東日本大震災から6年も経過しました。
震災の教訓は既に歴史の闇に消え去りましたね。
あの凄まじい現実は当事者以外に記憶から消えてしまった。
地震雷火事親父。
嫌な物の代表格で災害の因子です。
でも必然でなく偶然の巡り合いだと思い込んでいます。
本当にそうなのでしょうか。
先日大騒ぎの対象だった旧都知事が言いました。
大震災を見て天罰だと。
大変なひんしゅくをかったものです。
記憶に強く滲みこんでいました。
何故なら自分もそう思ったからです。
東北人の方々でなく日本にです。
代表として物静かな人に災害が行ってしまった。
それは神様は自分に近い者に責め苦を与えます。
そんな考え方が神秘主義にあります。
あの者達なら大丈夫だと信頼して見せしめにするのです。
実際に旧約聖書の災難にあう人々は熱心な信者達です。
不審人な愚か者よりも神を愛する者に神罰を与えます。
そんなもの言い伝えで、伝承で、作り話で、必罰で信者を縛っているだけ。
宗教の常套句の例え話だと言う現実者はいます。
確かに新興宗教とか例え話の寓話で信者を恐れさせます。
それでお布施を貰って経営を成り立たせるのですから。
創作行為を熱心に行ない資料や神話の収集をすると思います。
本当に寓話だけなのか?
例え話で真理を語っていないか?
心理学でも近代のセラピー系の資料を読むと思うのです。
妙に神秘主義に傾いて行くのです。
神話は人間の本質を突いているのだろうと思えます。
脳の構造が神話として出力されている一例だと考えてしまうのです。
より簡素な童話にその傾向が見られます。
ロングセラーの作品は心の構造を貫いていたりするのです。
精神科医や心理療法士の本が童話や神話を例えて使って説明しています。
心の心理行動を見て物語を書けば心を打つのです。
ベタベタな展開でもカタルシスを得やすいです。
創意工夫も全て押し流してしまうのです。
そう考えると伝承や伝説に寓話も洗練されて現代に生き残ったのです。
心の本質を捉えないと時代の波に揉まれて摩耗して残らない。
そんな気がします。
だから現実に起きた災害も物語として生き残る。
現実と創作が上手に重なって教訓として寓話になるのです。
歴史書や記念碑は教訓になりません。
実際に先人の災害記録を活かせた試しがないのです。
6年前もそうでしたから。
愚直に真理を継承することは生き残る手立て。
そう思えるのです。
物の有難味や命の尊さ。
質素な暮らしに欲の抑制。
重要な事は経済論理やビジネスで押し流されてしまうのです。
これが心の災害だと思うのです。
振返り顧みない者は愚か者でしょう。
世の中を見て感じた事です。