説教要旨とみことば

いのちの冠福岡教会の礼拝説教の要旨と聖書のことばです。

2017年7月16日 説教要旨

2017-07-22 22:58:01 | 説教要旨
2017年7月16日 説教要旨  
エペソ人への手紙2章7~10節

(7)「それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。」
私たちは誰一人例外なく罪人であり、さばきを受けるべき存在です。死んで終わりではなく、死後にさばきがあり、永遠の滅びに向かっていくしかないものでした。しかし、神のあわれみによって、イエス・キリストが身代わりに罰を受けて下さり、十字架で死んで復活してくださいました。罪を認め、十字架を信じるならば、罪が赦され、霊的に新しく生まれ、永遠の命が与えられる者となりました。
(8~9)「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
「恵み」とは本来受ける資格の無い者が受ける祝福です。私たちは行いによって義と認められることはできません。神はそのためにイエス・キリストの十字架を信じる信仰による救いを用意し与えて下さいました。律法的になってしまうと、自分の行いによって神からの恵みが変わると思ってしまいます。(確かに神は私たちが清められていくことを導いていかれますが、)中心は信仰なのです。神は私たちよりも私たちを知っておられ、罪人で取るに足りない者であることを知った上で愛し導いて下さっています。私たちが救われるのも信仰によるのであり、信仰生活で祝福を受けるのも信仰なのです。ですから皆さん、自分の行いに立つのではなく、信仰によって大胆に神様に近づき、祈り求めていきましょう。
(10)「 私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」
神は創造者であられ、永遠に向かって私たちを完全にし完成することのできるお方です。私たちは弱く愚かな者ですが、神と共に歩む時に神が良い行いをも備えて下さるのです。罪は悔い改め、すべてのことを感謝し、祈り聞き従っていきましょう。