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2017-05-19 09:19:01 | 日記
水俣病に対しては、発生当初から差別や中傷が行われてきた。2000年代以降は沈静化したとされていたが、2014年5月1日に、水俣病慰霊式の様子がテレビニュースで放映された際、出演しインタビューに応じていた認定患者で水俣市立水俣病資料館の語り部の会長を務める男性が、ニュース放映日以降、「いつまで騒ぐのか」などの中傷電話を継続的に受けている実態が明らかになった[15]。
他、2010年6月に熊本県内で行われた中学校サッカー部同士の試合で、水俣市内の中学校チームの選手に対し、対戦校の部員が「水俣病、触るな」などの暴言を繰り返し行っていたことも判明している。
ウィキニュースに関連記事があります。
中学校のサッカー試合中に、相手校の選手に対し「水俣病、触るな」と暴言
第三水俣病[編集]
1973年(昭和48年)5月22日、朝日新聞により福岡県大牟田市の「有明海に第3水俣病」と報道され全国に水銀パニックが発生したが、その後の調査により誤報である事が判明した。
また、河川の堆積物から多量の水銀が発見された新潟県関川水系でも、約10名の水俣病類似症状の発生が1973年に報告された(関川水俣病)が[16]、1971年(昭和46)の患者認定基準を適用した結果、否定された。関川水系の水銀は流域の工場に由来するものと、上流部にある黒姫山、妙高山、新潟焼山などの火山由来によるものとの双方が起源となっている。
また、山口県徳山市(現・周南市)も第三水俣病として問題になったことがあったが、徳山は無機水銀であり水俣病ではないとされた。無機水銀を含むヘドロは徳山港埋立地に今なお存在している。
環境汚染[編集]
水俣市内には、多くの廃棄物が埋められていることは、「第4号公害調査報告書(昭和50年度〜昭和51年度前期)水俣市市民部公害課発行」に記されている。この報告書が発行された昭和52年3月は、水俣病訴訟の時期であり、当時の浮池正基水俣市長「人間回復と環境復元対策を慎重に、かつ早期に実現し・・・」と巻頭に記している。なお埋設廃棄物・土壌・地下水汚染等の環境汚染について明記した書籍は他に見当たらず貴重な文献であり、水俣市資料センターで閲覧できる。 工場から排出される廃棄物を埋め立てた八幡プールの一部には、水俣クリーンセンターや水俣エコタウンが立地している。周辺の擁壁や石垣の隙間からは、カーバイト屑を含む高アルカリの地下水が湧き出ていることが現地で確認できる。
水俣病を描いた作品[編集]
小説・ルポルタージュ
武田泰淳 - 『鶴のドン・キホーテ』1957年(水俣病に言及した最初の小説だろう。すでにチッソが原因企業であることを会社も地域住民も知りつつ隠している地域事情が描かれている)
水上勉 - 『不知火海沿岸』1959年12月(『別冊文藝春秋』(70号)に掲載。事件の舞台を水潟市とし、新潟水俣病の発生を予見している)
水上勉 - 『海の牙』1960年(『不知火海沿岸』を大幅に加筆し改題)
石牟礼道子 - 『苦海浄土 わが水俣病』1969年(この作品によって日本中に水俣病が知られるようになった)
石牟礼道子ほか - 『みなまた 海のこえ』1982年(絵本)
吉田司 - 『下下戦記』1987年
絵画・写真
ユージン・スミス - 『MINAMATA』1991年(邦題:写真集 水俣)
丸木位里+丸木俊 - 『水俣の図』1980年(270×1490(cm):原爆の図丸木美術館所蔵)
桑原史成 - 『桑原史成写真全集 1』(2004年 草の根出版会)
三枝三七子 - 『よかたい先生』 2013年 (学研)
映像
土本典昭 - 『実録 公調委・勧進・死民の道』
土本典昭 - 『水俣一揆−一生を問う人びと』1973年
土本典昭・小池征人・有馬澄雄-『水俣病-その20年-』1976年(ドキュメンタリー)
土本典昭 - 『水俣 患者さんとその世界』 1970年(ドキュメンタリー)
土本典昭 - 『回想 川本輝夫 ミナマタ 井戸を掘ったひと』1999年(ドキュメンタリー)
土本典昭 - 『みなまた日記 甦える魂を訪ねて』 2004年(ドキュメンタリー)
佐藤真 - 『阿賀に生きる』1992年(新潟水俣病を題材にしたドキュメンタリー)
特別番組 村野タマノの証言 水俣の17年 1972年(ドキュメンタリー) - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
音楽
荻久保和明 - 『しゅうりりえんえん - みなまた海のこえ -』(上記を元にした合唱組曲)
海援隊 - 「水俣の青い空」(石牟礼道子著「苦海浄土-わが水俣病 第三章 ゆき女きき書」から抜粋した詩に曲をつけたもの)
上条恒彦 - 「花あかり」(石牟礼道子著「苦海浄土」から詩をとり曲をつけたもの。宮崎駿企画によるCD『お母さんの写真』に収録されている)
秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンド - 「ミナマタ」(アルバム『インサイツ』に収録)
ブッシュ (バンド) - 「The Disease of the Dancing Cats」(アルバム『The Science of Things』に収録)
漫画
ジョージ秋山 - 『銭ゲバ』
手塚治虫の『ブラック・ジャック』にも水俣病を題材にしたと思われる作品が複数ある。
演劇
風琴工房 - 『hg』2008年
脚注[編集]
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注釈[編集]
^ 工業災害では世界で死者数が2番目の被害規模 Industrial disasters 参照
^ 1962年8月、当時工学部大学院生の宇井純が写真家桑原史成と共に新日窒附属病院を訪ねた際、猫の実験に関するノートを発見。後日、細川一医師(愛媛県三瓶町に帰郷していた)を訪ね確約のうえ、1963年3月と10月の『技術史研究』誌上にて、富田八郎(とんだやろう)の筆名で「水俣病(1),(2)」を発表した。
^ 劇症型患者の場合、直接の死因としては、大人では食物の誤嚥によって引き起こされる肺炎(嚥下性肺炎)が多く、幼児及び胎児性患者では痙攣によるショック死、食物をのどに詰まらせたことによる窒息死が多く見られた。
^ 1957年から1960年まで水俣工場長だった西田栄一は当初、アセトアルデヒドを疑ったが、戦後の生産量が戦前のピーク期(1940年頃)に達していなかったことから、工場排水が原因ではありえないと結論付けた。
^ 「水俣病の科学」参照。ただし本書の正確性については、鈴木譲や宮沢信雄から批判があり、著者と論争となっている。
^ この女児は1953年12月頃から、さまざまな症状(よだれ・嘔吐・歩行障害・言語障害・痙攣)を発するようになった。女児は1956年3月15日に死亡し、後に「水俣病公式認定患者第1号」に認定された(『水俣病事件四十年』 p.99-100)。
^ 水俣市はチッソによって発展した、いわゆる企業城下町である。当時も住民の約7割が、チッソと何らかの関係を持っていたといわれている。
^ 工場ではこの残渣プールに排水を送り、沈殿物を除去してから水俣川河口に放出するようにしていた。[要出典]しかし、プールは露天だったため、降雨によりプールから排水が溢れ出て、直接不知火海に流出していった。工場側の見解では、排水が疑われる原因は色(赤茶色。主に鉄分によるもの)にあり、見た目を良くすれば漁民たちの非難をかわせるものと考えていた。
^ 実験結果が公になったのは1970年7月の水俣病訴訟の細川博士の臨床尋問によってだった。
^ チッソ株式会社は同社ウェブサイトの「水俣病問題への取り組みについて」と題するページにおいて、新救済策受入拒否の理由を説明していた。「1. これまでの経緯について 1)補償協定の成立」の項では、1973年7月に患者各派との間に締結された協定について「その成立過程においては、一部の派との間に極めて苛烈な交渉が行われました。それは、多数の暴力的支援者の座り込みによる会場封鎖の下で、威圧的言動や行動により応諾を迫られ、果ては社長以下の会社代表が88時間にわたり監禁状態に置かれるなど、交渉と言うにはほど遠いものでありました。そればかりか、多くの社員が警備中や出勤途上でしばしば暴行を受け、けが人が絶えない有様でした。」[1]と述べるなど、これまでの補償すら同社にとっては不当あるいは過大なものであったかのような説明となっていた。なお上記の記述は、2010年3月現在「この補償協定の成立過程におきましては、大半の会派とは話し合いでの決着を図りましたが、一部の派との交渉は、多数の過激な支援者の座り込みのもとで、威圧的言動や行動により応諾を迫られ、一時は社長以下の会社代表が88時間にわたり監禁状態に置かれるなど、極めて苛烈なものとなり、さらには従業員が暴行を受けることもありました。」[2]と変更されている。
出典[編集]
^ 水俣市のあゆみ(水俣市)
^ 2009年9月4日朝日新聞
^ a b c d 水俣病の悲劇を繰り返さないために -水俣病の経験から学ぶもの-(環境省国立水俣病総合研究センター)
^ カナダ先住民の水俣病と水銀汚染 (PDF) (熊本学園大学水俣学研究センター 水俣病公式確認60年国際シンポジウム 2017年2月18日-19日)
^ a b c 坂本 峰至, 赤木 洋勝「水銀の毒性と健康影響」、『廃棄物学会誌』第16巻第4号、一般社団法人 廃棄物資源循環学会、2005年、 185-190頁、 JOI:JST.Journalarchive/wmr1990/16.185、2012年10月7日閲覧。
^ 原田 正純「有機水銀による精神薄弱 2症例からみた先天性水俣病の診断について」、『脳と発達』第6巻第5号、日本小児小児神経学会、1974年、 378-387頁、 JOI:JST.Journalarchive/ojjscn1969/6.378、2012年10月7日閲覧。
^ 関礼子『新潟水俣病をめぐる制度・表象・地域』(東信堂、2003)などに詳しい。
^ 熊本大学「新聞見出しによる水俣病関係年表」から1963年2月17日及び22日付熊本日日新聞参照[3][4][5]
^ リンク先:「水俣病:民主主義と正義への困難な道のり」[6]P8下段参照)。
^ 毎日新聞メディア編成本部 毎日新聞戦後の重大事件早見表 1991年5月25日印刷 1991年6月10日発行 沢畠 毅 p.378 ISBN 4-620-30794-7
^ 水俣病百世帯、生活保護停止…原則通りと厚労省 読売新聞 2011年6月9日
^ 水俣病:和解金で生活保護打ち切り 被害者4人が提訴 毎日新聞 2011年9月10日
^ 2014年5月16日朝日新聞デジタル
^ 厚生労働省医薬食品局食品安全部長通知(食安発0317第3号)
^ 水俣病:語り部の会会長宅に中傷電話「いつまで騒ぐのか」 毎日新聞 2014年6月10日
^ 「関川水俣病」から「第三水俣病」への視座大分県立芸術文化短期大学研究紀要 33 pp.67-86 19951231
参考文献[編集]
『水俣病』(赤本):(1966年 熊本大学医学部水俣病研究班):医学論文集。水俣病医学研究者の最初のバイブル。表紙が赤いことから関係者の間では「赤本」と呼ばれる。
『公害の政治学 水俣病を追って』(1968年 宇井純/三省堂新書)
『水俣病−水俣病研究会資料』:(1969年 富田八郎/水俣病を告発する会):宇井純が富田八郎(とんだやろう)のペンネームで著した水俣病の古典的科学論文集。
『水俣病に対する企業の責任-チッソの不法行為』:(1970年 水俣病研究会):水俣病裁判を患者勝利に導いた。
『公害原論』(1971年 宇井純/亜紀書房)
『認定制度への挑戦 水俣病に対するチッソ・行政・医学の責任』:(1972年 水俣病研究会):認定制度の問題点を明らかにした。
『講座 地域開発と自治体2 公害都市の再生・水俣』:(1972年 宮本憲一編):最初の社会科学論文集。
『水俣病−20年の研究と今日の課題』(青本):(1979年 有馬澄雄 編集/青林舎 発行):医学論文集。水俣病研究者のバイブル。表紙が青いことから関係者の間では「青本」と呼ばれる。
『水俣の啓示(上・下)不知火海総合調査報告』:(1983年 色川大吉他)
『新編 水俣の啓示 不知火海総合調査報告』:(1995年 色川大吉他):水俣の啓示 上・下を編集して1冊にしたもの
『水俣病事件資料集(上・下巻)』:(1996年 水俣病研究会):上・下巻合わせて2700頁に及ぶ資料集。1926年から1968年までの水俣病関連重要資料を水俣病研究会が20年余にわたって編集。
『水俣病研究(1)--(4)』:(1999--2006 水俣病研究会):水俣病研究会が編集した水俣病関連重要論文集・資料集。
『縮刷版「告発」』・『縮刷版「告発」 続編』(1971年・1974年 「告発」縮刷版刊行委員会):1969年から1973年まで発行された水俣病を告発する会の機関紙「告発」の縮刷版。
『縮刷版「水俣」』(1986年 水俣病を告発する会):1973年に「告発」から「水俣 患者とともに」に名を改めた水俣病を告発する会の機関紙の縮刷版。
宮澤信雄『水俣病事件四十年』(1997年 葦書房)
東島大 著、『なぜ水俣病は解決できないのか』弦書房、2010年、ISBN 4863290357
関連項目[編集]
土壌汚染対策法、土壌汚染、地下水汚染、公害防止事業費事業者負担法
汚染者負担原則
底質、底質汚染
原田正純
武内忠男
山内豊徳
黄泉の犬 - 麻原彰晃の実家を訪ねた藤原新也が麻原が水俣病患者であったという説を提唱した随筆
山下善寛
水銀に関する水俣条約 - 水銀の使用や輸出入などを国際的に規制する条約・条約名は水俣病からとられた
森永ヒ素ミルク中毒事件
八幡残渣プール
外部リンク[編集]
環境省(環境庁)
国立水俣病総合研究センター(環境省)
水俣病の原因究明(初期の研究年譜)
水俣病対策(環境省)
水俣病問題に係る懇談会 議事次第・会議録・提言書(環境省)
環境基準について(環境省)
地元大学
水俣病関連資料の公開にあたって(熊本大学)
水俣学研究センター(熊本学園大学)
地元自治体
水俣病について(熊本県)
水俣病対策(鹿児島県)
水俣病公式確認50年事業実行委員会(水俣市)
新潟水俣病のあらまし(新潟県)
水俣病資料館
水俣市立水俣病資料館
新潟県立環境と人間のふれあい館- 新潟水俣病資料館 -
水俣病歴史考証館
地元マスコミ
水俣病百科(ニュース特集)(熊本日日新聞)
水俣病50年(西日本新聞)
支援団体
水俣病センター相思社(被害者・支援団体)
ノーモア・ミナマタ国賠等請求訴訟弁護団
ノーモア・ミナマタ第2次訴訟弁護団
関連訴訟
チッソ水俣病関西訴訟
水俣病「溝口訴訟」
水俣病関連資料データベース
水俣病センター相思社 水俣病関連資料データベース
水俣病関連年表
水俣病関連年表(環境省) (PDF)
水俣病問題について(熊本県)
熊本大学 新聞記事見出しによる水俣病関係年表1956-1971
水俣病の歴史(新潟県)
水俣病略年表(水俣病センター相思社)
情報無視が続いた水俣病原因解明の歴史 日本衛生学雑誌 Vol.69 (2014) No.1 p.75-79
水俣病入門
水俣病ってなに? for kids(新潟水俣病資料館)
水俣病入門 小学生・中学生のみなさんへ(水俣病センター相思社)
病態
メチル水銀は血管内皮増殖因子の発現亢進により血液脳関門の障害を来すことが明らかに! -水俣病の病態解明と治療開発につながる発見- (PDF) (新潟大学)
国会論議
衆議院第71回国会 公害対策並びに環境保全特別委員会 第13号
その他
水俣病 国が公害病と認定 - NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブス
カテゴリ: 日本の公害病日本の水質汚染水銀中毒化学安全チッソ神経学昭和時代戦後の事件熊本県の歴史水俣市の歴史日本の環境災害企業犯罪
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