LO(O)SE40!

緩く自由に色んな物をどんどん海に投げていく旅の始まり

盆入り

2017年08月13日 03時35分11秒 | Weblog
お盆といっても家族はみんな近所に住んでるし、お墓も近いし、みんなで集まってご飯食べて、迎え火焚いて、送り火焚くだけの我が家のお盆。

今年は予定が会わず実家で本日集まって飲めや騒げや。久々に会ういとこなんかも来たんだけどね、もう本当にうるさいんで私は早々においとま。

広島と長崎の原爆慰霊の日が続いて、日航機墜落の日が来て、お盆に入って、終戦記念日で終わる。
毎年毎年の繰り返しだけど、どんどん世代交代して語る人も少なくなるから、絶えず色んな媒体で繰り返し訴えて欲しいと思う。

あと、沖縄以外に本土戦があった事を知らない人もいてびっくりするのですが、当時日本だった樺太と占守島(千島列島の一番ロシア寄り)にソ連(当時)が攻めて来たのは終戦後の8月19日です。日本軍は武装解除中の青天の霹靂の出来事でした。
樺太は沖縄と同じく激しい戦闘で沢山の人が亡くなり、集団自決をする人達もおり、生き残った男性はシベリア送り、女性は売られたり、犯されたりだったと聞きます。
なぜ、同じ日本の軍隊で、ここまで違うかと思うのが占守島での戦いで、ソ連が攻めてくる事を知った日本軍は急遽戦闘準備をすると共に、
ニチロの缶詰工場に学徒動員で来ていた女学生達や地元の老人、子供達をどう逃がすかを考えます。軍隊とニチロで協力し、前で戦闘し、女学生達を後ろに送り、ニチロの輸送船に女学生達を乗せ、ピストン輸送で本土(北海道)に送り、生きて逃す事が出来ました。
また日本軍の戦死者も多かったのですが、それをソ連の戦死者が上回るほどこの師団は精強だったとも言われます。
そこでやっと講和が成り立ち、本当に戦争が終わったのでした。そして千島列島は北方領土より向こうはソ連領となったのです。そして生き残った男性はシベリア送りになりましたが、女学生達は助かったのです。
占守島での戦闘で負けていたら、そのまま北海道まで占領されていたかもしれません。そうなっていたら日本が朝鮮半島と同じ様な分断国家になった可能性もあります。

そして、沖縄戦でも樺太戦でも女子供を本土に帰そう、と軍人達が思ってくれていたら、と思います。同じ日本の軍隊でこの違いは何だろうと思う。
沖縄の女学生も占守島の女学生も自分で選択出来る立場ではないので、従うしかありません。
従うしかないからこそ、上に立つ人で大きく道が別れてしまう。
占守島では司令官が「戦うのは軍人だけでいい」と言ったそうです。

子供の頃、ひめゆりの塔を読んでワンワン泣いたけど、大人になって、あの子達があんな思いする事なかったんだと思うとまた泣けてくる。

戦争を美化し、良い話のように言う人がたまにいるけど、ありゃあ何だろうね。色んな歴史の折々に素晴らしい武士や軍人がいてヒーローになったりするのは分かるんだけど(例えば沖田総司ファンとか山本五十六ファンとか)、戦争や争い自体は別だよな。過去があって今があるから、彼らが戦ったお陰だというなら、自分が生まれて来なかったかもしれない戦争の無い世界の方がいいね。

何の話だ。

そうだ、散々煽っといて里帰りして盆踊りしてるあいつの事書こうと思ったんだ。まあ、あいつの事はツイッターで散々言ってるからいいや。

ゆきゆきて神軍も上映始まったし、例年に増して、戦争について考えさせられる今年の夏ですが、時間もあるしゆっくり向き合いたいと思います。

おやすみなさい。
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