「震災報道」を通じて「書くこと」を考えてみた

2011-06-08 11:22:44 | お知らせ
6月4日に行われたワークショップ、「震災報道と一人称のジャーナリズム」のレポート記事を元学生運営委員で現在スタジオジブリに勤務している、佐藤譲さんに書いて頂きました。
 


大震災が起こった直後から観始めたドラマがある。「若者たち」という1966年に放映されたフジテレビのドラマだ。両親を亡くした5人兄弟(男4人、女1人)が、世間や社会に接するたびに、自分たちの頭で考えて根気強く対話し、前へ歩んでいく。幼少の頃から働き兄弟たちを育てあげた現実主義者の長男、トラック運転手の仕事に自負を持つガキ大将気質の次男、理想主義で正論を面と向かって言う三男、生活に根付いた考え方をする長女、大学受験に失敗しアルバイトをしながら勉強をしている浪人中の四男。そんな面々が、たとえば、裏切り、結婚、友人の死、沖縄、在日朝鮮、……と毎回異なるテーマに直面する。
 全34話ある中で、ヒリヒリと身体が痛んだのは、4男の友達が乗った船が台風で転覆し、その死をどう受け止めるか、を描いた回だ。台風の中、漁協に駆けつける兄弟たちの必死な様子や漁協の事務所に集まる女性たちの「夫の死体を見たわけではない。まだ生きているのでは」という希望を含んだ絶望の空気が画面いっぱいに映し出される。
 自分の身体が反応するシーンやセリフを元にいろいろと考えていたのだが、ふと疑問に思った。「今回の大震災を経験しなければ、自分は実感を持ってこの回を観られなかったのだろうか?」と。


● ワークショップに参加した理由

 ぼくは阪神・淡路大震災を「経験」していない。むろん、日本にいたのだが、神戸からは遠く長野で暮らしていた。小学校低学年ということもあって、あまりニュースを見なかった。大地震が起こり多くの方が犠牲になった、という事実が頭に入っただけだった。大人になってから神戸出身のひとと会うことがあった。実際に自分の身体で地震の被害を体験した彼らと、遠くにいたぼくとでは震災に対する<温度差・距離>が違っていた。
 被災している方々に本当に失礼な言い方になってしまうが、ぼくは彼らが自分の身の回りに起きた出来事として受け止め、考えている姿がうらやましいと思った。彼らのように震災を背負いたいと思った。そして、体験しているか、していないかで彼らと自分の間に温度差・距離が生まれていることが嫌だった。
『その街のこども』というドラマがある。阪神・淡路大震災から15年経った昨年に放映されたドラマで、再編集されて映画にもなった。震災で生き残ったひとが、15年経った日に震災と、そして自分と向きあう。このドラマを観ていて、ぼくは追体験するように阪神・淡路大震災のことを考えられた。
 体験のあるなしによる温度差を埋めたい。ぼくにとって『その街のこども』は体験していない阪神・淡路大震災に近づけた作品だった。文章で同じことがしたい。体験していないひとにも実感を持って考えてもらえるような、そんな文章を書きたいと思っている。
どうすれば書けるのだろうか? ぼくは今回の大震災が起こって一ヶ月が経ってから被災地に足を踏み入れた。避難所の子どもたちに元気になってもらいたいと思い、アニメーションを上映して回った。その日に見た出来事を会社の人たち宛てにレポートとして書き送っていたのだが、いつも悩んでいた。
 被災地から離れた場所で暮らす人たち、大震災以後に生まれてきたひとたちに伝わる文章というのはどういう文章なんだろう? JCEJのワークショップ「震災報道と一人称のジャーナリズム」に参加しようと思ったのは、どうやって書けば被災地の現状を<体験していない>人にも伝えられるか、を考えている人たちと話して、考えたかったからだ。
 ワークショップの報告については運営の方々にお任せするとして、以下はこのワークショップを通じて考えたことをいくつか書きたい。


 寄り添う傍観者というバランス

 ワークショップに参加するに当たってまず見たかったのは河北新報社・寺島さんの表情だった。非常に失礼な野次馬根性だが、およそ3ヶ月もの間、被災地で報道し続ける寺島さんはいまどんな顔をしているのか、を知りたかった。
 当日、穏やかな顔の寺島さんを知っていたぼくには驚きだった。悲しみが浮き出ているような顔をしていた。怖い顔にも思えた。その表情は寺島さんが被災地で見たことを語る重い言葉に説得力を与えていた。
 寺島さんは記事を書くときに取材相手のひとりひとりに寄り添う。ワークショップでも「ひとりひとりが復興の主体なんだ」とおっしゃっていた。美しい理想を語るのは簡単だが、寺島さんは本当に実践しているひとだ。実践しているからこそ、ひとりひとりの悲しみに多く触れている。
 ぼくは4月の中旬に被災地に行った。そこでのぼくは、ときに、被災したひとの悲しみに吸い込まれそうになることがあった。寺島さんはどうやって自分を保っているのか。
 寺島さんは「記録者」という強い自覚があると思う。寺島さんのブログの文章や、寺島さんがぼくらの前で40分ほど語ったことは(話すテーマのせいかもしれないが)すべて記録者の目で見たことだった。現場にいて、取材相手に寄り添うのだが、どこか傍観者のような立場を取っている。どうやってそのバランスを取っているのか、やっぱり分からない。ただの傍観者になるのは簡単なのだが。

● 肌感覚を伝える細部

 ワークショップの後半で4人ずつに別れてディスカッションをした。「現地に行ってこの目で被災地の現状を見たいと思っていた。だから、新聞の記事に求めるのは、肌感覚が伝わってくる文章だった。新聞には細部の記述よりも、俯瞰したデータが多いように思い、新聞を読まなかった」旨をとある新聞記者の方に伝えると「紙幅が限られているため編集の過程でどうしても肌感覚が伝わるような記述は削られる」といわれた。
 被災地ではない場所から被災地へ入った人間で、一番数が多いのは報道に携わる人だろう。彼らが見たもの・考えたことは貴重だ。見たこと・考えたことが掲載されないのはもったいない。どうにかしたい。
 かといって、「記者が自分で発信できるメディアを持って使い分けたらいいんじゃない?」という指摘はその通りだと思うが、ぼくは積極的に頷けない。一日は24時間で、報道に携わるひとたちは仕事で精一杯だ。寺島さんやTwitterなどをうまく使っている記者たちは特殊で、もしもぼくが記者なら毎日の記事作成に忙殺されるだろう。
 ひとつ妄想したのは、新聞の編集の過程を公開されたらいいのに、ということだ。もちろん「事実関係が間違っていることの直し」は公開できない。ただ、細部の記述で削られたところは読みたい。記者の目をできるだけ活かしたい。
 ほかの方法としては、今回のJCEJのように現地に行った記者たちが話せる場をつくることだ。新聞に書けないことを聞けた今回のイベントは刺激的だった。


● 育まなければいけない倫理観

 正直にいうと、ぼくがワークショップ参加前に考えていた<体験していない読み手が「読み、実感を持って考え、反応をしてくれる」ような文章を書くにはどうすればいいのか?>というテーマは考え進められていない。むしろ、発表してくださった全国紙記者の話を聞いて、「倫理観」という追加のテーマが浮上した。
 とある記事が掲載され、それは被災地の窮状を伝える衝撃的な内容で読み手は反応してくれたが、避難所のコミュニティを壊すものだった。何を書いていいのか、という自分の中での倫理観を養わなければいけないのかと分かり、考えることが増え、いま頭が混乱している。


● 所感と今後

 そろそろこのレポートを書き終えようと思う。
 アニメーションというエンタテインメントに携わる者として「面白いものを面白いと言えて、その面白さをひとに伝える」ことがぼくには必要で、日々「面白いと感じる感性」を鍛えようと思いながら働いている。新聞記者などの報道に携わるひとたちは「これはみんなに伝えるべきことだ」と判断し取材したものをニュースとして、より伝わるように書きたいと思いながら働いているだろう。必要な感性や、求められる倫理観や、伝えるための準備に違いはあるかもしれないが、その「勝負している姿」は似ていると思う。今回のワークショップで一層その思いを強くした。と、同時に、参加者たちの真剣な姿に身の引き締まる思いがした。
 今後も被災地に関わり続けようと思っている書き手のひとりとして、何をどういうタイミングでどういう形式で伝えるか、を考え続けたい。ワークショップでお会いしたみなさん、また議論しましょう。


佐藤さんありがとうございました。近日中に参加者の方によるレポート記事の第2弾をアップします!
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淡路大震災 その街のこども エンタテインメント 河北新報社 トラック運転手 フジテレビ 現実主義者 スタジオジブリ
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ありがとう 譲くん (寺島英弥)
2011-06-15 22:19:14
「若者たち」のお話、あの日、うかがいましたね。私もドラマの映像をおぼろげに覚えていました。面と向かい合う人でも壁も境もあるのですから、距離の問題を超えるのは至難のことかもしれません。そこから風評も生まれますし。ほんとうに、じかに語り合う場は必要ですね。
たしかに、私は疲れておりました。山のようにやることはあって、進むほどに新しい問題、課題は次々と現れて。郷里では原発事故の収束も、あすの希望も見出せませんし。
ブログを書くと、負担は二倍になります。でも、一点だけ。それは、特別なのではなくて、書かなくてはならない、書かずには前へ歩めないからです。寿命を一日ずつ削っていると思うこともあります。放射線もかなり浴びているかもしれません。でも、いま、やらないで、伝えないで、記録しないで、いつやるのか、いつ伝えるのか、いつ記録するのか、という思いに駆られます。
当事者でもあり、記録者でもある、というのは、そういうことなのだとしか、いまの私には言えません。

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