何を見ても何かを思い出す

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「球道恋々」に、恋々④  人生の真骨頂

2017-10-14 21:00:00 | 
「ニーチェに優る野球、に優るワンコ」 「球道恋々に、恋々①」 「球道恋々に、恋々②」 「球道恋々に、恋々③ノー・コンディション」と、「球道恋々」(木内昇)について書いてきたが、いよいよ今回が完結編。

元藩士や華族の子弟が多いなか、下町の職人の子ながら旧制一中(後の一高)に進学し文武両道に邁進した青春時代を持つ主人公・銀平。
万年補欠ながら野球に打ち込む一方で、五人に一人は進級できぬという厳しさを乗り越え、東京帝国大学への進学も可能だった銀平。
その帝大進学を前に父が病に倒れたため、家業の表具屋を継いだものの手先の不器用さから表具師になれず、業界紙の編集長に甘んじている銀平。
そんな銀平に、一高野球部の後輩たちからコーチの依頼が舞い込んだところから物語が始まる本書の帯には、『金なし、地位なし、才能なしーなのに、幸せな男の物語』と大きく文字が打たれている、その意味が本書を読み終えた後、じわじわ心に押し寄せてくる。

腕が曲がるまで投げ込んだり、肩が裂けた血で野球服を染めながらも試合を続けたという一高野球部の黄金期を築いた猛者たちは、その後の人生も努力と精進をかさね、近代史で知られる人物となっている人も多い。
そんな男たちとは対照的な銀平が、最終的に「自分は幸せ」だと思えたのは何故なのか。

銀平は、最初から何の屈託もなくお気楽にコーチを引き受けたわけでは決してない。
それどころか、コーチを引き受け又 野球にのめり込むようになっても、消えることない無念や矛盾や未消化な思いが、ふとした時に脳裏をよぎる。
選手を鼓舞するために「努力は決して裏切らない」と言っては、自分自身その言葉に胡散臭さを感じたり、正選手になれぬまま部活動を終える部員を「(辞めずに部に)踏みとどまった自分を誇らしく思えるときが、いつか来るんじゃないかな、きっと。実らなくとも、積み重ねたことは嘘にはならんだろう?」と励ましつつも、自分が万年補欠だったことを未だに受け止めきれずにいることに気付いていた。
特に、負けて泣き崩れる選手に「負けというのは、力をつけるに最もいい経験なんだぞ」と言うなり、「負けは何も生み出しません。負けからなんて、何も学びたくない。負け癖なんて真っ平御免です。実社会で負けたら何にも残らんじゃないですか。地位も名誉も実績も手に入れることが出来ずに、何一つ成すことなく、ただぼんやり生きながらえていくだけじゃないですか」と反論された時には、その一語一語に胸が突き刺される。

だが、野球害毒論が新聞を賑わしたことを契機に自らの野球を見つめ直したことで、必ずしも思い通りにはいっていない事の多い人生を、肯定的に受け留めるようになる。

飯を食う気力もなく寝てしまうほど毎日厳しい練習をしても、正選手になれないことも多いし、仮に試合に出ても悪魔の差し金みたような失策をしてしまうことがあると知っている銀平は、努力をすれば道は開けると言い切れないと実感している。
冷静に考えれば、自分に相応しい道 確実に生かせる道を模索し、そのエネルギーで以て努力を重ねた方が賢明だっただろうし、そうしておれば何かしら抜きんでた才能を見出せたやもしれないとも、後になってみれば思いもする。

だが、意地を張ったわけでも、周囲から強要されたわけでもないにも拘らず学生時代に野球にしがみいた自分の努力は全て水の泡と消えたのか・・・努力は本当に無駄になったのか・・・と自問自答した時、コーチとして関わった後輩たちの顔が浮かぶ。(『 』「球道恋々」より引用)

『私はこうも思うのです。今振り返ると、野球には人生における最も大切なものが詰まっていた、ということ。他者との心のやりとり、周りを思いやる気持ち、目の前に現れた困難を切り抜ける術、どんな敵にも向かっていく胆力、日々同じことを繰り返し、訓練を積み重ねるということの意義と素晴らしさ。野球をすると、そうした事柄の大切さが、身に沁みて分かってくるのです。いずれも人が生きていくのに何より必要なものであります』
『世の中は、すべて結果で成り立っています。~中略~しかし結果に繋がらぬものは全て無駄かといえば、私はそうは思いません。むしろ、回り道をして挫折して無駄を重ねて痛い思いもして、それでも挑戦を続けて・・・それこそが、大きな成果をもたらすのではないでしょうか。目に見える結果だけではない、一個人の心の成長を促すのです。安全な道を無駄なく進んだ先には、それなりの、分かりきったような結果しかありません。そいつは安定しておるかもしれませんが、つまらん道程にも思うのです。しかし、模索し悩みながら野球を熱心に続けてきた者には、形に現れた結果のみならず、目に見えぬ多くのものを得ていると私は思うのです。~中略~つまり、多くを吸収で きる野球は素晴らしいと、私はそう申し上げたいのです。』

この言葉は、黄金時代を築いた猛者の心にも、「負けなんぞから何も学べない」と反発した者の心にも、銀平の右腕として後輩の指導にあたる老鉄山・中野の心にも、強く強く響く。
それは、この言葉が野球のみならず、人生にも通じるからだと思われる。

銀平の父は、『てめぇの来た道さえ覚えておれば、人間、そう間違わないもんだ』という。
銀平にとっての其れは野球だろうが、誰でも心底打ち込めるものがあれば、そこで大成せずとも努力することを躊躇わないほど好きで好きでたまらないものがあれば、そう間違わないものなのかもしれない。

そこまで打ち込んでいれば、それに続く者が必ず出てくる。
その時、自らは立つことが出来なかった其の道の、大きな一滴になれたと誇りに思えるようになる。
そうやって自分が好いた場所を繋いでいくことが、何より重要なのだ・・・と銀平と老鉄山はしみじみ思う。

自分自身の道を改めて考えなければならない今、本書に出会えたのは、本当に有難かった。
正選手になれなかったとは云え今まさに球道の真っ直中のJ君に、本書を手渡すのは早いだろうが、いつか手渡してあげたい本に、今 出会えたことは有難かった。

だが一番有難かったのは、銀平の妻の、この言葉。
『(銀ちゃんの)人生は、望みどおりにいかないところが真骨頂だって思うのよ』

今更 大きな流れや大きな道になることは出来ないだろうが、大きな流れや道の、確かな一滴になれるよう努力し続けようと思わせてくれた、大きな一冊であった。


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