何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

患者と医師は問いかける

2017-02-13 20:30:00 | 
「医師は語る」 「患者のクラスメートは語る」 「臓器は問いかける」より

知念実希人氏の「仮面病棟」と「時限病棟」はシリーズ化されるかどうかは兎も角、連作ミステリーであり、「仮面病棟」が強盗犯が人質の女性を連れて立てこもった療養型病院(田所病院)の謎に迫るというものなら、「時限病棟」はその事件から数年たち廃病院となった田所病院で再び起る事件を通して「仮面病棟」における真のワロモノを炙り出そうというものだ。

「時限病棟」は出版から間もないミステリーなので、謎解きに関わることを記すのは控えるが、両作品の背景には何か良からぬことが’’隠されている’’。
’’隠されている’’とはいうものの、それは推理役の速水医師が鈍感でなかなか気づかないだけで、読者は出だしのp27『(田所病院は療養型にもかかわらず)リノリウム製の床と壁は磨きこまれた光沢を放ち、壁の棚には十分な点滴薬と薬剤が備わっている。なぜか手術用のベッドが二つ並んでいて、両方の頭側には新型の麻酔器が置かれている。そこはまるで、大学病院の最新鋭の手術室のようだった(「仮面病棟」より)』あたりで 「これは違法な臓器売買を手掛けている病院の話だな」と気づくので、それをここで記したとしても問題ではないと思っている。

ミステリーとして読めば万事この調子で、ほぼ先が読めてしまうのだが、現役の医師が書いている点に留意すれば、臓器移植が抱える問題が一向に解決していないことを考えさせられる。

両作品の舞台となる療養型病院(田所病院)には、身寄りのない患者、身元の判明しない行き倒れの患者が多く収容されており、しかもその多くが昏睡かそれに準じた状態で、意識が戻る可能性は極めて低い。従って、彼らから臓器を摘出し、移植を待つ患者に密かに移植したとしても、誰かに気付かれる恐れも咎められる危険も低い。ここに目をつけ違法な臓器売買に手を染めた者達の目論見を暴いたり復讐したりを、強盗や監禁劇で脚色しているのが両作品だ。

つまり、この両作品の前提には、日本で臓器移植法が施行され30年(1997年に脳死臓器が移植可能となり、2010年に15歳未満の小児の移植が可能になる)移植を待つ人の数に比べて提供を申し出る人の数が圧倒的に少ないという問題が解決していないという現状がある。

身寄りのない、あるいは身元の判明しない昏睡状態の患者から取りだした臓器を高額で移植することを、推理役の速水医師は厳しく問い質すが、これへの反論にも読むべきところは、ある。
『いったい何がいけないっていうんだ!~私は入院患者の腎臓を腎不全の患者に移植した。それがどうしたっていうんだ!私はただ人助けをしただけだ!』
『君だってこの病院の患者たちを見てきただろう。多くの患者が昏睡や、それに準じた状態だ。もう意識がはっきりと戻る可能性はほとんどない。彼らはたしかに体は生きているが、もはや人間としては死んだに等しいんだ!』
『意識のない患者に胃瘻や経鼻チューブ、中心静脈への点滴で強引に栄養を与え、腎不全患者には透析を繰り返し、ちょっとでも熱が出れば抗生剤を大量に投与する。そんなのが患者のための医療だと思うのか!けれど、今の日本ではそんな強引な延命治療が普通に行われている。~略~』

臓器移植は本人の意思表示と家族の同意を要件としているため、「臓器農場」(帚木蓬生)の無脳症児からの臓器摘出や、「仮面病棟・時限病棟」の昏睡状態にある身寄りのない患者からの臓器摘出は違法であり、ましてそれを高額で売買するのは犯罪以外のなにものでもないが、帚木氏と知念氏という二人の医師が描き出しているのは、違法な手段による臓器移植の悪だけではないはずだ。
そこには、私達読者が、「命と、生と死を如何に受け留めるのか」という厳しい問いかけがあるのだと、思う。

『無脳症児は神様の贈り物』
これは、「臓器農場」にある言葉だ。
(生まれるなり死ぬことが確実な)無脳症児の臓器を移植することにより多くの幼児の命が救われることを「贈り物」と話す看護師。
これは、「仮面病棟」の医師の言葉に通じるものがある。
『自分の臓器で人助けをすることができたんだ。喜ぶんじゃないかな?』

命は何よりも尊いが、その命が取り替え可能な部品で支えられているとなると、違法売買、行き過ぎた科学の転用という問題が生じてくるのではないだろか。

それは「臓器農場」に登場する少年の言葉に端的に表れている。
この少年は、臓器移植をしなければ余命いくばくもないのだが、「臓器移植はドーピングと同じだ」という。
この少年は推理役の看護師に「これまで生きてきて何が一番嬉しかったか?」と問うが、看護師には2~3の答えしか見つからない、それは多くの読者も同じではないだろうか。
しかし、この少年は『僕は数えきれないほどあるよ』という。
少年が嬉しかったという『石でとんぼを打ちおとしたこと。雀の餌付けに成功したこと、みかん山で弁当を食べた事』は、大人からすれば些細なことかもしれない、あまりに些細なことであるが故に却って涙を誘うほど些細なことかもしれない。
だが、少年は『想い出すのを止めないと(嬉しかったことは)次から次へと出て来るんだ』という。
そして少年は、その会話の最後にこう告げる。

『だからもうドーピングはしなくてもいいと思うんだ』

この言葉が私の印象に強く強く残っているのだが、「仮面病棟」にある医師の言葉もまた重い真実だ。
『腎不全は大変な病気だ、腎臓が完全に機能していない状態を放置すれば、一週間もたたないうちに命を落とす。それを防ぐためには、透析による血液浄化が必要だ。ただ、透析はかなり辛い処置なんだよ。週に三回、太い針を刺して、数時間掛けて全身の血液を機械の中を循環させて浄化する。それを一生続けていくんだ。』

「臓器農場」の優しい少年を記憶のなかのA君に重ねてきたのだが、A君を苦しめていたのも腎臓の病だということを改めて考えると、私としての答えはでない。「患者のクラスメートは語る」
だから これからも一生懸命に考えていこうと思っている。


追記
「仮面病棟」をミステリーとして読めば、その謎解きは極めて容易だが、これを褒め称えている後書き(解説)で、法月綸太郎氏がこんなことを書いている。
『・・・・・ところで、本書のタイトルとある登場人物の名前から、某ミステリー作家が1990年に発表した某長編を連想した。作品の狙いは異なるけれど、冒頭のシチュエーションが似ているからだ、念のため、具体的な作品名は伏せておくが、ひょっとしたら知念氏は某作家へのリスペクトを示すため、意図的にそういたのではあるまいか。』

「仮面病棟」の主人公が医師である速水であるため、某ミステリー作家の某作品とは、名だたる救命救急医・ジェネラル速水を主人公とする「ジェネラル・ルージュの凱旋」(海堂尊)かと思ったが、出版年次が異なっていた。
はて、知念氏がリスペクトしているかもしれない某作家とは誰であろうか?
私には、法月氏の謎かけの方がよほど解き難い感じがしている。

ちなみに、海堂尊氏もまた医師と作家の二足のわらじを履く作家さんである。
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 臓器は問いかける | トップ | バラは赤、というけれど »
最近の画像もっと見る

」カテゴリの最新記事