日本ジャーナリスト教育センター:Japan Center of Education for Journalist(JCEJ)

| JCEJは、組織や媒体の枠を超え、 ジャーナリストが「個」として切磋琢磨しあう場です。マスメディアの記者だけでなく、NPOや企業の広報担当者、広告やPRに携わる人々とともに「伝えるスキル」を学びあい、日本のジャーナリストの裾野を広げてレベルを高めることを目指します。具体的なプロジェクトについては、facebookページをご覧ください。 |

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7月30日、ワークショップ「ジャーナリストとキャリア あなたの働く論を考える」を行います。
[場所] 江東区富岡区民館(東西線門前仲町駅1番出口から徒歩2分)
6月4日(土)ワークショップ「震災報道と一人称のジャーナリズム」を行いました。 ゲストは、河北新報社寺島英弥編集委員と全国紙の記者の方です。 2人からお話を伺った後、グループでの議論を行いました。
読者に寄り添って書く
まず、寺島さんから震災後河北新報がどのように新聞を作ってきたのかお話して頂きました。記者と被災者、2つの立場を抱えながらの取材。寺島さんや河北新報社の方々はどんな取材を行い、どんな新聞を作ってきたのでしょうか。 寺島さんは、自分達の取材のものさしは、記者各々の愛着や記憶だったと話していました。残したいものや守りたいもの、伝えるべきものはなにか、というものさしを持って見知った町の震災前と今の様子を比べながら歩いて取材したそうです。なるべく多くの地元の人と出会い、取材をすることで、その人たちを記録し、その人達を通して伝えていきたい、と話していました。「我々自身が被災者達と一緒に希望を探したいというのが、ほんとのところだったと思います」という言葉にもあるように、河北新報の方々は地元の人と一緒に地元のために新聞を作っていたのでした。
誰に向けて書いているのか
次にお話頂いた全国紙の記者の方は、全国紙の新聞は被災地の外の都会の読者への訴求性を追求するあまり、新聞の網羅性が欠けてしまうのではないか。と指摘しました。大きな写真や図を使うこと、一人の人に絞ったルポ風の記事を書き、ストーリーのおもしろさを提供する事で、読者にインパクトを与えることはできるが、他の載せるべき情報や細かい情報が削られているのではないか。 また、被災地の人について書いた記事では、「当事者が読む」ということを意識して書いているか?被災地の人が読む可能性は切り捨てて書いているのか?という問題を投げかけ、これは新聞社の中でもまだ解決していない、とおっしゃっていました。テ―マである一人称のジャーナリズムに関しては、一見一人称に見えるルポ記事は、よそものが書くからこそルポなのであって、実は三人者報道の典型なのではないかと話していました。
記事を通して伝えようとしているものは、河北新報と全国紙では大きく異なっていて、当事者意識を持った人と持っていない人では考えることや感じることは大きく違っていると感じました。
震災の直後、東北出身の学生運営委員と長い時間一緒に過ごしましたが、私は2人に何も言う事ができなかったことを思い出しました。震災のことを2人と話すのは何だか気まずいような気持ちになったからです。理由は今思うと、2人が当事者で、私が当事者でなかったことだと思います。その土地に家族や友達や学校や家がある2人の気持ちを理解するのは難しいです。他人事にしたくなかったし思えなかったけれど、当事者でないし、何も失ってないのに、当事者のように振る舞うのは何だか申し訳ないと思ってしまったのです。
*参加者の方によるレポートブログ
*寺島さんのブログ「余震の中で新聞を作る」はこちら
(学生運営委員 木村 愛)
| ◆ワークショップに参加する前に このワークショップに参加する前、保管してあった震災数日後の新聞を改めて眺めました。同じ日の在京新聞各紙でも1面トップは震災、原発、計画停電と判断が分かれました。考えれば、直接被災した人にとっては震災本体の話が重要だし、世界的見地で見れば原発事故の重要性が高いかもしれない。首都圏の住民にとってみれば緊急性が最も高いのは計画停電でしょうか。「誰に向かって、何を伝えるのか」。そのメディアとしての役割が明確に問われ、ニュース価値の評価軸の多様さを見せ付けられたたのが今回の震災だったと思います。 自分は東北に親類はいませんでしたが、東北出身の友人の中には、家族と長く連絡が取れなかった人や同級生を亡くした人もいます。自分は5月の連休明けに宮城と福島にも行きましたが、自宅を津波で流された人、流されなかったがヘドロで埋まってしまった人、西日本から仕事を休職してボランティアに駆けつける人などたくさんの人に会いました。自分と関わりのあった人だけでも、必要とするニュースや情報はまったく異なっていたはずです。ニュースに関係する仕事をするものとして、自分はこの震災を通して、何をして、何ができなかったのか。あーでもない、こーでもないと考え、時には無力感を感じながらやってきた3か月でした。 少し飛躍するかもしれませんが、突き詰めて考えると、伝え手として、所属する組織やメディアを離れて「自分」と「あなた」との関係を真摯に考えること。そこに糸口があるのかもしれないと思いが至りました。その点で「震災報道と1人称のジャーナリズム」というテーマは自分の思いに合致するものがありました。 ◆自らも「被災者」となった新聞 まず登壇したのは、河北新報社会面の連載「ふんばる」の担当デスクで自らも執筆する寺島英弥編集委員さん。被災地の新聞として、記者と読者が被災者という当事者になる中での新聞作りの現場を生々しく語っていただきました。自社のサーバーが横倒しとなったため、翌日の新聞を発行するために、災害協定を結んでいる新潟日報に委託。デスクと整理記者が陸路で新潟に向かいました。津波の大きな被害を受けた牡鹿半島で取材中だった記者が、なんとか本社にたどり着いた後、差し出されたカップラーメンを食べる時に手が震えていた姿が忘れられない、ということでした。 震災後に初めて被災地に入るメディアと地方紙が異なっているのは、被災前の姿をよく知っているということです。記者たちがかつて、取材をした風景、人、地域。愛着を持っていたものたちが一体どうなってしまったのかという思いを抱えながらの取材。Twitterで語られた被災者の「がれきがれきと簡単に言うが、1か月前はがれきじゃなかったんだ。私たちにとっては今も」という思いを共有しながらの新聞作りだったといいます。 復興についても、中央の復興会議や上からのものではなく、被災者の思いをつなげていくことが重要だと寺島さんは力を込めました。 ◆「訴求力」と「網羅性」の狭間で 次に登壇したのは、全国紙記者の方。震災から1か月経った4月の全国紙各紙大阪版の1面トップの見出しを並べたデータを示し、実は「2万何千もの死者・行方不明者がいるにも関わらず、震災が1面トップで伝えられたのは2割程度」と指摘しました。1か月経ってしまうと、被災地から離れた地域では震災は終わってしまったかのような印象を与える。被災地のニュースを山ほど見たような気がするが、実は著名なストーリー、著名な被災地が繰り返し伝えられているだけで、被災の実態を知ったつもりになっているだけではないかとの問題提起がありました。 全国紙を読み返していると、被災地のインパクトを「都会の人たち」に向けてどう伝えることができるのか、という意識になっているのではないかといいます。1人の被災者を掘り下げて書くルポ風の取材方法が目立ったが、1人の話を大きく扱ったり、繰り返し伝えることで紙面に入りきらない被災の実態がある。訴求力を重視することで、もう一方の重要な要素である網羅性が失われていないかという切実な問題意識が伝わりました。 1人称のジャーナリズムという観点では、「よそ者」でしか書けないこともある、との指摘がありました。そこに問題があっても、当事者の立場では書きにくいこともある。書くことでコミュニティを壊すかもしれない。取材先との信頼関係の中で、バランスを取り、社会に訴えていくことの必要性を語りました。 ◆「ジャーナリズム」の態度 同じ新聞ジャーナリズムの中にあって異なったアプローチで震災に向き合った2人。「1人称か3人称か」や「訴求力と網羅性」の問題も、伝え手と受け手との関係の中では柔軟に変化するものなのではないか。時間軸的な変化も加えながら、ジャーナリズムはアメーバのように形を変えながら、よりベターな答えを模索し続けることが正しい姿勢なのかもしれない。2人の話を聞きながら、そんなことを考えていました。 ◆多様な実態をどう伝えるか 続いてのワークショップでは、それぞれの震災報道に対する問題意識を語り合いました。参加者の一人が指摘したのは、広範で多様な被害実態に対して「空間的」「時間的」な整理をもって伝えられていないという点でした。例えば岩手県野田村は多くの人的被害があったもののメディアではほとんど伝えられていません。これらの問題意識を「個」としてどう伝えていったらいいのか。 ◆自分はどうする 実際に震災報道の前線に立った2人の話とその後の参加者の議論は、あまりにも多様なこの震災を「誰に向かって」「何を伝えるのか」、そして「自分は何者で、何に立脚しているのか」。この点を強く意識させられるものでした。震災に限らず、世界の多様化が加速度的に進む中で、伝える側の「当事者性」をより個人が意識する必要性があるでしょう。伝える手法や受け手側の意識も震災を機に変わった事は間違いないはず。簡単に答えは出ないですが、恐れず前に進みたいと思います。 |
| 大震災が起こった直後から観始めたドラマがある。「若者たち」という1966年に放映されたフジテレビのドラマだ。両親を亡くした5人兄弟(男4人、女1人)が、世間や社会に接するたびに、自分たちの頭で考えて根気強く対話し、前へ歩んでいく。幼少の頃から働き兄弟たちを育てあげた現実主義者の長男、トラック運転手の仕事に自負を持つガキ大将気質の次男、理想主義で正論を面と向かって言う三男、生活に根付いた考え方をする長女、大学受験に失敗しアルバイトをしながら勉強をしている浪人中の四男。そんな面々が、たとえば、裏切り、結婚、友人の死、沖縄、在日朝鮮、……と毎回異なるテーマに直面する。 全34話ある中で、ヒリヒリと身体が痛んだのは、4男の友達が乗った船が台風で転覆し、その死をどう受け止めるか、を描いた回だ。台風の中、漁協に駆けつける兄弟たちの必死な様子や漁協の事務所に集まる女性たちの「夫の死体を見たわけではない。まだ生きているのでは」という希望を含んだ絶望の空気が画面いっぱいに映し出される。 自分の身体が反応するシーンやセリフを元にいろいろと考えていたのだが、ふと疑問に思った。「今回の大震災を経験しなければ、自分は実感を持ってこの回を観られなかったのだろうか?」と。 ● ワークショップに参加した理由 ぼくは阪神・淡路大震災を「経験」していない。むろん、日本にいたのだが、神戸からは遠く長野で暮らしていた。小学校低学年ということもあって、あまりニュースを見なかった。大地震が起こり多くの方が犠牲になった、という事実が頭に入っただけだった。大人になってから神戸出身のひとと会うことがあった。実際に自分の身体で地震の被害を体験した彼らと、遠くにいたぼくとでは震災に対する<温度差・距離>が違っていた。 被災している方々に本当に失礼な言い方になってしまうが、ぼくは彼らが自分の身の回りに起きた出来事として受け止め、考えている姿がうらやましいと思った。彼らのように震災を背負いたいと思った。そして、体験しているか、していないかで彼らと自分の間に温度差・距離が生まれていることが嫌だった。 『その街のこども』というドラマがある。阪神・淡路大震災から15年経った昨年に放映されたドラマで、再編集されて映画にもなった。震災で生き残ったひとが、15年経った日に震災と、そして自分と向きあう。このドラマを観ていて、ぼくは追体験するように阪神・淡路大震災のことを考えられた。 体験のあるなしによる温度差を埋めたい。ぼくにとって『その街のこども』は体験していない阪神・淡路大震災に近づけた作品だった。文章で同じことがしたい。体験していないひとにも実感を持って考えてもらえるような、そんな文章を書きたいと思っている。 どうすれば書けるのだろうか? ぼくは今回の大震災が起こって一ヶ月が経ってから被災地に足を踏み入れた。避難所の子どもたちに元気になってもらいたいと思い、アニメーションを上映して回った。その日に見た出来事を会社の人たち宛てにレポートとして書き送っていたのだが、いつも悩んでいた。 被災地から離れた場所で暮らす人たち、大震災以後に生まれてきたひとたちに伝わる文章というのはどういう文章なんだろう? JCEJのワークショップ「震災報道と一人称のジャーナリズム」に参加しようと思ったのは、どうやって書けば被災地の現状を<体験していない>人にも伝えられるか、を考えている人たちと話して、考えたかったからだ。 ワークショップの報告については運営の方々にお任せするとして、以下はこのワークショップを通じて考えたことをいくつか書きたい。 ● 寄り添う傍観者というバランス ワークショップに参加するに当たってまず見たかったのは河北新報社・寺島さんの表情だった。非常に失礼な野次馬根性だが、およそ3ヶ月もの間、被災地で報道し続ける寺島さんはいまどんな顔をしているのか、を知りたかった。 当日、穏やかな顔の寺島さんを知っていたぼくには驚きだった。悲しみが浮き出ているような顔をしていた。怖い顔にも思えた。その表情は寺島さんが被災地で見たことを語る重い言葉に説得力を与えていた。 寺島さんは記事を書くときに取材相手のひとりひとりに寄り添う。ワークショップでも「ひとりひとりが復興の主体なんだ」とおっしゃっていた。美しい理想を語るのは簡単だが、寺島さんは本当に実践しているひとだ。実践しているからこそ、ひとりひとりの悲しみに多く触れている。 ぼくは4月の中旬に被災地に行った。そこでのぼくは、ときに、被災したひとの悲しみに吸い込まれそうになることがあった。寺島さんはどうやって自分を保っているのか。 寺島さんは「記録者」という強い自覚があると思う。寺島さんのブログの文章や、寺島さんがぼくらの前で40分ほど語ったことは(話すテーマのせいかもしれないが)すべて記録者の目で見たことだった。現場にいて、取材相手に寄り添うのだが、どこか傍観者のような立場を取っている。どうやってそのバランスを取っているのか、やっぱり分からない。ただの傍観者になるのは簡単なのだが。 ● 肌感覚を伝える細部 ワークショップの後半で4人ずつに別れてディスカッションをした。「現地に行ってこの目で被災地の現状を見たいと思っていた。だから、新聞の記事に求めるのは、肌感覚が伝わってくる文章だった。新聞には細部の記述よりも、俯瞰したデータが多いように思い、新聞を読まなかった」旨をとある新聞記者の方に伝えると「紙幅が限られているため編集の過程でどうしても肌感覚が伝わるような記述は削られる」といわれた。 被災地ではない場所から被災地へ入った人間で、一番数が多いのは報道に携わる人だろう。彼らが見たもの・考えたことは貴重だ。見たこと・考えたことが掲載されないのはもったいない。どうにかしたい。 かといって、「記者が自分で発信できるメディアを持って使い分けたらいいんじゃない?」という指摘はその通りだと思うが、ぼくは積極的に頷けない。一日は24時間で、報道に携わるひとたちは仕事で精一杯だ。寺島さんやTwitterなどをうまく使っている記者たちは特殊で、もしもぼくが記者なら毎日の記事作成に忙殺されるだろう。 ひとつ妄想したのは、新聞の編集の過程を公開されたらいいのに、ということだ。もちろん「事実関係が間違っていることの直し」は公開できない。ただ、細部の記述で削られたところは読みたい。記者の目をできるだけ活かしたい。 ほかの方法としては、今回のJCEJのように現地に行った記者たちが話せる場をつくることだ。新聞に書けないことを聞けた今回のイベントは刺激的だった。 ● 育まなければいけない倫理観 正直にいうと、ぼくがワークショップ参加前に考えていた<体験していない読み手が「読み、実感を持って考え、反応をしてくれる」ような文章を書くにはどうすればいいのか?>というテーマは考え進められていない。むしろ、発表してくださった全国紙記者の話を聞いて、「倫理観」という追加のテーマが浮上した。 とある記事が掲載され、それは被災地の窮状を伝える衝撃的な内容で読み手は反応してくれたが、避難所のコミュニティを壊すものだった。何を書いていいのか、という自分の中での倫理観を養わなければいけないのかと分かり、考えることが増え、いま頭が混乱している。 ● 所感と今後 そろそろこのレポートを書き終えようと思う。 アニメーションというエンタテインメントに携わる者として「面白いものを面白いと言えて、その面白さをひとに伝える」ことがぼくには必要で、日々「面白いと感じる感性」を鍛えようと思いながら働いている。新聞記者などの報道に携わるひとたちは「これはみんなに伝えるべきことだ」と判断し取材したものをニュースとして、より伝わるように書きたいと思いながら働いているだろう。必要な感性や、求められる倫理観や、伝えるための準備に違いはあるかもしれないが、その「勝負している姿」は似ていると思う。今回のワークショップで一層その思いを強くした。と、同時に、参加者たちの真剣な姿に身の引き締まる思いがした。 今後も被災地に関わり続けようと思っている書き手のひとりとして、何をどういうタイミングでどういう形式で伝えるか、を考え続けたい。ワークショップでお会いしたみなさん、また議論しましょう。 |
日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)は、5月21日(土)、横浜情報文化センター内にある日本新聞博物館への見学会を開催しました。
日本新聞博物館は、主に幕末から20世紀末ごろまでの新聞の歴史や、現代の新聞社・通信社の仕事などを伝える展示からなり、建物の入口にはシンボルである十数メートル大の巨大な輪転機が置かれています。
見学会が行われた日は、全国の新聞社から90枚ほどの報道写真を集めた「東日本大震災報道写真展」の期間中で、宮城県・石巻の地元紙「石巻日日新聞」が発行した「手書き壁新聞」の展示も行われていました。
当日は総勢23名が参加し、それぞれが館内を自由に見学した後に、交流会で感じたことなどの意見交換を行いました。
「今だけ見てても、未来は見えない」
「すでに新聞は終わった、と言われたりするけども、(新聞の)役割は変化してきた」、「今だけ見てても、未来は見えない。過去から学ぶことはできるけれど」という藤代代表運営委員の話からスタートしたこの見学会。
参加された方の見学する様子や見学会後にツイッター(#jcej )に寄せられた感想を見ると、参加されたみなさんが興味をもったものも、手書きで発行された『手書き壁新聞』、技術や世の中の変化と一緒に変わってきた印刷や新聞の歴史、世の中をキャッチーな表現で表してきた新聞広告など様々。自由見学の時間は1時間超にわたり、意見を交わしあった交流会も2時間近くに及びました。
私は以前、震災の影響から印刷が回復した後の石巻日日新聞は読んだことがありましたが、特別展示の「手書き壁新聞」を見ると、震災という変化のなかでも必要とされている「役割」を何としても果たそう、とする志の大切さを一層感じることができました。
参加された皆様、どうもありがとうございました!
(学生運営委員 堀口貴司)
新聞博物館を見学しませんか? 日時:5月21日(土)14:00〜17:00 場所:横浜情報文化センター(神奈川県横浜市中区日本大通11) 【アクセス】みなとみらい線「日本大通り」駅 情文センター口直結 JR根岸線/横浜市営地下鉄「関内」駅徒歩10分 詳細: 3月に延期となった新聞博物館の見学を5月21日に行います。現地集合、現地解散です。見学はゆっくり見て2時間程度です。参加には入館料が必要です。現地でお支払いください。終了後に希望者によってミュージアムカフェで交流を行う予定です。 <なぜ新聞博物館なのか(企画者・藤代より)> インターネット上では、新聞への批判や役割が終わったとの意見が見られますが、新聞の果たして来た役割や歩んで来た歴史を踏まえているのか疑問に思う事があります。 過去から学ぶことは未来を考える第一歩です。新しいジャーナリスト像や伝える手法に取り組むJCEJの運営メンバー、そしてJCEJに参加してくれる仲間にとっても新聞博物館から学ぶ事は多くあると考えています。 <参加方法> 申し込みはFacebookファンページまたはメールでお願いします。 ※メールからお申し込みの方は、 [氏名] [肩書(できる範囲でかまいません)] を入力の上、jcejinfo@gmail.comへ送信を願います。 当日は、14時に新聞博物館2階の受け付け付近に集合してください。 <参考> 21日は東日本大震災の報道写真展が開催されています。日本とドイツ修好通商条約締結150年を記念した企画展もスタートします。 http://newspark.jp/newspark/ ・特別展示 「東日本大震災 報道写真展」 http://newspark.jp/newspark/new/sinnsai.html#0423 ・企画展 歴史と未来を紡いで 共同通信社・ドイツ通信社合同写真展 http://newspark.jp/newspark/floor/info.html#0521 |
4月23日(土)に国立オリンピック記念青少年センターにて、「JCEJ活動報告会 〜震災から今まで 情報ボランティアを伝えた一ヵ月〜」を開催しました。
報告会では、私たちが震災後に「助けあいジャパン ボランティア情報ステーション(VIS)」の取材・レポートをしてきたことと、その取材活動を行う中で直面した課題について、報告しました。事実の確認を怠ったり、自分の理解しないままに言葉を選んで「誤報」記事を書いてしまいそうになったことについてお話しました。
この報告の後、参加者の方からは「この報告会は何のために開かれているのか」「学生運営たちが何を目的として取材活動をしていたのか」との指摘を頂きました。
この報告会でVISのことを多くの人に伝えようとしているのか、それとも自分達が記者体験をして学んだきたことをJCEJとして伝えようとしているのか、趣旨が曖昧なものとなってしまったためです。
そして今までの取材活動も、VISの活動をお知らせする係ではなく、外側から客観的に活動について指摘する外部メディアとして取材活動をしてきた「つもり」で、私たちはそれが全くできていなかったこと、発表にそれがあらわれてしまっていたことに、報告会の場で気づくことになりました。
今回の報告会は、多くの反省が残りました。私たちの力不足、準備不足での発表となってしまい申し訳ありませんでした。取り組み方や向き合い方を改め、活動していこうと思っています。前進できるよう努力していきます。今後もJCEJ学生運営委員をよろしくお願い致します。
JCEJでは、5月21日(第3土曜日)の午後に、震災報道のワークショップを開くことを、現在予定しています。(facebookイベントページはこちら)ゲストとして仙台よりJCEJのサポートメンバーでもある寺島英弥河北新報社編集委員が参加して下さいます。また、 全国紙か通信社の方をお招きすることを予定しています。
寺島さんは紙面だけでなく、ブログで「余震の中で新聞を作る」を執筆されています。
後日、ブログにて詳しい告知を致します。
23日に行うJCEJの活動報告会。どんなことを報告するのかブログをご覧のみなさんに少しだけ紹介します。
「高橋が責任をとれるなら、書いてもいいんじゃない」
学生運営の私(高橋)が、ある記事を書こうとしている時、JCEJ代表運営委員の藤代さんに言われた言葉です。
私が書こうとしていたのは「仙台にボランティア情報ステーション(VIS)を作る動きがあるらしい」という記事。
被災地には、「ボランティアしたい」という人がたくさん来ること考えられるのですが、その人たちを適切な場所へと配置するような機能がないことを耳にしました。実際に行った人が言っているのです。これは「事実」なのだと思いました。
「仙台では、次々と来るボランティアに対応する『コーディネート機能』が低下しているので、VISは仙台に拠点をつくる、という主旨の記事を書こうと思います」と私が言うと、
「それを読んで仙台の人が怒ったらどう責任とるの?」と藤代さんが言いました。
「『我々(仙台の人)がこんなに頑張ってやっているのにコーディネート機能低下とはなんだ!現場を見たのかお前は』って言われたらどうするの?高橋は責任とれるの?それで高橋が責任とれるなら、書いてもいいんじゃない」
現場に行っていない私は「責任もって書きます」とは言えませんでした。
自分の発信する記事で、誰かが傷つき、怒ったり、苦しんだりすることを想像すると、簡単に発信などできないのです。
「発信することは責任を伴うこと」。身をもって体験した私たちは皆さんにそんなことを伝えたいと思っています。
4月23日(土)の活動報告会では、震災後私たちがしたこと、感じたことを皆さんにお伝えします。今後のJCEJの活動についてもお話しますので、興味のある方はぜひお越しください。
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JCEJ活動報告会 〜震災から今まで 情報ボランティアを伝えた一ヵ月〜
【日時】:4月23日(土)19:00〜20:30 【場所】:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟 513号室 【主旨】 震災後の情報ボランティアについて、また自分たちが記者になり「何かを伝える側」になって感じたことを報告します。また、「ジャーナリスト教育」の団体として、これからどんな活動をしていくのかお話します。 【プログラム】 1部「震災からJCEJが取り組んできたこと」(学生運営委員) 2部「JCEJから見たボランティア情報ステーション」(学生運営委員) 3部「デスクを務めた田中記者によるまとめ」(運営委員・田中輝美) 4部「JCEJのこれから」(代表運営委員・藤代裕之) 【対象】 どなたでも参加できます。 【定員】 40名 申し込みはこちらから。 Facebookからのお申し込みはこちら。 当日いきなりのご参加も可能です。 問い合わせ先 jcejinfo@gmail.com |
残席はまだあります。
みなさまのご参加をお待ちしております。
(学生運営委員・高橋ひろみ)
JCEJ運営委員の田中輝美記者が「災害ボランティア情報まとめサイト」の頃から追う「助けあいジャパン ボランティア情報ステーション」プロジェクトルポ、第7弾です。
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大切だけど、簡単ではない 助けあいジャパン ボランティア情報ステーション(VIS)の同時並行ルポ6弾。震災から1カ月、VIS発足からも3週間が経ちました。被災地では少しずつ復旧が進んでいる反面、一般ボランティアが活発に動いているようには見えません。なぜなのでしょうか。VISリーダーでJCEJ代表運営委員の藤代裕之さんが、4月16日、東京都内であった日本災害情報学会で講演し、一般ボランティアの活動が進まない状況やその要因などについて語りました。 誰が発信するのか 藤代さんは昨日、仙台を訪れていました。16日に仙台駅中央口に開設した「ボランティア情報ステーションin仙台・宮城」(仙台駅にボランティア情報ステーションを開設ーガ島通信)の準備のためです。そこで、早速、学生ボランティアの活動場所を探すために訪れたものの「受け入れ先はないと断られた」と困っている関東の大学の先生に出会ったそうです。 このように「何か力になりたい」「現地に行きたい」とボランティアを希望する人は多いのですが、1カ月も経ってまだその人たちが現地で活発に動けていない一つには、ボランティア情報の「目詰まり」があります。復旧、復興に向けてボランティアの人々が有効に働くためには、どこでどんなボランティアのニーズがあるのかという情報が欠かせません。 そのためには、被災地からの発信が重要ですが、被災地の住民の方々は、被害が大きすぎて発信どころではない状況。東北地方は、普段のネット利用率が低いこともあります。また、現地に支援に入ったNGO、NPOなどの団体もいますが、活動に一生懸命で入ったきりになり、情報発信にまで手が回っていないようです。「外側にいる人は一番情報がほしいが、中に入った人にとって発信の優先順位が低い。厳しければ厳しいほど情報発信が後回しになる」と藤代さん。被災地の現場から、情報が出てきにくいのです。 さらに、藤代さんは、普段、ボランティア情報を扱い、コーディネーション機能を果たす社会福祉協議会(社協)やボランティアセンターの課題にも踏み込みました。一つは、社協などのボランティア情報は紙が中心であること。紙では検索ができないため、広く届きません。また、東京の社協でボランティア募集は受け付けていないと言われたこともあるそうで、背景には、人員がもともと少ないことに加え、社協の扱うボランティアがこれまで福祉中心で、災害には重きを置かれてこなかったのではないかとの見方を示しました。「物理的な要因もあり、災害に弱かったのは仕方なかったかもしれないが、問題として認識してほしい」と投げ掛けました。 心の強さも必要 こうした状況を踏まえ、今後の課題の一つとして挙がったのが「ボランティア情報の発信の重要性の認識」。確かに、情報発信をする情報ボランティアは、正直、現場で直接支援に動くボランティアよりも「低く」見られがちです。例えば、現地で、情報を入力し、発信していたら「そんなことより、目の前のがれきを片付けろ」と言われるのではないでしょうか。まだまだ、活動に携わる人をはじめとしてもっと理解が広がる必要がありそうです。 その上で、藤代さんが続けた言葉に、はっとさせられました。「情報ボランティアは心の強さが必要。情報を出すことが使命なので、現地で泥かきしろと言われても、断らないといけない」。私に置き換えても、現地で「私は伝えることが仕事ですので」と言い切れるかどうか、やはり手伝ってしまうのではないか…。自信はありません。情報が必要だ、出そうというのは簡単ですが、それを担う情報ボランティアは簡単ではないと思い知らされました。 質疑応答では「しっかりやっている団体もある」などといった指摘がありました。また、現地に情報ボランティアを送り込んだらどうか、という提案もありましたが、藤代さんは、上記のような点も踏まえて、情報ボランティアが感じるであろうストレスをきちんとケアする専門家などとと協力する必要性に触れて「情報ボランティアは、人を送り込んだらいいじゃん、という話ではない。専門家や研究者と力を合わせて準備を整え、十分に注意しながら、やった方がいい」と慎重さを求めました。 |
田中記者の過去ルポはこちら!
「ないなら、作ればいい」−災害ボランティア情報まとめサイト・プロジェクトルポ[1]−
東北に行く前にできることがある−災害ボランティア情報まとめサイト・プロジェクトルポ[2]−
離れていても、できるー災害ボランティア情報まとめサイト・プロジェクトルポ[3]−
ゼロからの再?スタート−災害ボランティア情報まとめサイト・プロジェクトルポ[4]−
少しでも、自分ができることを−ボランティア情報ステーション プロジェクトルポ[5]−
「顔」が見えるメディアに −ボランティア情報ステーション プロジェクトルポ[6]−
(学生運営委員・高橋ひろみ)
JCEJ運営委員の田中輝美記者が「災害ボランティア情報まとめサイト」の頃から追う「助けあいジャパン ボランティア情報ステーション」プロジェクトルポ、第6弾です。
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「顔」が見えるメディアに
JCEJ代表運営委員の藤代裕之が4月12日、日本記クラブで「東日本大震災における、マスメディアとソーシャルメディア」と題して講演しました。震災で見えたメディアの課題の一つは「顔」が見えるかどうか。それが信頼度も左右する、との投げ掛けは、これまで漠然と、新聞はもっと記者の顔が見えた方がいいな、と感じていた私にとって、新しい発見でした。
まず、今回の震災で、マスメディア側は、テレビが映像のインパクトを伝え、紙の新聞が生活情報を届けるなど、特性に応じて強さを示したのに対し、ソーシャルメディア側も、被災地の自治体や個人が情報発信の手段としてツイッターを活用するなど、確実に影響力を増したと紹介。
さらに、複数のテレビが放送をネットに提供したことをはじめ、河北新報が紙面をPDFでネットを使って公開するなど、非常事態の中で、一種タブーだったマス、ソーシャル両者の連携が進み、今後も進まざるを得ないと見通しました。 たった2・8%
その上で、示されたマスメディア側の課題。まず、1つ、気になるデータを示しました。
野村総合研究所のネット調査です。今回の震災に関連して信頼度が上昇したのはNHK28・8%、ポータルサイト17・5%、ソーシャルメディア情報13・4%、新聞社2・8%。逆に低下したのは、政府・自治体の情報28・9%、民放13・7%、ソーシャルメディア9・0%、新聞社5・9%。 ネットユーザーというバイアスもあるとはした上で、新聞について「この上昇と低下をどう考えるか、信頼がもともと高いので上昇、低下していないのか、(新聞を)見ていないので関心がないのか。気に留めておいて調査した方がいい」と話しました。 新聞業界にいる私にとって、新聞の存在感の薄さに寂しくなりましたが、それ以上に、信頼度アップの割合が、NHKもポータルサイトもソーシャルメディアも大きく下回る、しかも2・8%しかないなんて…。正直、ショックでした。なぜ??その疑問の答えにつながるヒントは、逆説的に、もっとも信頼度がアップしたNHKを考えることで見えてくるようです。
「看板」ではなく
藤代は、NHKは、科学文化部の専門記者に代表されるように、冷静に分析できる専門家を前面に立てたからではないか、と分析しました。「NHKだから、ではない。顔が見えるかどうか。信頼度向上はそこにかかっているのではないか」。なるほど。確かに、専門知識を持った人が自分の考えを自分の言葉で、継続的に語ってくれるNHKの解説は、私自身も安心してみることができています。メディアの「看板」ではないのですよね。
一方、新聞を考えてみると、記者の「顔」が見えにくいメディアです。原則署名入りという新聞も増えては来ましたが、まだ多数派ではなく、署名がなければ、誰が書いたか基本的にわかりません。「あなたが書いた記事が分かれば、もっと読むのに」。こう読者から言われることはよくあります。新聞は公平中立、客観であるという「常識」の中で、記者の考えや感性を思い切って出す機会も少ないです。
もちろん、顔を見せるためのベースとして、記者本人が責任を持って語ることができる専門性が必要だと思いますが、一部をのぞけば、残念ながら、一定期間で部署が変わり、じっくりと専門記者を育てる環境が整っていないメディアも多いように感じます。
私自身は仕事をする中での実感として「もっと署名を出し、記者自身の考えを語った方が、記事は面白いのになあ」と漠然と感じていましたが、それは、単に面白いだけではなくて、メディアにとって欠かせない信頼感につながるのだと、胸にストンと落ちました。マスもソーシャルも、メディアがたくさんある時代だからこそ、これまでよりもっと必要なことなのだと思います。
メディアが変革期を迎えている中で、悩んだり迷ったりすることが多いのですが、マス、ソーシャルの現状が整理でき、これから進む方向をつかむことができた講演でした。
私が紹介できたのはごく一部ですので、ぜひ、こちらもご覧下さい。
「顔の見えるメディアに」日本記者クラブでの講演がYouTubeで公開されました - ガ島通信 |
(学生運営委員・釜石拓真)