何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

一朝の夢を万年つなぐ

2017-08-10 23:30:15 | 
「一朝の夢、つなぐ想い」 「朝顔同心とチャカポン様の’’夢 幻’’」より

武家の家風に馴染めない事や 兄妹たちの誰にも似ていない事を人知れず悩みながらも 朝顔に入れ込んでいたところ、厄介三男にもかかわらず突然 家督を継がねばならなくなった、興三郎。
長く誰からも必要も期待もされぬまま、武士として為すべき業を為そうと武芸・学問・茶道と努めた結果、チャカポン様と言われていたところを、国家の危急に際し突如表舞台に駆り出された、宗観。

二人は、自分のいたい場所 いるべき場所、為すべきことを絶えず思い悩んでいた。
そんな二人が立場を超えて、ただ ’’黄色い朝顔’’ だけを介して語り合う内容に、私は強く打たれた。

興三郎が宗観に云う。(『 』「一朝の夢」(梶よう子)より引用)
「20年弱、交雑を続けても黄色花は咲かせることができていない、黄色の朝顔は、夢の花」
『しかし朝顔そのものが夢の花だと私は思っています。
 どんなに美しく咲いても、花は一日で萎れてしまいます。
 つまり・・・槿花、一朝の夢、です』

「何年も交雑を繰り返しながら咲かせることが出来ないのでは、失敗ではないか」という宗観の問いに対し、
興三郎は応える。
『この交雑では咲かないのだと学ぶことができたわけですから、いいのではないでしょうか。
 間違いだった、失敗だったと考える必要はない』
『(交雑の過程で隠される弱い性質も)消えてしまうわけではありません。
 そのときには出現しなくても、必ず残っていて、次に繋がっていくのです。
 本当に失敗だったかどうかは、ずっと後に判断すれば良いことです』

『朝顔はどんな花でも一年です。その年に芽を出し、葉を広げ、花を咲かせ、枯れてゆきます。
 次の年には同じ花と出会うことはありません。~略~私は常にこのとき限りの出会いと思って育てています。
 おそらく花もこのとき限り咲くのだと』

本書は謎解きの要素もあるので詳細は記さないが、国家の危急に際して突如駆り出された宗観が、朝顔にかける興三郎から得たものが大きいことが分かる言葉は、記しておきたい。
『儂はな、あることについて、ずっと考えておった。
 儂の行ったことが果たして正しかったのか、間違いであったか。今、いる場所がふさわしいのか。
 だが、お主の話を聞いて、得たものがあった。早急に答えぞ出さずとも良いのだとな。
 今出来る最善のことをすることが肝要なのだと』
『朝顔は己の花で子を為すか。だが、別の花同士で子を為せば、思いも寄らぬ花になるとな。
 小さなところに留まらず、広く見渡せば、様々なものが生まれてくるやも知れぬな』
『この小さき国でいがみ合っている場合じゃないの・・・・・』

一朝の夢である朝顔と、その向こうの万両に残る蝉の抜け殻


この問答に心打たれた理由などを認めようかと思ったが、今朝(写真の)この場面に出会ったおかげで、それが何とも無粋なことだと気付いたので、迷ったときには又この問答を読もうと心に決め、我が心の屈託を記すことは止そうと思う。
が、一言決意を、’’一朝の夢を求め繋ぐため、何十年でも今出来る最善の努力を続けるべし’’

無粋な追記
「夢幻花」(東野圭吾)では、黄色い朝顔の種にある幻覚作用が世に出ることを恐れ、江戸時代から現在に至るまでお上の命を受けた者が、黄色の朝顔を取り締まってきたという筋書きだが、本書「一朝の夢」では、お上の中心にいた御方が、朝顔に夢を託し 黄色い朝顔の作出を願っていたことになっている。
「一朝の夢」の五年後に出版された「夢幻花」
同じ題材を用いる時、作家さんは他の作品を考慮することがあるのだろうか、ふと そんなことが脳裏をよぎった。

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