説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2016年9月25日 説教要旨

2016-10-14 23:22:01 | 説教要旨
2016年9月25日 説教要旨 
ローマ人への手紙7章7~16節

私たちは十字架によってキリストと共に死んだ結果、罪に対しては死にました。ですから、私たちは信じていない時は、罪の奴隷だったのですが、それから解放されました。しかし、解放されたのに、「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。」とあるのは、罪は神さまの戒めである律法が与えられたことによって、これを機会(拠点)として生きて働き、逆に罪を引き起こすという力をもっており、その原理が私たちの中に働いています。ですから救いは失われないのですが、肉の原理に乗ってしまうと、私たちがいくら良い行いをしようとしても、その実を結ばないのです。このとき、私たちが選択するのに、一番最初のところに大きなポイントがあります。ですから、私たちは自由をもっているのですが、御霊を選択することもできますし、肉(罪)を選択することもできます。しかし、肉に乗ってしまうと、その実を結んでしまうので、私たちは「自分が憎むことを行っている」という状況になります。例えば聖書にはクリスチャンは神さまが愛されているので、より多くの困難が許されるとあります。私たちの思い通りにならないことが起こった時に、つぶやくこともできますし、感謝することもできます。人は通常つぶやきますので感謝するには意志がいります。このとき、私たちがどちらを選ぶかということになります。御霊を選ぶか、肉を選ぶかということになります。そして罪を選び、肉の原理に乗ってしまうと引っ張られてしまい、あるところになるとそのまま罪の実にむかってしまうということを言っています。ですから私たちがポイントとすべきところは一番最初です。肉の原理に乗ってしまうと予備的な行動をしてしまいますので、私たちは御霊の原理を選ぶのです。私たちには御霊の原理と肉の原理があって、これを選ぶ所に自由があることを覚えて下さい。

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