36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

「ジョコビッチのミスショット」

2016-05-21 09:28:50 | 意識を整える

 日曜日の夜11時頃、明日の天気をチェックして寝ようと
TVをつけたところ、ちょうどNHKでウインブルドンの男子決勝が
生中継されていました。
(この記事は2015年7月14日に配信したメルマガの一部です。
以下すべての記録やランキングは当時のものです)


 連覇を狙う世界ランク1位のジョコビッチ選手と
 ウインブルドン5連覇の記録を持つ世界ランク2位のフェデラー選手

お互いの持ち味を出しあっての素晴らしい勝負にしばらく時を忘れて
見入ってしまいました。

 高校生の頃テニスを習っていましたが、ここ最近はすっかりご無沙汰、
ましてTV中継などほとんど見た記憶がないのですが、
たまたまTVをつけた時にこの決勝戦を見ることができて
「いいものを見たなぁ」という気分になりました。



 さて、そのテニスの試合を見ていて一つのことに気づきました。
それは現在世界最高のテニスプレイヤーであり、
先の試合でもフェデラー選手を破り連覇を達成したジョコビッチ選手でも
ミスショットをしてしまうことがあるという事実です。

 
 そんなの当たり前だろ!

と突っ込まれる方はテニスやスポーツの難しさをよく御存じの方。
そうです、ミスは誰にだって起こりうるのです。
たとえそれが世界最高のプレイヤーだったとしても、
ネットにひっかけたり、コートをオーバーしたりといった
ミスショット(unforced error)は避けて通れないもの。
まして対戦相手のフェデラー選手が鋭いボールを厳しいコースに
打ち込んで来るのです。
そうそう簡単にノーミスでのプレーはできませんよね。

 
 中継を見ていて、決勝でのジョコビッチ選手は信じられないほど
ミスの数が少なかったので、勝つべくして勝ったと言えるでしょう。
しかし、ボールを打つときの態勢を崩された時は
必ずと言っていいほど、ボールをしっかりと打ち返すことができず、
ミスショットにつながっていました。

 ジョコビッチ選手ほどの選手であっても、しっかりとした姿勢で
ボールを捉えられなければ相手コートにいれることはできない、
尾崎が決勝戦の映像を見ていて気付いた事実の一つです。
テニスのボールを打つためには、ボールを打ちやすい場所に動き、
ラケットを的確なタイミングでボールめがけて振りぬく必要があります。

 ジョコビッチ選手のミスの仕方を見ていて気づいたのは、
多少ラケットとボールの接触の仕方が悪くても
コースの甘さに目をつぶれば相手コートに返せるのですが、
ボールが来る前にボールを打ちやすい場所に動ききれいていない場合は
相手コートにボールは入らないということでした。
テニスの場合、ボールを打つという行為よりも
ボールを打つための準備の方が大事なのではないか?と
考えさせられる気づきでした。



 そのままテニスの中継を見ながら考えたのですが、、
やり取りするのがボールではなく、言葉だったらどうでしょうか?
相手と丁々発止のやり取りをして、どちらかの主張、アイディアの
優れていたほうにポイントが入る、と仮定するとどうなるか。
これは仕事における交渉やプレゼンに置き換えられるのではないか、
とOzakiは感じたのです。

 深夜の思いつきなので、やや一足飛びのきらいはありますが、
相手がどういう鋭い反論、質問をリターンしてくるかわからない状況で、
自分なりにベストのボールを打ち返すと表現するとOzakiのイメージした
相似性が多少なりとも伝わるでしょうか?



 ジョコビッチ選手のミスショットを見るたびに、
ボールが来る前の動き=ボールを打つための準備動作、の重要性を
痛感していたのですが、テニスと仕事の相似性を踏まえると、
仕事においても交渉やプレゼンでは本番よりも事前の準備が大事なのだ、
ということに気づかされます。

 相手の出方や主張、性格、基本的な考え方、
相手がどうしても譲れないポイントに当日の相手の機嫌。
こういったことをすべて調べぬいて、その上で自分たちの主張を
相手に理解してもらい、できる限り自分たちの考え方に同調してもらう

 これが交渉の理想的な決着です。
この理想的な決着を目指しているにも関わらず、
なんら準備もせずに自分たちの主張だけまくしたてるのは
さながらボールを打てる態勢にないにも関わらず、
とりあえずラケットにボールを当てただけ、
という状況に近いかもしれません。

 こういった状態では

 相手が返せないボールを打つ(主張を飲ませる)、

 ことはおろか、

 相手が放ったボールにミスショットで応じざるをえない

 ことになってしまいます。

 
 ジョコビッチ選手のスーパーショットは事前の準備が整い、
最も力が伝わりやすいポジションに回り込んだ時に放たれます。
我々も仕事でスーパーショットを放つためには
華々しい交渉のやりとりやプレゼンそのものではなく、
そのひとつ前の動作である準備を大切にする必要がありそうです。
理想的な結果を得ようとするならば、事前の準備をしっかりと行い、
万全の態勢で相手側のボールを打ち返せるようにしたいですね。


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朝からエンジン全開で仕事をする方法

2016-05-07 14:57:50 | 仕事術

 少し前からOzakiが所属する部内で1年目〜4年目の若手に向けた
簡単な勉強会の講師役を務めています。
主として業務の効率化、若手であっても
仕事が速く、的確にできるようになるために

 こういった工夫ができますよ、
 こんなことを意識しながら仕事するとよいですよ、
 ここだけは絶対に押さえましょう

といった仕事の「ツボ」を順次説明するつもりです。

 部の上司や先輩からは(講義内容の議事録を見て)
好評をいただいているようなので、
毎週一回ではありますが、Ozakiがこれまで学んだことを
できるだけ噛み砕いて伝えられればと思います。



 今回のコラムはそういった背景も踏まえて、
極めて「短期的な学び」である使える小技をご紹介します。
タイトルにもある通り、朝一番、席についた瞬間から
その日一日、全力で仕事を始められるようになる、
ちょっとしたテクニックをご紹介します。

 そのテクニックとは、小さなことでもよいので、
前日に仕込んでおいた作業の続きを朝一番で仕上げ、
to do リストからその作業を消すこと。

 例えば

 昨日あえて返信しなかった優先度の低いメールを返信する
 会議当日下書きをした議事録を上司が来る前に机に置いて確認を求める
 前日までに準備した会議資料を確認して印刷する

といった程度のもの。

 これを朝一番、できれば始業時間前か始業時間とほぼ同時に
終わらせて、その日のタスクリストからも消してしまうのです。
手書きでto doリストを書いている方であれば、
勢いよく、作業項目に二重線を引くというのもよいかもしれません。
Ozaki自身も仕事が立て込んでいる時にこのテクニックをしばしば使います。



 なぜ、この方法がよいかというと、
たとえ小さな作業完了であったとしても、れっきとした「実績」を作ると
自然と気持ちが乗ってくるからです。
同時に、to doリストとは別の言葉で表現すれば、
自分が自分に課した指示メモであり、自分との約束メモでもあります。
人間の傾向として、約束を守れば守るほど、
その人への信頼が増し、より重要な約束も任せることができるもの。
また、約束した側は約束を果たすことによって、
相手から信頼されれば、次も信頼に応えようという気持ちが働きますよね。



 これは相手が自分であっても同じはずだとOzakiは考えています。
つまり、朝一番、始業と同時に自分との約束を一つ守ることができれば、
自分自身がその日の自分を信じることができるようになります。
そうすれば残っている比較的大きな約束についても
自分の信頼に応えるべく、さらに集中してタスクをこなせるのです。

 
 一見すると昨日できたはずのことをあえて翌朝まで寝かしている、
という構図になっているので、「先送り」に見えるかもしれません。
しかしながら、朝から夕方まで常に集中して、ミスなく業務を
行える人間はまずいないはずです。
であれば、なおさら集中力が切れつつある夕方に
業務を詰め込むよりは、一旦翌日の朝に持ちこして、
新鮮な気持ちで資料やメールを見直した上でアクションを取った方が
ミスが少なくなると思いませんか?
その上で、その後に続く仕事にも気合の乗った状態で取り組めるとしたら、
まさに「ほんのちょっとの工夫」で業務が効率化する一つの方法である、
と言えるのではないかと思います。



 前回までお話したように、こういったコツは多く身に着けたとしても
人間性の涵養に大きく貢献するものではないのですが、
目の前の仕事の効率を上げるという短期的な課題には
役に立つものと言えますね。

 みなさんももし、類似の工夫があればぜひともOzakiに教えてください。
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短期の学び、長期の学び(その3)

2016-04-30 00:45:33 | 意識を整える


 このシリーズの最終回です。
短期の学びはもちろん重要ですが、それだけでは

 「人生の自転車操業」

に陥ってしまう可能があるというお話を続けてきました。


 Ozakiが今感じているのは、短期的、集中的な学習を行いつつも、
同時並行で少しずつ長期的な学びの時間を増やす必要性です。
長期的な学びで習得できるのは決して目の前の課題の解決に
役立つものではありません。
しかしながら、

 これまでの人類の歴史の中で偉大な先人が
 長い時間をかけて考え抜いてきた「哲学」

 全世界の多くの人がすがって生きている「宗教」

 全く同じ出来事は起こらないにせよ、韻を踏むように繰り返す「歴史」

 様々な人がその美しさを語り継いできた「芸術」あるいは「古典文学」

といったものはここぞという時の判断力や自身独自の価値観形成に
必ず役に立ってくるはずです。
というのも、人間一人がこれまでの人類の歴史史上

 全く誰も考えなかった、
 全く誰も思いつかなかった、
 全く誰も達成しえなかった、

ことをぱっとできるようになるのはほぼありえない話です。
つまり、我々が日々直面している問題のほとんどは
過去になんらかの答えやヒントがあるはず。
そうであれば先人が悩んだこと、考えたこと、感じたこと、を
自身の中に蓄積することは短期的な学びを包摂すると言えるでしょう。

 哲学や宗教や歴史や芸術/古典文学を学ぶことはすなわち 
自分自身が先人が積み重ねてきた知恵、人類の英知を得ること、
そう言い換えてもよいかもしれません。
壮大なる思考や試行錯誤の積み重ねを自分の中に取り込もうとする
そんな作業がちょっとやそっとでできるわけないですよね。
長期的な学びに時間がかかることを理解していただけると思います。
そして、すぐには役に立たなくとも
時間を経るにつれて=年齢を重ねるにつれて、
そういった学びが求められることもよくわかりますよね。



 読者の皆さんの年齢や立場、役職は様々ですので、
Ozakiが一方的に長期的な学びをすべし!と言える状況ではありません。
それでもOzakiに近い世代や立場の方であれば、
最初は少し時間的に厳しくとも、毎日少しずつでも
長期的な学びに時間を費やすことを考え始めてもよいのかな、
とそんなことを感じているOzakiです。
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短期の学び、長期の学び(その2)

2016-04-23 20:08:57 | 意識を整える


 前回は学びには時間軸によって二つに分類できるというお話でした。
ノウハウのように比較的短時間で習得でき、
実践で役立てるのも短期間で可能な「短期の学び」。
古典や哲学論のようにじっくりと読み込まなければ理解できず、
実生活で直接役立つというより人格涵養につながるような「長期の学び」。



 これまでOzakiはどちらかというと「短期の学び」を重視してきました。
それは何より日常生活を送る上で、仕事の場面でも、プライベートでも、
とにかく今解決すべき直接的な課題があったからです。
今直面している問題を解決するために必要な情報、技術、能力は
短期的な学びで習得し、できる限り早く対処することになります。

 これまではOzaki自身若く、日々目の前に突き付けられる現実に
立ち向かう能力も不足していました。
そのため、自転車操業、あるいは泥縄式であったとしても
目の前の課題を解決するために短期的な学びに頼ってきたのです。

 具体的には



議事録の作成術であったり、
会議の進め方であったり、
報連相のやり肩であったり、
情報収集にあたっての「あたりのつけ方」だったり、
関係者をできる限り自分の望ましい方向に動かすための根回しであったり、
金融関係の知識であったり、
パキスタンを取り巻く情勢やテロリストの考え方であったり、



とその場その場のOzakiのニーズを踏まえて自分自身を鍛えてきたわけです。
これは一定の社会人経験を持つ読者のみなさんであれば
ご自身も同じように必要な能力を身に着けてこられた記憶があるはず。

 過去Ozaki自身、多少なりとも短期的な学びで
技術や能力を磨いてきたという経験を持っていますので、
短期的な能力を否定するつもりはありません。
むしろ、Ozakiよりも若い人は積極的に今直面している困難を
乗り越えるために勉強してもらいたいと感じています。
そして中堅に差し掛かりつつあるOzaki自身も
まだまだ経験不足であることは明白ですので、
新しい挑戦をする場合には短期的な学びを積み重ねる必要があります。



 しかしながら、最近になって、短期的な学び一辺倒では
「その日暮らし」から抜け出せないのではないか?
という疑問を感じるようになってきたのも事実です。

 短期的な学びを繰り返すことによってなるほど、
目の前の問題を解決したり、乗り越えたりはできるでしょう。
そして、後々似たような問題が生じた時もそれなりの答えを
比較的短時間で導き出すことも可能になると思います。
ただ、この状態は↑でOzakiが既に触れたように、
日々発生するトラブルに対するリアクション的な勉強が多く、
多少先を見越したとしてもせいぜい数年先に自分が挑戦する物事への
準備作業の域にとどまると思います。
この状態では、常に短期の学びを繰り返し続けなければ
また次の問題、また次の問題・・・と自転車操業が続いてしまいます。

 
 年齢を経てくると任される範囲が拡大する一方で、
徹夜してもなんとかなる!という体力は維持できなくなるもの。
ということは、仕事をしながら短期的な学びを延々と続けることが
徐々に難しくなってくるということですね。

 つまり、ある程度時間が経ってくると短期的学びが追い付かず、
その日直面した問題が解決できないままに、
また別の問題に対処しなければならない状態が発生する、
短期的な学びだけに頼っているとそういう事態になりかねないのです。



 こういった状況を未然に防ぐためには、
今すぐ効能は現れないかもしれないけれども、
将来短期的な学びを自転車操業的に続けずとも、
問題を解決し続けることができるようになるための
長期の学びに時間を割く必要があるのではないか、
Ozakiはそう考えるようになりました。

 (次回に続けます)
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 「短期の学び、長期の学び(その1)」

2016-04-09 20:25:52 | 意識を整える

 
 今回の記事は本編メルマガ第300号(2015年6月16日配信)に掲載した記事です。
本編メルマガは週に一度、配信しておりますので、
メルマガ配信開始から約6年間にわたり続けることができた計算です。
これだけの長い間継続することができたのは
ひとえに読者の皆様からのご支援、叱咤激励のおかげです。
引き続きOzakiの日々の学び、経験談を展開していこうと
思いますので、来週以降もどうぞお付き合いください。



 さて、300回目のテーマですが、最近Ozakiがよく考えていることを
率直に発信するというスタイルにしようと思います。
今Ozakiが関心を持って考えているのは
短期的な学びと長期的な学びのバランスのとり方です。



 短期的な学びとはおおよそ一年未満で結果を出すためのもの。
業務上必要であったり、生活の上で必要に迫られて技能を習得する、
そういったパターンが当てはまるかと思います。
この種の学びは成果が見えやすいというのも特徴の一つ。
語学や業務上のスキル・資格といった仕事に役立つものや
料理や楽器の演奏といった趣味関連のものもあります。
短期的に学んで、自分を変えることができるので、
波に乗り始めると一気に習得が進むこともあるかもしれませんね。



 
 その一方で、長期的な学びとは最低でも数年、
場合によっては数十年単位で継続的な努力が必要な学びもあります。
極端なことを言えば、伝統芸能であったり、
○○できるようになるまで10年といった職人の世界は代表例。
そこまで極端ではなくても、数年〜数十年かけて徐々に
人間としての円熟味を増していくために、研鑽を続けている
そんな人も多くいらっしゃるように感じます。

 上述の短期的な学びと異なり、長期的な学びの場合、
すぐに目に見えて自分自身が変わったと感じづらいことが多いはず。
日々の少しずつの変化、上達の積み重ねの結果が
数年後にふっと気づくレベルまで到達するというイメージでしょうか。

 ハウツーもののように本を読んでできるようになる
 2〜3度自分でやってみるとコツがつかめる
 日程が決まっている試験で結果がはっきりわかる

といった目に見える形での成果が出ないため、
取り組みを続けることは短期的な学びに比べて難易度が高いです。
時には何でこんなことやっているのだろうか、
と感じることすらあるかもしれません。



 最近Ozakiが思案しているのは長期的学びにどの程度重点を置くか、
という点です。
短期的な変化、成長というのはもちろん大切ですし、
顧客が望む納期に必要な質・量の製品を納入するのと同様、
自分の周囲の人の期待に応えるために自分の能力を質・量ともに
揃えるという努力はプロフェッショナルとして必要不可欠です。
その結果として、自分自身も達成感を味わうことができますし、
実力をつけていることが実感できれば自信にもつながるでしょう。



 しかしながら、最近Ozakiはもしかしたらそういった
目の前の顧客、課題への対応だけでは人間性に深みが出ないのでは?
と感じるようになってきているのです。
一見、目の前の問題解決や成果につながらないかもしれないけれども、
後々

 「ああ、あの時こういったことを勉強しておいてよかった」

と振り返ることができるような学びの重要性を感じている、
そう言い換えることもできます。



(次回に続けます)
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