何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

産声をあげたくない世の中

2016-09-13 00:05:15 | 
「ピアノの中の羊の大なるもの」 「火宅がもたらす亡国」より

「羊と鋼の森」(宮下奈都)にある『赤ん坊の産声は世界共通で440ヘルツなのだそうだ』という一節から「リア王」(シェークスピア)を思い出し、かなり好き勝手な解釈を書き散らかしたことをもって、産声論は終わりにするつもりだったのだが、続くときは続くもので、週末読んでいた本にも産声にまつわる話があった。(もっとも、江戸時代の女性産婦人科医の物語なので、それは当然と云えば当然なのだが)

「花冷えて」(あさのあつこ)
闇医者おゑん秘録帖シリーズの第二弾「花冷えて」の主人公・おゑんは、医師であった異国人の祖父から医術を伝授された女産婦人科医であった。
おゑん本人もわけあって表舞台で活躍することを望まないが、いつの時代も表に出せない事情を抱えた女たちはいるもので、そのような女たちの心と体を闇医者として、診る。 (参照、「光が医師 ワンコを治しておくれ」
シリーズ第一弾で、おゑんが「どうしようもない」という言葉で人生を諦めるな、『女の前にはね、存外多くの途が延びているもんなんですよ』と励ましたお春(若旦那に弄ばれたうえ胎をおろすように命じられ闇医者を訪ねた)は、第二弾ではおゑんの片腕として立派に働いているのだが、ここにやはり大店の旦那に弄ばれた女中お竹が、女将に伴われやってくる。
この大店の旦那、何年にもわたり取っ替え引っ替え女を囲ってきたにもかかわらず女房も含めてただの一人も妊娠しなかったのだから、女中に胎ができたことが望外の喜びであったのは確かだが、他所の女に胎ができたというだけでなく、この大店は家付き娘の女房のもので、旦那は入り婿であったことから事はより厄介であった。

家付き娘の女房が、自分と血の繋がりのない人間に店を家を継がせるつもりはないと言い、女中を胎おろしのために闇医者おゑんの所につれてきた思惑と裏腹に、入り婿の旦那は、おゑんに胎をおろさないでくれと頼むのだが、その物言いがおゑんの気に障る。  (『 』「花冷えて」より引用)
『子は欲しいと言うけれど、お竹(女中)を愛しいとは一言も洩らさなかった。手籠め同然に抱いた女より、血を分けた子の方に心は動いている。ここにもまた、女を子を産む道具としか見ていない輩がいる』

男は、女を子を産む道具としか見ていないかもしれないが、女にも自らを立てる道具として子を利用しようとする輩はいる。
この女中はまだまだ幼くそこまで狡猾ではないものの、理ない仲になったのは旦那だけでなく、幼馴染とも通じていた。
果たして、どちらの子かは、お竹自身にも分からない。
結局、一人で子を産み一人で育てる道を選ぶお竹だが、このような状況であることをお腹の胎は察知していたのであろうか、生まれ落ちても産声をあげない。
『赤ん坊の最初の一声はどんな言葉より大切だった。産声とは、生まれてきた証であると同時に、母の胎内で水に浮かんでいた胎が、母と身を分かち一人、この世で気息を始める、その一息を吸うための欠かしてはならない呱々なのだ。人の赤ん坊は泣いて、生きるための最初の手立てを得る。それしか方法はない。』

だが、お竹の生まれたての子は泣かない。
おえんは、赤ん坊の尻を思い切り打ち声を掛け続ける。
『おっかさんの乳を飲んでみたいだろう。抱っこされたいだろう。かわいい、かわいいと抱きしめられたいだろう。だったら泣くんだ。息をするんだ。この世が極楽だなんて口が裂けても言えやしないさ。楽しさより辛さの方がはるかに勝っている。信じるより憎み合うことの方が多いだろうね。
でも、生きてみる価値はあるんだよ。あるからこそ、生まれて来るんだからね。お泣き』

リア王は、『We came crying hither. Thou know’st the first time that we smell the air, We wawl and cry. I will preach to thee. Mark me. When we are born, we cry that we are come To this great stage of fools.』と嘆きながら、この世を去るが、 おゑんは、そんな世の中でも「生きてみる価値はあるんだよ」と赤ん坊に語りかける。

馬鹿者どもの舞台に引きずり出されたことを一生悔んで生きるのか、生きてみる価値はあったと感じながら生きるのかは、いつの時代にあっても一人一人の人生観により異なってくるのだろうが、総じて社会がヒステリックになってきていることは間違いないようだ。
「羊と鋼の森」によると、『ピアノの基準音となる音は、学校のピアノなら440ヘルツと決められている』そうだが、最近では基準音が狂ってきているという、赤ん坊の産声と同じ440ヘルツが悲鳴をあげている。
そのあたりについては又つづく
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