の方に
少なくとも「損」をさせないように心がけています。



 しかしながら、それだけの時間単価を誇る皆さんのこと、
Ozakiごときが簡単に何かを提供できるわけではありません。
何か提供できるとすれば、お会いする方の専門とは少し違う、
Ozakiが知識や経験を積み重ねてきている分野の話くらいでしょう。
それも人脈が広い方々からすればより詳しい方から直接お話を聞いて
既にある程度は把握済み、というケースもあるかもしれません。



 実際にOzakiが目上の方とお会いするときには
Ozaki独自の知識や経験の隠し味として加えているものがあります。
それは感覚的な表現になってしまいますが、
勢いや若さという言葉で表されるようなものです。
具体的には直線的な発想をぶつけてみたり、直球の質問を投げてみたり、
礼儀は踏まえつつも、「お上品」な会話で終わらないようにしています。



 会社の組織でもそうですが、より上位の役職に就けば就くほど
反論や直言を受けにくくなる傾向にあります。
「時間単価」が高い目上の方も恐らくは日ごろ、
自分とは異なる意見を受けたり、批判されたり、
また「そもそも論」に属するような質問を受けたり、
といった機会が少ないのではないでしょうか?

 もしそうであれば、彼らからすると、時々普段付き合いの少ない
若者との会話に求めている要素の一つとして

 最近のトレンドを聞き取る
 若さを生かしたがむしゃらな生き方を思い出す
 素朴な疑問をぶつけられることで、物事の本質を改めて考える

といったものがあるのではないかと尾崎は感じています。
このため、Ozakiは目上の方とお会いする際には、
自分自身が提供できる付加価値を準備してお会いするとともに、
具体的かつ素朴な疑問を一つ、二つ用意して臨むことを心がけています。



 そして、実はここからが一番大事だとOzakiは考えているのですが、
こういった「時間単価」が高い目上の方にお会いする際、
絶対にやってはいけないことが一つあるのです。



 (次回に続きます)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ほうれんそうとまつたけ

2016-06-18 03:13:40 | 仕事術


 仕事の上で情報共有を行う時、必要なのは「報告・連絡・相談」の
三つだと一般的に言われています。

 報告とは仕事の進捗・結果を上司や同僚に伝達すること
 連絡とは全員が知っておくべき事実関係を組織内でシェアすること
 相談とは上司や先輩に自分の仮説・提案について意見聴取すること

と整理できるでしょうか。
日本では40年以上前から社内の風通しをよくし、
情報不足による組織決定の誤り、行動の誤りを防ぐために
繰り返し必要性が主張されてきているものです。



 この三つは前提として伝統的な組織構造、

 経営層ー部長ー次長ー課長ー自分ー部下/後輩

といったピラミッド型の組織が想定されていると感じています。

上司がいるからこそ、仕事の指示に対する結果報告があり、
チームとして動く単位があるからこそ情報共有に意義が生じ
上の階層があるからこそ、新規提案に対する事前のヒアリングが意味を持つ



というわけです。

 もしこうしたピラミッドが存在しなければ、
そしてチーム単位で動く必要がなければそもそも「ほうれんそう」という
言葉は生まれていなかったかもしれませんね。



 この「ほうれんそう」という言葉に関連して最近新しい言葉を知りました。
その言葉は『データの見えざる手』という本に登場したのですが、

一緒にやろうと声をかけて協働する巻き込み、
共通の話題や関心事項で組織や上限関係を越えて人間関係を結ぶつながり、
困った時にお互いの経験や知識、特技を生かして支え合う助け合い

略して「まつたけ」だそうです。
(巻き込み、つながり、助けあい)



『データの見えざる手』ではこれまで人間による経験や知識の組み合わせで得られる
改善に向けた仮説の設定は無意味になり、
大量の人の動きをデータで解析し、これまでまったく注目されてこなかった
人の動きと売上や業績のリンクを割り出すことで有効な改善仮説が生まれる、
という主張をしている本です。

 そして、その延長線上にある仮説として「まつたけ」こそが
多様な構成員の力を発揮させつつ、全体の目的に調和をとる
21世紀の組織システムの実現に寄与するのではないか、と書いています。



 これまでは↑のとおり上意下達のピラミッド型組織で
一人ではできないことをチームで行い、
経験値の高い人、判断力に優れた人、過去に実績を残してきた人の
リーダーシップによって組織で結果を出すという前提で
「ほうれんそう」が重視されてきました。

 しかしながら、組織というものは徐々に硬直的になり、
時代においていかれ気味になる傾向にあります。
今や企業の平均寿命が非常に短くなり、かつての大企業である
シャープや東芝等ですら生存に向けてもがき苦しんでいるのはご存知の通り。
これまで組織運営の上で当たり前とされてきた情報共有の
絶対的ルールであった「ほうれんそう」も
前提となる組織構造が古くなっていると仮定すれば、
それだけでは不十分になってしまうのは明白です。



 同書で言われているチームワーク活性化による業績向上、業務効率化、
といったリンクはあくまで仮説です。
しかしながら、これまで長い間重要視されてきた「ほうれんそう」に加え、
新たな形の意志疎通方法が必要な時代になっているのは間違いなさそうです。
それも上から下、もしくは下から上ではなく、
役職や階級に囚われない網の目のようなつながりをどう生かすのか、
この点が問われるとすれば

 「まつたけ」

は今後注目のキーワードになるのかもしれませんね。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加