何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

片葉を合せておくれ茂七親分

2016-10-15 13:45:30 | 
「その名は、もう一人の自分」より

宮部みゆき氏というと、私が真っ先に浮かべるのが「本所深川ふしぎ草紙」の第一章「片葉の芦」

本の背表紙で、『近江屋藤兵衛が殺された。下手人は藤兵衛と折り合いの悪かった娘のお美津だという噂が流れたが……。幼い頃お美津に受けた恩義を忘れず、ほのかな思いを抱き続けた職人がことの真相を探る「片葉の芦」』と紹介されている、この作品が数ある宮部作品のなかでも、いっとう好きだ。

『近江屋藤兵衛が殺された』という一文で始まる本書。
藤兵衛のような人が殺されるなんて意外だ、と言いたいのか、藤兵衛のような人間なら殺されても止むを得ない、と言いたいのか?
冒頭のたった一行で、すっと話に引き込んでしまう’’力’’がある導入だと思うが、私に物語の導入の重要性について教えてくれたのは、小学校3年生の国語の授業「太郎こおろぎ」だった。

『たしか、まだ2年生か3年生の頃でした』
「太郎こおろぎ」が、この一文で始まることに、先生は甚く感心しておられた。大人が読めば、子供時代が甦り物語に引き込まれるし、子供が読めば、同世代の話だけに関心を高められるという。だが、そのような効果論はともかく、「たしか~」という書き出し方が珍しい、と力説しておられたのを覚えている。
この冒頭のおかげか、先生の熱心な授業のおかげか、転勤族で転校することが多かった私に共感を感じさせるストーリーだったせいか、「太郎こおろぎ」は今も私にとって懐かしい話である。

それはさておき、「片葉の芦」
『近江屋藤兵衛が殺された。』
当初は追剥の仕業だろうと思われたが、日頃から父・藤兵衛と娘・お美津の間に諍いが絶えなかったことに目をつけた十手持ちの茂七親分は、娘・お美津を疑った。

近江屋は藤兵衛が一代で築いた寿司屋だが、そのウリは、越後から特別に買い付けた米と跳ねるような魚、という在り来たりなものではなく、藤兵衛が始めた習慣のせいだった。
藤兵衛は、宵越しの飯は使わない。それが証拠に毎夜店じまいには大川に、その日残った残飯を全部捨ててしまう、この習慣が、見栄っ張りな江戸っ子にやんやともてはやされ、江戸一の店と言われるまでになるのだが、まずもって娘お美津は、残り飯を捨てるという行為が気に食わない。
そのうえ、近江屋のせいで立ち行かなくなった店を情け容赦なく買い上げ分店を拡げていくという藤兵衛のやり方に「鬼だ」「守銭奴だ」となじる連中まで増えてきたのだから、お美津としては我慢ならない。

お美津は『江戸の町には、次の御飯のあてさえない人が大勢いる。それなのに、ただ見栄のために毎日たくさんの残飯を捨てて憚らないのは、殺生で、思いあがったやり方だ』と憤り、道端で腹を空かせた子供を見ては、父の目を盗んで残り飯を分け与えていた。
そんなお美津の残飯に救われたのが、12歳の彦次だった。
質(たち)の悪い風邪で父が亡くなった後、母と幼い弟と3人は暮らしていくために何でもやったが、ぎりぎりの綱渡りの生活も、母が倒れてしまったことで、ぷつりと切れてしまう。
もう、3日も食べるものなく雨に打たれながら軒下に座り込んでいた、そんな時に彦次は、お美津に出会ったのだ。

ずっと食べていないように見える彦次に、お美津は温かい握り飯を差出し、「明日もいらっしゃい。うちには御飯ならたんとある」と言う。ただ、父の目を盗んで御飯を持ち出せる日ばかりではないため、合図を決める。
片葉の芦が窓のさんに立てられている時は、「ご飯あり」。

だが、これは長くは続かなかった。
藤兵衛に見つかり、彦次は『(お美津が分け与えている御飯は)大川に捨てる飯だ。それをもらいに来ているおめえは、そこらの犬と同じだ。それでいいのか?犬に成り下がってもかまわないのか?』 と怒鳴られたのだ。
お美津は泣いて父の非礼を詫びるが、彦次は『お嬢さんに助けてもらったお返しができるようになってみせますから』と感謝の言葉を残して去り、これを機に蕎麦職人のもとに奉公にあがり、10年以上の年月を経て、彦次の蕎麦に客がつくまでになっていた。

ただ、話はこのまま終わらない。
彦次は、お美津の藤兵衛殺しの疑惑を晴らす過程で、藤兵衛の真意と真実を知る。
藤兵衛は言っていたという。
『商いも、生きていくことも、本当に厳しいことだ。だからこそ、人に恵んでもらって生きることをしちゃいけねえ。
 恵むことと助けることは違う。
 恵んだら、恵んだ者は良い気持かもしれないけれど、恵まれたほうを駄目にする。』
藤兵衛はこの信念のもと、暮らしが立ち行かなくなった子供に、陰ながら仕事を与え、時には金を貸し、又きちんと返済も受けていたのだ。

全てを知っていた番頭は、「お美津は商いの厳しさを知らずに育ったため、’’恵む’’ことと’’助ける’’ことの差が分かっていなかった、父が受ける批判を、誰彼かまわず’’恵む’’ことで埋め合わせていただけ」と暗に詰る。それを裏付けるように、何年かぶりに挨拶に訪れた彦次の顔を、お美津は覚えていない。

あの片葉の芦は何だったんだろう、と落ち込む彦次に茂七親分が、更に意外なことを告げる。
藤兵衛は、彦次に残り飯を分けることを禁じて放っておいたのではなく、陰ながら、彦次に働く口を見つけてやり、見守り続けていたのだと。

10年他人の飯を食い修行した彦次は寧ろ藤兵衛の真意が分かり、一方通行だったお美津への想いを’’片葉の芦’’に重ねるが、’’片葉の芦’’に例えられるのは、彦次の淡い思いだけではないと思う。

’’恵む’’ことと’’助ける’’ことは確かに違う。
だが、病の母と幼い弟を抱え3日も食わず、他家の軒下で雨にうたれながら座り込んでいた12歳の少年に、兎も角必要だったのは、人の温もりと夢ではなかったか、それがなければ、藤兵衛の長期的’’助け’’の前に、彦治は潰れてしまっていたかもしれない。

藤兵衛の理屈はどこまでも正しいとしても、私はお美津の素直な気持ちも私は大切にしたい。
少なくとも彦次にとっては、どちらが欠けても生きていくことは出来なかったかもしれない、と思う時、この父と娘のそれぞれの思いもまた’’片葉の芦’’だったように感じられるのだ。

人の想いや行動は、もしかすると何時だって’’片葉の芦’’なのかもしれないが、根っ子にあるのが人の幸いを願う心なら、補い合って大きな1枚の葉っぱ、涙雨に濡れる人を覆うような大きな葉っぱを作ることもできるはずだ、そう感じさせてくれた「片葉の芦」が、宮部作品の中でもいっとう好きだ。
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 風が運ぶノーベル文学賞 | トップ | CHANGEをチェンジし CHANCE... »
最近の画像もっと見る

あわせて読む