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2017-05-19 09:03:12 | 日記
ここ[地図 3]が、私の生まれ育っ
た袋という地域です。茂道、湯堂、月
浦ともに、水俣病多発地域です。この
場所に、大学院生だった原田先生は通
ったそうです。茂道に行く時は、袋駅
から降りて山の中を、道なき道を歩い
て、患者さん宅に行き診ていたという
話をよく聞きました。水俣市内から少
し離れているので、陸の孤島のような
状態ですから、本当に悲惨な患者発生
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
初期の貧困にあえいだ時期を水俣市民が目にすることはなかなか無かったような場所です。
この場所で生活していた漁民を中心に、水銀で高濃度に汚染された魚を食べた人から水俣
病にかかっていきます。
ここに[地図 4]チッソ水俣工場がありまして、お隣は鹿児島県です。水俣市は、人口の
減少とともに商店街がだんだん小さくなってきていますので、隣の県の鹿児島県出水市ま
で買い物に行く人が増えたのですが、車で 30~40 分もあれば行ける距離にあります。約
20 ㎞です。
地図4
地図5
何が言いたいのかというと、[地図 5]を見てわかるように、海はつながっているので、
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
水俣病事件は水俣市のみの話ではなくて、近隣の人たちも、要するに汚染された魚を食べ
た人たちも被害にあっているのです。

写真1
これは恋路島とい
う島です[写真 1]。
水俣市の海は、リアス
式海岸ですのでこの
島に上陸するのはな
かなか難しいです。
以前は、キャンプ場と
して使用されていま
したが、今は無人島で
す。
写真2
鹿児島大学に佐藤
正典先生というゴカ
イの研究をしている
方がいらっしゃるの
ですが、その方が講義
をしてくださった時
に、聴講生と水俣学研
究センター研究員、客
員研究員で上陸した
時の写真です[写真 2]。
岩をめくってみると、
カキやカメノテがは
りつき、アメフラシや
テッポウエビ、アナジ
ャコ、カニなどが生息していました。小さい頃に、岩にカキがくっついているので(広島
のカキのように大きいものではないが)石で割って中を取り出して海水で洗って食べたこ
とを思い出しながら講義に参加していました。こういう場所は、生命をはぐくみやすい場
所だということで、佐藤先生は干潟のことを熱く語ってくださって、「干潟のような場所こ
そ、生き物が生まれてくる源となっているのだから、こうした場所を埋め立てたり干拓し
たり、もしくはダム建設をすると、生き物はいなくなってしまう」ことを教えてくれまし
た。
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
帰りに見た夕日がとてもきれいだったので撮りました。穏やかな不知火海に沈む夕日が
見られる、水俣はこういう風景の場所です。水俣には海だけではなく、山も川も温泉もあ
り、海の幸・山の幸に恵まれた「よかところ」です。[写真 3・4]
写真3 写真4

こちら[写真 5]は、私がフィールドとしている茂道です。185 世帯、約 470 人(2007
年現在)の方が住んでいます。認定患者は 200 人以上です。見てわかるように、山の方が
面積としては多くて海辺の平地は少しです。今は、漁業だけで生計を立てている人は少な
く、甘夏みかん栽培などにシフトしています[写真 6]。水俣市は、海産物だけではなく、
サラダ玉ねぎも有名です。また、山では完全無農薬でお茶を育てている農家もあります。
無農薬の甘夏みかんを作っている農家もあります。水俣病は、有機水銀が原因で起こった
病気でして、その病気にかかった人が沢山いるので、その教訓ということで、「自分たちは
写真5

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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
毒のついたものをよそ様には売りたくない」という熱い思いを持った人たちが地道に無農
薬栽培を続けています。

写真6 【 参考リンク 】
エコネットみなまた
農水産加工部門「はん
のうれん」
http://www.econet-min
amata.com/
水俣病事件の教訓を
踏まえて、「農薬は毒で
ある」ことを、生産者
の共通の痛みとして、
「反農薬」「有機栽培」
「自主販売」を柱に甘
夏をはじめとする柑橘
類・野菜などの出荷を
行っている。
みなまた茶組合
http://www.minacha.net/
公害の経験を持つ水俣のお茶だからこそ、自然にも人の健康にもやさしいお茶づくりを
している。「みなまた茶」の特徴は、安心・安全の無化学農薬、無化学肥料での栽培。
次に、レジュメをご覧ください。
2 ページ目の、2 の、「原田正純先生が提唱した水俣学」についてですが、私は 1999 年に
お会いして先生がお亡くなりになるまでの、先生の人生の後半の部分でご一緒させていた
だいたわけなのですが。先ほどの話にもありましたように、1999 年は、原田先生が熊本学
園大学に赴任された年で、その年に私も社会福祉学部に入学しました。「医学一般」という
講義がありまして、そこで、初めて原田先生の講義を受けることになりました。そこで、
先生は、「私も、ここに来て一年目なので、何を教えようかと思っています。医学について
も教えるんだけれども、熊本県というのは実に様々な社会問題があって」という話をされ
て。熊本には、水俣病だけではなくハンセン病や川辺川ダム問題などの社会問題がありま
す。熊本には NHK 熊本放送局以外に、RKK、KAB、KKT、TKU とローカル放送局があ
りまして、水俣病に関しても深く掘り下げた放送をしているので、地元の社会問題につい
て目にする機会は多いです。「地域の問題を知ることは大事ですよ。足元の、ローカルな問
題を無視することはできないですよ。食物連鎖によって起こった水俣病を知ってるね」と
水俣病事件について語ってくれました。「川本輝夫という人物がいてね、彼は患者掘り起し
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
に尽力した」という話を、「あれ?近所の(200m ほど離れたご近所さん)知ってる人の話
だなぁ」と思いながら聞いたり、「坂本しのぶさんはストックホルムまで水俣病を伝えに行
った」という話を、「そうだったのか」と初めて知ったりと。それぞれの人物についてはご
近所さんなので物心ついた時から知っているんですけど、その人物が何をしてきたのかに
ついては知らなかったので、そうした話を原田先生から聞くことがとても楽しみでした。
2002(平成 14)年、大学 4 年の 9 月から、専門分野や大学、研究機関を超え、専門家と
市民、被害者の枠も超えた学問を提唱した水俣学講義が始まりました。「公害の原点」と言
われる足尾鉱毒事件の谷中学
やなかがく
をヒントにしたそうです。水俣病事件にかかわっておられる
週替わりの講師から話を聞き、水俣病事件が単なる公害ではなく社会的・政治的に作られ
た病で、今も終わっていないことに気づいていきます。1995 年の政府解決策の時は、周囲
の大人たちが、解決策に乗るのか、それとも訴訟を続けていくのかという話し合いで大き
く揺れていたことを思い出し、水俣病事件というのは、政治的な動きで地域が分断されて
いく側面を持っていたということにも気がつきました。
2003(平成 15)年、大学院に入ったことで、原田先生の調査に連れて行ってもらう機会
が増えました。そこで、「教科書は 100%じゃないよ、あくまでも、その時点で分かってい
ることが書かれている。新しい問題は教科書には書いていない。現場に行って当事者の声
に耳を傾けること。当事者の言葉から何かを拾い上げることが専門家の責任じゃないかと
思う」、「患者と行政が対立している場合、圧倒的な力の差がある。そこで中立の立場を取
ると、行政よりになってしまう。だから私は患者の立場に立ってものをいう」といった、
専門家としてのものの見方や姿勢を学びました。
カナダ調査で現地に赴き「私の心が痛んだのは差別の存在であった。伝統文化や生活様
式が外の力で破壊されるのも公害である。そして、公害が起こって差別が生じるのではな
く、差別のあるところに公害が生じるという現実を知った」という原田先生の言葉の重み
を実感することとなります。
写真7
写真を何枚か持ってきたのですが。先生の検
診というのは、とても和やかな雰囲気で行われ
ます。いつもニコニコされていて。2003 年夏
に、女島に調査へ行った時の写真ですが、血圧
測定一つにしても、相手が緊張されないように
「最近はどがんね」などいつも通りの会話を楽
しみながら、細かい部分まで相手と向き合われ
ていました[写真 7]。
女島という地域は、水俣から約 15 ㎞離れて
いまして、戸数は 33 軒、115 名の方が暮らし
ています。認定患者は 65 名で、1963 年まで巾
着網漁で生計を立てていた島で、今も船着き場
があります[写真 8・9]。
27
医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
写真8 写真9

写真10

2004 年 8 月、カナダのホワイト
ドッグとグラッシーナロウズとい
う居留地で、水銀の長期微量汚染
の影響について追跡調査をするこ
とになり連れて行っていただきま
した。ここでも検診は非常に和や
かでした。水俣市と似たような景
色で、穏やかな湖が広がっていま
した[写真 10・11]。
写真11
最初の調査は、1974 年の秋に、写
真家のユージン・スミスのパートナー
であるアイリーン・スミスがカナダか
らかけた「カナダに水俣病が発生して
いるらしいから、来てください」との
電話がきっかけでした。翌年、3 月と
8 月に臨床、疫学的な調査を行い「人
体に有機水銀の影響がみられている」
との結論を出しています。ところがカ
ナダ側の最終報告は「水俣病は発生し
ていない」というものでした。現在も、
カナダ政府は水銀汚染については認めているものの、水俣病の発生については認めていな
い状況です。汚染源は、160 ㎞離れたパルプ工場で、湖に無処理の水銀を流し続けました。
湖の魚や森のいきものの命を、自分たちが必要な分だけいただくという考えを持ち、自然
とともに生きてきたカナダの先住民たちがここでも犠牲となりました。歓迎会では、伝統
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
の踊りを披露してくださいました[写真 12]。
写真12

スライド1
水俣とカナダの共通する加害と被害の構図について、
・差別される人たちのところに公害が起きる。
・権利を主張することが苦手な相手だからこそ、平気で毒物を流し、被害を無視できる。
29
医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
・伝統的な生活や文化が外圧で急激に変化させられるときが、公害の前兆なのだ。
・水俣とカナダ、遠く離れた二つの公害現場だが、加害と被害の構図はあまりにも共通。『マ
イネカルテ(2008)』p.150~151
ということを実感する調査となりました。
原田先生の人生の後半部分しか私は知らないので、前半部分についても触れておきたい
と思います。レジュメの 1 ページ目にまとめてみました。先生はお酒が強くて、酒の席で
昔話をしてくださることもあったのですが。先ほど寺西先生のお話に出てきた天草環境会
議は、開催するにあたって今年はどんな風にするのか、という事前の話し合いをするんで
すね。天草の漁師さんたちが、魚介類を原田先生のご自宅に持ってきて下さって、ハコフ
グが珍しかったんですけど、そして会議という名の飲み会をしつつ、今の問題点について
語り合うんですけど。先生はその飲み会(会議)が終わって、後片付けも一通り終わって、
それからご自分の部屋で書類を作ったり原稿を書いたりされていました。とてもタフな方
でした。
1934 年に鹿児島県でお生まれになって、お父様が開業医で、「医療は技術ではなく心」と
常々おっしゃられていたようです。熊本が疎開先だったそうで、そこでお母様を亡くされ
敗戦を迎えることとなります。敗戦は、お上から下まで戦争の責任を曖昧にした、「曖昧な
日本の始まり」と、責任の所在を明らかにしない日本の姿を経験します。1960 年に、熊本
大学の大学院に入学され、そこで宮川先生と出会います。この当時、水俣病の原因が何な
のか、水銀なのか、タリウムなのかと、色んな説があって、宮川先生は、タリウム説を主
張して実験をされていたのですが、その先生が(「過労もあったかもしれない」、と原田先
生はおっしゃっていたんですが)、「水俣病は最後までやれよ」という言葉を残してお亡く
なりになります。その後任ということで、東京都の松沢病院から立津政順教授が赴任しま
す。この方の特徴は、長時間の診断法で、1 人につき 2~3 時間。長時間の調査方法を重視
していました。診察室で診たら、次は病棟で生活を診る。さらに生活の場で診る。とにか
く、一か所だけで患者を診たのではわからないから、患者のそばに密着するようにして診
察することを教わります。水俣病でも、患者の自宅まで行って廊下の歩行や、階段の上が
り下がり、食事の仕方など詳しく診て、運動失調や筋力低下などを診察されていたそうで
す。そして、1961 年、初めて水俣病多発地区の湯堂を訪れます。ここで貧困と差別を目の
当たりにして「見てしまった責任」を感じ、「治らない病気を前にして医者は何ができるか、
何をすべきか」を考えます。これが、原田先生の医学の原点の一つで、ここから水俣病事
件と一生向き合うこととなります。
1964 年に熊本大学医学部に就職してからは、日本国内から海外まで公害の起こっている
場所があれば現地に赴き、「環境問題の調査研究は専門と非専門の枠を超えること」、「現場
に立つことの重要性」、「公害が起こって差別が生じるのではなく、差別のあるところに公
害が起こる」ことなどを提唱されます。
1999 年に熊本学園大学に赴任され、「水俣病事件でもっとも学ばされたものは『何のため
に研究をするかという研究のあり方、専門家とは何か』ということだった。水俣病を取り
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医師原田正純の営み~知り・学び・う
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