何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

歩兵

2015-03-22 00:22:26 | 自然
この二日ばかり祇園精舎の鐘の音が耳に響いて、沈んでいた。

原因は、メダカ。

大きな睡蓮鉢には2013年3月から一匹のメダカが、小さな睡蓮鉢には2012年9月から金魚すくいの金魚が二匹暮らしている。

金魚にも色々ドラマがあるのだが、ともかく今はメダカの話。

2013年3月末はじめて10匹のメダカを睡蓮鉢に放した時には、仲良く楽しそうに見えたのだが、さすがに「メダカの学校」といわれるだけのことはある。
すぐに派閥ができて、抗争が始まり数が減り、数が減っているのに仲間はずれをし、結局残ったのは一匹。
一匹では寂しかろうと又8匹ほど睡蓮鉢に加えたが、派閥ができ抗争が始まり仲間はずれをし、残ったのは一匹。

あと2回ほど同じことを繰り返し、ついに、このメダカは一匹で生きていく運命なんだろうと思い、2013年5月以降は大きな睡蓮鉢で一匹で暮らすのを見守ってきた。
何故いつも一匹生き残るメダカが、同じものだと分かるのか?
他に何匹いようとも、いつも一匹で隅で固まっているそのメダカには、エラから背びれにかけて黒いブチ模様があるので、きれいなヒメダカの中では、一目でそれと分かったのだ。

睡蓮鉢の底に堆積した泥と同じ色のメダカは、泥にもぐって昨冬を越したが、この冬は何度も水面が凍結する厳しい寒さで、3月水がぬるんでも日向ぼっこに現れないので、諦めかけていたところ、19日の朝水面を泳ぐメダカを見付けて人知れず感動を覚えていたのだ。
よくぞ、あの寒さを泥にもぐって一人で耐えたと。

これを家人に伝えておくべきだったが、忙しない朝のこと、そのまま出掛けて夜帰宅すると、睡蓮鉢の水が抜かれて睡蓮の根が埋まるだけの泥が残っているのみ。

生き物を喪った泥水が温み傷む前に「奇麗にしておこう」という家人の気持ちは分かるし、メダカが越冬してくれたことを伝え損なった自分の手落ちもあったので、誰も責められないまま、沈んでいた。

他とは違うみにくいブチ模様をもち、最初から誰とも交わることなく一人で過し、寒い冬を泥にまみれてやり過ごし、やっと温かい春が来ようとしているのに、突然水が抜かれて生きていけなくなった一人ボッチだったメダカ。

なぜだか卒業式の日の担任の先生の言葉が浮かんだ。

人生は自分一人で頑張らなければどうにもならない時があるが、自分一人で頑張ってもどうしようもない時がある。
人間は将棋の駒のようなもので、直進しようか斜めにかわそうか自分で決めているようで、その実は上から誰かが勝手に動かしているとしかいえない時がある。
逆らっても仕方がないものには逆らわず、連れて行かれたところで頑張るのも、次を切り開く良い一手だ、と。


長い人間生活を送るなか、この言葉をかみしめる経験は一再ならずしてきたが、日差しのきつい夏も水が凍結するほどの厳しい冬も一匹で頑張っていたメダカの最期が、いつも水面を上から覘いていた人間の手によるものだという事に、言い知れぬ侘しさを覚えて、沈んでいる。

今日は踏ん切りがつかなかったが、「よそうはうそよ」(2/18)によると明日も晴れだというので、お彼岸らしく西方を拝んでから、睡蓮鉢の底に残る泥を取り除いて睡蓮を植えなおそうと思っている。
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