36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

折れない自信をつくるには(その1)

2017-04-22 17:36:34 | 意識を整える


 前回、前々回と二回続けて同じテーマをお伝えしてきました。
探し物でも、仕事でも何かをやる時には
まず自分自身で

 「できる」

と確信を持つこと。

 そして確信を軸としてできるまであきらめずに挑戦し続けること。
この二つが揃えば、必ず成功するというもの。
正確に言えば、成功するまでの過程で挫折しないですみますよ、
ということになるかもしれません。


 しかしながら、何度も何度も何度も失敗した時に
ついついあきらめたくなってしまうのが人間というもの。
先週もお伝えしましたが、エジソンの場合は電球を発明するまでに
10000回もの失敗を繰り返してなお

 「うまくいかない方法を10000通り発見した」

と言えるだけの根性があったわけです。
ただ、同じことを自分がやれるかと言われると・・・。
Ozakiは正直自信が持てません。


 実生活においても、いかんせん、人間は弱いもの。
何度かうまく行かないと

 やっぱり自分はできないんだ、
 このやり方ではできないんじゃないのか?
 そもそも、これをやる意味があるのだろうか?

といった考えが頭に浮かんでしまいがち。
どうにもならないことを続けても仕方がないのですが、

 どうしてもこうしたい!、
 今よりも成長したい!、
 憧れの人のようになりたい!

という気持ちが湧くものなら、なんとか「最後には必ずできる」
という自信を維持したいですよね。
Ozakiはそうした折れない自信を得るために具体的に
やっていることが二つあります。


 Ozakiが自分自身実践している一つ目の行動は
24時間そのことだけを考えてでもやり遂げたい、
という強い衝動が
あるかどうかを何度も自問自答することです。

 卑近な事例を挙げるとすれば探し物。
Ozakiは探し物が得意、と先々週書きましたが、
探し物が出てくるという確信がどこから来るかというと、
そもそも探しているものが見つからない状態が
極めて不快(気持ち悪い)という強い衝動です。
何か必要なものがない、あるはずの場所に欲しいものがない、
という不快感から逃れるためには必死で見つけるしかありません。


 探し物からさらに話が大きくなった場合でも
Ozakiがなにかやろうとした時に最初にやるのは自問自答。

 本当に自分がそれをやりたいと思っているか?
 やってみたいと思っていることは意味があることか?
 やりたいことで成し遂げられることは何か?

といった問いを繰り返し自分に投げかけ、
何があってもやってみたい、と思えるかどうか。
この段階で絶対にやりたい!という衝動が得られなければ、
何度か失敗してしまうと、あきらめてしまう可能性大。
そしてあきらめても仕方ない、という程度の関心なのかもしれません。


(次回に続けます)
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見つかるまで探す、できるまでやる

2017-04-15 23:41:38 | 意識を整える
 
 前回は探し物を見つけるコツはまず見つかるという確信を持つこと、
そして、確信に基づいて見つかるまで探せばいいのだ、
というお話を書かせていただきました。
Ozakiは探し物をするときたいてい「絶対にある」という確信を持って
探し始めるので、大抵のもの、それも他人が失くしたものも含めて
見つけるのが得意だと感じています。


 探し物のような小さなことだけではなく、
実際の仕事においても、またもしかしたら人生そのものにも
この二つのコツは当てはまるのかもしれません。

 何かよい成果を上げようと思ったら、
一度や二度の失敗は当たり前。
壁にぶつかって、やりなおして、また壁にぶつかって、
それでもなお、これが正しいと思える方法を考えて再挑戦する。
こういった繰り返しで人は成長していきます。


 有名な話ですが、エジソンが電球を発明するまでには
10000回以上失敗を繰り返しているのです。
それも

「10000のうまくいかない方法を『発見』した」、


と言ったということになっています。


 人間、失敗を経ずにはめったなことでは成功できません。
しかしながら我々はエジソンではないので、10000回も失敗してしまうと
間違いなくどこかでうんざりするか、やめてしまうか、ではないでしょうか?
そこで、まず第一に必要なのは「確信」だとOzakiは考えています。


 失敗しても、それが次につながる失敗だと信じることができれば、
すなわち、失敗の先に成功が待っていると信じることができれば、
10000回と言わずとも数回から十数回の失敗は耐えられるはず。

 自分の進んでいる道は間違っていない、
 自分のやっていることは正しい、
 自分の取り組みは必ず最後に実を結ぶ、

そういった確信を持って日々の仕事に取り組めるようになれば、
半分以上成功したと考えてよいのではないでしょうか?
(この確信を得る方法は次回また考えましょう)


 その確信があれば、失敗しても失敗しても、
少しずつ改善を繰り返し、成功につながるやり方は
いずれ見つかります。
つまり探し物は見つかるまで探せば見つかるのと同様に、
仕事も趣味もできるようになるまでやり続ければできるのです。
あとは、そこまでやれるかどうか、自分を信じられるかどうか、
ではないでしょうか?


 こういうやり方は泥臭く、スマートではありません。
効率最優先の考え方にはそぐわないかもしれませんが、
百発百中で成功するなどありえないのもまたこの世の中。
特に変化が激しく、そのスピードが速くなっている近年では、
失敗から学んで修正する能力が生き残る力に直結するように思います。

 皆さんが失敗の数をできるだけ少なくしたいということであれば、
こうした考え方は不要だと思います。
しかしながら、少ない失敗経験で探し出せるものは
それほどレアな体験ではないかもしれません。
むしろ自分自身を信じ切った上で多数の失敗経験を積み重ね、
それを経てなお、できるまでやりきった時に
言葉では表現できないような成功体験が待っているのではないか、
Ozakiはそう考えています。
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探し物を見つけるコツ

2017-04-08 22:11:27 | 意識を整える


 皆さんは探し物をされますでしょうか?

 必要なものがなかなか見当たらない、
 お気に入りのアクセサリーに限ってどこにあるかわからない
 今や手放せない携帯を失くしてしまった

などなど、いろいろな探し物のシーンがあろうかと思います。
探し物が存在すると、見つけ出す作業が必要になりますよね。

 では、皆さんは探し物を見つけるのは得意でしょうか?
この質問はOzakiが自信をもってYES!と答えられる数少ない質問。
Ozakiは自分のものはもちろんのこと、家族が見失ったものや
娘があちこちに散らかすものの中から目的の一品を見つけることが得意です。

 それがどうした、と言われてしまいそうですが、
この

 「探し物を見つける」

という行為が実は
経年優化の発想につながるものなのではないか、と
最近感じるようになりました。


 Ozakiが探し物を見つけるのが得意な理由はなんだろうか?
自分自身に問いかけて、過去の探し物が見つかったシーンを
思い浮かべていたところ、極めて簡単な答えに到達しました。
その答えとは
 
 「探し物が必ずどこかに存在していると確信し、見つけるまであきらめない」

というもの。
Ozakiは探し物を始める時、必ず存在していることを確信します。
(実際にあるか、ないかもちろんわからないのですが)
存在していると心から信じることができれば、
存在を確信していれば、二か所や三か所探して見つからなかったから、
と言って探し物をあきらめることはありませんよね。
途中で探すことをあきらめるという選択肢はありえないので、
一つ一つ、存在していそうな場所を探せばいつか必ず見つかります。


 マーフィーの法則の一つにも

 「探し物は一番最後に探した場所から出てくる」

というものがあります。
よく考えると探し物が出てくればそれ以上探さないので
「最後」に探した場所から見つかるのはそもそも当然です。
ただ、この法則は

 最後に探す場所に至るまで探し物を続けられれば
 探し物はおのずと出てくる、

とも読み替えられるとOzakiはとらえています。
探し物を見つけるコツはとりもなおさず、
見つかるまで探し物を続けられるか、途中で断念しないか、
なのでしょうね。


 Ozakiが探し物が得意な理由は探し物に限って
あきらめが悪く、かつ心の底から探し物が見つかることを
信じているから、だと分析しています。
探し物はそもそも非効率的で、探し物をしなくてよいように
生活を改善していく必要があるため、探し物が得意であることを
自慢しても仕方がないのですが、探し物を見つけるコツは
人生において成果を上げ続けるコツと共通項があるように思います。


 次回はタイトルとスケールを変えて、同じようなことを考えてみましょう。
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若い人から刺激を受け続ける

2017-04-01 10:31:42 | 人間関係

自分自身の変化を除けば、少し休みをいただく前と
復帰した後で最も大きな変化は今年4月に新卒で入ってきた新人さんが
同じ課に所属している点でしょうか。

 10年ひと昔、とはよく言ったもので、
Ozakiと少なくとも10歳以上違う新人のフレッシュさはまぶしい限りです。
一生懸命に仕事を覚えようとする姿、
そして一つ一つの仕事のポイントは何だろうか、と先輩や上司に質問する姿を
見ているだけでも、自分が仕事を進める上での刺激になります。


 こういう記述をすると、なおさら自分がおっさんになったことを
自覚させられるわけですが(涙)。
今回のテーマはそんなozakiのおっさん化ではなく、
おっさん化したからこそ、若い人から刺激を受け続けることが
大事ではないかというozakiの仮説です。


 社会人として仕事を始めると高校生や中学生、はたまた小学生と
話をしたり、一緒に何かをやるという機会はほとんどないはずです。
同様に社会人になって数年~10数年が経過すると、
大学生と話をする機会もほとんどなくなってくるでしょうし、
場合によっては20代の社会人との接点も少なくなるかもしれません。

 しかしながら、着実に自分自身は歳をとりますし、
若い世代は(いかに少子化の時代といえども)着々と社会に参入してきます。
好むと好まざるとに関わらず、自分の持っている価値観、生活習慣は
下の世代のそれとずれていきます。
やがて自分が「老齢」になった時、その時点で社会の中心を担っている
下の世代の価値観や生活習慣が世の中の潮流となることは間違いありません。
何もせず、自分の世界に閉じこもって自身の価値観だけに固執していると
時代遅れになってしまうわけです。


 昭和の常識が平成の常識と大きく異なるように、
2016年の常識と2040年、2050年の常識は全く異なるのは
いわば「既に起こった未来」の一つ。
時代遅れの存在になってから慌てて下の世代や若い人と
意思疎通を図ろうと思っても、時すでに遅しです。
同じ日本語をしゃべっているとは思いますが、
それでもそもそも「共通言語」があるかどうか、は怪しいのではないでしょうか?
(皆さんのおばあちゃん、おじいちゃんに「ツイッター」「タブレット」等の
単語を説明なしに使っても意味が伝わりますでしょうか?)


 若い世代、下の世代からの刺激は気づいたときから受け続けなければ、
どんどんと取り残される一方ではないか、とozakiは感じます。
自分の父や母がそうであるように、年齢を経るごとに
新しいIT機器や流行のゲーム、漫画、アイドル等への関心は薄れがち。
だからこそ若い世代からの刺激を受けて、時には(恥を忍んで)教えてもらうことで
感覚的な若さは失わずに常に世界を広い視点でみられるようにしたい、
ozakiはそう考えています。


 皆さんの職場にもし新入社員がいらっしゃるようであれば
ぜひとも会話を通じて彼・彼女らの世界をのぞいてみることをおススメします。
さらにもし可能であれば彼・彼女が日常的にどういった生活をしているのか、
どんな道具を使っているのか、どんな趣味を持っているのか、
といった話を聞いてみてもいいかもしれませんね。

 仕事ぶりを見て初心に帰るだけではなく、
自分とは異なる価値観、世界のとらえ方を学ぶという意味で
若い人から刺激を受け続けることは非常に重要なのではないでしょうか。
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不易流行

2017-03-25 00:07:33 | 意識を整える

 前回は父の死をきっかけに強く意識したこと、
即ち人間が死ぬまで思いのほか時間がない、という事実を書きました。
今回のコラムはその延長線上でOzakiが考えたことをお伝えします。

 人間死ぬまでの期間は短く、人生は有限です。
そして、その間にできることも限られていると言えるでしょう。
例えばOzaki自身が経験する年越しはせいぜいあと50回程度ですし、
その間に食べられる食事の数は6万食が関の山です。
死ぬまでに読める本の数は頑張っても1万冊を超えることはないはず。
世界中すべての都市をくまなく回ることはほぼ不可能ですし、
経験したことのない業種、職種をすべて経験することも不可能でしょう。


 自分がどのように生きていようと時間はどんどん流れて行きますし、
時代と共に流行や価値観も移り変わっていくのだと感じます。
Ozaki自身のこれまでの少なく、そして狭い人生経験においても、
日本経済はバブルのこともあれば、バブル崩壊後の不況があり、
ITが持てはやされた時期もあれば、金融関係者が栄えた時期もありました。
そんな経緯の後にリーマンショック等を経て世界的な経済停滞が続き、
今や一流企業でも公務員でもなくソーシャルビジネス、NGO、NPOが
最先端という時代と言えるかもしれません。


 これだけ激しく移り変わっていく価値観の中で、
一人の人間の短い人生、あちこちフラフラと移り気に動いていては、
何か大きなことを達成するのは難しいかもしれない、
Ozakiはそんな風に考えるようになりました。


 時代や価値観が変わったとしても、それはそれ。
自分自身が本当に大切だと感じることにまずはじっくりと取り組み、
その取り組みを通じて移り変わっていく社会に貢献する、
そんな生き方が、短く有限な人生を最も有効に活用する方法ではないか?
というのが現在のOzakiの考え方です。

 
 この考え方を確立するまでに、似たような発想の言葉に出会いました。
それが今回のタイトルに掲げさせていただいた「不易流行」という言葉。
この言葉の由来は松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の間に体得した概念とのこと。
松尾芭蕉の弟子の一人である向井去來が芭蕉の言葉をまとめた
「去來抄」という本に

 「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」

と記されているようです。

現代的な日本語に訳すとすれば

 「この世の不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、
 この世の移り変わりを知らなければ新たな進展がない」

といったところでしょうか。「不易」つまり、どんなに世の中が変化し状況が変わっても
絶対に変わらないもの、変えてはいけないものがあるということ、
反対に、「流行」は移り変わるもの、社会や時代の変化に伴って、
どんどん変わっていくもの、適応しなければならないもののことです。


 松尾芭蕉自身はこの「不易流行」という言葉を当時の俳句の世界に
対して発したそうですが、人生そのものにも当てはまると感じました。
世の中の変化とは無関係に自分が信じられる「不易」を軸としつつ、
その軸をその時代、その時代の価値観に寄り添わせることで、
より大きな価値が得られ、社会にも大きなインパクト、進展を加える
ことができるのではないでしょうか?


 ここ数年の世界は

 流行りものに飛びつく、
 勝ち馬に乗る、
 次の「飯のタネ」を必死で見つけようとする

といった「流行」を重視する傾向が強く出ているようにも思います。
しかしながら、有限の人生を持った人間が悪戦苦闘しながら生きている、
という実態があまり変わらない以上、「不易」の部分の重要性は
文字通り不変のはず。

 
 短い人生で自分自身が何を成し遂げたいのか、

いまだにOzakiははっきりとした回答を得られていませんが、
松尾芭蕉が旅の中で思い至ったという「不易流行」の思想と
似た胸中まで来ていることをささやかな自信としつつ、
もう一歩、Ozakiにとっての「不易」はなんだろうか、
と考え続けたいと思います。
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