輝ちゃんつれづれに 

日常のほんの小さな変化を自分のことばで残したい。一つ二つの記事を、何を、どの順番で、どう掘り下げて。

思い出いっぱい あゝ上野駅

2016年12月20日 23時47分19秒 | マツンのおもい

あのスターにもう一度会いたい 井沢八郎

「あゝ上野駅」などヒット曲を数多く残し、人々を魅了し続けた演歌歌手の井沢八郎さん。長女で女優の工藤夕貴さんなどを招き、歌の魅力や知られざる素顔に迫ります。

俺は音痴。だから人前では絶対歌わない。歌えない。飲んでごまかしていた。職場の連中は田舎出身が多い。ふるさとの民謡をうまく歌う。俺のふるさと東京・井の頭にも音頭はある。俺は歌えない。

嫌な武器が出てきた。カラオケだ。歌の上手い連中にとっては最高の見せ場だ。初めて行ったカラオケは川崎球場がなくなりその近辺にできたカラオケ。接待で連れて行かれた。いすゞ川崎工業専修学校の担当になり、何かの打ち上げのあとに浜元さん(現藤沢市議会議員 鹿児島出身)に誘われて入った。順番で歌うのを楽しんでいる。強引に歌わされた。選曲を「あゝ上野駅」にした。その当時は、通信制高校=集団就職のような?違うな?通信制高校なんか認知されていない時代だった。高等学校といえば、全日制か定時制しかないと思われていた。びっくりした!いっぱい人が聞いているんだ。カラオケ劇場的な雰囲気。台詞の場面でちょっぴり皮肉った。それが受けた。初体験を切り抜けた。

それ以来、俺の愛唱歌は井沢八郎の「あゝ上野駅」。

http://www.karaoke.or.jp/03nenpyo/ 

逆手に取り持ち歌に

   

下手くそだが魂と心を込めて。自分から好んでは歌わない。情景を思い出すな。組合事務所で、新宿のホテルで、箱根の旅館で、日立のスナックで、成城のスナックで・・・。どこでも手拍子と合唱が。それと同時に生徒の顔と故郷を。あいつは竜飛岬の飛ばされそうな家だったな、雪深い秋田横手だったな、青森野辺地の女房の実家に近い奴も、山形も北海道も。あの連中も50前後だ。しっかりと足を地につけ頑張っていることを願う。思い出した。会社の人にお願いして上野駅に迎えに行ったことがある。迎える俺も、期待と不安が入り混じって胸が締め付けられるようだった。

夕日に誘われ どんぐり山に

http://mitaka-donguriyama.com 

LEO君と散歩に出かけた。いつものように大沢1丁目。太陽が目一杯輝いている。富士山が見える場所はないか。大沢橋まで行ったがまったく見えない。高射砲の跡地に行けば見えるかもしれない。最近は障害物が多くなり夕焼けの富士山を撮影できる場所がなくなってきた。

http://tekdiver2.sitemix.jp/html2/arakawas/backn015/donguri/donguri.html 


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