一期一会 〜強迫性障害と付き合う〜

二度と来ないこの瞬間を

碧の車輪  ・・・・・

2010年04月27日 02時40分56秒 | 家族
ここのところとても寒いね。駅でみる人みんなコートを羽織り下を向きながら電車が来るのを待ってる。隣の人が今年はまだクリーニングは出せないねなんて会話をしてたり。ホームにあるジュースバーから大好きなオニオンスープが消え、今日からはコーンスープもなくなった。冬、電車の中で移り変わる東京の景色見ながらスープをすするのがちょっとした楽しみだった。今日は自販機かな。傘の水を切ってあったかいココアをかった。
手をあたためながらホームで降りしきる雨をみながら穏やかに微笑んだ。

今日も雨か。
いつもだね。いつも岐路のときに。
でもきらいじゃないんだ。はじまりの前はこうだから。



自分を断崖の底に突き落として数ヶ月。
強迫と向き合い、対話し、背負って這い上がってきたよ。

生活がまたたくまに変わっていった。
大きくトイレ、お風呂、家事の三つ。そして試される場面にも遭遇した。

自分の生活の中でトイレというのは問題の度合いとしてとても大きなものだった。
この数ヶ月半裸で入らなくなり冬の寒さに耐える必要がなくなった。トイレの電気のスイッチを押し、ノブをまわしてその手でズボンやトランクスを下ろす。お尻を拭くときにオシュレットでお尻の周りに飛び散るよごれた水滴が手のひら手首付近につく。その手でかゆくなった頭や顔や体に触れてかいた。便座とシートの間から時々オシュレットや流したときに通り抜ける水滴がふくらはぎについたのも洗わなくそのまま。以前はもう一日が終わったと思った。ふせぎようがない。そんな隙間から飛ぶ水滴なんて。当たりか外れの宝くじみたいなものだった。

お腹がくだったときには出すときは当然それがとびちりお尻につく。水たまりからも跳ね返る。そのよごれたお尻を触って体を触りズボンを持った。日曜洋画劇場のCM中にトイレに入り携帯を持ち込み台の上に立てて映画を観た。
もう映画の間我慢しなくてよくなった。トイレは緊張する場ではなくなった。
トイレの後手洗いではレバーをその手でがっしり持ち、この数ヶ月一切石けんを使わず手のひらをサット流すだけ。レバーも洗わない。家でお尻がかゆいときは直接手でかいている。その手で日常のもので使うものを触った。意図的ではなく普段のルーティーンで。トランクスの上からがマナーだけど。

街中の駅やデパートでもお腹が痛くなったときはすぐに入った。男ならわかると思うけど街中のトイレってとてもよごれてる。なぜなら床に尿が多く落ちてる。それは水たまりまではいかないけど見える形で。特に立ち便器のところ。みんなそれを踏んで歩いている。そのトイレでズボンを下ろして床につける。感覚で言えば尿がついたと思うのも致し方ない。洋式一つのお店なんてそこに尿が必ず見える形で落ちている。不潔恐怖でトイレがだめという人はこの「見える」形のものはかなり辛く高い壁だと思う。
でももう大丈夫。流れの中でその場で止まらずにスムーズに事を運んでいける。計画を立てずに外出して公共のトイレに入りズボンを下ろせる。
立ちのときは性器を触る。当然触らないと位置とか調整できなくなるからとんでもないことが起きてしまう。その手できれいない私服、これから人に会う服を触った。前は用を足し終えたらズボンのボタンチャックを開けっ放し。トランクス丸見えの状態で手を体から少し離し洗い場に行っていたけどなくなった。いつもこのはたからみたら変態っていうのかな。奇異な目で当然見られてた。洗い終わるまでチラチラっと。だからトイレで会った人と外でまた会うときは何ともいえない気持ちになる。もうそんなことは考えなくてすむんだ。

お風呂はシャワーを浴びるためにトランクスを脱ぐとき、その内側を足の裏で踏みつけて脱いだ。以前なら真っ先によごれたと苦しむことだった。バスルームでトランクスを脱いで開けっ放しのドアから開きっぱなしの洗濯機にそっと入れていた。周りにつかないようにそっと。手もこの時点で汚れていてシャワーの蛇口を捻った後石けんで洗いながしてからやっとシャワーが始まる。
それを脱衣所でやりその手で洗濯機を開けてついでにスイッチ入れて回し、その足で脱衣所のじゅうたんを歩きバスルームに入っていった。蛇口をその手で回しイスにはよごれたお尻をそのまま座った。もうずっと立ちっぱなしで足裏を洗うときにフラミンゴにならなくてもよくなった。イスにすわりながら髪を洗い体を洗うってとても快適だった。いつもシャワーでカロリーを使ってると思うぐらい疲弊してた。むかし何時間も洗い続けていたときが懐かしい。洗い終わっても周りは自分から出たきたない水が散らばってるからあちこちながしていた。きたないものに水がついたら感覚でそれが「とける」っていうイメージだから。今はイスを水だけでサッと流すだけで終わり。普通の人はどうなのかな。公共で自分が使ったイスはながすものなのかな。

家事もスムーズになった。特に洗濯と灯油ストーブ。洗濯はまず上記のように洗濯機のふたから開けてそれからよごれた服をカゴからだしてた。カゴはよごれたものを入れるカゴときれいな洗い終わったものを入れるカゴに分けてた。前は両親が平気で洗い終わったものをきたないカゴに入れてよくケンカになった。それで専用のきれいなカゴを買った。よごれてるカゴは今二個積み重なってる。今は洗い終わったものをそれに入れても大丈夫。
よごれた服を引き上げるときにカゴの内側につかないように気をつけて少量ずつ服を洗濯機に入れていた。多いと洗濯機の周りについて終わりだから。それをやって手を洗ってスイッチをやっと押して機械が示した量の洗剤を入れていた。一日ならいいけどこれを毎日ってとても負担だった。
それが今はふたをしめてようが開けてようが関係なく洗濯カゴからわしづかみし洗濯機にブチ込む。両親の下着もそのままわしづかみ。強迫に向き合うようになってから初めて他の人の下着をつかむときは緊張した一つだった。下着の外側、そして内側関係なくつかんで洗濯機に入れる。その手でスイッチを押し洗剤を入れてフタをバンとしめて終わり。その手を洗わず自然に冷蔵庫開けたりテレビのリモコンを持つ。自動で洗う時代に生まれてよかったと思う。洗濯をスムーズにやり、回してる間テレビをみるってなんていう気持ちなんだろう。このうまくやったぜという幻想に浸る。
灯油は冬、外の玄関で入れるんだけどそこまでタンクやポンプを触った手で家の引き戸や玄関を開けたくなかった。後々それを触り食べ物を食べるときに灯油も食べているイメージになるから。今は構わず灯油をたべてる。
家事ではないけど玄関のドアを足で開けなくなった。自分がトイレが長くなり父親が外でしてその洗ってない手で触れてから半年以上靴を履いて玄関を足で開けてた。

そして集大成の場面が来たんだ。それは野良猫が家に入って父親のふとんにおしっこをした。2階を掃除機掛けてるときにふとんをどかそうとしたら濡れてるからおかしいとおもった。それも黄色い。父親は病院に入院してるからあり得ない。トラは外で必ずするからそれはない。そうすると野良猫しかない。今うちにいるネコはトラだけど母親が子猫の野良ちゃん2匹にごはんをあげたり冬場には塀と家の間に湯たんぽと毛布を用意してかわいがっている。今は成人したネコのように成長した。トラが小さかった頃のように動き回っている。家を開けるともう入ってくるようになった。ごはんがほしくなったときは窓から開けてとうったえてくる。玄関を開けっ放しにしてたからやられた。よく2階に上がろうかなというときに勢いよく降りて逃げていくから。
シーツを替えるときにちょっと緊張した。でも以前のような苦しく重い緊張感ではなかった。頭が軽くてスッキリした状態で着々とシーツをはいで丸めた。シーツみたいなでかいのなんて完璧に体から離すことはできないしその手で丸めてるからイメージとしては全体がよごれた感じ。でも平気だった。片手でがっしり体に抱きかかえ、もう一つ片手のよごれた手で道を阻んだ掃除機をがっしりつかんで乱暴にどかした。性格が出てる。そして一階のカゴに放り込んだ。そのカゴはいつも通り洗濯のルーティーンで使っている。手を水だけでサット洗いぞうきんを持って2階へ戻り畳に染みこんだところをゴシゴシ拭いた。20秒ぐらいできりあげた。折ってそこらへんに置いた。濡れていれば全体がつながっていてよごれたと思うんだけど気にせず大丈夫だった。また掃除機をかけ始めその染みこんだところを平気で踏んだ。前なら畳を一部分掘り出してくりぬいて捨てたいぐらいだ。そして隣にある母親のふとんも「くせ」で気になった。隣同士で濡れたところは端だから確実にふれてるしついてる。でも形として見えない。もうそんな見えないものはどうでもいい。そのついたと思われる部分関係なく母親のふとんを思いっきり豪快にどかして掃除機をかけた。家事をやるときに障害がほんとになくなったんだ。効率よくこなせるようになった。

最近は真ん中の姉が前日にいきなり明日姪を連れてくるからといって来た。そのおかげで朝から父親と掃除に奔走した。お昼の準備は何でも食べる子でもあるので野菜などは八分の一の大きさにカットした。トマトが好きなのはいいことだ。小さい頃自分はおいしいと思ったことがない。お昼を食べれば当然おむつ替えが待っている。この前まで2階に上がったり隣の部屋に移動して見ないようにして避難していたのだけど、今回は横で寝そべりながらみてた。おむつ替えをしてる間姉にやり方を聞いていた。次回やろうと思って。もちろん小から。おむつ替えの間姪を見ると直接お尻がカーペットについてねころんでいた。それを見ても特に動揺することなく何事もなかったかのように自分はそのカーペットを歩き寝転がった。

とても生きやすいんだ。今までその障害で目の前のやるべきことを外側からゆっくり手を伸ばして探りながらつかんでいた。それを一直線に掴めるというこの気持ち。今はこの表現しかできない。

でも、自分の中で強迫はなくなってはいない。なくなってはいけないと思う。
自分には全治という言葉は一生縁がないと思う。

だって 自分が生み出したものだから。
自分の一部だから。

それを避けないでほしい。逃げないでほしい。
それは合わせ鏡に写ってるあなただから。

だから泣かないで 笑ってよ

そして写っているあなたを抱きしめてあげてほしい。

結果を書いた。今おもえばすべては一日、二度と来ない瞬間に決した。
でもこれは副産物なんだ。これをやったからこんなにできたんだよということを伝えたいわけじゃない。未熟な自分は書いているうちにそれに気づいた。

ミチシルベは道の最後にあるテープじゃない。

そこに立ち向かう。


シセイ


誰かかが建てるんじゃない。
ミチシルベは自分自身にある。あなたの心にある。

どしゃぶりの雨の中、ぬかるんでる地に起たせてほしい。そして光を照らしてほしい。
きっとそれをみてまた一つ また一つと
希望が建っていくから。


そう信じてる。




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碧の車輪  ・・・・

2010年04月19日 01時29分12秒 | 家族
父親が退院し、母親が奈良から帰ってきて日常が生まれた。それはどこか温かく人の優しさがにじむもの。ここ数ヶ月自分のものだけやってきた家事をまた家族全員分やるようになった。今回の父親のことで真剣に意識して味付けも以前よりさらに薄味にした。
家で食卓を囲み温度がある時間は久しぶりだった。ここからだな。ここからが始まり。
責任が少し芽生えたのかな。気持ちの入りが違う。向き合うべきことは向き合わなければいけない。その中で日常のやるべきことをやる。これができるような人になりたい。
ベランダで春のなまぬるい風をうけながら洗濯物を干し、時より見慣れた遠くの街を強く捉えた。

朝気持ち良く起きたんだ。一階に降りるともう両親とも仕事に行ってた。台所に差し込む朝の光がテーブルの半分を照らし、その光の中で朝ご飯を食べた。
うまいな、卵ご飯。作った煮物は薄味だけどそれはそれでいいじゃん。
食べ終わってしばらく横になりながら骨をならしストレッチをした。それが終わり体を起こして立ち上がり目の前の黒袋をみつめた。じっと。一ヶ月前に立てた予定通り。
チャックを上からゆっくり降ろしスーツが中から顔を出した。
あのときのまま。

久しぶりだね。元気にしてた。

温度差がある。神妙な気持ちになった。
そうだね。おまえを最後に着たときは退社で挨拶をしてたね。いろんなものがつまってる。背負ってる。歯をかみしめながら微笑んだ。
忘れない。忘れられない。けどそれは希望の中にこれから引き上げるから置いてかないよ。また歩いていこう。一緒に。

スーツを着て、ネクタイを締めた。締め方忘れたから5分以上かかった。鏡を見ると新卒にはかなわないけど初初しい自分がいた。ズボン少しブカブカになってた。やせるとこんなにもなるんだね。それにしてもなんかこのスーツさっきから重いなと思ってポケットを見たらふくらんでた。なんだろうと思って手を入れて掴んで出たものは時計だった。
驚いた。無くしたと思ってた時計だった。その針は動いてない。一年の間ずっと時を刻んでなかった。また神妙な気持ちになった。暗闇の中でずっといたんだね。少し光に当てると針がまたたくまにサーッとぐるぐる回り時間が一気に進み始めた。そしてスッと止まった。一瞬だった。一瞬だったけどなんていう気持ちなんだろう。言いしれぬ感情が湧き上がってきた。ぐっと時計を強く握った。正しい時間には程遠い。でもあのときから時を刻んだんだ。
でもはたして時計をポケットに忘れていたのかな。こんな重いモノを。
おそらく。おそらくだけど仕事で使ったものを徹底的に日常から隠したんだと思う。自分の中で一年前のことを思い出せないのはやはり想像がつかない気持ちだったんだと思う。人は辛いときその記憶を消そうとする。あたかも消したと思い込むようにコントロールする。そしてもう一人自分の人格を作る。それしか方法がなかった。自分を守るためにはそれしかなかった。そうしなければ前へ進めないときがある。
それも含めておれだから。一年前の自分に手を差し伸べようと思う。

おかえり。ほんとにおかえり。
よくどしゃぶりの中帰ってきたね。また一つになって一緒に未来を作っていこう。
できるよ。きっとできるよ。

スーツを着てビジネスバッグを掛けた。この引き締まる心。玄関にある革靴を履いた。つい一週間前はクモの巣が張ってほこりまみれだった。とてもこの靴でホテルにいたとは思えないほど。近くにできたシューズクリーニング屋さんに頼みまっさらに、オオクワガタのような力強い黒いツヤが出た。おまけで崩れた型も直してもらった。クリーニング500円で配達は無料。便利な世の中だ。
それを履いて駅に行き証明写真を撮った。証明機から出て時計をチラっとみたら針が正しい時間を指していた。いつのまに。一年後に追いついたんだね。よかった。壊れてなかった。また日常を共にできるなんてうれしい。
いや、信じてたよ。水作業でも耐えるおまえは強いよ。

次は大学に行かないと。卒業証明を取りに近くのキャンパスに行った。去年の文化祭以来。お世話になった職員さんから後でよっていきなと言われた。証明書を待っている間ずっと吹き抜けになってる広場を見渡していた。
ここからだったな。よくこの赤のソファを囲んでた。あの頃は見えない希望の話をたくさんしてた。社会のことや将来のこと、くだらない話もたくさん。
今は見える希望を見据えてそこに邁進する。
職員さんが丁寧に一つ一つ折って封筒に入れ印を押してくれた。念のためこれぐらい必要なんですよ。がんばります。ありがとうございます。

大学時代お世話になった職員さんを訪ねた。仕事場に入れてくれてイスを用意してくれた。
そこで今後のことなどをはなした。中途や古いけど第二新卒の情報のアドバイスももらった。雑談で先週にはホテルで働いてる友達が訪ねてきて丁度自分のことを話していたときいた。心配してたよと聞いて早く就職決まったら連絡しないとなと思った。
残念なことにこの春からホテルで働いていた他の一人の友達が辞めて土日休みの日勤の仕事に転職した。連絡がきた内容はやはりホテルならでは。フロントにつとめてた女の子。半年前に夜勤に入り仮眠が全く取れず、24時間働き意識朦朧で闘っていたということだった。
ないなと思った。ほんと。男なら目をつぶるような世界だけど女性にそれをやらせるのは理解に苦しむ。外資の5つ星。ほんとに名前じゃない。自分が働いてたホテルはフロントやベルの女の子は仮眠が例えとれなくてもは朝には上がっていた。それが本来。それでも同僚はいっぱいいっぱいだった。同じような環境だから自分のことのように感情が移入した。これでは人手が足りない病院。あるいはそれより酷だと思う。
おれとは違い仕事を全て覚えた大切な人材ならそれを手放すようなことをなぜするのかな。無意識に口をつぐみながら小さく首を横に振った。友達は学生の頃からホテルが大好きで働くためにホテルでアルバイトをしてきた子だから。苦渋の決断や今後の結婚などの視野いろんなことがたくさん書かれていた。学生時代にホテルメンバーで行った熱海にまた行きたいねというのが印象的だった。
何より安心したのは体や精神が壊れる前に離れたこと。壊れたら取り戻すのは大変だからね。今度ごはん食べるときじっと話を聴こうと思う。

職員さんに自分はこういう仕事も視野に入れていると話した。職員さんからは経験不問や高卒など誰でもできるような仕事はできればしないほうがいいと言われた。あとしっかりキャリアを積んでいこうと言われた。緑茶くんならそれができるよと言われた。
そうですか。ありがとうございます。

笑顔でうなずいた。でもそれをきいたときなんていうんだろう。寂しいなと思った。そのときの雰囲気のせいか。もちろん人生の先輩の的確なアドバイスだと思う。
でもそうじゃないと思うんだ。そのようなプラスアルファにとらわれて選択の視野を狭めてしまうってとても残念だと思う。まるでその道から外れることを選択することは不幸で、人として劣ってるかのように未熟な自分の中ではそう捉えた。最近会った友達と話してるときもそう感じたな。自分のことを思ってくれて言ってくれてると思うんだ。でも、やっぱりなにか違うんだよね。なにか違和感を感じるんだよね。

自分はこの人生の中で極一部の休みの期間街中で働いてる目に入る人みんな一人一人見てきた。街で呼びかけてる人、駐輪整備してる人、パンを作ってる人、鉄筋運んでる人、灯油を配達してる人。誰一人格好わるい人なんていない。一生懸命働いてる人はほんとかっこいい。それをものさしで測ることなんてできないしやってはいけないと思う。
つまんないね。それって。
そこまでの生きてきた履歴は関係ない。やりがいが持てるものであればいい。健康に働けるだけでいい。生きていればこそ。
境界線を引くわけじゃない。けど、病気を持ってる人や辛い経験をした人はそのような小さいところだけに光を当てない。少なくともおれの周りにいる「それ」を持ってる友達はそのような考えじゃない。もっと大きな「人」として大きな光を当てて生きている。そこに希望がある。人間らしさがある。
だからね、おれ、ワクワクしてんだよ。そして感謝してる。

職員さんに挨拶をし、大学を出たときにはもう夕焼けだった。仕事帰りの人がちらほらいてネクタイをゆるめてゆったりと歩いていた。

準備はできた。

そして伝えようと思う。

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碧の車輪  ・・・

2010年04月08日 01時56分46秒 | 家族
翌日新聞を持って一人で病院に行った。
母親は手術が成功したのを見届けてから翌日すぐに奈良に飛んでいった。一番上の姉が第一子を数日前に産んだから手伝いに。真ん中の姉と同じ女の子だった。自分が行けないということで姉から写メが送られてきた。とてもかわいかった。まあ、キャッチボールはお預けか。父親のこともあり意識をいろんなところに置いているからとりあえず安心した。一段落というのはこういうことなのかな。本人もそうだけど家族も一緒に気持ちを共有してるから。
よかったよ。

病室の前に着き廊下にあるお見舞い用のイスを持って中に入った。父親に容態を聞き持ってきた新聞を渡した。顔がうれしそうだった。そりゃあ家族だもんね。病院は暇だし一人の時間が多いし。家にいるときとくらべ話すのも多くなる。他愛のない話。暖かい雰囲気が漂う。とても居心地がいい。自分にとってここが病院だとは思えない。どう言ったらいいのかな。ポッカリ穴が開いている周りを柔らかい布でくるむっていうのかな。そんな感じ。その穴は決して今は埋められない。埋められないけどその布が今後いろんな可能性を感じさせてくれるんだ。

昨日の晩母親に思いを伝えた。それはとても感情的になった。それは過去のことも引き合いに出したものだった。自分が生きてきた人生でどんな事があっても人としてやってきた。それは持病のものから学校のことまでの全て。人として当たり前なのかもしれない。でも自分にとっては当たり前じゃなかった。その中でおれは挫折してきたのか、諦めたのかということ。それを社会での一回のつまずき、少しの期間も待てないなんてということ。思いを伝えたとかではないかもしれない。吐き出したというが正しいのかもしれない。母親からいつものような「甘い」「子は親を超えていくモノ」という言葉は聞かれなかった。じっと自分の話を聴いていた。全て理解してもらうなんてそんなことは難しい。それは親子といえども。でも吐き出したことに意味がある。十代の頃のようにきれいに前に進もうなんて思わない。こわしてこわしてそこから通ずるものを探していく。不器用かもしれない。でもそれが自分だから。

病院の夕食の時間になり廊下に出てきた父親の食事を取りにいった。おいしそう。小さい頃病院に来て配膳の中がいつも気になってた。周りを囲む黄色いケースっていうのかな。中がわからない分余計気になって食べてみたいって。だから一度入院してみたかった。今考えればそれは入院してる人に失礼な考えだけど。父親が選んだごはん。今病院ではごはんとパンのどちらかを選ぶなんて普通なんだね。自分が入院してたときもあったな。事前に紙に丸をつけて選べるんだけど。でもここの病院は他にシェフが作ってくれる特製の食事がある。談話室に貼ってあった。病院にシェフがいるなんて考えたことなかったから同業種の母親も食いついてみていた。500以内に抑えておいしいもの作ってくれるのかな。だとしたら究極の料理かもしれない。きっと素材の本来の味の良さを出したなんて想像は膨らむばかりだ。食べてみたい。一食高いけど。
食事を父親に渡して、自分は開幕した巨人戦をつけて片耳にイヤホンつけた。父親と野球の話。とても穏やかな時間。容態を確認しにきた先生が巨人のスタメンを聞いてきた。いや、残念ながらそのルーキはと返したら残念そうな顔をした後顔がほころんだ。

わかるかな、陽が沈むか沈まないかのこの時間。夕焼けのオレンジの光が病室に優しく入り、窓枠の形の影ができる。どんな状況でもいい。この時間というのは人が人に戻るとき。窓の外を見ると多くの会社帰りのお父さんがホっとした顔で家路へ向かっている。そして再びイスに腰を下ろし食事をしてる父親を見た。この時間がずっと続けばいいのに。
小さい頃陽が暮れるまで父親と江戸川や水元公園で二人で釣りをしてたことを思い出した。後ろにはゴザを敷いて母親と姉がいた。あのときもそうだった。

また  おれ釣りできるようになったよ。
あなたが生きてる間もう一度一緒に釣りに行くことが今の夢かな。

帰るとき父親が「 来てくれてありがとう また楽しみにしてるから 」と言った。
それから毎日新聞を届けに行った。

そして父親は2週間で退院し入学式に間に合った。今年は一年生で準備がいろいろ大変みたいだ。

おれもそろそろ
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碧の車輪  ・・ 

2010年04月02日 01時55分35秒 | 家族
朝早く起きた。頭が冷静になってた。
フッと大きな息を吐いた。
そう。今回のことと強迫のことを同じ土俵に上げてはいけない。ここでプライドを守り、軽率な行動をしたら一生を後悔することになるかもしれない。
何より決めた大きなものは



愛されてきたから



どんな事が起きようとその事実は変わらない。変えられない。この土台があるかぎり自分が残酷な人間にはなれないんだと痛感した。
終着点はここだったんだね。当たり前のことなのかもしれない。でも自分はそれを知らなかった。知るにはあまりにも未熟だった。今回のことが起きるまで全く。
一階に降りて母親に「今回だけ大人の対応するからな、済んだら話すつもりはないからな」と何とも素直じゃなく未熟な言葉をふっかけた。今はこれしか言うことはできなかった。ひさしぶりに母親に話した。古い空気が切り裂かれて新しい風が送り込まれた心境。母親が着々と準備した父親の衣類などが入った紙袋。先に行って早く届けるように言われてそれを持って病院に向かった。

病院に着き病棟に父親がいた。看護師さんがちょうど血圧を測っていた。近くには大きな機械がありチューブが父親に伸びていた。父親は疲弊してるような印象だった。病院の薄水色の服がそれを醸し出している。とても先日まで教壇に立っていた人には見えない。知らなかったとはいえ父親が不安な夜を過ごしている中自分は笑っていた。心がグッと痛んだ。父親からは人間本来の弱さを隠すこともなく体中からにじみでてた。亡くなったじいちゃん、寝たきりのばあちゃんもそうだったな。病院に来たら社会でどんな立派な人間であろうと一人の人間に戻る。これが本来の人の姿なのだろう。みんな日常で一生懸命に生きてるんだね。守ってるんだね。唐突にそんなことを考えた。
「おお」と父親から言われた。。持ってきた紙袋を渡した。「サンキュ」と言われた。何気ない会話かもしれない。でもそれはも慈悲深く暖かい感謝が伝わる言葉だった。男同士だね。今まで何もなかったかのように自然に調子はどうと聞けた。父親と話すのも久しぶりだった。普段こんなに話すっけね。ゆっくりと父親との時間が流れる。現実の時間は早く過ぎていく。父親が「もうあまり健康な体じゃないんだからちゃんとおまえは働かないとな」っとつぶやいた。それは穏やかで優しい言葉だった。でも自分は何か胸の中でグワァと湧き上がってきた。そして感情的になるのをこらえながら「どうして待ってくれなかったの?」と聞いた。父親は当然なんのことかわからない困惑した顔を浮かべた。その言葉を投げかけただけで自分の中のせきとめられていた何かが溢れ出した。今年の初めに自分が強迫に向かい合うと話したことを話した。それはもちろん父親は覚えていた。そこでそれについて納得するような返事や答えはなかった。人の心は外からではわからないというようなことを言われた。そういうふうになるとお互いストレスを抱えるなと言われた。父親は普段から自分のことをとても心配する。、一切無視してきた期間負担は少なからず与えてきたんだと今ここで心からそう実感した。また心が痛んだ。今回のことはそれは影響してないとは言えない。話は続いた。少し自分の声のトーンが高くなってきた。そして最後には「おれを信じてほしかった」と伝えた。納得はできなかった。でも自分の気持ちを話した。ぶつけたことに意義があった。自分ももっと普段から気持ちを話してればよかったのかもしれない。自分の世界だけで進んでいたこともあったかもしれない。手術前に話すことではないかもしれない。でも何かあってからでは遅いのだから。

母親がお昼に着き久しぶりに三人が揃った。家にいたときこのようになることは想像できなかった。くしくも病院という場所で。手術の時間が近づき看護師さんからT字を渡され父親が履き替えた。手術をやる先生や看護師さんの顔はなにか安心させるような表情をしてた。この手術は何十年も行ってきたベテランの先生。でも内容は耳を塞ぎたくなる。手術で100%はないけどこの先生に父親の命を預ける。15年前同じ手術をしたとはいえ当時は小学生で千葉にいたから駆けつけることもできず内容もよくわからなかった。それから15年、今はわかる。父親をエレベーターで見送った。父親は冷静な表情をしてはいたけど瞳の奥は不安そうだった。エレベーターのドアが閉まり母親と談話室のソファに腰をかけた。目の前にはテレビがあってワイドショーがやってたけど全然頭に入ってこない。だめだ。冷静にしようと努めても。落ち着かない。家族の手術を待つというのがこういうことなのか。同時に自分にとって父親がどれほど大きな存在で大切な存在というのが身にしみる。母親は地に足がついていた。何が起きてもこの人はその結果からやるべきことをやる。そんなことを感じさせられた。時間が経つにつれ感じたことがない緊張感が襲ってくる。だけどそんな中意識が落ちた。昨日の夜から頭が混乱していてまともに寝てかった影響か。一時間ぐらいだろうか。起きて時計を見た。そろそろだ。寝る前とはあたまが整理されていた。だけど予定の時間になっても看護師さんが来ない。考えたくないけど不安もよぎる。10分  20分  30分。そして病棟に行ってた母親がお父さん戻ったよと呼びに来た。すぐに病棟に行って父親を確かめた。手術は無事成功した。一気になにか自分がストンっと突き抜けるように落ちてそこからじわりと安心感が広がった。父親が手術のことを話してるけど何を言ってたか覚えてない。ただただ成功してよかった。それだけで十分。ゆっくりと三人で安心感に包まれた雰囲気の中で話した。手術後は看護師さんが頻繁に血圧から機械の数値まで測ったり見に来た。手術をした先生も容態を確認しに来た。誰かがくるたびに「ありがとうございます」と頭を下げ感謝した。父親が「医療に救われた」と言う言葉が忘れられない。医療というものはすごいんだね。母親が何回かしてる話、おれが小さい頃何度も肺炎を起こして今の医療がなかったらというのをはじめた。何回かの中で初めて今回その話をしっかり受け止めた。

しばらく時間が経ち先生が時間が少し空いたということで家族だけにどのような手術をしたかを説明してくれた。小さな部屋に案内され説明を受けた。先生が手術の動画を見せてくれた。父親の体の中を初めてみた。なんていうんだろう。それは人は体のなかのものがポンプやら臓器やら動いて生きてるんだという当たり前のことなんだけどそれを実感すんるようなものだった。先生が器具を入れて広げてふくらましてとかわかりやく言ってくれた。その結果の動画を見せてくれた。とてもきれいになっている。驚きだ。すごいな。言葉が出ないや。自分はひたすら目の前にある動画をじっと見ていた。父親が生きている証をじっと。隣の母親はしきりに「すごい、すごいですね、先生」とつぶやいている。15年前は一カ所だったけど今回は別の2カ所。前回やったところは今のところ心配はないらしい。母親も父親と同じく「医療に救われた」と言った。確かにあと一歩遅かったら父親はこの世からいない。予兆があってすぐに病院に駆け込んだのはよかった。でも学校の行事は出なくてもよかったのにと母と話した。もしそこでと考えるだけで寒気がする。説明してくれた先生に深々と頭を下げた。病室に戻りしばらくして父親にそろそろ行くよと行った。父親は「来てくれてありがとう」といった。また明日くるからと言って病院を後にした。

帰り道母が「お父さんがありがとうなんてめったに言わない」ということをつぶやいた。振り返ればモノをとってあげたりとか、帰りには言ってたなと思い出した。時々ではないけど「サンキュ」と言ってるから自分は特にそうは思ってなかったけど。夫婦となると違うんだろうね。命にかかわる一大事のときは家族の存在というのはほんとにありがたいのだろう。以前入院したとき自分も手術や強迫など見えない不安に駆られてたとき日常では出てこない心からの感謝の気持ち、言葉を家族に言えたことを思い出した。

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碧の車輪

2010年03月30日 01時36分07秒 | 家族
ここ最近はとても憔悴した。家族の死を感じさせることがこんなにもエネルギーを使い、こんな気持ちになるなんて思わなかった。

数日前に新宿で空手の後輩を祝った。 二つ下の真面目で努力家のやつで、不況の中無事に就職ができたからよかった。東京の支店か。連れ回すから覚悟しろよ。
ペペのスタバで待ち合わせた。あんなにオドオドしてたのが社会人になるのかと感心。就活前と比べて髪型のせいかたくましくなった。でもここにくるまでの何気ないやりとりで人への思いやりや気遣いができてなく叱った。そのためのスタバ。これで最後だよ。社会に出る前にそれに気づいてよかった。現役時代一つ下の信頼できる後輩に面倒は全て任せていたから。仕事以外で損をするようなやつにはなってほしくない。
その後は場所も雰囲気も変え気になっていた「こげたん」という今年東京新宿に進出してきた石川県の焼肉食べ放題 の店に連れて行って楽しく腹一杯食べた。最後は手をおしぼりで拭かせて伊勢丹で買ったカルバンクラインのネクタイを送った。アルマーニやポールスミス、ラルフローレンにしようと考えてたんだけどデザインがね。あからさまに人にみせびらかすようなデザインのブランドは一切送らない。あくまでシックで大人っぽく使いやすさ、素材を追求したものだけを。長年持つように。しっかりしてるものはほんとに素晴らしい。もうブランドを送るのもこれで最後。去年はカルティエの財布を一つ下に送った。いいね。俺持ってないし。大学卒業したときバイトの先輩からグッチのネクタイをもらってとてもうれしかった。なんていうのかな、自分が大人になったいうか身が引き締まったというか。これに見合う人にならなきゃなって。まあ、日常ではブランドには全くというほど縁もなく関心もなくみすぼらしい格好してるんだけど。
しかしながら社会に出ることは人生の中でもとても大きな岐路。大切な時期だ。ブランドというのはそれを表現してくれる一つの手段、モノだと思っている。
帰りは帰り道に迷う田舎の後輩を山の手線に押し込んだ。
とても清々しい気持ちだった。義務ではないけど無事後輩を見送ったから。数ヶ月前果たして後輩を祝うことができるのかって見通しがつかなかったから。

深夜に家路に着いたら電気カーペットの上で母親が寝ていた。でも父親はいなかった。珍しいなと思った。いつも2時とか3時に起きて2階に上がってきちんと寝るから。上にもいなく直感的になにかいい気分ではなくなった。しばらく暗闇の中ふとんに腰を下ろして携帯をいじっていた。そしたら母親があがってきてガっとドアを開けられて「父は入院したよ」と背中越しに言われた。すごく驚いた。いつも起きるのは8時過ぎでもう親はいなくて気づかなかった。父親は朝異常なほど血圧が高くなり体に変調をきたした。学校の卒業式になんとか出てすぐに入院した。15年前自分がまだ養護学校にいたときに倒れて以来。一日も欠かさずに薬を飲んでいた。でも振り向かなかった。そのまま携帯を変わらずいじった。なぜなら親とはここ数ヶ月まともに話してない。一方的に自分が無視してる。こんなに長く無視してるのは初めてだった。

それは 失望したから。
この6年間ずっと強迫に苦しめられて、それを今年気持ちをつくって全精力かけて立ち向かっていた。そんな中待ってくれなかった。 それは早く働けということだった。親には自分が毎日ダラダラ過ごしているようにしか見えなかった。何気ない日常をすごすことが一番の治療。それをわかってもらえなかった。これに着手するときに一から十までは説明してないけど きちんと伝えた。二人ともそのときは理解してくれたんだ。でも一ヶ月経つか経たないかぐらいにもう違う人になっていた。昔からいきなり変わる人だった。それはただ忘れたということかもしれない。自分がその都度細かく説明しておけばよかったというのもあるかもしれない。でも、信じてほしかったんだ。おれを。おれを。何より信じてほしかった。
あるときもうがまんできないと親が自分に血相変えて諭すように強く自分で働いて自分で稼げということをいわれた。親に甘えるなって。
それはとても悲しいことだった。もう反論する気はなかった。目が死んだように虚ろになって横でなにか言ってる親なんてもう存在しなく床をじっとただ見ていた。心の底から心が離れた大きな失望だった。存在を消した。それは自分なのか親なのかわからない。でも存在は消えたんだ。それ以来話かけてくる親は無視した。だってそんな人いないんだから。でも、でも、わかってた。いるって。自分がなんでこのようなことをしてるのかを理解できない親にもさらに失望した。エゴかもしれなけどどうしてそうしてるのかと歩みよらない親にも失望した。何かあったときにかならず歩みより相手の話を聞いて解決の糸口を探っていく。そのようなかんがえがなく「ごはんできたよ」「こんなのが求人を募ってるぞ」「出かけるよ」「いつまで口をきかないんだか」というほぼ普段通りのことしか言わなく、おそらく自分がすねてるだけでそのうち戻ってくるだろうと思ってる親にも失望した。許せないと言う気持ちも片隅にあった。半年でも一年でもどんなに長くても存在を消そうと思った。そう思ったときはもう平気だから。よくもわるくも決めたら徹底的にする人格だから。

背中越しに母親から「無視するのは勝手だけど明日手術がもし失敗して亡くなって一生の後悔をしてもいいのか、いいならそれでいいけど」と強く言われ口びるを噛みしめた。よくわからないけど悔しかった。なんで悔しいのか。
それほど強迫のことは大きかったから。人生を掛けたものだったから。両親になにがあろうと関係ないし捨てようと思っていた。二人に育てられた覚えはない。もちろん違うけど。このまま利用して縁を切ってやるって。
でもそれとこれとは別問題。そんなことはわかってる。大人の対応をしなければいけない。でも、素直にはなれない。整理ができない。

年末には高校の友達がそれで命を落とした。急性だった。まさかこの歳で。これからの人生があるこの歳でと背筋に冷たい電流が走った。とても元気で活発でサッカーがすごくうまくそれで推薦ももらえるやつだった。昼休みは二人でツートップ組んでいつも最後のゴールを自分ができるようにお膳立てしてくれた。楽しい思い出しかない。人生はほんとに何が起きるかわからない。自分の心に刻まれた。

ドアが閉まり母親が寝床に入った音をきき、自分も横になった。頭の中がぐちゃぐちゃだった。自分がどうしたいのか。何が大切なのか。冷静になれずひたすら気持ちが高ぶりながら深い闇に落ちていった。

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ライン

2010年01月11日 16時40分08秒 | 家族
明けまして。

日にち空いたな。自分の世界は大きく経過してなかったけど。

 今日でちょうど仕事を離れてから一年。早いとは思わない。ほんとうに自分は働いていたのかな。今でも夢か現実かわからなくなるときがあるんだ。夢のような世界だったからそれは仕方がないことなんだけど。
今日は体が自然と疼くんだ。8割を侵食した傷・炎症が枯れ色素沈着した上半身は自然と意識してしまう。炎症が繰り返され何年も、何十年も経ち色素沈着した腕や足の関節を越え、たった一年でこの体にするのは一体どんなみえない力がかかっていたのか。細胞を取り出して当時の事を調べられるならやりたい気持ちになる。過程はきっと解明できないだろうけど。刻まれたこの体を見て今は視線を下には落とさない。この体を見る度に初心に返れる。この先ずっとそれは変わらない。今は誇りまで言えない。でも自分が生きている証の体だから。
 


お正月はほんとに楽しかった。ひとときだけどいろいろ忘れさせてくれるぐらい。
年越しは家族で下田の「下田ビューホテル」というところで父親と母親と過ごした。なぜか現場に若い人がいないからおかしいなと思ってたら、やはり日本各地に展開してるチェーンの「ビューホテル」とは別物だった。
部屋に入り外を見ると大島、利島、新島が見える下田の壮大な海だった。いわゆるオーシャンビュー。とても年末残ってた部屋とは思えない。一番良い部屋ではないのか。いや、オーシャンビューという魔法がそう見せているのだろう。母親が東武トラベルに行きスタッフがなんとか探してくれたところ。下田に来たのは自分が高校のときこれまた家族できた以来。来るとき当時行って乗った下田港内を回る黒船と水産のお土産センターが見えた。年末年始このホテルは満室。この歳で親と毎日過ごし、年末年始しっかり一緒にいるのは世間を考えるとちょっと。友達はみんなしっかり働いて実家に帰るから。親離れしないと。でも、もう少し掛るかな。もう少し居させてほしい。子共時代受けられなかった時間、モノを埋め合わしているから。
ホテルでは豪勢な料理や年越しそばも振る舞ってもらったけど、アワビの踊り焼きがとにかく衝撃的というかショックというか。初めてではないけど目を背けてしまう。おいしかったけど。

年明け家に帰ってからもいろいろ動いた。中でも横浜中華街に行ってきた。近くに住んでいる姉夫婦の家に寄り紹介された「景徳鎮(ケイトクチン)」というこじんまりしたお店。入った瞬間想像してたものとはちょっと違った。家の近くにある中華屋さんが少し高級なったのかなみたいな。でも料理がおいしくておいしくて。美味。中華で感動するのはひさしぶり。これまた家の近くにある「銀座アスター」よりリーズナブルでこの味はすごい。本場はすごいね。姉からすすめられた麻婆豆腐を食べると辛かった。色が黒に近いというか山椒かな。たくさんかかってた。四川などの寒い地方の人はこのようなものを食べるのだと勉強した。

年始父親と祖母の新潟までレンタカーで初ドライブする予定だったけど大雪で今回なしになった。ちょっと残念。免許をもう取ってだいぶ経つけど自動車学校はほんとに楽しかった。マニュアル最高。車がどう動くから勉強してルールや心がけることなど卒業するときには隅々まで覚えた。印象に残ってるのは路上運転と試験。初めて路上に出たときの緊張は並じゃなかった。横断してくる歩行者や駐車車両の死角、交差点。停止線で止まり気をつけながら動いたら子共が曲がって正面から突っ込んできてホントに引きそうだった。スタッフがブレーキを間一髪で踏んでくれてホントに助かった。スタッフも自分も腰と魂抜けた。教習中でも時々まれにそのようなことがあると聞いたけど自分の身にそれが降りかかるなんて思ってなかった。身をもって教えられた。
試験ではまず仮免・卒検を受けるためには受ける資格を得るために必ず効果測定というPCテストで90点、9割出さないと受けさせてもらえないし、もちろんどの試験も90点以上求められる。7割8割とればという自分の甘い考えは一気に吹き飛んだ。仮免のS字とクランクは足震え、坂道でエンストして受かったのは伝説だなと思ってたら、減点対象ではなかったのでポカン。卒研の技能では今は地図見て目的地まで行く経路設定も求められるし緊張の連続。今は事故防止のため昔よりも難しくなったとスタッフから言われたときは失礼だけど心から昔に生まれて取りたかったと思った。なんせおれマジで頭わるいから。仮免のペーパー一回落ちて大反省。本気で取り組み、それ以外は全部一発でパス。本免で番号出た時は飛び跳ねるぐらいうれしかった。どうみても自分より頭良さそうなのが落ちていき不安だった。自分が受けた時4割も落ちた。友達に聞いたら4、5割落ちるのは普通らしい。ファミレスでドリンクバー飲みながら教科書を何度も読み込んだかいがあった。簡単って言ってた友達はきっと強がりか天才か。どっちにしろ今度ぶっとばす。

何より残念だったのは新潟に行く途中にはるちゃんちに寄ろうと思ってた。
そこまでにいく過程はとてもエネルギーが要ることだった。
状況を打開するために自分から話を切り出した。何ヶ月経ってもそのことにはお母さんから触れず自分は地に足がつかなかった。お母さんから子共のことを相談されて診断結果が
出るまで待っていた。診断結果はしばらくは様子見ということでおかあさんが安堵した様子が伝わってきた。ここしかないなと思って話を切り出した。その内容はとても難しいなと考えさせられた。何が難しいかというとそれはお母さん自身という一人の人。人というのが難しいと思ったんだ。
お母さんの置かれてる状況は自分がほぼ推察した通り。それは近所の目だった。自分が来るというときにお母さんの周りのお母さんが相次いで不貞をしたと聞いた。そのようなことが地域に広がり情報がお母さんに入り、そして旦那さんにも入った。そのようなときに自分が来るということでオレに疑いがかからないように。そして自分に会わしたいけど会えないこどもたちがかわいそうというのがオレに始めに伝えられたお母さんの考え。
一見そうなのかと思うんだけどここにはやはり自分という存在がいないんだよね。言うなれば置いてきぼりというか。お母さんの世界だけで事が進められたということ。それで会わせられない子供たちがかわいそうというのはおかしい。そしてお母さんと連絡をとっていることは旦那さんは了承しているのかや自分が子供たちに関わってることを了承しているかなど細かいことも確認したんだよね。このようなことを感情的ではなく冷静に伝えたんだ。そしてお母さんからごめんなさいと謝罪された。細かい背景ももわかり地域の目も誰かに自分に言われたことでもない。旦那さんから言われたことでもない。上記のようにお母さんの世界だけで進められたということがわかったんだけど。旦那さんが自分を了承しているというのははっきり言葉では聞いてないけど、背景がわかっておそらく問題ない。自分は母さん頭を下げさせてしまったからフォローじゃないけど大学時代自分を招いて子供たちと遊ばせていたこと、去年の夏に自分が来ないようにした判断は間違ってないとフォローはしたけど。謝ってほしいのではなくて真実を知りたいだけ。
大学時代から今回のことが起きるまでお母さんはそのことを全くわるいという考えではなかったという。それについてなぜか少しおどろいたけど。自分は逆で大学時代一人で家族の家に遊びに行き旦那さんがいないところでとこういうのはどうなのだろうとチラついたことはあった。でも自分は子供たちに会いに行っていた。だから自分が何も後ろめたいことはなく間違ってないと信じていた。過程は違うけど考えの終着点はお母さんと一緒だった。今回のことはお母さんがそれを意識するようになったということ。フォローを入れた後は本当のことかどうかわからないけどお母さんの思ってることがさらにきけた。自分が若くてとか、言わなくてもわかってくれると思ってたとか。もちろん最後にはきちんと伝えなければいけないというのはわかってくれたみたいなんだけど。でもなにかしっくりこない。それがお母さんの本当におもってることなのか。子共を持っている親同士はどうしても子共を介して関わらざるえない状況だというのは理解している。地域に関わることも強くなる。自分は下町育ちでそれは想像はできる。夏のことをフォローした意味をお母さんが違うように解釈してしまったのは否めない。お母さんの中ではもう解決していることになっているかもしれない。難しい。
長いやりとりをして感じたことはお母さんには失礼なんだけど守りたかったのはおれでもない、家族でもない、自分自身だと思うんだ。これについては否定するわけではない。人は自分が一番大事というのが本質だと思う。
家族に会いにいくということだけが目的じゃない。これからどうするか、今の状況でなにができるかという未来志向で建設的に話し合っていきたい。その上での結果なら自分は受け止めると何度も伝えた。でもそれは最後までふれられなかった。お母さんに求めることは自分のエゴなのだろうか。相手に変わってほしいなら自分が変わらないといけない。
自分ができる精一杯のことはドライブで立ち寄ること。歓迎してくれたけど、自分が望んだのはお母さんの姿勢だった。ドライブが中止になってよかったと思っている自分もいる。でも本当ははるちゃん、子供たちにどんな形であれ会って顔をみたかった。年賀状や送られてきた写真でしか時が刻まれてない。はるちゃん、子共たちは何もわるくない。自分は変わらず今までと同じことを続けていく。でももう軽々しくまた会えることを楽しみにしているという言葉は書けないな。緑茶兄ちゃん約束・・・。
これからも粘り強く継続していこうと思っている。

止まってはいられない。明日から就職活動をする。それが半年前の予定であり計画だった。
でもね、免許取ってからずっと考えてきたんだ。それは強迫性障害のこと。今の自分の不潔恐怖は軽くはない。日常生活に支障をきたしていることは事実。そこは認めなければいけない。生意気なんだけどこの歳で病気もなにもかも受け入れていた。いや、つもりだったのかな。この日記でここ最近ほとんど強迫のことを書かないのはそういうこと。受け入れている自分の病気の日常なんて自分は関心がないから。どんどんそれは自然となくなっていた。

でも、自分はそうであっても相手がいるということを忘れてはいけない。それは身近な家族。母親と父親にはトイレのノブなどを触ったら手をあらわしている。今ではそれがさも今までやってきたかのように当たり前というか日常になった。両親はそれについて苦痛ではないんだ。自分がそうさせてしまった。こんなに協力的な親はいないよね。それで客観的に何も取り組んでいないと指摘されたときに自分は感情的に反発する。これっておかしいよね。おれは確実に間違っている。自分がそのとき怒るときにいう決まって言うことは自分の病気のことを何もわかっていない、調べもしてないということがいつも含まれている。おれはなんて勝手なやつなんだろう。これでは人にどうこういう資格もない。
両親は今年、来年定年を迎える。近い将来介護の問題も迫ってくる。自分がこの先結婚してからのこともある。現実に背を向けてはいけない。病気を盾にしてはいけない。物事を病気というフィルターを通してだけで見てはいけないんだ。自分の人間性が問われること。姉がいるけど決して甘えてはいけない。あの人たちにはあの人たちの生活がある。自分はここの長男。何より両親を安心させたい。
年末父親から言われたんだ。「もう卒業しなきゃな」って。
この言葉が心全体に広がり響いたんだ。以前ならそれに反発したと思う。でも素直に思ったんだ。卒業しなきゃって。卒業ってできないことではないと思うんだ。それが背中をおしてくれたんだ。

だからおれ変わるよ。

気持ちをつくってきた。ふれられない、ふれてあらってしまうものをじっと、じっと生活の中で佇んで見てきた。おれならできるって。現実を背負うことを決意したおれならできるって。薬を飲むわけではない、先生を呼び行動療法をやるわけではない。
自分一人でやる。いや、家族と一緒に。両親には手を洗わないでほしいとお願いする。先生がいれば徐々にやっていこうということなんだけど、自分一人でやるからには容赦しない。日常生活でつまずくこと全て効率よく進むようにやっていく。一日で一番自分が苦痛になるレベルのよごれで一気によごしそれを「日常」にする。

昨日、自分自身を断崖の底に突き落とした。落とされるときもう一人の自分の表情は目に力があって笑顔だった。きっとガケを這い上がってくる。おまえならできる。そう信じている。

お腹が痛くなって駅のトイレに入った。服を着たまま、性器を触った手で、拭くときにお尻を触った手で洋服を直した。かゆくなった頭や体もかいた。終わった後トランクスとジーパンをがっしり持ちあげ、財布を持ちバック持って掛けた。手洗いは手は肘までではなく、手首付近まで水でサーっとながしただけ。
一番の苦痛になることをした。全身よごした。これからずっと死んだようになるんだとおもったんだ。

でも楽になったんだ。
なぜこんなに気持ちが落ち着いているのか。不思議なんだ。

やっと自分を許してあげたんだね。長い間ご苦労様。よくがんばったね。

もう良いんだよ。もういいんだよ。よごれてていいんだよ。
これが日常だし、日常にしていく。この世界はよごれている。でもそのよごれは自分と共にある。自分の一部なんだよ。

思い出したんだ。高3の進路が決まって後は卒業を待つだけの期間、トイレで服を脱いでいたこと。何度も何度もトイレから出てもまた手を洗いに戻っていたこと。あの頃からだった。自分は一体どうしてしまっただろう。なぜだろうって。今だったらわかる。いつだってそれまで全て受け止めてた。家族、人間関係、恋愛全て受け止めてた。それが自分だった。そのときをただ懸命に生きてただけ。

今はそれ以前の自分に戻りたいと思っていない。新しい自分、新しい人生を歩んでいけることを楽しみにしている。その線を越えて今その世界への一歩を踏み出した。そこはとても生きやすい世界。

勝手だけど強迫を持ってる人、それ以外の病気を持っている人のミチシルベになればいいと思う。

人が敷いたレールを歩いてはいかない。自分でレールを敷いて自分の足で歩いていく。
そしておれが必ずミチシルベを立てるから。

家に帰り両親にもう必要以上に洗わないでほしいとお願いした。日常になっていたから驚かれたんだけど。

今日こうして気持ちが安らかに日記を書いている。昨日でもうこれから友達との予定は入れないと決めてたけど、さっき焼肉たべようと誘われた。もちろん行くさ。今夜トイレ気にせずたくさん食べて水飲むよ。



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家族は子を中心に

2009年11月09日 03時21分16秒 | 日常
なんだかこの週末は疲れた。心地よい感じだけど。

真ん中の姉きが一歳になる子を連れて帰ってきた。
朝二階で寝てると姉きが家に上がっていく音、その後は赤ん坊の泣き声が家に響いてなくなく目が覚めた。

来たか・・・。
この週末は一体どうなるんだろうねとふとんから起き一階に降りて行く。
姉きは少しふっくらしたけど元気そう。子育てをのびのびしてる感じでいつも通りあやしているが、なぜか未だに母親に見えない。それほどゆとりを持ってるのかなんなのかそう見える。昔からそういう人だから変わんないのか。旦那さんも面倒見いいから助かっているのだろう。

赤ちゃんは髪の毛が以前よりだいぶ伸びた。女の子だけどまだあまり男の子か女の子か区別がつかない。いい子だね、ほんと。両親を見て泣くけど自分を見ても全然泣かない。じっとこっちを不思議そうに見ている。まあ、おじさん昔アンパンマンだったからね(?)わかるよその気持ち。赤ちゃんに指さされてトラが落ち着かなそうにうろうろ。わかるよその気持ち。

母親が料理をし、父親が風呂掃除、そしておれは・・・姉きに途中からお願いされ赤ちゃんにごはんを食べさせる。静かな家が一気に赤ちゃん一人いるだけで雰囲気が一変。こんなに活気がある家であったことを忘れていたよ。

デミスプーンでポトフをアーン、ごはんをアーン
何でも食べる子だ。この歳は好き嫌いはないのか。それとももう少し経つと出てくるのか。とにかくいい子だ。リンゴを細かく切り手でその子に渡す。自分の手にすっぽり入ってしまう手でそれを自分で取り口の中に運ぶ。よくわかんないけどこれ一つもできるなんてえらい。感心感心。一挙手一投足も見逃さないようにじっとその子を見守る。
驚くのがその食欲。たくさん食べる。口でもぐもぐしていても次のりんごとすぐ手を差し出す。きみはすごいね。どこの誰かに似たのかな。いつかバイキングに連れて行って一緒にハグハグするか。そんなことを考えながらその子を見ると口を開けてリンゴちょうだいというものだから、直接食べさせると一緒に指も食べられた。あたっ・・・。
手を洗おうと思ったけど、すぐにまっ、いっか。この子がいると多少は強迫の訓練になりそうだ。今この子が座っている席はいつも自分が座るお気に入りの席なんだけど堂々と座っている。数か月前なら違和感を覚えてたはずだけど、それが起きないのが不思議だ。抱っこもしようと思えばできる。おむつの交換などは見てられないけど。考えればこの子の存在はありがたい。

その後は赤ちゃんとみんなで畳で昼寝。平和だね。この時間は。
途中から赤ちゃんが起きて父親が屋根裏から引っ張り出し洗った自分たちが使った積み木やどろっぷでガラガラ振り遊んでる。この子がやることが何でもすごいなという目で見てしまう。ドロップのふたを自分で開けて逆さにして振り中の飴玉を全部出す。もう音がなくなって全部ないなとは判断したら散らばった飴玉をまた容器に戻すのだ。普通のことのようだけどこれってすごい。チンパンジーの生態を観察でもするかのようにその子を見てしまう。

夜はね伸ばして映画を見に行こうと姉きが予定してたけど、疲れていてそれは取りやめ。一緒に夜ごはんを食べて8時には赤ちゃんを寝かしつけた。寝る子は育つね。この子は一回寝るともう起きないらしい。社会でバリバリ働きながら子育てする姉きを気遣っているのか。よくできた子だ。でも、慣れない実家の環境ではちょっと難しかった。数時間後起きて泣き出し姉きがすぐにあやす。何か異変を感じたのか体温計を持ってくるように頼まれ渡すと熱があった。慣れない環境や人がいたら緊張したりいろいろ大変だもんね。朝には熱が下がりひと段落。帰るときは姉きからは激励された。がんばるわ。

帰ったあとはちょっとぐったり。家はまたいつもの雰囲気に戻った。





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茶美知

2009年11月01日 05時25分09秒 | つながり
今日は茶道部のメンバーと飲んだ。メンバーとはよく東京で会うのだけど先生と先輩入れて飲むのは久しぶり。今日は大学の学園祭だからね。日中は用事で行けなかったけど。

みんなで揃い乾杯。

まず今の自分の状況を先生の提案で一人一人報告。
それぞれ発表。みんな前に進んでる。自分の番が来た。先生たちにはすでに自分のことは伝わっているのだけど、改めて社会復帰に向けて準備してることを報告。
先輩から今は休憩時間と考えていいよと言われちょっと感極まった。ありがとうございます。

そして真面目な雰囲気から

徐々に(?)お決まりの

どんちゃん騒ぎ

楽しくてお腹がいたい。ギブギブ。
仮にも茶道部だけど、それをうたがうぐらいはしゃぎすぎ。
おしとやかな人ほど気をつけてください。間違いないです。

盛り上がり最高潮でいよいよサプライズを。
先輩が結婚したのだ。集まってるメンバーの中では結婚第一号。
用意した花束を渡した。

受け取った先輩はよろこんでくれた。素敵な笑顔。
良い人見つけましたね。先輩輝いてます。その指輪も。
結婚式の写真見せてもらったけど、ウェディングドレスを着た先輩はきれい。
新作ですか・・・。  ヒソヒソ・・・  

たかっ・・・・・

まあ、一生に一度ですから。

ほんとにおめでとうございます。

そして先輩をうらやましがり一人騒ぐ友達をみんなでなぐさめる。まずあいてみつけなくちゃね(笑
あ、なぐさめになってないか・・・。

その中でも先生の言葉が印象的だった。
それは「忍ぶ」ということ。
結婚はあせってはいけない。24、25というのは周りが一気に結婚する歳でもあるから余計に焦りに拍車がかかるらしい。そこを忍んでこそ幸せが待っているという。付き合ってる相手がどのような人か、あるいは一例だが家と家の相性など見極めることが大切。

ちょっと聴いてて古いものもあるなと思ったんだけど、人生経験豊かな先生の言うことだから深いのだろうね。何より「忍ぶ」というのは、空手道の「押忍の精神」や「耐え忍ぶ」のと共通してる。やはり「道」だね。

っといい話がおわり

また

どんちゃん騒ぎ

ふふ、もう惑わされないぞ。食べものを先に食べられてたまるか。
有数の食いしん坊が集まる茶道部はなくなるのが早い。
君たちにおしとやかという言葉はないのか。
あ、わたしもですね。

サラダもビーフンもチキンも話していて満足に食べられず・・・(悲)

そしてついにお刺身が来た。おっきな魚ちゃんパカっ。

おいしそー。これはごちそうだ。
なにがなんでも

え? うんうん。 はいはい。 アハハハハ

ハハ? 

な、なんてことだ。
まぐろちゃんがいなーい(TーT☆
おそるべしケモノたち(?)

シクシク。。。アジちょびちょび。。。
うんうん、おいしいね。よくかみしめなきゃ。

ふー。じゃあ切り替えて

最後にサプライズ
かわいそうに(?)まさか祝福する側の自分がされるなんて

電気をパチっと消し
暗闇の中に光輝くケーキが現れる。
友達にハッピバースデーの大合唱

目まんまるでめっちゃ驚いてる。
よろこんでくれてよかった。
火を一発で消した。ナイス肺活量。
おめでとう。よかったね。

洋梨のケーキを切り分ける。二番目に大きいのゲット。

ハグ・・・

ぅんまいー

じゃなくて

おいしゅうございます

このOB会は自分たちの代が立ちあげ中心に進めていくからやりがいがある。
参加する先輩も徐々に増えてきた。今後はいろいろと活動を広げようと検討中。
今考えてるのはOBで茶会を開こうということだ。せっかく大学で学んだのだから、その知識・技術をなくしていってしまうのは惜しい。自分なんてもう御点前忘れそうだし。それを実現できたらいいな。やせてる今はチャーシューになることなく袴はすんなり着れる。社会人でアフターファイブは茶道か・・・かっこいい(妄想中)

二次会はバーミヤンでドリンクバー、おつまみのからあげとフライドポテト、デザートなど。もちろん携帯クーポンを使った。お金はかけないのがいいね。
あんだけ食べて一人300円。安っ・・・。

遅くなった駅で解散するとき先輩から今夜はビジネスホテルに泊ろうとさそわれてちょっと困ったけど、強迫を知ってる友達が間に入ってくれてやんわりと断ることができた。

ありがとう。助かる。

誕生日の友達と帰りは空き空きの電車でくつろぎながら今度遊ぶ場所を楽しみながら考える。やっぱり、おいしいところだよね。それが一番。

話に夢中になりながらもふと前を見ると自分が降りる駅を通過・・・

はい?各駅じゃないの?

間違えた。。。恐るべし特急。
もう二人で爆笑。
いやいや笑いごとじゃない。
北千住まで一直線。
マジカヨ。

北千住に着き
じゃあまたね。

よし、引き返すか。
終電の電車に乗らなきゃ。

駅のホームで今日は楽しかったなと、お酒が気持ちよく回り目を細めぼーっと線路をみてた。


そのときポケットに振動を感じ携帯に連絡が

はるちゃんのお母さんからだった。



・・・・・・・・さてと








無事に家路へ着いた。





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かけがえのない 〜 信頼 〜

2009年10月28日 03時01分54秒 | つながり
朝早く起きたんだ。光が部屋にもう入ってた。日の出の時間なんて久しぶりだね。寝不足で目がしばらく開けられないけど、短い時間帯の中で寝れたんだ。上出来。トイレを済まし着替え、白い壁にもたれた。そして時計をみた。社協の人が迎えにきてくれるのを待つ。

なんだろう、この心地よさは。朝早く起きるのもわるくない。日の光が体に入り体温を体の隅々まで運んでくれる。窓の反射光をじっと見ていた。
不思議だね。この気持ちは。でも覚えがあるんだ。どう言ったらいいかわからない。でも、確かに言えることは子共の頃自分が持ってた気持ちなんだ。思い出したんだね。よかったよ、ほんとに。携帯が鳴った。

さあ、行こうか。

社協のスタッフが外で待ってくれていて「今日もありがとうね」と。
「いいえ、こちらこそ」

車に乗り森林公園に向かう。昨日とは全くといっていいほど気持ちが穏やかだ。まるで嵐が過ぎ去った大海のように静寂に満ちている。きっと、あの子の存在がそうさせているんだろうね。森林公園に着きゆっくり車から降り森林公園を見渡した。行こう、あの子の元へ。朝日に照らされた森を進んでいく。風景が違う。きのうとまったく。一日でこんなに違うものだろうか。人の心しだいで目に映るものはほんとに変わる。朝日に照らされた緑豊かな森はきれいだね、そして温かい。その中足を進めていく。バーベキュー会場が見えてきた。人の形、声が近づいてくる。

そして着いた。みんな朝食が終わり休憩をとっていた。11班の場所に行きスタッフに挨拶。テーブルにはるちゃんが座っていた。気づかれないように後ろからそっと近づき頭をポンポン。振り向いたはるちゃんに

「 おはよう はるちゃん 」

えっ ていう顔がうれしそうな表情に変わった。その光を見ただけで今日来てよかったと思ったんだ。何もいらない。ただその笑顔だけで心が照らされたんだ。そしてはるちゃんと手をつなぎ心で決めたんだ。

もうどこにも行かないよ。今日緑ちゃんはずっとはるちゃんのそばにいるから。

その様子を電話してくれた友達が温かく見守っていた。友達と目を合わせお互いコクっとうなずいた。そのとき友達とつながったと感じたんだ。これもはるちゃんが懸け橋をしてくれたおかげ。

はるちゃんが昨日泊った小さいコテージを案内してくれた。棒一つで支えてある高床式っていうのかな。らせん階段で登っていく遊び心があるコテージだった。こういうところで泊れるっていいね。はるちゃんが熱心にいろいろと説明してくれた。うんうん、なるほどね。でも、よるトイレ行くのこわいね。

休憩が終わり荷物持って全班で違う広場に移動。もちろん移動中もはるちゃんと一緒に。
広場でみんなでゲームをやった。一列に並んでの伝達ゲームや大きなカルタ大会。社協のスタッフがラジカセで音楽を流してくれたんだけど、その音楽がふるい。タイ焼き君だったりアブラハムの子だった。アブラハムはギリギリ、でもないね。小1ぐらいで踊った記憶がある。歌詞や踊りなどがすごい特徴的だから。それでも一世代上でしょ。今の子はわかんないだろうね。ゲームをしてる間そばにいるはるちゃんの笑顔を見守った。よかった。ほんとに。楽しそうにしてる。こんな時間がいつまでも続けばいいと思ったし、続くとおもったんだ。

でもね、ゲームの中盤が過ぎた頃はるちゃんがシクシクと泣き出したんだ。

楽しいゲームの最中だよ。どうしたんだろう。

はるちゃんを連れ出し二人だけ輪から離れ広場の隅のベンチに座った。はるちゃんはずっと泣いた。一向に泣きやまない。どうしたらいいかわかんなかった。ティッシュもってきたり、水持ってきたり。理由を聞いたり、励ましたり、おもしろおかしくしようとしてもむしろもっと悲しさが増した。どうしたらいいんだ。わかんない。はるちゃんは一体なにが原因で涙を流しているんだ。おれがこういうの下手だからかな。おれなんかやっちゃったかな。考えれば考えるほどわからない。しまいには小さい子にはわかんないこれから訪れるであろう人生のことについて話だす始末。話しながら一体おれは何を言っているのだろうと自問自答。広場ではみんなが楽しく遊んでる姿、そして声がするのがほんとにむなしい。そのときだった。広場が急に静かになり見るとスタッフが話していてそれが終わると拍手。そしてみんなで片づけ始めた。

えっ・・・・
早くない。まだお昼頃でしょ。何が起こってるのかわけがわからない。
そしてやっとのみ込めたんだ。二日目お昼にはふれあいキャンプが終わるということをそのとき初めて知った。

そっか・・・ そうだったんだ
おれバカだったよ。
はるちゃんが泣いてるワケがやっとわかったんだ。
まったくおれは・・・

帰る準備をしてるみんなのところへうつむくはるちゃんを連れて行った。
目の前の駐車場には続々とお父さんお母さんが我が子を迎えにきていた。スタッフが子供たちを送り出しみんな笑顔でさよならしている。その状況と今の自分の状況があまりに違う。お母さんを待っている間はるちゃんを笑顔にしようとつとめるけど、うつむいたまんま。11班で写真を撮るときも笑顔にはできなかった。駐車場からお母さんがはるちゃんと他の班にいたおねえちゃんのあーちゃんを迎えに来た。いろいろとありがとうございましたと挨拶された。いえ、とんでもないです。罪滅ぼしなのかなんなのかわかんなかったけど、駐車場の前に立ちはるちゃんの乗ってる車がくるのを待った。そして車が来て手を振った。はるちゃんたちが手を振ってくれた。今笑ってくれてたような。わかんないな。
車が見えなくなるまで手を振り続けた。見えなくなり、一人駐車場に立ちつくした。
心が重かった。あの子を悲しませたままお別れしたのはほんとに残念だ。体から一気に力
が抜けて路肩にペタンと座った。しばらくそこから動けなかった。
スタッフたちとテントを片づけたり、ゴミ拾いをしてるけど体も心もついていかなかった。
重い。重すぎる。大量の道具などを軽トラックに乗せ社協のホームまで行き片づけて長い一日が終わった。

アパートの電気が普及しそれから一週間くらいだろうか。魂が抜けたようにまた同じ日々を繰り返した。学業と部活にいそしみそれが自分を支えていた。もうあの子とは会うことはないんだろうねと諦めていたし、それはそれで自分の道なんだろうと受け入れようとしていた。

そんなとき週末の夕方に一本の連絡がきたんだ。それは社協からだった。それははるちゃんが手紙を渡したいということだった。驚いたんだ、ほんとに。まさかそんな話がくることなんてないと思ってなかったから。あとあとお母さんからきいたんだけど、キャンプがおわってからはるちゃんがしばらく夜泣いていたそう。普段泣くような子じゃないからよほどのことなんだと。それで社協に連絡をとりはるちゃんが書いた手紙を自分に渡してほしいとお願いしたそうだ。その手紙を社協が預かっていた。連絡をもらってすぐに自転車飛ばして社協に行き手紙をもらった。その手紙をアパートに持ち帰りすぐに封を開けた。女の子らしいキティちゃんやカエルのかわいらしい手紙だった。読んだ。何度も読んだ。とてもうれしかったんだ。そこにはキャンプが楽しかったということが書いてあったから。心が救われるような思いだった。悶々としてた日々積もった気持ちが一気に吹き飛んだ。その手紙がはるちゃん家族とのつながりができたきっかけだった。交流のはじまりだった。はるちゃんがつないでくれたんだ。社協に出向きなんとか11班の写真を見つけてもらい手紙と一緒に送った。それから手紙のやりとりをするようになった。いつも家族との手紙のやりとりが楽しみでしかたなかった。強迫でふれなかったポストもきれいに拭いて待っていた。ポンとポストに何か投函されたときは真っ先に何をやっていても見に行った。それからふれあいにも参加するようになった。強迫のリスクは常に抱えていたけど、ふれあいのお祭りやクリスマスの行事に参加した。強迫なんて霞んだ。一番大切なものが何かわかっていたから。あの子に会いたいがために、あの子が自分に会いに来てくれる。それだけで十分だった。子供たちには平等に接した。でも心の中ではいつもはるちゃんが笑顔でいてくれるように。ボランティアスタッフとしては失格かもしれない。
いつのまにかあの子が、家族が自分にとって大切な存在になってた。目標を失ってた空手と茶道にも熱が入るようになった。人のためにこんなにも一生懸命になるなんて久しぶりだった。こんなにも自分に力を与えてくれるなんて。学園祭にも来てくれて空手や茶道の姿を見てもらった。家族が遅れてしまって瓦割を見せられなかったことはちょっと残念。もう互いに信頼はできてた。

それでも乗り越える壁はあった。それは社協のこと。
家族と手紙のやりとりをするときは必ず社協が間に入る。それで手紙の内容はスタッフに読まれるのだ。個人情報がわかることは手紙には書いていないかチェックされるのだ。ちょっと考えられないかもしれない。けど、このご時世の中はじめは目をつぶりそれにしたがった。そう、当時子共たちが被害に会う犯罪が後を絶たなかった。連日ニュースでも取り上げられていた。もし何かあってからでは遅い。そう考えればこれは仕方がないのかもしれない。そしてこのようにふれあいに参加した家族とやりとりをしているのは自分だけ。今までにそのような例がないのだ。このふれあいの活動はあくまでその場だけでやりとりをするというかたちなのだ。その壁を越えるためお互いに信頼していることを社協に伝え続けた。お互いにふれあいに参加し続けてスタッフから信頼してもらえるようになった。時が経ちその壁を力合わせて乗り越えた。それからスムーズに直接手紙や連絡をとれるようになり、家にも行けるようになった。お互いに抱えてることをわかっている。自分の強迫のこと、家族への思いも家族は知っている。自分も家族のことを少なからずわかっている。

今考えても不思議だと思う。このようなつながりができるとは大学3年の夏まで思ってもみなかった。はるちゃんに会わなければこのつながりはなかった。
大丈夫。今度の壁も乗り越えられると信じている。自分の思いだけではどうにもできないことはあるとは思う。だけど、やるだけやってみるさ。

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かけがえのない 6

2009年10月13日 03時03分17秒 | つながり
深夜バイトが終わりアパートに帰ったんだ。ドアを開けると先が見えない暗闇。
今夜もこの暗闇の中で生きるのか。明日復旧するまでの辛抱だ。玄関にある懐中電灯で廊下を照らし部屋に入っていく。何も変わってない。ちらかり放題の部屋。
このよごれた体でも寝れるようにシーツを敷きそこに腰を下ろす。
自分の体のあらゆる力が抜けていく。神経の隅々までやっと休めるという信号が届いたようだ。

長い一日だった。今日あったことが今でも夢みたいだ。おまえよくやったよ。
もうあんなに苦しい思いなんてしなくていいんだよ。明日きれいに体をあらってまた同じ日々を過ごしていこう。

でも  なぜだろう。あの子のことがちらつくのは。何かひっかかってるんだ。いや、考えすぎだ。気にすることはないさ。たった半日の時間を楽しく過ごしただけ。それ以上でもそれ以下でもない。カーテン、窓を開けて月明かりを入れ部屋に光を取り入れた。そして夏風が入ってきてカーテンをふくらませた。体全体を風が覆い気持ちいい。ふーっと深呼吸しシーツに戻りぼーっと月を見てた。

三十分はたっただろうか。そろそろと体を横に寝かせ床についた時だった。いきなり携帯が鳴り部屋の沈黙を破った。びっくりして目を瞬間に開け携帯をとった。表示を見ると同じ班で出会ったサークルの友達だった。電話に出ると元気ななまった声。このトーンは夜中向きじゃない。夜中にごめんねとか言われて今日はお疲れと他愛ない話。電話で話しながらこんな話いつでもできるよと思いほんとに迷惑だなと思った。もうこんなにくたくたでやっと休めるかと思ったのに。乗ってるふりして相槌適当に打った。疲れてるせいか1分でさえすごく長く感じる。青白く光ってる時計をみてるせいだろうか。
しまいには話変わるんだけどとまだ続くのかと思ったときだった。
トーン落とされ「実ははるちゃんのことなんだけど・・・」と言われた。その言葉を聞いた時眠くて半開きだった目がピクっと一気に全部見開いた。
すぐに反応し「何? どうしたの?」と聞くと友達がはるちゃんのことについて話し始めた。その話をじっと聞いてた。時計なんてもう見てなかった。気づいたら体を起してた。

その話は自分が帰った後はるちゃんがずっと泣いていたということだった。はるちゃん自身が楽しみにしてた夜のキャンプファイヤー、肝試しもずっと泣いていてそれに出れなかったそうだ。会場から離れてずっとなぐさめたけどどうしようもできなかったと友達に言われた。その理由はおれだった。「 緑ちゃんがいない 会いたい 」って言ってたそう。胸が苦しかった。自分が帰ったあとそんなことになってたなんて・・・。はるちゃんにとって楽しいキャンプが自分のせいで。。。さっきまで泣いていたけど今は泣き疲れて寝てくれたということだった。
友達の話が終わったあと何も言葉が出なかった。暗闇の中自分の存在も闇へと消えた。そして時間がとまった。その雰囲気を察したのか友達から「明日来てほしい」と言われた。「はるちゃんのためにきてほしい」 そう言われた。
その場で答えを出せなかった。少し・・考えさせてほしい・・と伝え電話を切った。

暗闇の部屋の中考えたんだ。あの場所はもう強迫でとてもじゃないけど行く気にはなれない。今日のようにまたよごれることは目に見えている。それをたった一人の子のために。たった一人の子のために・・。たった・・たった・・・。たった?
たったってなんだよ。たったって・・・・・。おまえのたったって一体なんなんだよ。
あの子の悲しみがどれだけ辛いことなのか。あの子の痛みがどれだけ辛いことなのか。おまえは理解できないやつだったのか。子共の頃、思い出してみろよ。自分が悲しみに暮れうつむいてる時、周りに手を差し伸べられどれだけ心が救われたか。温かい手にみちびかれどれだけ明日への希望が見えまた歩み始めたか。それをおまえはいつから忘れたんだ。おまえはいつからその心を失ったんだ。それは決して小さな世界のことなんかじゃなかったはずだ。それは今起こってる全ての世界だった。おまえはそれを知ってるはず。あの子の世界は今悲しみであふれている。世の中にどれほど自分のために涙を流してくれる子がいるんだ。必要としてくれる子がいるんだ。あの子の世界は今自分を必要としている。それをおまえは見過ごすのか。見過ごせるのか。違うよな。

今こそ周りが自分に手を差し伸べてくれたことを、自分ができるときじゃないのか。

答えを出すのに時間は長くかからなかった。
友達に連絡し 「 明日 行く 」
そう伝えた。

電話を切りこれからすることを考えた。まずよごれた体をきれいにしなければいけない。明日の朝は早い。朝起きてトイレとシャワーをすることはとんでもなく時間が掛る。この疲労のせいか早く起きることなんて困難だ。そうするともうやることは一つ。
今水で体をきれいにするしかない。この暗闇の中バスルームでシャワーを浴びるしかない。強迫で懐中電灯をバスルームには入れられない。他から光を取り入れるしかない。そういうことで玄関のドアを全部開けて廊下のライトの光を取り入れた。思ったより明るい。アパートの一番奥の端の部屋で、玄関前にバスルームがあってよかった。いつものようにバスルームで全部服を脱ぎ反対側にある洗濯機に服を小さく丸めていつも以上に手を伸ばして入れた。こうしなきゃ外から丸見えだから。夜中とはいえ部屋の真ん前は一軒家で玄関があるから。シャワーを出し、手で触れるとやはりいつも通りひやっと冷たい。井戸水は季節関係なく冷たく夏はうれしいんだけど、今日ばかりはちょっと。勇気を出して頭から掛ける。
うっ・・・頭から足の先まで全身に冷たさが伝わる。気のせいだろうか。呼吸が苦しくなってきた。元々水風呂にもまともに入れないから免疫がないのだろうと言い聞かしたけどこれは半端ない。頭洗ってシャワーから一旦引いたけど、空気に触れてすごく凍える。かといってこの冷水シャワーを浴び続けることもできない。ハア、ハア、ハア・・・。息もより一層苦しい。寒い。。。でもここで立ち止まってはだめだ。
あの子の悲しみに比べればこんなの。。。またシャワーに飛び込む。あの子が待ってくれてる。自分を待ってくれてる。こんなのなんかに負けるかよ。歯を食いしばった。なんとか五十分で終わらした。震える体をすぐにバスタオルで拭き巻いて玄関を閉めた。懐中電灯照らしてよごれてるシーツを洗濯機に入れて手を洗い、部屋に戻りいつも通りに寝袋に入った。今夜はチャックを閉めた。とてもあたたかい。やっと終わった。これで明日は行ける。あの子のもとへ。目をゆっくり閉じた。





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かけがえのない 5

2009年10月09日 03時39分51秒 | つながり
自閉症の子の肩を強く抱き一歩一歩トイレのほうへ進んでいく。進みたくない。できるなら引き返したい。今ならまだ間に合う。そんな葛藤を心の中で激しくしていた。誰か他の人に頼もうと思えばできたと思う。でもそのときは責任感か、周りの目か、ただただ緊張感で頭が真っ白かとにかく冷静な判断ができない状態だった。こうなると自分の性格でもう先へ進むしか答えがなかった。

トイレに着いた。ついに来てしまった。一層気を吐き中に入って行く。そして自閉症の子を小便器の前に立たせてあげた。そこで10秒ぐらい様子をまず見る。何も行動はない。やはりそうか。。。自分がサポートをするしかないのか。必死にぐわぁーっと締め付けられる胸の力に耐える。そしてその子のズボンを下ろす。履いてる下着はおむつだった・・・。一瞬たじろいだ。考えてみればそうだよね。自分の意思で行動するのが難しいのだから当たり前だよね。おそるおそるおむつに触れ外す。手はもうよごれたと思った。自分の体に触れないように手は自分の体から離した。そしてその子の様子を見守る。数十秒後してくれた。ここまですればやってくれるんだね。その子が用を足し終えた。問題はここからだ。誰かがいつでもこのトイレに入ってくる状況。自分を落ち着かせながら、焦るな焦るなと言い聞かせながらここを触って洗ってこうしてとすぐにシュミレーション。考えを終えこの手でまずおむつを履かせた。そして次はズボンを履かせる。けどここで手を洗いに行かなければ。だがそのときだった。子共が一人入ってきた。自分は何をおもったのか今まで考えてたことが一気に吹き飛んだ。冷静さを失ったんだ。そのよごれた手でズボンを持ち履かせてしまった。子共が不思議そうに何やってるのかなと見ながらトイレから去って行った。トイレに残された自分はひどく気分が落ち込んだ。最悪。これで今日は無事では済まされない。外部に触れるズボンの外側をよごしたこの気持ちは計り知れないほど重く自分にのしかかった。ショックのあまりに動けない。けどここで立ち止まってはいられない。まただれかが来るかもしれない。うつむきそうになる自分にムチを打ちその子をトイレの洗い場へ連れていく。まず自分が水洗いをしてからその子の手を水洗い。その子の手を洗ってあげるときに水滴が顔、手、服にあちこち飛んだ。これもよごれたと思った。
落ち込んでる暇ではない。水洗いを終えその子の肩を抱きハンドソープのある洗い場へ連れていく。その子のズボンが自分のズボンに触れ、自分のズボンはよごれた。洗い場で自分の手をハンドソープでこすりそのままそのこの手をこすり、蛇口の取っ手をこすり洗い流した。トイレは終わった。でもあまりにも代償が大きかった。

バーベキューのほうへその子を連れて行きながら自問自答した。
「なんでおまえは参加したんだよ。なんでおれはこの子の担当になったんだよ。他の障害のある子は自力でできるのに。おれはほんとに運がない奴だよ。この子に罪がないことはわかってる。そんなのわかってる。でも、でも、あんまりじゃないか。こんなによごれたと思ったのははじめてだよ。自分が一番よごれてると思ってるものでよごれるなんて。おれはこの先どうなるんだよ。」

バーベキューに着きスタッフからありがとう、助かったと声を掛けられた。何だろう。このやるせない気持ちは。どこにぶつけたらいいんだ。
その子を預けた。もう頭は強迫で支配されていた。その子を膝の上に乗せ体を包んだそのスタッフもよごれたと思った。自分はもうよごれたところを増やしたくなかった。テーブルの前で立ってたんだけど、座っていいよといわれ抵抗あったんだけど仕方なく座った。もうこのイスも・・・。
息が止まりそう。平常心を保つのに必死。はるちゃんが自分に話しかけたけど、そっかと渾身の笑顔でうなずくだけ。

こんな状態の中でさらに追い打ちをかけるようなことが起こる。スタッフが自閉症の子の体を抱き寄せおしりをさわると異変に気づいた。すぐにおむつ替えないとと言い始めた。自分はもうできるならその場で首を振って、その場から消えたいと思った。バーベキューの近くにある小屋で処理を行うことになり、自分はトイレットロールとゴミ袋を持ってきてほしいと頼まれた。それを調達しようと小走りで走るけどとてつもなく体が重い。普段ならトイレにあるトイレットロールすら触るなんてできないけど、もう自分の体がある程度よごれていて麻痺してるので躊躇なくとった。ゴミ袋と一緒に小屋に持っていきスタッフに渡す。一人の子に3人スタッフが付き、服を脱がしている。見るとなぜか新しいおむつ以外に着替えも用意している。普通ならおむつだけでもいいはずなのに。こうなると自分の頭の中はわるいほうへどんどんエスカレートしていく。スタッフに終わった後ごみ袋を持っていってほしいから入り口にいてと言われた。そこに立ってるけど、これ以上はみてられない。背中を向け入り口の横の壁にもたれ事が終るのを待っていた。10分ほどかかり中に入るとその子は新しい衣服に着替えていた。そして横にはゴミ袋があった。スタッフからそのゴミ袋を渡され手に持った。おむつを替えたときの手でこの袋を触ったのだと考えると気が気じゃなかった。体から離して持つけど家庭ゴミのように大きい。歩くと前後左右にどうしても揺れて自分の体に触れる。頭が真っ白になり、おかしくなりそうだったけど歩みを止めずなんとかゴミ収集の場へ持っていった。洗い場でハンドソープで手を洗ったけどもう気休めにもならない。体のあちこちがよごれているのだからもはや・・・。もうだめだ・・・。汗もかいてきて体温も上がりアトピーで体がかゆくなってきた。一日シャワー浴びてないだけでだいぶ違う。体のあらゆるよごれてるところを触れたりこすり違うところを触る。これを繰り返し気がつけば頭から足まで全身がよごれた気持ちになった。全部。全部。おかしくなりそうだ。絶望。できるなら、できるなら発狂してこの森いっぱいに叫びたい。頭を抱えて地面に跪き叫びたい。こんな仕打ちがあるのか。どうして。どうして。耐えられないよ、もう。なんでだよ。なんでだよ。

洗い場に手をつき、しばらく倒れそうになる体を支えていた。
そのときだった。
トントンと自分の体を誰かに軽く叩かれた。振り返るとそこにはるちゃんがいた。
ちょっと恥ずかしそうに

はるちゃん:「 緑ちゃん 遊ぼう 」 

そう言われた。

ハッと我に返った。

おれ:「ごめんごめん。約束だもんね。行こっか」

この手でふれられるだろうか。 大丈夫。 大丈夫。
はるちゃんと手をつなぎ、バーベキューの広場のほうへ向かいながら自分の心を静め気持ちを作ろうと懸命だった。今日は責任を果たさなければいけない。何があっても自分は自分の役割を果たさなければいけない。短い時間とはいえ子供たちにとって、はるちゃんにとって今日は二度とない大切な楽しい時間なのだから。この子の心の中に今日が楽しい日だったと残ってほしい。そのために精一杯はるちゃんが楽しく過ごしてくれるように。。。
はるちゃんが少しでも喜んでくれるようにおんぶして広場へ。心の中で 「よごしてごめんね」 そうつぶやいた。広場で一緒に地面にお絵描きして、一緒に森の中探検して、ベンチでたくさんはなした。途中、何度も何度も強迫に押しつぶされそうだった。でも目の前には、隣にははるちゃんがいてひまわりのような満面の笑みを浮かべてくれた。それを見ると支えだったんだ。今大切なものがなにかということを教えてくれたんだ。

でも時間だけは刻々と過ぎて行く。太陽から夕陽に姿を変え森の中は薄暗くなってきた。次第に鳥の鳴き声、カエルの鳴き声が辺りに響くようになった。
時間をみた。もう行かなければ。はるちゃんと広場に戻った。着替える時間が少ないのでその場で上だけバイトのユニフォームに着替えバンダナ巻いて気合いを入れた。準備している間はるちゃんは自分をじっと見ていた。着替え終わり同じ班のスタッフ、友達に挨拶した。そして最後はるちゃんに

おれ:「今日はありがとう。はるちゃんといて楽しい時間だったよ。また遊べるといいね。」

はるちゃん:「うん。ほんとに行っちゃうの? 明日は来ないの?」

おれ:「ん〜、ちょっとわかんないかな。緑ちゃん忙しくて。また会えるよ。きっと。」

はるちゃん:「そっか・・・。うん。」

「じゃあまたね」

そうお互いに手を振ったんだ。

前を向いた。忙しいなんて嘘さ。心の中ではもう決まっていた。二度とここに来ることはない。会うこともない。これで終わり。
でもはるちゃんは別れ際すごく残念そうな顔をしてた。薄暗い中でもその眼はとても寂しそうで、悲しそうだった。車に乗る前に振り返ると、遠くの小さいはるちゃんはまだそこにいてこっちを見ていた。そのときのことは今でも忘れない。

スタッフの車に乗り出発した。車内でふーっと一息ついた。あぶなかった。おれとしたことが。たった一人の子のために明日いくよと言うところだった。

でもあの子のあの顔・・・・・

離れてく森林公園を見ながら自分に言い聞かした。

これでよかったんだよね

これで

おれは何も間違ってないよね

そうだよね




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かけがえのない 4

2009年10月06日 03時21分24秒 | つながり
ご飯を食べ終わった後自分は班を離れ動いた。
それはトイレの下見のため。スタッフに聞きトイレがどこにあるか確認。
すぐバーベキューの近くにあった。中に入り洗面台を見るとやはり水道はひねって水を出すもの。そして石鹸もなかった。まあ、普通はこうだよね。森林公園だし。石鹸持ってくるの忘れたのがいたいな。どうしようかなといろいろ考えた。すぐ近くに長い水道場があった事を思い出した。お昼に地元から参加してるおばちゃんたちが野菜とか洗ってたところだ。もしかしたらとトイレを出て向かって見に行くとそこにはハンドソープがあった。助かった・・・。みんなが食べるものを触るのだからこういうものは持ってきてるよね。これ使わせてもらおう。今日はもしかしたら切り抜けられるかもしれない。そのときはそう思ったんだ。

班に戻り丁度これからオリエンテーションが始まるところだった。これも懐かしい。養護学校時代にキーワードの言葉を見つけるためにみんなで協力してあちこち海、山と探したな。順番に班ごとに動き出しいよいよ11班。班で出会った同じサークルの友達は「さあみんなで見つけに行こうー」っと大きな声ではりきっている。ボランティアやる人ってみんなあんな感じの人が多いよね。それにしても元気印だな。おれも元気なほうだけどあんなに極端かね。歌のおねえさんかよ。友達がはるちゃんたちと手をつなぎどんどん前へ進んでいく。なんか置いてきぼりかんがあるのは気のせいだろうか。でも、別にいいや。おれあそこまでしようと思わないし、自然体で行こう。そもそも子供は子供と思ってない。考えてみろよ。おれたちが小学生の頃しっかり記憶があるし、ちゃんと物事を考えていた。人を見る目もあった。一見小さく可愛くて何も考えてないように見えるけどそれは先入観。

オリエンテーションはスタッフやボランティアのひとたちが作ったお店によりそこでゲームをクリアしてキーワードをもらえるという仕組みだった。独楽や剣玉、紙風船、羽子板など昔の遊びができたらクリアという何とも子供たちには難しいもの。みんな苦戦。はじめは見守っていたんだけどなかなかできないのでついに緑ちゃんが立ち上がる。昔の遊びなんて自分の世代もそうだけどなかなかやる機会ないよね。でもお兄ちゃんにまかせとき。こういうのオハコだから。学童や養護学校でたくさん遊んだから勘さえ取り戻せば・・・。
ほーらできた。調子に乗って独楽や剣玉の綱渡りや飛行機、地球一周を見せたら子供たちが大喜び。あれ、いつのまに子供に囲まれてる・・・。「どうやってやるの?」って言われたけど、「いやいや一朝一夕ではできないよ。ましてや君たちペーペーにはとてもじゃないけど」とおちょくると当然ゆすられ乗っかられバタンキュ。やり方を伝えまたその場から離れ子供たちを見守る。子供たちが喜んでくれたり真剣にやってる姿というのはとても見ていてうれしいし清々しいね。子供のことは好きだったけど、強迫で必要以上に避けてたかもしれない。将来子供たちに関わる仕事に就きたいなと考えた時期もあったけど諦めてた。考え直そうかな。そうボーっと考えてたらみんなクリア。おお、やればできるね。クリアしていきキーワードを集めて一つの言葉が完成。 「ふ れ あ い キ ャ ン プ」 そのまんまじゃん。

オリエンテーションが終わり各班ごとに自由時間になった。はるちゃんは警戒心が強く人見知りなんだけど驚くほど短い時間で心を開いてくれるようになった。友達がそれについて驚いていて、それもはるちゃんとられたとか冗談半分に言ってきた。いやいや、そんなつもりは。

ニコニコして眩しいひまわり笑顔のはるちゃんがぴったりそばにいる。はるちゃんと話してるとなんだか心の中の暗闇が照らされが全てが光になるような感じだった。学校での話とかいろんな話をしてくれたのを覚えている。それにしても何だろうね。この温かい気持ちは。こういうのふれあいっていうの。よくわからないけどさ。時間を忘れそう。

でも、自分は他にやることがあった。それは障害のある子に付き添わなければ。スタッフの人からぜひお願いしますと伝えられたのだ。はるちゃんにちょっとごめんねと言いその場から離れ少し遠くに行ってるその子の元へ。そこにいるスタッフと交代。こういうときはどうすればいいのかなど質問したり注意することなどを聞いた。特別なことはなく遠くにいかないように見守ってほしいということ。ただ心配なことができた。それはね、トイレ。一時間後には一緒に行ってほしいと言われた。わかりましたと言い、スタッフはバーベキューのほうへ。

自閉症の子を見守ると同じことを何度も繰り返していた。滑り台をすべってるんだけど何度も何度も滑り、急な長い坂を登りまた滑っている。自閉症の子はこだわりが強いというのは知ってるけど、ここまで強い子は初めて。それも一対一で接する。養護学校のときに自閉症を持った子がいたけど症状は比較的軽く自分の行動、考えはコントロールできてた。この子はそれができない。そして執着がすごく強い。息が上がってハアハア言ってるんだけど、その体の疲れを無視してひたすら繰り返している。あまりに苦しそうなので声をかけながら止めてあげようと試みるんだけどそれは強い力で振り切られる。これは相当なエネルギーを使うな。ボランティアというレベルじゃないぞ。各班いろんな障害を持ってる子を確認したけど、この子が一番接するのが大変な子だということが今になってわかった。おそらくトイレは・・・。

時間が経ってもひたすら滑り台をすべっている。この暑い中もう喉は乾いてるはず。自分で意思表示ができないのでスタッフからもらった水筒を渡すと手に取りごくごく飲んだ。しまった。。。飲んでお腹一杯になってももひたすら飲み続けるのだ。際限がないからこういうことも気をつけなければいけない。慌ててもう終わりだよと水筒を取り上げようとしてもがっしり強い力で握っていて取れなくもう遅い。大きい水筒一杯に入ってた水は全部その子は飲んだ。目の前で起こったことがちょっと信じられない。驚嘆。この分だとトイレ一時間後とかいわれたけど早めなければいけない。スタッフに水筒のことなどもっと細かいことをきいておくんだったと後悔。肩を強く抱き力でとりあえず滑り台から離し、人口の小川に連れて行った。ここでなら体への負担を軽くできると思い連れてきた。目の前の水をバシャバシャとばたつかせることをくりかえしてるだけなので幾分かさっきよりもいいのかな。自分の判断が正しいのか間違っているのか全然わからない。実際に接しないとわからないけど自閉症のことはある程度勉強しないといけないな。

この子は親といるときはどのような行動をとっているのだろう。やはり同じなのかな。それとも少し違うのかな。そんなことを考えてるともう30分はとうに過ぎた。あれだけ水飲んだからもうトイレ行きたいと思ってるに違いない。意思表示はないけど絶対連れていかねば。がっしり肩を抱いてーベキューのほうへ。なんとか行く方向についてきてくれる。きっとトイレいきたいんだろうね。バーベキューに着き、スタッフにトイレ連れて行きますと声を掛けた。班で力のある男が自分しかいないからほんと助かるよと言われた。11班のスタッフ、ボランティアスタッフは自分除いて全員女性。自閉症の子は男の子。そっか・・・。そういうことか。元々担当は決まっていたんだ。自分がやるしかないんだね。胸が張り詰め緊張が体と心を支配した。一歩一歩が重い。とても。できるなら進みたくない。一体どうなるんだ。大きくふーと気を吐いた。








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かけがえのない 3

2009年10月05日 00時17分13秒 | つながり
社協のスタッフの車に乗って山道を走り森林公園に着いた。
空き地に止まり車から降りて目の前を見ると大きな森林公園が見渡すかぎり広がっている。とても大きな公園。木漏れ日が差し込み緑豊かで自分がもうこの空間にのみ込まれた。スタッフに案内され奥へと進んでいく。ふくらはぎまで伸びている植物にふれたくなかったけどもうここまで来たら一つ一つ気にしてられない。これからは団体行動だ。自分のペースを維持するのは難しいだろう。

バーベキューができる広場が近づくにつれ人の声が聴こえ、そして姿が見えてきた。にぎやかだ。スタッフ、子供たち入れて50人以上はいる。子供たちがそこらへんを駆け回り、スタッフが大きな声でお弁当を取る班のリーダーを決めてくださいと呼びかけていた。みんなお昼の準備をしている。それぞれ班ごとにお弁当が配られているところだった。タイミングいいな。でも知らない人たちと食事か。友達がきてよくきたよくきたと。バンダナ巻いてもう雰囲気に溶け込んでる。スタッフと共に11班に連れて行ってくれた。緊張するな。友達に背中ポンっと叩かれじゃあと自分の班に戻っていった。一つのテーブルに行儀良く座っている班の前でスタッフに紹介された。記憶が飛んでいてよく覚えてないけど、自己紹介で軽く

「今日はみんなと楽しい時間を過ごしたいと思います。よろしくお願いします」

というふうに言ったと思う。なんか待ってたよと歓迎され拍手されて目立って恥ずかしかった。すぐにそそくさとテーブルについたんだ。
テーブルについて見渡すとスタッフが2名、大学生が自分入れて2名、高校生が1名、小学生が5名。その小学生の中にはるちゃんがいた。歳が一番下の小さな女の子。そして班には障害を持っている子がいた。各班にバランスよく障害を持ってる子が1人は入っている。その子は落ち着きがなくひきりに体を動かしている。スタッフが膝の上に乗せて落ち着かせようと必死。すぐに見てわかった。自閉症を持っているのだと。様子だとかなり重いほうに入る。お弁当が来るのを待っている間、スタッフから首から下げるネームプレートを渡された。少女まんがに出てくるような目がパッチリしてる女の子の顔が張ってある。その下に自分のニックネームを書くのだ。う〜ん、悩む。周りのスタッフ・ボランティアの人を見ると男女関係なく○○ちゃんと書いている。子供たちからすぐに覚えてもらえるニックネームにしている。でも抵抗あるな。今までこのような雰囲気というかそういうのに慣れていないせいか。あまり考えるのも何だし自分も「ちゃん」づけだ。そういうことで「緑ちゃん」になった。うん、半日の辛抱だ。

お弁当を班の代表の人が持ってきてくれて、全班揃いいたただきます。
キンピラ、甘煮、ソーセージ、からあげ食べてごはんをパクッ。
おいしい・・・。幕の内最高。森で食べるごはんってこんなにおいしいなんて。忘れてたよ。養護学校時代を思い出す。いろんな不安も薄れていきそう。それにしても静かな班だね。お弁当が配られるまでも行儀よくみんな待ってたし。様子だとまだみんなお互いに距離感というのがつかめていなくぎこちない感じ。会ってからまだ数時間しか経ってないからしょうがないけど。今日は自分から望んでここへ来たわけではないけどやっぱり楽しく過ごしたいよね。ここの場に来てわかったよ。おれはおれだったんだね。子供たちに話しかけてコミュニケーションを図り質問などいろんな話をすることに。その中ではるちゃんは恥ずかしがり屋で目もまともに合わせられない子だった。話し方もゆっくり。昼食でだいたいこの子はこういう感じなのかなというのが見えてきた。そして同じボランティアのスタッフの人も。特に同じ大学に通う後に親友となる人と仲良くなった。話してびっくりしたんだけど同じサークルだったんだね。見たことなかったから。登録だけはしてたみたい。話して少し緊張がほぐれてきた。でもまだ始まったばかりだからね。そう、これから。



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かけがえのない 2

2009年09月29日 23時56分03秒 | つながり
朝目が覚めてとても眩しいぐらい部屋に光が差し込んでいたんだ。
雲がポツポツしかない大空で快晴だった。

今日はどんなことがあるんだろう。この空とは違い心の中は憂鬱だった。
時間かかるトイレや身支度をした。少し体の匂いを嗅ぐとお好み焼きの匂いがしたので念入りに濡れタオルで拭いた。時間をみると9時を回っていた。ちょうどふれあいキャンプが始まった頃だな。まあ、でもどうでもいいしね、そんなこと。まずは自分の生活をどうにかしないといけないし。これで時間を少しでもつぶせるなら儲けもんだ。

家を出て電力会社に向かうときも自転車ゆっくり走らせた。電力会社に着き自分の順番を待っていた。働いてるスタッフの顔は見慣れた顔。時々ここには来るんだよね。電気がストップしたのは今回が初めてではないから。自分の番がきて2ヶ月分払った。そして案の定今日中での電気の復旧は難しいと言われた。しょうがない。今日も暗闇の中懐中電灯を灯すか。外に出るとものすごく暑かった。その時だった。友達から連絡が掛ってきた。それは早く来てくれないかということだった。キャンプではそれぞれ班に分けられていて自分が振り分けられた班が人出不足だということだった。一人いないだけでなんでそうなるんだ。これはほんとに行かなくては行けないんだな。11班ね、はいはい。わかったわかった。あ、そういえばおれどうやっていけばいいの。免許も車もないからさと言ったら、社協の人が迎えに来てくれるということだった。そっか。わかった。ちょっと残念。違う答えを期待してた。

なんかわるいな。遅れて迷惑を掛けても何とも思ってない自分を迎えにきてくれるなんて。きっとみんな人間的にできた人なんだろうね。あーいうことしてる人たちってなんていうのかな。別世界っていうか、引くっていうか。絶対おれ浮きそうだし。

アパートに戻り携帯の着信が鳴るのを待っていた。社協の人が来たらワン切りしてくれるらしい。もう11時とっくに過ぎてるな。夕方からアルバイト入ってるし、おれは何しにいくんだろうね一体。鳴った。すぐに外に出て社協の人がいて車に乗った。メガネ掛けて撫で肩で見た目からしてすごく優しそうな人。忙しいときにわるいねとか言われて。いえいえ。とんでもないです。車はしらせ森林公園が近付いてくるにつれなんだか緊張してきた。今まで他人事のように考えていたから心の準備ができてなかったんだね。ここにきてそれがやっとわかったよ。スタッフさんと話してるけど何を話しているのかも頭の中に入らない。出るからには責任は持たないといけないし、強迫もあるし、知らない人たちとも会うしもう頭がごっちゃごちゃ。自分はどのように振る舞えばいいのか見当がつかない。もうなるようになるしかないな、ほんと。フー。


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かけがえのない

2009年09月27日 02時40分52秒 | つながり
静かだな。とても。

自分自身の時間というのはこういうことを言うのかもしれない。
聴こえるのは自分の吐息だけ。

あの頃を振り返ること、あの頃に戻る機会なんてないと思ってた。
必要ないことだと思ってたから。

考えればもう3年以上か。

はるちゃん、家族との出会いは大学3年の夏のこと。



期末試験が終わり夏休みに入ろうとしていた。試験が終わっても空手道部・茶道部・サークル・バイトで忙しい日々を送っていた。深夜帰って寝て、朝シャワー浴びて田んぼ道を自転車飛ばして出かける日々。充実してたと思う。時間が経つのも早かったし。ただ同じ日々の繰り返しだった。その中でサークルにある誘いがきた。それは「ふれあいキャンプ」に参加しないかということだった。それは健常の子、障害を持ってる子供たちみんな森林公園でアスレチック、バーベキュー、キャンプファイヤーをして一泊二日のキャンプをしようという内容だった。自分たち大人は子供たちが楽しく過ごせるように運営する立場でようするにボランティア活動。毎年地元の社会福祉協議会(社協)が呼びかけていて地元の小学校から社会人までありとあらゆる人が参加している。大きなイベント。今まで知らなかったのがうそみたい。おそらく興味ないから耳にも入らなかったし目にも入らなかったんだろうね。忙しいし。だから断わった。一番重点を置いている空手道部、そしてバイトに影響するし、迷惑は掛けられない。どちらも責任ある立場なんだよね。まあ、二つとも少数精鋭だから。そして何より強迫があったから。当時土も触れなく、小さい子供にも触れただけで手を洗いたくなる衝動が起きる。ましてトイレやシャワーなんてどうするんだよ。そんなリスクおかしてたまるかよ。おれの代わりなんていくらでもいるし。バッサリしつこく参加しようという友達を退けた。

はずだった。だけど日にちが近くなって友達がますます参加しようと言ってきた。なんかサークルから何名出してほしいという依頼が来てるらしいのだ。知るかよそんなこと。その後も断わり続けた。

でもその根気についに折れた。日中だけだからね。夕方からバイト行くから。そう約束。空手道部の後輩に当日出れない、メニューはいつも通りと伝えた。マジであり得ないほんとに。キャンプで何が起こるかほんとに予想がつかない。キャンプ数日前だけど気を引き締めた。ふー。

キャンプが前日に迫った深夜0時近く、バイト終わりくたくたでアパートに帰り玄関のドアを開け、いつもどおり玄関前の電気のスイッチを押した。パチっと。あれ?つかない。パチパチっとやってもつかない。球が切れたかと思って暗闇の廊下をトイレのノブにふれないよう右側に寄りながら部屋に入りスイッチを入れた。パチっ。パチパチっ。
うそだろ。電気止められたし。マジでやってくれんじゃん。
よりによってキャンプ前日に。あまりにもタイミングがわるすぎる。これは一大事だ。

強迫で玄関のドアにある郵便開けを開けなく電気料金を払うことをいつも後回しにしてた。強迫なのに友達を家に呼んで自ら追い込んだツケがここできた。掃除するの疲れるから日常生活でふれるもの使うもの最低限のものだけきれいにして日々を過ごしていたんだ。バカだなおれ。電気払わなければ日常最低限の生活は送れないのに。そのうち払いに行こうと思ってたんだけど。

どうしよう。。。 トイレ行きたいけど暗くて洗えたかどうか見分けつかない。ん?まさかガスも・・・。ガスレンジのスイッチ押してもパチパチパチと音がするだけ。
やられた。マジで。混乱する自分を抑えようと必死。切り替えろ。とりあえず今はトイレだ。近くのネットカフェに行って済ませよう。それからだ。もらしてたまるかと猛ダッシュで自転車夜道ブッ飛ばしてネットカフェで済ませた。超スッキリ。ショピングセンターの近くでよかった。冷静にこれからやることを考えた。まずはコンビニ行ってアパートにある懐中電灯の電池を買おう。電池を買いアパートに戻り部屋から懐中電灯見つけ出し、外に出て明りの前で電池をセット。これでよし。暗闇の廊下、部屋を照らしパジャマに着替えた。そして明日一緒に行く友達に深夜にそのことを連絡した。
当然それはないだろうと言われた。謝って明日料金払いに行くからとちょっと遅れると一方的に伝え通信切断。


いつも通り寝袋のチャックを全開に開けていたその上で横になった。以前家に入れた友達が泥酔して吐いたため、唯一の布団が使えなくなり押し入れに封印してある。そのため寝袋なのだ。寝袋は友達からもらった。これでマフラー首に巻いて冬も越す予定。
それにしても暗闇を懐中電灯の光で照らして見える部屋の光景はなんだか幻想的だ。自分の部屋ではないみたいだ。近くにちらかってる物が全て命を宿しているように感じる。

携帯で時間見るともう午前2時回ってた。

もう寝ないと。

懐中電灯のボタン押して消し暗闇に包まれた。


長い夜だったな。

                             
 



                                 


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