一期一会 〜強迫性障害と付き合う〜

二度と来ないこの瞬間を

一日千秋

2009年09月23日 02時23分42秒 | つながり
あっというまにこの日がきたね。

今日は特別な日。

はるちゃんにとってとても。

さっきお母さんからメールが届いたんだ。

バースデーカードが無事に届き

はるちゃんがうれしそうに封を開け、ニコニコしながら読んでくれたということ。

そっか

よかった

ほんとに

いつもそうだけどその表情を想像することしかできないのはちょっと残念だな。どんな顔してるのかな。あんな感じかな。こんな感じかな。
できるなら直接渡したいな。

でもそれだけで十分だよね。
そう、そう。

お母さんのある文が心に響いたんだ。はるちゃんにとって親以外の大人で信じられる人がいるということは大きな財産になるでしょうということ。そんな子供の心を大切にしてくれる自分を心から尊敬するということ。

これはね。そういわれてうれしいとかではないんだよね。
どういったらいいかわからないんだけど感慨深い。それが正直な気持ち。

最近考えてるんだけどどうして自分はここまで・・・。そう考えてしまうんだよね。理由は今はないんだけど。

大学時代、かつてはあの子の心の中に残りたいという考えがあったことは事実。大きくなっても昔そんな人がいたなって。少しでも覚えていてほしい。あの子の心の中に自分がいてくれたらなって。ずうずうしい大人だね。そんな勝手な思い。
でもやりとりを積み重ねて今は忘れられてもいいと思っている。だって彼女の人生なんだから。あの子が成長するにつれ自分がそこに入ってはいけないという思いが強くなってきた。もう10歳。時は人の心の時間関係なく刻一刻と刻んでいくね。

今は

つかずはなれず。それでいいかな。

ほんとにそれでいいのかな。

会ってないからわからないんだよね。

会って感じてそこで自分なりに答えを出して、その後につなげていくことができないからさ。

あれからお母さんからふれあいに子供たちが行ったという連絡を受けてから返事はしなかった。また連絡すると書いてあったから。その一週間後お母さんからある相談をうけた。それは子供のこと。保健センターで長男の子が診断されたということ。それは以前からお母さん自身もあったと聴いてたけど、子供までとショックを受けている内容だった。自分はたまたまそれについて少し知識があったので専門医、専門機関を紹介した。自分を責めるお母さんの力になれればと。もしそうであっても、お母さんのように踏まれても踏まれても強くなり立ち上がり乗り越えていける。それを理解できるお母さんがいるなら彼はきっと心強いということを伝えた。気持ちが落ち着いたとは言ってくれたけど。今はその専門機関に行って診断の結果を待っている。

こういう状況だから自分は壁になってることについては聞かなかった。いや、きけなかった。今は自分の思いだけで行動する時ではないと判断した。

でもこの一カ月は信頼できる友達たちに相談できたのは大きかった。それが自分の支えにもなった。まず真っ先に大学時代の親友に電話した。地方の地元に戻り就職し働きちょくちょく電話では話しているんだけど。卒業後も採れたてのおいしい筍を送ってくれたりと優しい。同じふれあいの班で出会い、はるちゃんちにも一緒に行った友達。大学時代悩みを打ち明けることができ、自分の強迫のことを知っている数少ない親友。

はるちゃんにバースデーカードを送っているのは自分だけではない。その友達と自分が送っている。おれのように思い入れは強いわけではなく家族とのやり取りは少ないんだけど、毎年はるちゃんの誕生日を二人でお祝いしている。

相談したら性格そのまんまに直接行っちゃえばみたいな感じ。ちょっとむちゃくちゃに聴こえるかもしれないけど、答えを求めて相談してるわけではないからね。あっちもそれはわかっている。共に家族と同じ空間・雰囲気を過ごしたから。落ち着くには十分だった。

話をきいてくれて、まっすぐに意見を言ってくれて。信頼できる友達たちのいろんな考えを聴けた。友達には感謝だね。

話をはじめに戻すけど、時間があるときはかんがえるんだよね。
自分はあの家族をどのような存在として考えているのか。家族にとって自分はどのような存在なのか。

この日記をみてる人の中にはそこまでと思っている人もいると思う。それについてこの週末少しだけど話そうと思う。きちんと話すのは初めてかな。はるちゃん、家族との出会いを。伝わればいいなとは思ってない。日記だし。それは困難。

何より自分を知りたい。あの頃に戻ってもう一度考えたい。
それが今後につながると信じている。







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はじめまして

2009年09月19日 19時41分36秒 | 日常
今日新しいPCを電気屋さんが持ってきてくれた。
設置や調整の作業を全部やってもらいながらいろいろと丁寧に説明してもらった。
データーなどは移すのはやめた。大事なデーターは前のPCに入っていないから(以前リカバリーのため)、また電気屋さんのお兄さんを再度呼ぶことになるのは気が引けるから自分でもう一度お気に入りリストは追加していくことにした。
心配してくれた人、アドバイスをしてくれた人には感謝します。

それにしても新品はきれいだな。まずは5年目指して大切に使おう。
そのころにはもう実家にはいるかわからないけど。

見て思ったんだけど、君は顔が長いな
慣れるのに少し時間がかかるよ。字も以前より小さいし。

でも君ならおいしそうな食べ物を映し出してくれるに違いない(TーT☆

これからよろしくね。

さあ

食べ物の世界へ共に行こう

ん?


ついてくるよね             
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今日のトラ

2009年09月13日 21時37分11秒 | 猫(トラ)
ネコパーンチ(^-^)ノ~~

イタッ!

はい、今日はお外で寝てもらいます(*^_^*)
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再気道

2009年09月13日 21時31分31秒 | 日常
PCの修理の見積もりを出してもらった。
なんと

約10万( ̄□ ̄;)!!

これは自分は出せません(泣)

親がいうにはパソコンの故障の原因は自分 らしい。
ちょくちょく起動するのめんどくさいから、付けっぱなしにすることがあるんだよね。まあ長くても30分ぐらいかな。
10年以上経つんだからPCくんに口あるなら言ってほしい。

「寿命です」と。

っということで新しいPCを買うことにしたのでしばらく携帯から日記を書くことに。そしてなにやらもう既に父親がPCを決めて後は色だけみたいだ。近くにパンフレットあったからわかったのだけどまたFMVにしそうだ。またか。まあ使えればいいんだけど。自分はどうせパソコンの便利さがわからないほどの機能しか知らないから。でもTV付のだったらよかったな。さりげなく今は付いてるのが当たり前だよとボソッと言ってみたけど、考えは変わらないらしい。将来的にもらいたいなとしたたかな考えがあったけどそんな甘くないね。ネットにつないではないとはいえPCはもう一つ父親専用があるから。さらには考えが見破れて働いたら自分で買いなさいと一蹴。親は子供が考えることなんてお見通しなんだね。

あれ?今さら深刻さに気づいたけど新しいの買うということは当然データーが全部。。。遅すぎ。なんて鈍感。


う、うわぁーん(〒0〒)24歳

ぼ、ぼくの食べ物リストがー(((゜д゜;))) (そっち?)
携帯に検索からお気に入りリスト全て入れてるとはいえ、おいしそうな大きい写真が見られない (悲)

しばらくはひもじい思いをしそうだ (?)
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働かざる者

2009年09月09日 02時11分20秒 | 日常
パソコンを町の電気屋さんに預けた。
そろそろ新しいの買ったほうがいいかもね。ポンコツよろしくお願いします。
それにしても携帯マジめんどくせえし。携帯から書きたくなかったけど、ここ最近親と衝突して気持ちが落ち着かないから書き殴る。
イライラする。ほんと。ここのところほんと親に責められるんだよね。早く働けって。そして自立しろと。まあ家のことさぼりぎみの今日このごろだから言われてもしょうがないけど。

でも自分が否定されるようなことを言われるから。そう聴こえるから。

自分が今こうしていられるのも親がいるからできること。いなかったらどうしてるんだみたいなことからいつも始まる。親がいなかったら仕事は簡単にやめられなかったでしょうみたいな。しまいには今まで苦労してこなかったとか、親がいなかったら病気とか言ってられないとか。客観的なことをとにかくズバズバ言われるから。

すぐにカチンときて応酬しちゃうんだよね。あんたたちにはわからないって。平気で7時までにほとんど帰ってきてしっかり給料もらって。甘いんだよ。あんたらの職業は。そんなのに言われたくないって。感謝はしてる。大の大人を家においてくれてることはわかってる。

もう議論はうんざりだ。自分が話せば話すほどみじめに思えてくる。1年も持ってない仕事のことを持ち出す自分の小ささには。ちっちゃいね。プライドだけは一人前だったよ。こうやって冷静になると身にしみる。社会にいないやつが何ほざいても。

でもそれを持ち出してしまいぐらい責められるから。自分のことをわかってないのにわかったようなことをいうから。

収集がつかない。

ただどうして待ってくれないんだよ。あれほど免許取ったらすくに動くと伝えてきたのに。毎回初めて聴いた、約束したというから頭にくるんだよね。ふざけんなよ。自分を立ち直らせるためにどれほど・・・。

っと言ってはいけないんだよね。そんなのはおれの心の中の話だから。自分の都合だから。

ただおれのペースは守っていくよ。周りからなんと言われようと。そんなの言わせとけばいい。

社会には必ず戻るんだから。
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突然ですが

2009年09月04日 20時50分50秒 | 日常
パソコンが壊れてしまったのでしばらくお休みします。昔からお世話になってる町の電気屋さんに見てもらってからになります。また初期化するリカバリーディスクを入れられないよう祈るしかないな。

携帯から日記は書いていきたいのですが、いつも長い文を書くので投稿はやめときます。

それでは失礼します。
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デカ盛り(牛丼)

2009年09月01日 17時52分00秒 | デカ盛り
ご飯を一粒残らず食べ完食。
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デカ盛り(牛丼)

2009年09月01日 17時38分42秒 | デカ盛り

昨日の猛雨の中、すき家に行って来た。

目的は一つ。 「牛丼キング」に挑戦。

どれほど雨の日を待ちわびただろうか。人がほとんどいない店内は絶好のチャンス。

おしとやかだから恥ずかしいんだよね。

 店員さんにおそるおそる 「牛丼キングお願いします」と注文。いつもどおりわかりましたと接客してくれたので、よくわからない安心感。

頼んでしまった。。。この先は何があっても責任はとらなければ。

 鼓動が高まる中、厨房からは「もっと入れるんだよ」と誰かが言ってる声。普段頼まれないメニューだからそうだよね。

 今か今かと待っていたら激しく降りしきる外から、中年のおじさんたちが続々と入ってきた。 なんだ、これじゃあ今日来た意味無いじゃん。ズボンがこんなに濡れてまでやってきたのに。 まあいいや。

来た! 

 

こういうの夢だったんだよね。

カロリーは1日分の2000カロリーを越えるとんでもないご飯とお肉の量。 一緒に頼んだ卵、山掛け、七味を掛け完成。

三食丼  (?)

なぜこんなことをするのかというと、味が飽きないようにするため。量が多いとマンネリだからね。完食するためには工夫が必要。

 よし、いくぞと手をつけたいけど 既に周りのおじさんたちからチラ見の嵐  どう見ても「あの子どうやって食べるんだろう」という興味本位な目線。これがちょっと気まずいんだよね。宿命だとはわかっているんだけど。

ちゅうちょするな。おまえは今から食べ物のことしか考えなくなる。お前の目には牛丼しか映らない。

 さあ。

被りなさい。

 食べ物の仮面を。

 

なった   (?)

 

 

ハグ。。。。。

うまぁーい。

 最高。

このために大好きな朝食をヨーグルト一つで我慢した甲斐があった。

ハグハグハグ(T0T)

 「お冷やお願いします」

ハグハグ

「お冷やお願いします」

ハグ 「お冷やお願いします」

 ペロリ。

15分掛かった。 お腹一杯。胸一杯。

 今日一日のカロリー摂ったからもう夜食べれないな。 ひもじくソフトイカ噛んでしのぐしかないな・・・。

それにこの雨の中これから教習か。

運転はほおばりすぎないようにね。

 

牛丼キング

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090807-00000539-san-bus_all

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冷麺

2009年08月30日 17時03分48秒 | 食べ物

選挙に行った後は友達とバーミヤンでランチ。
今日はこの後教習所など予定がなにもないからもう気楽

めっちゃお腹減った。

普段ファミレスはあまり利用しない。友達から誘われないかぎり行かないのだけど。

「冷やし坦々麺」を頼んだ。
最近なにかと冷やしラーメン、冷やしカレーうどん、冷製パスタとなんでも冷やしている。
そして今度は坦々麺まで

まったく・・・・・

なんていうことをしてくれるんだ
                                            
こんなことがゆるされるとでも

ハグ。。。

○×△□+−   (ToT)

ゆるす。。。。。

え?なんか言いました?

そして追加オーダーで「ドリンクバイキング」「ごまつき団子」
ファミレスを上手く利用する人はこのオーダーですぐにピンと来るはず。
そう、これはクーポン。すかいらーくグループに会員登録すれば、バーミヤンの他「ジョナサン」「ガスト」「夢庵」「すかいらーく」などあらゆるレストランで携帯クーポンを使えるのだ。バーミヤンではドリンクバイキングは100円ぐらい安く、ごまつき団子は半額。今不況で飲食業界ではお客の取り込みを図っている。このように会員登録をすれば携帯クーポンを使えるところが増えている。ほとんどが無料で会員登録ができる。メルマガなどめんどうなものは来ないように設定できるところもあるので使うと便利。

ちなみに自分が他に会員登録してるところは「マクドナルド」「ケンタッキー」「ロッテリア」のジャンンクフード。でも行くことはほとんどない。しょっちゅう行ったら安いとはいえお金掛かるし、体にもわるいからね。友達と遊ぶときだけ使わせてもらっている。ホットペッパー、ぐるなび、グルメぴあも使っていてどこいってもすぐにその場で検索し調べ上げる。ぐるなび会員にもなっていてそこでポイントを貯められる。「ぐるなびタッチ」といって専用の機械を設置しているお店でタッチすれば次回お得なクーポンなどが送られてくるのだ。そういえば友達からクーポンマンと言われたことがある。はは、何とでもいえや。安くなるなら惜しまない。
考えれば携帯一つであらゆるクーポンを持ち運びできるのはすごいことだよね。この時代に生まれてよかった。すごく楽しい。

調子に乗って話してたらまたお腹空いてきたので調子に乗ってまたまた追加オーダー。
店員さん、伝票すいません。頼んだのは「じゃこサラダ」「唐揚げ」「餃子」「杏仁豆腐」」
  友達が頼みすぎって顔してる。自分が頼んだのは2000円にも膨れあがった。
でも、大丈夫。今日は切り札がある。

「ジェフグルメカード」

自動車教習所で入校祝いに一万円分もらった。他に選択肢でクオカードやギフトなどあったけど、食べ物を無料で食べれるならこれしかないと即決。
そして極めつけはTポイントを貯める。バーミヤンはTポイント加盟店に入っているのだ。ジェフグルメカードでTポイントを貯めるのはしてる人はいるんだね。久々に自分は頭良いと思ったけど、ポイント貯める人はみんな考えることは一緒。中にはクレジットカードで金券ショップでグルメカードを購入しポイントを貯める人もいるらしい。こうなると話題のクレジット機能が付いた「TSUTAYA Wカード」の出番。持ってないけどそれを持ち金券ショップでグルメカードを買ってポイントを貯め、グルメカードをお店で使いまたカードを出せば二重取りということができる。ちなみにWカードでクレジット購入は200円で1ポイント。お店で出せば100円で1ポイント。

でも中には自分みたいにクレジットを持つのに抵抗がある人はいると思う。それでもTポイントを貯めたい。そんな都合が良い話があるのかというとそんなときはコンビニのファミリーマートを利用すればTポイントを少ないお金で一気に貯められる。ファミマのHPでその商品が紹介されている。

ファミリーマート

http://www.family.co.jp/ft/


今はアイスの「mow」と「コカコーラ」かな。前にハーゲンダッツ2つ買えば一気に100ポイントもらえる時があったので、買った。うちの家族はハーゲンダッツ好きだからね。ポイント貯めるために親が買い物行くときは自ら代わり、コンビニで買えるものはファミマで買ってしまおうという魂胆。せこいと言えばせこい。でも家族だから。家族にそのことは伝え宣言してる。ただこれが友達と食事のときにやらなければいいと思う。でも、おれの周りの友達は別にそんなのいいよというやつらばっか。いやなものはいやとストレートで言ってくるからね。それでもしてはいけないことと自分を抑える。世の中には友達と食事しポイントに協力させられちょっとと思う人がいるかもしれない。そのときは言った方がいい。「会計別ね」っていう波風立てない具合で。あるいはお店に入る前にそのことを言い、釘を刺しとくのも手。それはわるいことじゃない。それで関係がぎくしゃくするぐらいなら、その友達とは縁がなかったんだよ。この話を時々女友達から聴くんだ。まあ、括ることはいけないけどほんと女はそういう水面下のことが多いね。イライラするよ。友達ならはっきり言えばいいのに。あとあと気持ちがもやもやするのは自分なんだから。後悔しないようにしないと。

あと状況かな。会社などの飲み会の幹事の人は最後ご苦労様ポイントということでもらっていいと私は思う。だってプライベートを削ってお店を選び交渉し、当日もみんなが気持ちよく飲めるように忙しく動いているのだから。たかだかそれでもらえるはしたポイントを陰でコソコソ言うのは人間性を疑う。だったら次回幹事やってみろよという話だ。

だいぶ脱線したな。
とにかくTポイントは今後益々加盟店が増えていく。Tカードは持って置いて損はない。でも作るのは本家のTSUTAYAで作ることをおすすめ。それは加盟したお店と提携を解消することがあるから。だからファミマTカードではないほうがいいと思う。過去に違うコンビニとの提携を解消した例があるからね。

 食った〜。

行こうか。


え?

会計は別だよ。

 

Tポイントが貯まる・使える・交換できるお店

http://tsite.jp/pc/r/al/list.pl#altsukau

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グルメカード&Tポイント

2009年08月30日 17時03分14秒 | 食べ物
使って貯めて満腹。
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決戦

2009年08月30日 14時19分00秒 | 日常
ついにこの日がやって来ました。

選挙!

両親も意気揚々としている。今の政権を終わらせないと就職できないぞと変な圧力。なんだそりゃ。ちょっと違う気もするけど。それにそんなに信用ないかね。いつも通り行くに決まってんじゃん。まあ今まで言われなかったら行ってたかどうかわからないけど。

しかし今回は違う。今まで政治やニュースについて言うことはなかったけど。おまえらにはうんざりだよ。絶対に引きずり降ろす。今の政権を終わらせなければ未来はない。

食べさせろー! (?)

ちなみに両親は共産党支持者。新聞「赤旗」をとっている。スポーツ面は少ないので以前とってた毎日新聞を見ていた。私は特にこれといって支持する党はいない。でも新しい政党にチャンスを与えるべきだと思う。やってもいないのに決めつけられたらかなわんわ。

ぶっとばせ!
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朋友

2009年08月29日 02時55分10秒 | つながり
久しぶりだね。

今日は養護学校時代の友達と再会したんだ。

もう会うのは何年ぶりだろう。

時を重ね、おれたちは大人になりそれぞれの道を歩んでいる。
今日、ここにそれぞれのピースを持ち一つの線がつながった。

ここに自分がくるまでは時間が掛かったんだ。友達から手を差し伸べられてもそれを振り払ってきたのだから。

きっかけは突然だった。去年の10月友達が家に訪ねてきたんだ。彼は自分と同じ地元の小学校、中学校を共にした。歳は一つ上。同じ喘息を持っている。最後に会ったのは自分が中3のときかな。河川敷で野球部の練習中に高校の彼女を連れて見に来てくれた以来だ。家には当然おれはいなかった。ホテルで働いていて泊まりも既に始まっていたから。なので母親が代わりに出てくれた。そして友達が連絡を渡し帰っていった。

仕事の帰り泊まり明けでボロクソになりながら、深夜家に帰りそれを聴いたときは驚いたんだ。頭が覚めるぐらい。とても久しぶりだったから。
連絡先なんて置いていかなくていいのに。大切な友達だからずっと連絡先が変わっても絶えずそれを伝えてきたのだから。友達のずっと変わっていない連絡先を見ながらいろいろと思いを巡らせた。

すぐに電話をしたんだ。懐かしい声だった。声のトーン、間が全然変わっていなかった。元気そうだね。しばらく楽しい雑談をしていたんだ。でも、友達が「伝えたいことがあるんだ」とトーンを落として一呼吸置いて言ってきたんだ。おれはなんだかなにか結婚かなにか幸せなことだと勝手に思ったんだ。軽く楽しそうになになにって感じで。よく人をおもしろおかしくびっくりさせる友達だから。

でも違った。
そうじゃなかった。

「実は   おれ難病患ったんだ」

そう伝えられた。



・・・・・・。

聴いたときすぐに理解できなかったんだ。薮から棒のように自分の体をなにかが突き抜けた。そしてやっと理解し始めた。
そっか。だから家まで来たんだね。話を聴いてほしかったのだと。自分を落ち着かせながら友達の話をうなずきながら聴いていた。

友達は自分が千葉の養護学校に入り、2年目の4年生になったときに入ってきた。気管支喘息だった。症状は自分よりひどかった。ちょっとサッカーなど走る運動をすると喘息が出てしまうぐらい。常に吸入器を持ち、気がつけばいつも座って背中を丸め前屈みで肩でゼーゼーと息をしていた。いつも腹式呼吸をしていた。養護学校が開校してからたくさんの喘息持ちの子が入ってきたけど、その中でも一番の重さに入ると先生たちに言われるぐらいひどかった。背中を丸め前屈みになり肩で息をする姿。喘息を起こしている典型的な姿。持っている人はわかるけど、とても苦しいんだよね。発作を起こすと自然とそういう姿になってしまう。寝ていても体を横のままでは呼吸が苦しい。起きて少しでも呼吸を確保するための体制になる。今思い出すだけでも心が痛む。

ありがとう。そんな大事な事を話してくれて。
友達とまた話そうと約束した。

電話を置いたとき思ったんだ。

どうして  どうして  どうして  友達を選んだのかって。
神様がいるならあなたは絶対に間違っている。
彼はもう十分に・・・・・。



でも一番間違っていたのは自分だった。その日から友達を避けるようになったんだ。

当時ホテルで泊まりが始まり肉体的にも精神的にも追い詰められていた。そんな中でその友達の存在は重かったんだ。とても。泊まり明けや深夜に連絡が入ってるのを見たときにすごく邪魔な存在としか見れなかった。自分のことなんて忘れてほしかった。人のあらゆる感情なんて全部いらない。優しさ、思いやり、情。全てそんなのは排除する。そのときの精神状態を今考えると恐ろしい。明らかに自分ではなかった。

当然連絡なんて全部無視した。そう、突き放したんだ。そんな自分が最低だった。わかっていた。大切なつながりだっていうことを。でも人への憎悪で溢れた自分はもう止められなかった。どうしようもできなかった。大切だから突き放した。大切だからこそつながりを切った。その後養護学校の友達と集まるという話をもらっても何も返さなかった。ただの同窓会ではないことはわかっていたのに。特別なキズナを持ちいつか必ずみんなで集まり語る日が来ることはわかっていたのに。代わる代わる携帯や家電に友達達が掛けてくれても、返さなかった。

新しい年になり仕事をやめ、自分を徐々に取り戻し冷静になり始めた頃、深く後悔をした。自分を責めた。なぜおれは・・・。そんなことをしてしまったのか。あれほど大切なつながりを自ら切ってしまったのか。ずっとこの先歳を重ねても会っていく大切な友達をおれは・・・。日が経つにつれてその想いが強くなった。
苦しかった。失ったものはあまりにも大きかった。

でも先月。そんな自分を友達が連絡をくれたんだ。

何事もなかったように。

みんなで集まろうって。

流したんだ。大粒の雨を。
そして謝ったんだ。今までのことを。

「ごめん」

友達はただただ「よかった よかった ほんとによかった」

そう言ってくれた。
信じてくれたんだ。こんな自分を。


友達と待ち合わせをして、みんながいる駅に行ったんだ。
行くときは心中穏やかじゃなかった。まずみんなに謝ることしか考えてなかった。
でも、みんなと会ったときその時間を与えられないぐらい手放しで喜んでくれたんだ。

おれ今日ここに来てよかった。
心から思ったんだ。

みんなが信じてくれたんだ。

ありがとう。

だからおれも信じるよ。

人を。

成長したみんなと飲みながらいろんな話をしたんだ。こんなにお酒がおいしく感じるのは久しぶりだった。今日来れなかったメンバーもまだまだいる。これだけみんなと連絡とれるまでは大変だったねって。でもなぜか自分のおかげだよって言われた。友達が家に来たとき実は母親から奇跡的に残っていた連絡網を渡してもらったって。残っていたんだ。初めて聴いたよ。

変わらないものを確かめた。笑い合って。笑い合って。笑い合って。そしてみんなたくましかった。立場がどうとか地位がどうとかじゃない。人としてとても。

養護学校に集まる子というのは喘息、肥満、体力増進という名目でいくんだけどそれだけではない。「ワケあり」の子も少なくない。自分が入ったとき周りには自然と多くの子がいた。親が片方いない子、虐待されてきた子、愛されない子、将来親をコロスことを決意した子。自分をコロしてしまう子、人を傷つけてしまう子、いじめに遭ってきた子。それを話してくれる子もいたし、胸の奥深くにしまってる子それぞれ。傷つけられ痛みを持った子が周りにいた。その中で自分は子供心に社会的に恵まれてる存在なんだと初めて感じたんだ。だって。愛されてきたのだから。ただ甘え方を知らなかっただけ。みんなが保母さんに素直に甘えてる姿はうらやましかった。

子供心に社会が生み出した歪み、大人が作り出したきたない世界。ぶっこわしてやろうと思ったんだ。友達を傷つけ続けるなんて許さない。絶対に。
おれたちが負の連鎖を止める。おれたちがこの先の未来を切り開いていく。
今日ここに集まったみんなは人にいえない苦労はすごくあったんだと思う。風の噂で学校を中退したとかを聴いたときはとても心配した。でも彼らは負けなかった。厳しい現実を乗り越えてきた。苦しいときはつながってる空を見て。自然溢れる学校思い出して。

そして新しい命を宿らせてる。
めでたいね。

今の世の中時々聴くんだ。

「友達」ってどういうことを言うのって。

そんなの理由はないんだよ。

例え会えなくても。
遠くから想ってくれてるだけで。


それはもう


トモダチなんだよ

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一刻千金

2009年08月23日 14時31分59秒 | ホテル

待ちに待ったHAPUNAに行ってきた。

ちょっとおしゃれしようと思ったけど、いつもどおり290円で買い込んだタンクトップ。全身ユニクロで固めた。友達はなんだかいいところのお嬢さん。はは、気合入れすぎ。
        
品川プリンスホテルは数少ないエンターティメントホテル。プリンスシアターとアクアスタジアムという映画館と水族館を持っている。最初見たときは違和感というかなんだかおもしろいなと思った。

 ちょっとあの加賀屋を思い出したんだ。大学時代に石川県七尾市の和倉温泉に外国人観光客をどのように誘致しているか調査しに行った。調査という名目で加賀屋の中に入り施設を回った。自分たちの宝塚のような劇団を持ち、音楽では演奏者を雇い美しい音楽を奏でていた。目がくらむぐらいこれでもかというエンターティメントを入れ込んでいた。 見た目のごく日本の旅館とは全く違うギャップ。失礼ながら小岩にあるお風呂屋さんの「湯宴ランド」が豪華になったみたいだ。大衆的な全国をまわっている役者の芝居がみれる。小さい頃からよく芝居好きな母親に連れて行ってもらった。「女形」と「おひねり」を初めて知ったのはそこだった。調査という名目で加賀屋の社長や従業員におもてなしなどの話を聞け、温泉には無料で入らせてもらった。勉強になった。でもそんなことは途中からどうでもよくなった。周りの旅館、市役所から話を聞き加賀屋の周りに与える影響力が一番の収穫だった。光と影。これがあるんだね。
                                                                            
品川駅の目の前にそびえ立つプリンスホテルがある。青白くキラキラしてちょっとした芸術品みたいだ。見慣れたとはいえいつ見てもきれいだ。きょうは映画「HACHI」をプリンスシアターで観てから行く予定だったけど、友達がお金を節約したいということでなしになった。自分もどっか節約したいと思ってたから賛成。レストランが開く5時半まで少し時間があるのでロビーのソファに座った。食べ物を頭の中に浮かべてる。そしたらついつい口があんぐり開く。

食べ物ちゃんが待っている・・・。目の前に届く距離にいる・・・。
自分はもう人間じゃないな。「赤ずきん」に出てくるオオカミだ (?)

レストランが開いた。中に入った。

ドキ、ドキ、ドキ。

。。。。。。。。。。

久しぶりだね。

変わっていない。

あの頃のままだ。

スタッフに招待され席に座った。最高の席だ。アッパーラウンジの席。水盤が近くにある。アッパーラウンジの中でも4、5席しかない数少ない独立した席だ。隣に席もテーブルもない。偶然にしてはできすぎだ。食べ物の神様、ありがとう。

レストランを見渡す。東京ビックサイトの一つの会場をまるまる使ったような吸い込まれていく煌びやかな空間。見上げる大きなワインタワー。そして和洋中80種類の豪華な料理。

料理・外の景色を使わずともこのインパクト。

まさに

「ビュッフェの皇帝」という名に相応しい。

勝手に名前をつけた。

荷物を置く台を用意してくれ、何かあったときによごれないよう布を掛けてくれた。こういう細かい配慮もうれしい。

料理をどうぞとスタッフから言われ ビュッフェコーナーに入った。
ローストビーフ、パスタ、魚料理、中華・・・たくさんありすぎて言えない。どれも丹誠込めて作られたということが伝わってくる。

席に料理を運び友達と「いただきます」
ピカピカのナイフ、フォーク。そんなのは使わない。
はし一本勝負!

一口目はお決まりのローストビーフ。

ハグ。。。

。。。。。。。(泣)

こんなやわらかいローストビーフは今まで食べたことがない。
って何回も来てたべてるけど。友達も一口目ローストビーフを食べて驚いた顔をした。
やはりこんなにやわらかいローストビーフは初めてだって。めっちゃはしゃいでる。連れてきてよかった。まあ、節約思考の友達をここに連れてくるのは最初で最後にするけど。お店の設定の主導権は時間があるおれだから、今回も引っ張ってきてしまった。

はじめに飛ばしすぎて30分で半分の40種類ぐらいを食べてお腹一杯。時間は決められていないのでゆっくり休憩。目の前で寿司を食べてる友達がうらやましい。まだ和食に到達してないんですけど。

ソファ席でくつろぎながらぼけーっと他愛ない話をする。でも、ときより目は中央にある過去座った席に移る。

そう、今日HAPUNAに来たのは単に豪華な料理を食べにきたのではない。

ここはIと語り合った空間。特別な場所だから。

このHAPUNAに来るきっかけはIだった。ホテルでまだ働いていた頃必ず行こうとしつこく誘われて行った。はいはい、時間あるときねって感じだった。ホテルのビュッフェはある程度いろんなところを行ったから驚くことはないと思ってた。でもこの空間を初めて見たときの衝撃は忘れない。

「圧巻」

その一言。全部自分がこの空間にのまれた。歩くのもおぼつかないぐらい一歩一歩踏みしめたのを覚えている。 

それから二人で三回は来たな。同じレストランに配属されて生命の危機を感じさせる過酷な勤務。唯一腹を割って話せるやつであり仲だった。ここで一緒に料理を食べながら語り合った。

目に浮かぶんだ。

唇をかみしめ、両手をテーブル上で組む姿が。

Iにどうしたら、どうしたらこの仕事を続けていけるんだと相談してる姿が。

あの頃悩み苦しんでるおれが確かにそこにいたんだ。

HAPUNAのスタッフを客観的に見てもわかる。ビュッフェを何十人というスタッフでスタンバイ・片づけをしているのを最後まで残っていればそれを見れる。他のホテルも同じ。勤めていたところは規模はHAPUNAまでは行かないが、大きく40〜50種類を提供するビュッフェだった。それを朝と夜1人でスタンバイ・片づけをしていたのは異常だとしか思えようがない。自分自身が押しつぶされるようなプレッシャーと毎日闘った。先輩につけこまれないよう最終的には時間に1人で終わらせられるようになった。他の泊まりの班の先輩は必ず手伝ってくれるのだが、それはあえて頑なに断った。その理由を先輩に説明し理解してくれた。間に合わないときにだけ手伝ってくれるようにお願いした。そう、もう一つの班の先輩は手伝ってくれないからだ。1人で終わらせる技術を身につけるしかなかった。それしかつけこまれない方法はなかった。あらゆる無駄を省き、台車の位置から何から何まで準備しシュミレーションし実行した。つけこまれる、元職場で言うと「やられる」と言う。やられないためには必死だった。毎日24時間以上、33時間以上寝ないで会社にいて働き続けた。家に帰るまでも気が抜けない。落ちたらもうその日帰れないのだから。

最近久しぶりにIと連絡を取り合った。元気にやってるそうだ。泊まりは体調面で外してもらい今日勤で入っている。体大事にしろよ。不況の影響か新入社員の配属はレストランにゼロだそうだ。でも、去年私たちが過去最高の新入社員5人が配属されたからおそらくそれほど必要ないのだろう。ただレストランはとてつもなく混んでると言う。でも実はそれについて私は知ってた。ネットであるランキングを見たのだ。口コミなどいろんな情報のランキングが氾濫する中、評価ではなく純粋な数字のランキング。ホテルというのは比べるものではないと思っているが、最近暇だったとき数年ぶりかつい見てしまった。そしたら驚いた。今年上半期、勤めていたホテル、グループホテルが一位、二位を独占してた。すごいな。何だこれ。上位を常にキープしてたことは知ってたけど。

職を離れたので話せるが勤めていたホテルは、プリンスと同じ形態。西武グループのように電鉄を持っている。でもそこのような多くのホテルを持っていない。主にシティホテル、リゾートホテル、ビジネスホテルを一つずつしか持っていない。都内屈指の規模と人気を誇るシティとリゾートホテルのたった2つがそれを獲得したのだ。屈指といっても東京には帝国、オータニ、オークラをはじめとするホテル御三家。京王、メトロポリタンなど様々な素晴らしいホテルが存在する。外資系ではリッツカールトン、ペニンシュラ、ハイアット、マンダリン、ウェスティンなど五つ星の高級ホテルが数多く並ぶ。最近ではホテルの飽和状態で不況の東京に「シャングリ・ラ ホテル」が進出してきたのは記憶に新しい。こんな状態なのに。すごい強気な価格を打ち出し驚いた。テレビでも取り上げていた。こんな中でこのランクを獲得するのはすごいとしかいいようがない。この不況の中各ホテルが様々なアイデア、プランを出してお客様を呼び込もうと血眼になってる中。廃業などの駆け込みなのかと思ったけどまだ一年以上時間があるから違う。改めてすごいホテルなのだと思った。でもすぐに複雑な気持ちになった。そのホテルの中には過酷な環境の下で働いているスタッフがいること。それが数字を支えてる一つの要因であることを忘れてはいけない。  

おなかが落ち着き第二陣ということで和食を取りに行った。テーブルに戻ってきたら友達の様子がおかしかった。え?なになに?
近くの水盤にはしを落としたのだ。はッ?何やってるの?超うけるし。二人で大笑い。こんなのは恥ずかしくてスタッフにいえないよ。スタッフに気づかれて取ってもらったら目立つし、どう見てもうちらが落としたとしか思いようがない。笑いが止まらない。そしたらはしゃいでる友達がもうひとつ今度はテーブルに下にはしを落とした。
おいおい・・・。まずい。近くにいるスタッフがそれに気づいた。そしてすぐにはしを持ってきてくれた。水盤にはしが落ちているのをきづかれないか二人でドギマギした。でも大丈夫だった。

っなわけないじゃん。スタッフの目の動きを注意深く観察した。見逃さなかったよ。一瞬水盤に目が移ったところを。おそらく社員さんだ。私たちに恥をかかせない冷静な対応。お客様に恥をかかせないのもまたホテルマン。

品川プリンスではもう一つエピソードがある。以前IとこのHAPUNAに行き整理券をもらい別館のカフェで連絡を待ちながら時間をつぶしてた。予約が既にいっぱいですぐに入るのは無理だったから。一時間後連絡が入りカフェを出てレストランの前に行ったときに見覚えがある人がいたのだ。あれ?今さっきいたカフェのキャッシャーにいた黒服のスタッフだ。スッスッと私たちに寄り「お客様」とスっと紙をさしだされた。それは大事な整理券だった。カフェに忘れたのだ。これがないと入れない。「助かりました。ありがとうございます」感謝感謝。黒服のスタッフは普通にやってくれたけど私にはそれは長年の経験などが凝縮されてることを想像させるような事だった。別館のカフェはかなり遠くにあり上の階だ。この広く細かく入り組んでるところをお客が通る最短ルートで足早で来たのにもういる。息一つ乱れていない。いや、見せてないのだ。おそらく裏をものすごい速さで駆けないと私たちに追いつかない。それを先回りしているなんて。そして忘れたという私たちにとってとても恥ずかしいことをこの黒服はそれを感じさせずゆっくり寄り紳士にスッと差し出してくれたのだ。周りからみたらなんてこともない光景。とても勉強になった。素晴らしいホテルマンはお客様がレストランの漢字などの名前を間違って言っていても、恥をかかせないよう言い直さない。それをそのまま復唱して案内する。お客様が転んだときには自然に素早く前に立ちその姿を周りに見せないようにする。このようなことはマニュアルでも何でもない。個人個人のスタッフがその場その場でお客様を第一に考える行動だ。

そのような経験があり、また来たいホテルだと思ったんだ。

心もいっぱいになり、いよいよデザート。ショーケースから好きなだけケーキをスタッフからとってもらいルンルン。アイス、シュークリームも濃厚。

幸せ・・・。

素敵なディナーだね。

新しい時をここに刻んだ。

 

またくるよ

 

 

http://www.princehotels.co.jp/shinagawa/restaurant/hapuna/index.html

 


 

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一期一夜 セミくん

2009年08月15日 01時14分25秒 | 日常
深夜セミが明かりを求め家に入ってきた。

リビングを羽をバタつかせ思いっきり飛び回っている。

捕まえたい。でもそうしようとしてびっくりしたセミがすることは一つしかない。

PCの部屋を暗くし徐々に電気を消して玄関に誘導しなくては。

こういうときにトラだな。

野生の本能が騒がないのか。

おい。

ちょっと。

だめだ。

ぐっすり。

唯一の救いはメス(?)で鳴かないこと。

明日の朝まで待つかな。

ねえ。

ほんとに目覚ましさせるほうじゃないよね。

ゆっくり寝かせろよ。

おやすみ。
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64年  下

2009年08月15日 00時54分22秒 | 経験
その夜中ドキュメント09「戦場からのラブレター」を観た。硫黄島で妻から夫へ宛てた手紙がアメリカ兵に拾われ、妻の元へ帰ってくる。夫の体を案じ、子供達の様子を伝える手紙。夫から当時届いた手紙には家族を案じ、故郷を懐かしむハガキ。
妻の何通も書いた手紙のうち届いた一通が島で拾われた。封は開けられていた。そう、夫が読んでいた形跡があるのだ。おそらくそれを肌身離さず最後まで持っていたに違いない。
どんな気持ちで戦っていたのだろう。故郷にいる家族の元へ帰ることを願っていたのではないか。番組が進むにつれて胸がぐっと締め付けられる。

悲しすぎる。

あまりにも。

テレビを消そうと思ったけど最後まで観た。
考えさせられるな。ホントに。
このような気持ちは高校以来だ。

思い出話で脱線するが、私が行った高校は都内では際立った個性を持っていた。私立なのだが特進クラスを設けずみんなが同じ授業を受けて学校生活を過ごした。本来の学校らしさを重んじる。いじめを絶対に許さないと紹介にも書いてあった。正義感が強かった私は本で知って、見学説明会に行ってあっという間に心を惹かれた。今の時代にこんな学校があるなんて。目を輝かせた。説明会に一緒に行った友達からは校則、戒律が厳しすぎると言う目でいわゆるキモイと言われたが。例えば一部紹介すると、遅刻したり授業中にトイレに行くと職員室に行き「入室許可証」を書かないと入れなかった。靴下はくるぶしソックスを履いているとこれまた白のハイソックスに履き替えされたりと初め慣れるのに時間が掛かった。私学助成の署名を日本で三本の指に入るぐらい集める高校。校歌の作詞は与謝野鉄幹。生徒が全国で初めて先生を評価することを始めた高校でもあった。
かなり脱線したな。書いてると湧いてくる。でも私の中で数少ない誇りが持てる学校だから。

中でも力を入れていたのが生徒たちに問いかける日本近現代史だった。学習するというより心で感じて何を考えるのかを問われるような授業だった。目を背けたくなるあらゆる資料や写真、映像。白黒でなかったら私は倒れていたかもしれない。特に授業で衝撃を覚えているのが「ヒトラー」「731部隊」「従軍慰安婦」「水俣病」「ハンセン病」その後活字嫌いな自分が自ら本や資料を調べるようになった。授業はどれも日本近現代史への入り口で済まされるものは一つもなかった。視点があまりにも広いのだ。どう言ったらいいのだろう。

例えばヒトラーの捉え方によっては論争が起きる。
このことはここで止めて置く。過去父親と収拾がつかなくなった。


授業では真実だけを伝えられ後は自分たちでどう感じどう考えるのかという先生だった。決して生徒たちに自分の考えを押しつけなかった。先生の考えを押しつけられたほうが楽だった。それが正しいと思うのだから。自分で考える。それがどれほど大変なのか思い知らされた。それらを勉強してこの高校の一番の特色「学習旅行」につながっていった。授業で真実を伝えられ先入観、誤解を無くして臨む。字のごとく修学旅行ではない。これは過去を見つめ自分たちを問う旅行。行った先は熊本の水俣市、国立療養所の菊池恵楓園。そして長崎。

そう、これは水俣病、ハンセン病、原爆の地へ訪れ被害者の体験を聞くのだ。だが私たちの学年は本当は韓国に訪れるはずだった。そこで戦争の被害者、女性だと従軍慰安婦をさせられた人に話を聞くのだ。当時教科書問題などでメディアなどが騒ぎ中止になってしまったが。

学習旅行の疲労感は目に目に見えるほどだった。勉強した内容でもみな授業後憔悴しきっていたが、学習旅行で資料館、施設、体験者から話を聞いた後のバスの中は皆魂が抜けたように呆然。しばらく誰も話す者はいなかった。

一言で言えば  「重い」

私は目に映った者、聴いた話・言葉を聞き逃さないよう集中していた。バスにいても目を見開き次の場所に着くことを今か今かと待っていた。このような機会は二度とないとわかっていたから。それを一日一日夜にレポートにまとめていた。

被害者の人たちに共通するものが二つあった。それは「今、国を恨んでいないこと」「二度と同じことを繰り返してほしくないこと」私には前者のことがそのとき全く理解できなかった。いや、未だにかもしれない。その考のえに辿り着くまでにどれほどの葛藤をしてきたのか。どれほど苦しみ抜いたのか。それは計り知れない世界だ。

被害者の方が体験を話しおえた後、最後握手をする。その生きた歴史を刻んだ老いた手。優しい手の感触は忘れない。私はその手にメッセージを感じたんだ。このことを話してほしいと。話を聴いた責任、後世に伝える使命感、義務を感じたんだ。その役割を与えてくれたのだと私は受け取った。

私は友人達、そして特に子供達に話す機会があったら、伝えられたことをありのままに全部伝えようと思う。いつかその日が来るまで大切に心にしまっておく。日記でも機会があれば一部話そうと思う。

この日記を観てくれている年配の人は安心してほしい。絶対風化なんてさせない。私たちにできることはある。今の若者たちを信じてほしいと思う。
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