何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

どちらを持って指したいか

2017-07-05 19:00:00 | 
「勝負飯 テキカツはいかが?」より

本書「サラの柔らかな香車」の著者・橋本長道氏は、自身がプロ棋士を目指し奨励会で励んだ時期をもつだけに、随所に駒への愛情が感じられるが、四段になれぬまま退会となったためだろう、将棋に対して愛憎半ばするアンビバレントなものを抱え持っている。

奨励会には全国から神童と云われる者達が入会してくるが、冷然と立ちはだかる年齢制限制度(満21歳の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を迎える三段リーグ終了までに四段に昇段できなかった者は退会)を前に多くの神童・天才は退会を余儀なくされるという。
青春の全てをかけて将棋に取り組んできた若者が、それ以上の向上や段位が見込めぬと悟り、天を仰ぎ地に伏し嘆く時、ぶち当たる言葉があるという。(『 』「サラの柔らかな香車」より)

「才能」
自分には到底超えられぬ何かを持っている者に出くわす度に頭をもたげてくる、「才能」という言葉。
『その差を才能だと納得してしまった人間は、そこで伸びが止まるのだ』という。
だが、そこで納得せず更なる努力を重ねたとしても、やはり壁を越えることができない方が多いのも確かだ。
そんな時、云われる言葉とは。
『考えつくして出てくるのはあの魔の言葉、「才能」だ。彼は結局それだけの才能がなかったのだ━。
 迷いに迷った末、その一言で片付けるのが、先人からの知恵だった。』

「才能」という言葉は、更なる努力を引き出す力にもなれば、ある種の死刑宣告にもなるが、努力や生き方までも否定しないための慰めにもなるのかもしれない。
だが、いずれにせよ天賦の「才能」を持ち合わせる者は非常に限られているため、大方の者は「才能とは何か」と自問自答しながら、’’違う人生’’を考えねばならない。

そして’’違う人生’’を考えるという点で、本書では象徴的ともいえる三人の女性が描かれていると同時に、私の胸を揺さぶる言葉があった。

将棋に関して天賦の才はあるが、言葉やコミュニケーション能力に困難を抱える日系ブラジル人の少女・サラ。
持ち前の才に努力を重ね、女流棋士として盤石の地位を築き上げたが、その道を選ばねばならなかった理由と継続に悩みを抱える塔子。
天才と持て囃されるに十分な実力を持ちながら、より輝く天賦の才に出会ってしまったばかりに幼くして挫折を味わってしまう少女・七海。

本書の帯には、『勝負の世界を生きる三人の少女を巡り、「才能とは何か?」を厳しく問う青春長編!』とあるが、まだ始まったばかりにも思える若さの三人の人生を読み進めると、才能を生かすも殺すも本人次第である事や、「才能」さえあれば 人生がすべて上手くいくわけではない事に改めて気付かされる。

そのような気付きを感じながら読み終えた時、本書のある言葉が甦ってきた。
『どちらを持って指したいですか?』
これは、微妙な差の局面で、どちらが有利かを婉曲に問う常套句だという。

勝つことだけを目的にすれば どちらを持って指せば有利かは明白なことが多いかもしれない。
だが、人はそう単純なものではない。
本書でも、結局はそれが勝ちの決め手となる一手について、自分なら決して打たない、あるいは棋士なら本能的に嫌う’’手’’と表現されている場面がある。
もちろん誰もが思いつきもしない妙手を打てるのが真の「才能」なのだろうが、自分なら打たないような’’手’’や 本能的に嫌われるような’’手’’を打てる事もある種の「才能」と云うのだろう、そして、勝負の世界では徹頭徹尾それを追求できる者が勝ち残るのだと思う。

だが、一度それを人生に置き替えると、事はそう簡単にはいかない。
どちらを持って指せば有利になるかは分かりきっていても、人にはそれぞれ守るべき規や、越えられない一線があるため、自分が有利になることだけをメルクマールには出来ないのが、’’普通’’なのだ。
だからこそ、判官贔屓という言葉があり、「記録よりも記憶を」という言葉もあるのだろう。

人は、勝者を讃えるとともに、敗者に共感し愛することも多いのだと思う。

本書は本の帯によると、三人の若い女性を巡り「才能」とは何かを問う作品という事になっているが、実は天賦の才をもつ少女を育てようとする瀬尾と、それらを見守り記録しようとする橋元という青年が大きな役割を果たしている。
だが、この二人は二人とも、自身の「才能」の無さゆえに表舞台を去らねばならなかった者たちであるため、本書は謂わば敗者の弁とも云えるのだが、それでも爽やかであるのは、敗者がもがき苦しみながらも才能ある者を認め、正しい方法で育てていこうとする姿が描かれているからだと思う。

本書の題名「サラの柔らかな香車」の’’香車’’には、『槍とも称される、一直線に突き進む』イメージがあるという。それゆえ共感覚の持ち主であるサラも、’’香車’’に『鉱物、針、柵、動物の角など硬く尖ったイメージ』を持っていたのだが、瀬尾はサラに’’香車’’を示しながら、氷の塊と それが溶け水なる様を体感させることで、既存のイメージとは異なる「柔らかな」ものを’’香車’’に与えた。
結果的にこれが、サラの天賦の才を更に花開かせる切っ掛けとなったのだ。

「才能」などというものは、誰もが持てるものではないし、人生において「どちらを持って指したいか」を即答できることも少ないが、本書を読めば、自分自身では報われなかった努力も生かす道があると思われ、希望が感じられたのだ。

才なのか運なのか努力なのか、重要なところで何かが欠け続けてきたため、なかなか思うようには進んでいない私の人生。それを軌道修正するには遅すぎるという年を生きてしまってはいるが、自分には無い何かを持つ者を、心をこめて応援することは出来ると思っている。
その方向性が間違ってはいないと思わせてくれたという点においても、本書は私にとって大切な一冊になったと思っている。
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