初老男のノンビリしたブログ

近所や周辺の事柄に対して、書き記して行きます。

何を書くかよりも

2017年01月26日 17時24分31秒 | 雑多な話し

最近思い付いたのが、執筆の優先順位です。

脚本や小説の作り方とか、技法の書籍ばかり読んでいます。
どの本にも書かれている内容を、読み返しているようなモノです。
どの本にも書かれてあるのですから、重要点なのでしょう。

この処まったく執筆意欲が湧きません。
過去作品を読み返しては、修正を加えるばかりでした。
創作は作りたいモノが無くなってからが、本当の出発点だとか。

昨晩も某国営放送の再放送を見て思い付きました。
何を書くかではなくて、如何に書かないかだと、有名人はいうのです。
そのまま描くのではなくて、足りないくらいに削ぐといいます。
その上で大衆に認められてからが、芸術活動の始まりだとか。

成る程なと思ったのです。

自分も心の底から湧き上がるような、創作意欲は皆無になっています。
でも課題や目標、目的、テーマがあると、不思議と書けます。
もう自発的ではなくて、他発的でしか掛けません。

昔の作品を手直しをして、推敲するのも他発的な動機です。
過去の自分が、今の自分に向けて、依頼して来るのです。
耳を澄ませると、未来の自分から、声が聞こえてくるみたい。

もう書きたい物を書かなくていい。
書いた作品の、登場人物を見つめなさいと言っています。
彼方の子供たちは、紙面の中で生きているのだと。
観察して記録を残せばよいのです。
空想のドキュメント、報告書を作れば良い。
脳内の宇宙空間に、自分の宇宙が広がっているのです。

後はその人達に、何かの課題を与えて、演じて貰えば良いのです。
見た様を、演出して脚色するだけです。
何を書くかは、課題次第なのです。
 
そう思い当ったら、妙に心が澄み渡って、気が楽になりました。
創作する必要性と、苦悩を捨てる事ができたのです。
生みの苦しみは、もういらない。
観察記録を淡々とするだけ。
もはや余生なのです。