『生きて死ぬ私』(著・茂木健一郎)という本を紹介します。
NHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の司会などで、幅広く活躍している脳科学者・茂木健一郎さんのエッセーです。
「科学の発達により、宇宙というマクロコスモス、人間というミクロコスモスに関する私たちの知識、理解は格段に深まった。
だが、このような理解の深まりが、人間とは何か、人間の生きる目的は何かといった究極の問いの解明には、なかなかつながらない」
「どんなに科学が進歩したとしても、何らかの価値の基準を求める人間の心が変わるわけではない。私たち人間はどこから来てどこへ行くのか、人生の究極の目的は何なのかといった問いの重みが変わるわけではない」
このあたりは、わが意を得たりと思いました。
「脳」をどんなに生化学的に分析して、人間を物質的な側面から研究しても、私というのは分からないものなのでしょう。
「私」が分からなければ、私が死んだらどうなるのかも分からないし、私の生まれてきた目的も、生きる目的も分からない、何もかも、大事なことがサッパリです。
ただそれが「脳」に精通する茂木さんの洞察であり、結論であり、実感となれば、現代社会への影響も小さくないでしょう。
なぜなら、今日、多くの人が「私」の正体を、「脳」に見出しているからです。
脳こそ「私」である。でもそれは正しいのでしょうか?
一見、それは正しくみえる。
でも、こんな思考実験をしてみてはどうでしょう。
自分の脳を神経をつないだまま取り出して、自分で観察できるようにしたとします。この脳のどこが「私」なのか、脳の隅から隅まで観察して、「私」が見つかるものでしょうか?他人の脳ではありません。 今、現に動いている自分の脳を、自分で観察するのです。
どれだけ調べても、灰色のグニャグニャしたものしか見えず、拡大すれば無数の細胞が見えるだけで、さらに拡大すれば分子の運動しか見えないはずで、結局これが私と言えるものがどこかへ行ってしまいます。
仮にこれが「私」と言えるものが見つかったとして、「これが私だ!」と思ったあなたは誰?という哲学上の難問をかかえてしまいます。
私は常に「いま」「ここに」しかないはずなのに、客体化された「私」とは一体、何者なのだろうか。
NHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の司会などで、幅広く活躍している脳科学者・茂木健一郎さんのエッセーです。
「科学の発達により、宇宙というマクロコスモス、人間というミクロコスモスに関する私たちの知識、理解は格段に深まった。
だが、このような理解の深まりが、人間とは何か、人間の生きる目的は何かといった究極の問いの解明には、なかなかつながらない」
「どんなに科学が進歩したとしても、何らかの価値の基準を求める人間の心が変わるわけではない。私たち人間はどこから来てどこへ行くのか、人生の究極の目的は何なのかといった問いの重みが変わるわけではない」
このあたりは、わが意を得たりと思いました。
「脳」をどんなに生化学的に分析して、人間を物質的な側面から研究しても、私というのは分からないものなのでしょう。
「私」が分からなければ、私が死んだらどうなるのかも分からないし、私の生まれてきた目的も、生きる目的も分からない、何もかも、大事なことがサッパリです。
ただそれが「脳」に精通する茂木さんの洞察であり、結論であり、実感となれば、現代社会への影響も小さくないでしょう。
なぜなら、今日、多くの人が「私」の正体を、「脳」に見出しているからです。
脳こそ「私」である。でもそれは正しいのでしょうか?
一見、それは正しくみえる。
でも、こんな思考実験をしてみてはどうでしょう。
自分の脳を神経をつないだまま取り出して、自分で観察できるようにしたとします。この脳のどこが「私」なのか、脳の隅から隅まで観察して、「私」が見つかるものでしょうか?他人の脳ではありません。 今、現に動いている自分の脳を、自分で観察するのです。
どれだけ調べても、灰色のグニャグニャしたものしか見えず、拡大すれば無数の細胞が見えるだけで、さらに拡大すれば分子の運動しか見えないはずで、結局これが私と言えるものがどこかへ行ってしまいます。
仮にこれが「私」と言えるものが見つかったとして、「これが私だ!」と思ったあなたは誰?という哲学上の難問をかかえてしまいます。
私は常に「いま」「ここに」しかないはずなのに、客体化された「私」とは一体、何者なのだろうか。
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