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2017-05-19 09:05:08 | 日記
医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
一橋大学社会学部 4 年
今回のことで自分の中で疑問に思うことがあったので疑問に答えてくれる方がいたら教
えていただきたい。水俣病はチッソという企業と国家/行政が加担して起こした事件だと
思っているので責任を果たす必要があると思うが、一方で経済成長と命の天秤をどうかけ
るかという問題があると思う。自分の中で、経済成長を抑えてまで人間一人の命を優先す
べきだという立場に立てず、他方で命を軽視することもできないという中途半端な立場に
立っている。その点についてみなさんの中で何か意見があれば今後の参考のために教えて
いただきたい。
一橋大学社会学研究科博士課程
いまの質問に対して訊ねたい、たとえばお金が必要だというときになぜそれだけのお金
が必要だと考えるのか、また幸福というものをどういうものと考えるのか。環境、健康・
生命が脅かされる状態を生み出すことでしか経済成長できない社会というのは果たして幸
福な社会なのかと、私はすごく疑問に思う。一見しただけではわかりにくい被害に対する
社会の想像力のなさを感じるが、具体的な文脈で考えることなしに「経済成長できる社会
がいい社会」という「一般論」に乗ることは想像力のなさの背景の一つだと感じていて、
だからちゃんとした答えが出せないのではと思う。具体的な現場にまで降りてそれぞれの
事例を見たとき/その状況に直面したときに「あなたは何が言えるのか」を考えたい。原
田先生は常にそれを問われ続け背負って歩き続けてこられたんじゃないかと今日も思った。
研究者を目指す自分もそれは現場に行くたびに必ず突き付けられていると感じるが、いつ
しかフィールドだけでなく東京で日常的に暮らす中でもそれは問われ続けていることだと
思う、ある状況に直面したとき「どのような社会がいいと思いそのためにあなたはどう行
動するのか」と。経済成長か被害のない社会かというのは、幸福な社会とは何か、という
問いにつながる提起。あなたは具体的に幸せな社会とはどんなものだと考えるのか、答え
てもらいたい。
一橋大学社会学部 4 年
(質問に答えて)心情的にはある程度の経済成長は必要だけど環境を壊すレベルはいら
ないというような、中途半端な、妥協するような立場にいる。かといって環境被害を絶対
に抑えるほどの生活にしようというような地球にやさしい生活を徹底しようという極端な
立場にもなれない。水俣病の現場の人たちの視点から見たら確かに問題だと思うが、経済
成長を望んでしまったのは水俣とはまた別の、東京などに住んでいた一人ひとりの幸せに
なりたいという気持ちだったと思う。理想を言えば自然にやさしい生活にいけたらいいと
は思う。
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
埼玉大学 1 年
仏教の教えに人が幸せになることについての話がある。幸せになるには自分がいいこと
をしてそれが自分に返ってくる、他人ががんばってきたことが自分の幸せになることはな
いし逆もないという考え方。今の質問の話を聞き、高度経済成長にかかわる話は、自分の
したことがいいことだと思って経済成長がいいことと思っている人たちが仲間と共に享受
していると思う。その一方で水俣病の被害を受けて苦しんでいる人もおられて、水俣病を
被った人たちは被害を受けているが原因となったのが経済成長にかかわった人たちだと一
概に言えるわけでもなく、影響を与えただけかもしれない。その関連は複雑でもっと難し
いはず。お互いの立場を尊重しつつ背景などを考慮しながら否定せず意見を交換し合って
両方の立場を取り入れながらがんばっていくのが大事では。本当の幸せを得るためには
100%相手がこうしたから自分が被害を受けたと考えるのではなく、自分が幸せを得たいな
ら自分がいいことをして他人と協力し、敵味方ではなくみなが一つの仲間という連帯意識
をもって考えていくことが必要ではないか思った。
一橋大学経済学研究科の教員
先ほど学生が発言したので教員として言わなければと聞きながらいろいろ考えていた。
今日の話にもあったが原田先生は足尾に行っている。それが何か、さきほどの議論にあっ
た幸福とか幸せって何かを考えたとき、日本の近代の歴史が何を考えてきたのか問い直す、
そういう必要があるのかと感じた。つまり、チッソの例は戦争があって拡大していったこ
とが分かるが、明治期以降、経済成長や社会の発展がどのように認識されたのか。一人一
人の幸せというよりは国としての成長というものを常に追い求めてきている。今の政権も
そうだが、「国が」と言う。日本の近代、戦争の問題含めて、そういうものをもう少し見つ
めなおす必要があるのではと思う。歴史を教え学んでいるが、足尾から始まり水俣以外に
も、私がやっている資源の問題でも絶えず弱者は非常に虐げられていて、国家は何もせず
企業側に立つ、ということはずっと繰り返されている。そうした問題は少し長期の視点に
立って近代 150 年くらいをもう一度見つめなおしながら、自分たちはなぜ今このように考
えているのかを、考える必要がある。おそらく我々の認識の底に「経済成長しなければい
けない」というのがマクロとしてあって、でもそれが一人一人の幸せとバッティングして
いく。本来一人一人の幸せを優先すべきなんだろうけども、どこかで国の成長をと思うと
ころが我々の限界なのだろう。
一橋大学社会学研究科の教員
文化人類学を教えながらグローバルスタディーズをしているので、学生には「とにかく
現場に足を運びなさい」、「書を持って街に出よ、街をもって書に戻れ」と伝えている。そ
の往復運動を死ぬまでやると思っている。
私は高 2 のときに『苦界浄土』を読んだ。社会学的にもルポルタージュ的にも「あれほ
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
ど素晴らしい文学作品かつフィールドノートはない」といろんなところで言われている。
原田さんも仰っていて、医学をもう超えていく思想だと。今日の大きな題の一つは文理共
鳴だったが、「医者として社会に入る」、「なぜ学問をするのか」という話題で精神論的にな
ってしまうのは私はちょっと怖い。たとえば秋にベトナム国立交響楽団の演奏会を企画し
ているが、これはなぜ今ベトナムに日本が原発を出すのか、ベトナムの人たちはどう思っ
ているのか、あるいはダイオキシンの問題はどうなっているのかということとのつながり
でのこと。このベトナム交響楽団の人たちは一昨年アメリカに初公演に行って、アメリカ
でのベトナム帰還兵で平和の和解をやる人たちと一緒に活動している。いろいろなアプロ
ーチがあるのだと思う。私たちが水俣の問題を考えるときに被害者、弱者というような言
葉で代弁してしまうような気持ちになることがむしろ怖い。弱者被害者といわれる人たち
はものすごく豊かなヒューマニズムをもともと持っていて、それを石牟礼さんが非常にう
まく示してくれている。それが能やいろいろな芸術活動になって、人びとの気持ちを活気
付け潤わせて、もう一度運動や非常につらいところに対峙しながらも人間として生きるこ
とを後押ししているところもある。そうした、リベラルアーツも一つみなさんの視野に入
れてくださるといいと思う。
もう一つ、「国と対峙する」としばしばいわれるが、国と対峙するよりも私たちが国をつ
くっていくんだ、どんな思想を日本の思想として出していくかというように、私たちも国
の思想をつくって国を語っていることをしっかり自覚したいと思う。国家=権力だからと
いうのではなくて、選挙に勝たなければ意味がない、あるいは裁判に出して訴えたり政策
を動かしたり、大きなことを自分たちも動いてやっていくことを意識したい。私たちはた
またま被害者じゃなかった、では余力はどこにあるのかといったら、やはり国としての言
葉を我々がつくっていく、思想を出していくというところにあるんじゃないかと思うんで
すね。私自身、片方では芸術的な豊かなものを持つ被害者の方と一緒にいたり現場に行き
つつ、片方ではどんな国をつくっていきたいのかということを考えて実行に移していくと
いうところで、残された人生がんばりたい。みなさんがいう内面的な苦しみはわかるが、
同時にそれを国に上げていく努力をしなければそのままになってしまう。自分たちの国を
造っていくんだという意識も共有したいと思いました。
一橋大学社会学研究科博士課程
戦争の心の傷を受けた人のスペインに住んでいる人にインタビューをしてライフヒスト
リーを研究している。
今日の議論を聞いていて思ったことは、抽象的な国の立場からいう経済成長を選ぶべき、
というのと、弱い人にも配慮した環境をとるべきだ、という選択肢、私たちは本当にこの
二つを選択しようとしているのかというと、違うような気がするんですね。抽象的に見え
る経済成長っていうのも、一人一人の具体的な生活があってそこから出てきた、生活をよ
くしたいという切なる願いがあってやってるわけで、抽象的なそういうものと弱者の二つ
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
を選んでいるわけでは決してないと言いたかったんだと思うし、私も共感します。でも今
日の話だと、自分がこれをやることで幸せだと思ったことが実はその裏にそれによって非
常に犠牲になっている人たちがいたんだって知った時点から、既に私の幸せじゃなくなっ
ているんじゃないかと思うんです。だから最初に仰ったように、どうも加害者的立場にい
るように感じてしまう、ってなった時点に、抽象的な経済成長って私の幸せではなくなっ
てしまっている。じゃぁ何と何をみて私たちは選ぼうとしているのかを考えるときに、私
が聞いていて思ったのは、「そういう現実を知らないでそのまま進んでいく社会がいい」の
か、「それを知ってどうすればいいのかわからないけど一緒に悩める社会がいい」のか、っ
ていうふうに置き換えてみることで。そしたら、抽象的な何かと何かっていうのではない、
生活レベルで考えることができるのかなと思いながら聞いていました。
医師・帝京大学大学院1年
バックグラウンドはなりたての医師で、自分の専門で迷って大学院で勉強している。貴
重な会のご案内をいただいて非常に感謝している。
幸せと経済成長をどう考えていくかということが今日白熱したディスカッションだった
が、一番問題となっているのは、私たち一人一人が問題に対して正しい知識を持っていな
いこと、無関心で、無関心も知識がないあるいはそれを知るきっかけがないことが一番の
原因じゃないのかと思う。では専門家としてどう一般の人たちに知識を提供したり情報を
正しく得る手段をお知らせしていくことができるのか、今日の会で感じたので、今後も考
えていきたいと思っている。きっかけをありがとうございました。
一橋大学経済学研究科修士 1 年
今日の会を通じて思ったことを。伝統的生活がそれを後進的だと見なすこと自体ある意
味間違った価値観ではないかと私はずっと思っていて、実際水俣病で被害に遭った方は自
然環境に適したところに住んでいる方々。そういう自然環境の営みの恵みを受けてすごく
幸せな生活をしていた人たちがあのような被害に遭ってしまう。それが国や企業の汚染に
よって、本来ならばそういう影響を受けなかったはずの普通の人が、そういう被害を受け
なきゃいけなかった。これ自体すごく間違ったところだと思っている。被害者の実態をみ
ることを今の学問で求められていると寺西先生、原田先生は仰ってたが、そういう意味で
も現場に行ってそこでの人たちをみて、自分の生活と照らし合わせて、やっぱり現代の高
度経済成長とはどういうものなのか、国家の安全保障という観点ではなく、人間の安全保
障、一人一人個人の尊厳等に焦点を当てて今後の経済をみていかなければいけないと思っ
た。
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
<フリー・トークの様子>
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
5.むすび「いまだからこそ、忘れてはならないことを」
町村敬志(社会学研究科長)
社会学研究科の町村です。
結びを言う立場ではないのですが、発起人の中で 3 番目に年を取っていますので、結び
の言葉を話させていただければと思います。
最初に、こんなに多くの方に参加していただきまして、ありがとうございました。
僕は、胎児性の患者さんとちょうど同じくらいの年です。僕にとっての水俣病との出会
いは、土本典昭さんがつくられたドキュメンタリー映画を学生の頃に上映会で観たことで
した。そうした上映会でもこんなにたくさんの人がいた記憶がないので、それだけに、今
日はとても感激しています。
最後にいろいろ議論がありましたが、僕自身も、とりわけ 3.11 以降、自分自身の責任も
含めていろいろ考えることが多くありました。自身の研究としては確かに開発問題を、あ
る意味批判的な視点で見つめてきたつもりでいるんだけれども、心のどこかにそういうも
のを許容していた自分があるんじゃないか、そう思うことがあります。たとえば僕は生ま
れが北海道なのですが、小学校の頃、バスを仕立てての社会科見学のコースはといえば、
出来て日の浅い桂沢ダム、そのあと炭鉱に行って、さらにいろいろな工場に行って、とい
う具合でした。見学というかたちで子供の頃からそういうものを見て「素晴らしい」と感
じたり、北海道ですから開発というのが地域のアイデンティティになっていたりするので
すね。「開拓とか開発が北海道を造った」と。アイヌの歴史のような開発の裏側にあったさ
まざまな物事を隠したまま、そういったことを教育されてきました。子どもの頃はなかな
かこうした点まで思い至らなかったんですけども、改めて、大きくなるにつれて、そうい
う風になってしまった自分をどういうふうに考えたらよいのか、またどのように研究をし、
あるいは若い皆さんに何を教えていくべきなのだろうか。そういうことをずっと考えてき
ました。
ここまで年をとってきたものですから、改めて水俣のことを勉強したり、あるいは自分
がどうしてこうなったのかということについて、学んだり研究することも多くあります。
そうした経験を通して感じているのは、「現場はどこにでもある」ということです。みなさ
んの今生きている足元そのものがまさに「現場」です。公害や原発事故がもたらす被害、
あるいはそういう問題が起きている場所だけが「現場」であるのではなくて、たとえば僕
のような人間、今お話したような人間がつくられていく場所もまたひとつの「現場」だと
思います。ここにいる方の研究の分野やお仕事の現場はそれぞれ違っていると思いますけ
ども、それぞれの現場を活かしながら、みずから未来を考え、つくっていかれることを、
心から願っています。
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
とりわけやはり、悪いことは「悪い」と言う。そういう勇気なり気持ちが大事であると
いうことを、改めて感じています。
結びとして、原田先生のご冥福を改めてお祈りいたしますとともに、こういう非常に真
剣な討論ができる場を用意していただいた、これも原田先生の教えの故だと思いますが、
原田先生とみなさんに改めまして御礼申し上げ、この会の結びとさせていただければと思
います。
ありがとうございました。
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
付録1.参加者から寄せられた感想
学部生・大学院生の感想
埼玉大学の学生より

フォーラムに参加して
1年 大里裕菜
途中参加となってしまいましたが、原田先生の追悼フォーラムに参加させていただきま
した。
私はまだ原田先生という存在は知らず、苦界浄土のあとがきに少し出てきた名前としか
認識していませんでした。
なので、先輩方からこのフォーラムのお話を伺っても、いまいちピンと来ていなかった、
というのが本音です。
しかし、参加して様々な方のお話を聞いて、薄っぺらな言い方になってしまうかもしれ
ませんが、原田先生の行動力と人柄の良さ、本気さが伝わってきました。そして、その意
思を受け継ぐ存在でありたいというあの場にいた方々の熱意を感じました。
ついこの間大学に入ったばかりの、自分の水俣病というものに関しての考え方が未熟な
ことを痛感しました。
帰り際に、(お名前が分からず申し訳ないのですが)フォーラムに参加していた方に、「君
たちみたいな若い人たちが公害問題に関心をもっているなんて本当に珍しい!」と言われ
たのが少し引っかかっています。
水俣病について話し合う時に、学校の授業で習った水俣病というのが、受験単語としか
意味をもっていなかったという話が出ました。
私自身も、いまの学科を選んでいなければ、一生深く考えることのなかった問題だった
と思います。
水俣病を伝えていくにあたり、今後私たちの世代がどのようにすれば関心をもち、同じ
過ちを繰り返すことを防げるかは考えなければならないと思っています。
しかし、ぼんやりとしか考えられていないので、これから合宿などで現地に赴き、自分
なりに深めていきたいです。
原田先生の追悼フォーラム感想文
1年 山田光希
自分はこのフォーラムを聞いて水俣病について学ばせていただくものとして原田さんの
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
された本当に偉大な活動について自分もよく考えて少しでも自分の水俣の学習に応用して
いくことのできるように、そして最終的に原田さんに一歩でも多く近づいていけるそんな
自分を目指していこうと思いました。本当に自分の変えていこうと思うべきところがたく
さんみつかった追悼フォーラムでした。ありがとうございました。
原田正純先生追悼フォーラム感想
埼玉大学 コラボレーション教育専修2年 川尻剛士
私が水俣病のことを深く考え出したのは、大学1年生のころで、そしてまた原田正純先
生との出会いは同じく大学1年生、先生の名著『豊かさと棄民たち』を読んだときでした。
この本には先生の水俣病問題の原因追求や患者保護に対する熱意にあふれていた。そして
また、フィールドと研究との往復を大切にしていらっしゃる原田先生を確認し、今回の会
のなかでも感じた。
しかし、原田先生の水俣病患者に対するかかわりを見ていて、なぜか原田先生は研究を
行っているようには感じられない。原田先生の行ってこられた実践をひとくちに“研究”
と言ってしまうには語弊があるような気がした。それぐらい原田先生は温厚で人間味にあ
ふれ、しかし一方で水俣病問題に対する熱意は一入、そのような原田先生だからこそ、多
くのひとびとを魅了し、今回もこうしてこの会に多くの皆さんが出席されたことと思いま
す。原田先生あってこその今回の会であり、またみなさんにお会いできたことを大変感謝
しております。
私はまだ、水俣病と出会って2年目であり、ほとんど何もわかりません。だからこそ、
これからより一層知ったような気に驕ることなく、また逃げることなく、正面から水俣病
と向き合っていきたいと思いました。そのことを改めて感じさせてくださった、今回の会
に参加していらっしゃった皆様、大変ありがとうございました。


原田正純先生の追悼フォーラムに参加して
埼玉大学 教育学部 コラボレーション教育専修2年 越 真帆
まず初めに、このような機会を設けてくださり、本当にありがとうございました。なか
なか水俣病についてのフォーラムがあまり行われていないという現状の中で、このような
会を開いてくださったことは、私たちのような水俣病を学習している者にとって、とても
貴重な機会となりました。また、このフォーラムに参加したことで、原田先生の活動が私
たちに与えた影響の大きさはもちろんのこと、私自身が水俣学習に取り組むべき姿勢など
を再認識することができました。
私は水俣病やハンセン病について学習した際、いつも自らを加害者側として考えていま
した。どうしてそのように考えているのか、自分でもうまく説明できず、もんもんと考え
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
ていました。ただ、なにかある問題について考える際に私はいつも自分の「立ち位置」を
気にするということに気が付きました。私自身としてはこの理由は、なにか自分の「立ち
位置」を決めないと、足元がおぼつかないように感じ、その不安を払拭するために自分の
「立ち位置」を考えているのだろうか、と自分のことを考えていました。フリー・トーク
の際、その話をさせていただきましたところ、一橋大学の院生(申し訳ありません。お名
前を憶えておりません)が「ある問題の中で自分のことを加害者側と考えた時点で、国の
成長は国民の幸せではなくなっている」ということを仰っていて、私は初めて「ああ、な
るほど」と今まで分からなかった、自分の「立ち位置」を考える理由がふっと腑に落ちた
のです。やはり、実際にいろんな方のお話を伺い、その感想を話し、それに対する相手の
言葉を聴く。とても基本的なことかもしれませんが、言葉のキャッチボールならぬ思考の
キャッチボールを感じました。
私は今年の夏、二回目の水俣に行きます。今までの私だったら「どうして同じところに
義務でもないのに行くのだろう」と思っていたでしょう。しかし、去年の私が水俣に行き、
感じ、考えたことがあったように、今年の今の私が水俣に行き、何を思うのか純粋に気に
なるのです。去年の埼玉大学での水俣合宿から帰ってきて振り返り学習をしてやっと私は
水俣から社会をみるということ、また社会から水俣をみるということが考えられるように
なりました。そこに気付けた自分が今年は何を考え、感じるのか。もしかしたら何も感じ
ないかもしれません。それでも、このフォーラムに参加したことでより、水俣に行くこと
が非常に楽しみになりました。
本当に、貴重な機会を与えてくださり、ありがとうございました。
原田正純先生追悼集会 感想文
埼玉大学 3年 岡庭捺美
原田先生の第一印象は、ご自身の著『豊かさと棄民たち』であった。棄民という言葉に
衝撃を受け、また「公害が差別と貧困を生むのではなく、差別と貧困のあるところに公
害は発生させられる」という文章も2年前の当時は何のことを言っているのかわからな
かった。本の原田先生は非常にかたく、生身の原田先生の容姿は水俣病患者の方に対する
思いやご人徳がにじみ出ていた。「現場を大事になさる」という原田先生の信念はこの追悼
集会で学ばせていただいた。たしかに、常に患者の方の声に耳を傾けてきた原田先生、「病
気を見るのではなく病人を見る方であった」という声に強くうなずける。
追悼集会後半のフリーディスカッションで「経済成長と犠牲」が大きな話題となってい
たが、これは水俣病を教訓とし今全世界で話し合われているトピックだと思う。福島原発
の事故も同じことが言えるが、水俣病は遠い歴史的事実に留まらせてはいけない。私自身
は、実際に患者の方のお話を聞いたら、「犠牲は前提の上で経済成長する」なんていうこと
は決して言えない。さまざまな公害病で被害にあわれた多くの方の声を聴き、自分は何を
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
考えていくのか、を自分自身に期待する。
豊かさに囲まれる一方で、徐々に脅かされていく私たちの体は将来に大いにつながる。
原田先生のお考えをもっと知りたいと思うと同時にここに足を運ばせていただけたことに
感謝したい。そして、原田先生のメッセージを受け取った者として、いかに学びを深めて
いくか考えていきたいと感じた。
原田正純先生追悼フォーラム感想 「私の中の水俣病」
埼玉大学教育学部コラボレーション教育専修3年
髙瀬 大貴
原田先生の追悼フォーラムに参加し、今まで以上に原田先生の与えた影響力の大きさを
感じました。原田先生の人間味あふれる人づきあいがあふれ出ているような感じがし、そ
れがこのような貴重なフォーラムを開催することにまでつながったのだとおもいます。参
加することができ、非常に有意義な時間を過ごさせていただきました。
さて、このフォーラムを通し、私の中で一番心に残っていることは、原田先生の言葉と
して出てきた、「あなたの中の『水俣病』について考えてみてください」というメッセージ
でした。
「私の中の水俣病」を考えると、私にはなぜか希望が見えます。それはおそらく、以前
お会いした水俣病患者の方々が私に生きていく希望を見せてくれたからだと思います。水
俣病を取り巻く様々な問題があり、過去に、そして今でも多くの人が苦しんでいる中で、
それでも私は希望を見たのでした。原田先生は果たして水俣病から何を見たのでしょうか。
私の想像でしかないですが、原田先生も「負の部分」以外のものを見ていたのではないか
と思います。
「私の中の水俣病」とは、この世界で「生きる」ということなのだと思います。水俣病
を作り出してしまうような世界の中で「生きる」とはどういうことなのか。それは、例え
ば、原田先生のように水俣病を研究し、患者の生活に寄り添うことではないでしょうか。
そして、私は、この世界の中、どのように生きていくかを考え続けていきたいと思います。
ただ、今思うこととしては、水俣病のように、人間が人間の苦しみをつくるようなことを
してはいけない、苦しみの声を聴かないふりをしてはいけないということであり、そのた
めの取り組みを私なりにやっていきたいという心持ちです。
上記のような気持ちを起こさせてくれた今回のフォーラム、そして、原田先生に感謝し
たいです。
原田正純先生追悼集会について
埼玉大学 3 年 水野仁美
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
私は今大学 3 年生です。水俣病については、大学 1 年生のときに少し学びました。大学 1
年生の時の私は水俣病について特に関心もなく、「教科書に少し載っていた出来事であった
けど実際はいろいろあったのだ」という意識くらいしかありませんでした。それは 1 年生
の時の授業で原田正純先生の『豊かさと棄民たち』を扱っていてもそのくらいの意識しか
ありませんでした。しかし、心のどこかで水俣病について少しでも学んだのにそのままで
いいのかという想いがあり、今回フォーラムに出席させていただきました。
「公害が起こって差別が生じるのではなく、差別のあるところに公害がおこる」という
原田先生のお言葉は 1 年生のときは全く理解ができませんでした。以前はこの文章の意味
がまるで理解できませんでしたが、今回の原田先生の追悼集会を受けようやく意味がわか
りました。と思うのと同時に、原先生は本当にすごい方だったのだと思いました。一人ひ
とりの患者の方に寄り添い、向き合うということがどれほど大変なことかどれほどすごい
ことか、講義を聞きながら思いました。そして、「それぞれの内なる水俣病を見つけてもら
いたい」ということで、ものすごく責任を感じました。今、水俣病は私達とかけ離れた存
在ではなく、差別などの問題を考えても足元にあるものであると感じます。そうは言って
もまだ、実感がわかないところもあり、ずっと考えていかなければならないことだと今さ
らなのですが思いました。
今回のフォーラムにフリートークの時間がありましたが、そこではその日に原田先生と
水俣病についての講義を聴いたことをふまえて印象に残ったお話が2つありました。1つ
は、「実際に水俣に行ったけれど、自分が加害者であるという想いを感じた」という意見と、
もう1つは「経済成長のためには小さな犠牲も仕方ないと思っている自分がいる」といっ
た話でした。“自分が加害者である”ということは水俣病の問題に限らず色々なところでいえ
ることではないかと個人的には思います。例えば原発の問題でも、実際に東京電力の電気
を使っているのは私たちで、被害者の立場ともいえなくないですがどちらかといったら加
害者なのではないかと最近思うようになりました。また、「経済成長のための小さな犠牲」
ということに関して、意見にも出ていましたが、幸せとは一体何なのかということがとて
も疑問に残ります。私が前に海外に行った際に経済とはまるで無縁の田舎で自給自足の生
活をしている方々にお会いしたことがありました。そこにいらっしゃる方々はお金がなく
てもとても幸せそうでした。そういう方々をみると「経済発展は本当に必要なのか…」と
答えは出ていませんが、疑問は出てきます。誰かを犠牲にして、その犠牲のうえに乗った
幸せは本当に幸せなのでしょうか。水俣病は本当におおきな人類の問題であると今回出席
させていただいてあらためて思いました。水俣病の問題を犠牲にして変わりに豊かさを手
にいれたとしても、それはどうであったのかと、ある意味加害者である私が思いました。
最後になりますが、今回、出席させていただきありがとうございました。とても勉強に
なりました。未熟な文章で申し訳ありません。
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
一橋大学の学部生より

感想
一橋大学経済学部 3 年高柳ゼミ
原田氏が水俣病を「負の遺産」と言及していたように、この事件は私たちにとって重要
なものです。私たちの世代がこのことを忘れずに次の世代に伝える責任があるなと感じま
した。


感想
一橋大学経済学部経済学科 3 年
今回、「伝える」ということがとても大切であると学ぶことができました。そして自分
自身も色々な人に伝えていきたいと思うようになりました。
大学院生より

感想
一橋大学経済学研究科修士課程 1 年
今回の企画に参加し、原田先生が医師、研究者として公害問題に関わられた姿勢に感動
しました。改めて自分もそれを引き継いでいけたらと思いました。私の心に響いた言葉は、
「見てしまった責任みたいなものを背負ってしまった」です。先生は、水俣病の研究を 50
年間も続けてこられた理由をそうお答えになっていました。被害の実態を直視し、被害者
の救済を短期的にではなく一生涯続けていくことは誰にもできることではありません。私
はこの姿勢に学び、水俣病よりも被害が拡大し、深刻化すると予想されるフクシマ原発事
故による被害の実態を調べていくつもりです。被害者救済に関わる者として、原田先生の
意志を受け継ぎ、被害者の立場に立って、被害者の完全救済を求めて、一生かけて戦い、
研究を続けていきたいと思います。
「医師原田正純の営み」学習会に参加して・・・
社会学研究科 修士課程 川田幸生
水俣病患者を救おうとする姿勢、また一人の研究者として事象に向き合って行こうとす
る姿勢にただただ感銘を受けた。一見、中立的な立場をとる、というとどちらにも寄り添
わない、という立場がそうであるかのように考えられるが、原田氏がとったのはそうでは
ない。患者に寄り添い、患者を救う立場にいることで、はじめて中立であるという姿勢で
51
医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
あった。そこには、当時の医学界においての自身がとる立場の影響、またそれによって自
分自身どのような評価を受けるのか、様々な葛藤が考えられる状況は確かにあったであろ
う。しかし、彼は、自身の意思を貫き、亡くなる直前まで一貫してその姿勢を崩さなかっ
たのである。研究者を目指す一人の人間として、事象に立ち向かう信念、自身の立場が問
題構造の中で、どのような意味をもつのか、ということに、自覚的でありたいと感じた。
発表していただいた方々と、フロアとの意見の交換に時間を割いても良かったのではない
かと感じた。
感想
社会学研究科修士課程
私にとって、「水俣病」とは、人と自然の付き合い方を考えていく上で知っておかなけれ
ばならない公害病のうちの一事例でした。そのため、今回の会で掲げられた「現場」とい
うテーマは新たな視点から水俣病を考えるきっかけになったと思います。会が終了した後
日、参加したメンバーら複数人と行った座談会でも、この「現場」という言葉の意味を巡
った話し合いが続きました。研究者として、大学院在籍者の各々が自分の立場や思想に基
づいて自らのテーマに適した研究方法を模索していますが、ある者は直接現地に向かいな
がら、またある者は古い資料であったり最新のデータの分析に打ち込むことで自らの問に
応えようとします。亡き原田さんの“現場にまず行く”べきだという主張は、現地に行く
ことがないタイプの研究者にとっては抗いたくなるような意見かもしれません。「必ずしも
研究対象に立ち会う必要はない、現地関係者ではないからこそ出来る研究がある」、と。た
しかに、亡き原田さんから直接話を聞くことがなくても、記録された肉声や映像を元に原
田さんの想いを私たちが汲み取ることは不可能ではなかったはずです。そこで、もし、私
が「現場」という言葉を捉え直すとしたら、「現場」という場所とは物理的な場所に限定さ
れず、なにかを解決したい・知りたいと願い求める人々の姿勢が生み出す空間であると考
えます。つまり、机上にも現場はある、といっても差し支えないと思うのです。ただし、
机上で出したその結論が、自らの問に対する応答として満足や納得に足るものでなければ、
直接何かが起きている場所に立ち会おうとする決断が自ずと出てくると思います。そのよ
うにして、現場は新たな現場へと移ろっていくのではないでしょうか。

感想
言語社会研究科 修士課程
水俣学とは具体的に何を示しているのだろう、これは私が会を通して考えていたことで
した。感じたことは、水俣学とは必ずしも水俣病を主要対象とする学問のみを意味するの
ではないだろうということです。「災害によって差別が生じるのではなく、差別があるとこ
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
ろに災害が起きる」という原田先生の言葉が示すように、水俣病は、表に現れない形で存
在していた差別が、あるきっかけによって露呈したものであると言えるでしょう。水俣と
は異なる地域においても、この視点から見たときに浮かびあがる問題は、他にも数多くあ
るはずで、それらに問いを立てていくこともまた、水俣学なのではないかと思いました。
文学を専門としている私にとって、水俣学とは、石牟礼道子さんの実践のように、科学や
数字では表示することのできない症状(自分のフィールドにおける現状)を、どのように
感知し、そして表していくかということでした。水俣学の意味を自分自身の立場から掘り
下げることが、自分自身にとっての水俣病と向き合う方法であり、これも水俣学と言える
のだろうと感じさせられる会でした。
感想
大島 岳
私が専攻する社会調査は、当然だが社会を分析する接近方法の一分野である。研究を通
じて何かに役立てられ無ければ社会的意義は無い。即ち、ただの自己満足に陥る。「現場
を忘れた研究は、きらめきと真実を失う」という今回の副題は、W.ミルズならば「人間を
見よ」というだろう。また、A. Kleinman の「moral witness」や A. Frank の「testimony」
の概念を想起させ、人と共にある調査の重要性やあり方を学んだ。得た教訓はこれだけで
はない。それは、「いま一つなにかが足りなかった。それは研究成果を具体的に患者の救
済や予防に直ちに役立てることができなかったことである」(『水俣病』)ことについて
である。原田医師は、医学研究が新潟水俣病の発生を防げなかったことについて教訓を得、
その後世界各国の環境被害救済に生涯をかけた。人と共にある調査の成果は、現実に同じ
ような苦しみを持つ人に対し、あるいはその苦しみの発生の予防に対し役立つべきである。
私は現在 HIV/AIDS の関連で調査を行っているが、当時の状況との類似点を多く発見した。
彼と、彼と共に歩んだ病を抱える当事者の人生の軌跡と功績は、現在尚更にきらめいてい
る。
2013.6.18「医師原田正純の営み」に参加して
「現場」で「診る」こと
一橋大学院 岩舘豊
ある調査者について、その営みを「知り・学び・うけつぐ」ためには、どうしたらいい
のだろうか。
水俣病という病あるいは社会問題に、真正面から、一生かけて取り組んだ原田正純さん
については、その「問題に向き合う姿勢」や「専門家としてあり方」、そして「生き方」が、
まずもって思い起こされる。そこが「知り・学び・うけつぐ」ための道筋の始まりであり、
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
行き着くべき先にあるようにも思う。今回の企画は、その道筋を模索していくための一つ
の場・機会であり、各人がその道筋をそれぞれのかたちで追求していくことが課題として
提示された。
「感じる疫学、すなわち、何か新しい問題を見出そうとするなら、現場に飛びこまなけ
ればならない。現場こそが、何かのきらめきを感じさせてくれるのだ。」(濱谷報告参照)
――今回の企画のなかで、こうした「現場に行って感じて考える」という原田正純さんの
「姿勢」に何度も言及がなされたことが強く印象に残っている。そして、「感じる疫学」「き
らめきと真実」という言葉が喚起するものに強く惹かれた。と同時に、筆者のなかでもや
もやとした、問いも生じてきたのだった。たしかに「現場」は、さまざまな発見や洞察の
手がかりを与えてくれるし、「現場を忘れた研究は、きらめきと真実を見失」ってしまう。
だがしかし、「現場」に行くことだけでは必ずしも十分ではないだろう。「現場」に行って、
感じ考えるために肝心なことは、そこで何をするかである。
では、原田正純さんという調査者は、「現場」で何をしたのか。そして、それはどのよう
になされたのか。今回の企画に参加するなかで、筆者に生じた問いの一つは、こうした原
田正純さんの具体的な「方法」についてだった。ここでの「方法」とは、ある現象や問題
と、それを解明しようとする主体とがぶつかりあうなかから、その都度、編み出され創意
工夫がなされながら用いられていくさまざまな手段の有機的連関であり、それ自体が調査
主体によって生きられたものである。そして、この「方法」に調査主体の「姿勢」や「生
き方」が色濃く刻みこまれているはずである。
原田正純さんという調査者の「方法」とはどのようなものだったのか。こうした問いを
立てて、さらにその営みを学んでいくことができるのではないか。筆者には、そのことを
考えるための準備や作業はできていないが、そのヒントになり得るものとして、報告者の
一人である高城さんのレジュメのなかに、「長時間診察法」についての記述があった。原田
正純さんは、熊本大学で師事した立津政順教授から「診察室で診たら、次は病棟で診る、
さらに、生活の場で診る。患者のそばで密着するようにして診察することを教わ」り、「水
俣病でも自宅まで行って廊下の歩行や階段の上がり下がり ...............
、食事の仕方など詳しく診て
............

運動失調や筋力低下など診断されていた」(強調は岩舘)とある。この時、原田さんのまな
ざしは、居宅内の「患者」の身体、筋肉や関節の動き、摂食時の所作やその食べ物へとそ
そがれていたことがうかがえる。
そして、初めて水俣病多発地区の湯堂を訪れた時のことを、原田正純さんはこう書き記
している。「戸は破れ、家の中には家具の一つもなく、布団は綿の塊でそれにくるまってい
る患者を見て、私は息をのんだ」。ここで、原田正純さんは、「戸」や「家具」「布団」など、
「患者」の身の回りにある物に目を凝らしている。
生活の場での「患者」の身体、生活を構成しているさまざまなモノ、それらへまなざし
ていくことで、「患者」が容易には言葉にしない生活状態や苦難をとらえようとしたのでは
ないか。そして、このことは、「患者」を病院で「診る」調査では、容易には明らかにでき
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
なかったはずである。
「診る..
」とは、「みおとしがないようにすみずみまでみて ........
、その事がらについて判断を下
す」(『漢字源』, 強調は岩舘)、という行為を意味する。原田正純さんは「現場」で何をど
う「診た」のか。その微細なまなざしを、原田正純さんが残したであろう調査資料――た
とえば「診る」ことの記録である「カルテ」――から読みとり、析出し、そして再構成し
ていくこと。こうした作業を通じて、その生きた「方法」をとらえていく作業が、「知り・
学び・うけつぐ」ための一つの道筋ではないだろうか。
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
実行委員の感想
感想
林 公則
今回原田先生に関する集会を開催してみてなによりも驚いたのが、参加人数の多さだっ
た。一橋大学に来るだけでもかなりの時間がかかってしまう埼玉大学の学部生が数多く参
加してくれたことに特に驚いた。それだけの時間をかけてでも参加したいと思わせる原田
正純という人物(また原田先生が残したもの)のすごさを改めて実感した。
当日は司会としてフリートークを仕切らせていただいたのだが、若い学生たちが批判を
おそれずに自発的に発言する姿が印象的だった。私が司会をうまくやっていればもう少し
議論が深まったのではないかという反省もあるが、多くの若い学生たちが拙い言葉ながら
集会を通じて感じたことを率直に表現し、それらを全体で分かち合えたことに大きな意義
があったように思う。また、そのような貴重な場を提供できたことを実行委員の一人とし
てとても嬉しく思っている。
感想
森 明香
発起者の一人として企画に参加した。広義の環境問題を研究テーマとし、肉親が公害で
死に、幼少期を公害が生じた地域で過ごした自分からは、参加者がこの企画をどう受け止
めるのか全くわからなかった。広報をする中で「原田正純」を知らない学生院生が大多数
であること、公害問題は多くの人にとって「他人事」にすぎなかったことを知ったからだ。
けれど、結果的に多数の方が足を運び、それぞれに企画から受け取ったものがあり、考え
るきかっけにしてくれたようだった。そのことは素直に喜びたい。
この会をきっかけとして原田先生の著書を読み返し、原田先生と所縁のある方々に対す
るインタビュー記事などを読んだ。人が好きなこと、お酒での失敗談など、人間味あふれ
る原田先生の姿を垣間見た。学んだこと、考えさせられた論点はいくつもあるが、楔を打
たれたように心に残っているのは「専門家としてある状況に直面したときに、あなたはど
う生きるのか」ということだ。原田先生の足跡をたどる中で、また著書の中から、こうし
た問いを投げかけられている気がしてならなかった。専門家は社会が悲惨な状況に陥った
り経験を余儀なくされたとき、何ができるのだろうか。何をみて、どう考え、それを社会
にどう還元していくのか。それを実践に移すことができるか。原田先生の生き様は、多く
の専門家にそう尋ねているように感じられた。
フリーディスカッションではこうした観点からの議論もしてみたかったと、今になって
思っている。大学生として、経済学者として、社会調査家として、文学研究者として、歴
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
史学者として、医師として、教師として。学びの途上にある学生と専門性を持つそれぞれ
とが、ある社会的な状況に直面したとき、その状況とどう向き合うのか。
とはいえ、後になっても「まだ議論したい」と思わせてくれる場となったのは、原田先
生と当日足を運んでくださったみなさんのおかげだと思っている。こうした機会はいずれ
また設けられるといい。呼びかけ人の濱谷先生、実行委員のみなさま、プレ企画を含めた
会場や椅子の確保でお世話になったみなさまにも感謝申し上げたい。

感想
石倉 研
原田先生の言葉で強く印象に残っているものに、「見てしまった責任」がある。個人的に
は、社会科学を専門とする我々が原田先生から受け継ぐものの1つはこれだと思っている。
社会科学は再現可能な実験を行なうことはできない以上、それぞれが自身の現場と格闘し
ながら、社会との関わりの中で研究をしていくものだと思う。自分が見て関わった現場に
おいて、何ができるのか、何が望まれているのか、その根本的な姿勢を原田先生から受け
継ぐことが、社会科学徒たる我々には必要なのだと感じている。それは、今回の企画をき
っかけに、改めて原田先生の書かれたものを読んでみても実感したし、企画内での活発な
議論を聞いていても思ったことである。高城さんのレジュメの最後に、「若い人にもそれぞ
れの内なる水俣病を見つけてもらいたいと思う。それが私の若い人へのメッセージである。」
と書かれてあった。原田先生のように直接水俣病にコミットしていくことは、自分にはで
きないのかもしれないが、少なくとも自分は自分のできる範囲で自分自身の「内なる水俣
病」と闘い、見て関わった責任を果たしていこうと思う。
「医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~」に参加して
根本雅也
今回、実行委員として準備・参加する中で、医師・原田正純の思想(あるいは生きざま)
に触れた。準備段階において、原田先生の著作を読んだとき、私は、自身のフィールドで
ある広島の原爆被爆者のことを即座に思い浮かべた。被爆者を取り巻く制度や社会状況、
自分の体あるいは親族に何が起こっているのか分からない不安や怒りの感情といったこと
が、原田先生の描く水俣病患者に類似するように思われたからだ。また同時に、現地で起
きている現象を見つめ、実際の現象から医学や制度のあり方を問い直そうとする原田先生
の姿勢が強く印象に残っていた。その後、この企画が終わって一カ月以上が過ぎたとき、
私は福島の医療ソーシャルワーカーと話す機会に恵まれた。彼から福島やそこに暮らす人
びとの現状について聞きながら、私は、「公害が差別をつくるのではなく、差別が公害をつ
くるのだ」という原田先生の言葉を思い出していた。つまり、この企画の準備・参加を通
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
じて、私は原田先生と「対話」し始めたといえるのかもしれない。この「対話」がどのよ
うに展開していくのかは分からないが、原田先生の生きざまや残した言葉を知り、それを
反芻し、ときに格闘しながら、私なりに「対話」を続けていきたいと思う。

感想
高柳友彦
会に出席して原田先生のこれまでの活動を振り返り、あらためて「研究」することの意
義を問い直すことができたと感じました。先生は水俣病と「出会う」ことで医師としての
道を定められ、そして、患者の視点から様々な問題を捉えることを貫かれました。患者が
どこでどのように苦しんでいるのかわからない中、多くの地を訪れ患者を診察し、彼らを
取り巻く社会的な「差別」の構造を指摘し続けたのです。私は日本史を専門とする歴史研
究者ですが、この先生の姿勢に学ばなければならないと再確認しました。歴史研究は過去
のことを問い直し、現在を相対化する学問ですが、その根底には現実に生きている人々の
営みへのまなざしが不可欠だと思います。経済発展の過程を単に追うことだけでなく、生
きている人々がどのように生存し、また時代の流れに抗してきたのか、「民衆」の視点が重
要だと再認識したのです。私たちは今、震災・原発事故を経験し、見たくない「現実」に
向き合わなければならない状況にあります。先生の意志を継承しながら、3.11 以降、被災
地で起きている様々な問題を解決することが私たちに託された使命でありますが、会での
学生らの活発な議論は、こうした活動を勇気づけるものだと確信しました。
医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ
~〝現場を忘れた研究は、きらめきと真実を見失う〟
感想
荒沢千賀子
原田正純氏の著作には、自らをふり返り人としてのあり方に立ちかえって問う氏の思
考の軌跡が率直に記されているので、読者との根本的で密度濃い対話が可能となる。わ
たしは、そこに魅力を感じていた。本企画ではまず、さまざまなかかわり方を通してそ
れぞれの形で氏と対話をされてきた方々が、思いを吐露された。氏に啓発された自分の
思いをそこに重ねあわせていたわたしには、本企画は氏との対話をさらに豊かにしてい
ただく場となった。
昨年、氏のあゆみを跡づけるドキュメンタリーが放映された(『原田正純 水俣 未
来への遺産』)が、その最後に水俣病の患者たちと氏の関係を鮮やかにうつし出した印
象深いシーンがあった。それは、患者たちが病床の氏を見舞う場面であった。そこで氏
は、それまで医師として自ら患者にかけていたのであろう言葉を、逆に患者からかけら
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
れる。このとき医師と患者のあいだを静かに流れた空気をていねいにみつめた映像は、
両者の人として互いを思いあう関係を本質深くうつし出していた。この秀逸な映像は、
著作を通してもっぱら原田氏の側から水俣病世界をみていたわたしに、患者のまなざし
から現実をとらえ返すことを可能にしてくれた。水俣病とその患者の世界には、氏自身
が不可欠な一部となっている現実が存在していた。そして、この現実での人間として濃
密な生が、氏の研究と思考の源であったのだろう。
このときわたしは、二ヶ月ばかり前の交通事故の後遺症に悩み、身体を分割し症状だ
けを診る医療によって自分が断片化し身体と症状に矮小化される感覚に苦しんだすえ、
生活をまるごと受けとめてくれる医師にようやく出会って救われた思いをしていたと
ころであった。生活上の小さな変化をカルテに書き留めては励ましてくれるその医師に、
原田医師が重なってみえた。このような状況にあったので、人としてどう対象や患者に
向きあうかを自らに問い続けることを原点として研究や医療の根本を問い直していっ
た原田氏に、わたしは強く惹かれた。本企画の資料や発表によって、氏の人柄や、時代
の課題にこだわって生きた氏の足跡を知ることができた。医師原田正純氏は、何よりも
まず人として深く濃く生きた人であったのだろうと思う。このような先達をもち出会え
たことはわたし自身への励ましとなった。
本企画では、最後に参加者が互いに向きあって座し語りあったのだが、そこで感じた
確かな「今」の手ごたえにわたしは胸が熱くなった。参加者の多くには、それぞれの水
俣病との出会いかたがあった。参加者たち、ことに若い学生たちの、懸命に言葉をさが
し思いを伝えようとする一言ひとことに、自らの水俣病との出会いの意味を今の自分と
社会の現実に引きつけて掴もうとする苦闘があった。参加者の発言の根底に、日本社会
の現実にたいする深い危機意識がうかがえた。今ここには、人としての根本を揺さぶら
れた人びとが集っている。人が人間らしく生きることの困難がいっそう深まりつつある
現実に立ちながら、その重さを誠実に受けとめ考えようとする。そんな人びとがここに
集い、互いに顔がみえる場で空間を共にしている。この事実にわたしは勇気づけられた。
この事実は、わたしの現実をすでにそれ以前とは異なったものにしていた。原田氏にむ
すばれて、新しい現実が芽吹こうとしている。いまだ未知ではあるものの、次なる出口
をもとめてふくらむ熱いものを共有して進む熱心な議論に魅せられながら、わたしは昂
揚する感覚で満たされていた。
最後に、本企画実行委員会の賛同協力者に名を連ねながら何もできず、他のメンバー
の方々にすっかりお任せしてしまったことをお詫び申しあげるとともに、実行委員のみ
なさま、参加者のみなさまに心より感謝したい。
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
「今、水俣・そして水俣病について思うこと」
永野 新太
地元を離れて 11 年が経つ。その間に幾度となく自己紹介をしたが、「水俣出身です」と
いうと実に多彩な反応を示す。言葉に詰まる人もいれば、水俣病があったところだよね?
と聞いてくる人もある。どこに行っても水俣を知っている人が大半で、それはつまり水俣
病を知っているということだった。そういった反応の中で、イケナイコトに触れたかのよ
うな表情を浮かべられるとこもあった。私にとっての「水俣病」は、その事件の凄惨さと、
そういった世間との対峙であった。
今、水俣について思うこと。医師原田正純氏が水俣学を提唱したように、単に病態とし
ての水俣病ではなく、それを取り巻く様々な問題が山積しているということ。水俣は日本
の縮図だ。
遠く離れた東京の地で、医師原田正純氏の軌跡を辿りながら様々な観点でみた故郷。活
発な意見交換に刺激を受けながら、私自身は、内なる水俣を見つめ直すため、改めて水俣
について学びたいと感じた。
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医師原田正純の営み~知り、学び、うけつぐ
付録2 プレ企画 「原田正純先生の著書に学ぶ」
6 月 18 日(火)に開催する”医師原田正純の営み”に先立ち、プレ企画を行います。
原田正純先生は、水俣病や炭じん爆発事故による CO 中毒、土呂久など国内、また世界各地の環
境汚染による人びとの健康実態調査を行い、その都度専門医学のレポートをまとめましたが、そ
れにとどまらず、社会的な報告も重ねてきました。
「医学は社会科学であるべき」と述べ数多発表された原田先生の著書を読むことを通じて、原田
先生の営みを学びます。
日時 6 月 11 日(火) 17:00~
場所 第 2 研究館 217
プレ企画の読書会では、1 人 1 冊の著書を選び、レジュメにまとめ、読みを報告する、という形
式で行います。事前に参加者それぞれが報告する本を選び、どの本を取り上げるか参加者の間で
共有します。
取り上げる本全冊を読んでくるかどうかは、参加者各自に任せます。
報告する方は、読んでいない人にもわかるようなレジュメを御願いします。
・・・・・・・・・・
本企画に先立つ 6 月 11 日(火)、原田先生が他界して 1 年目の日、発起者の院生の呼びかけの
もと、プレ企画を開催した。
しっかり議論をしたかったので、プレ企画に参加する者は一人一冊著書を読み、読んでいない
人にも伝わるようにレジュメを切り、かつ自分の読みを紹介することという条件をつけた。プレ
企画への参加者は 6 名、取り上げたのは次の 6 冊である。いまなお読み継がれる代表作の一つ『水
俣病』(1972)、その続編として認定制度や訴訟の詳述し救済の進まぬ状況を記した『水俣病は終
わっていない』(1985)、水俣病を通じて見出した社会に巣食う差別構造と環境破壊を追った『水
俣が映す世界』(1989)、権力に阿て責任を果たさない専門家を鋭く突いた『裁かれるのは誰か』
(1995)、三井三池鉱炭じん爆発事故による CO 患者を 30 年以上にわたり追跡調査した『炭坑の
火は消えても』(1997)、多様な媒体に発表した文章を集めて編集した『原田正純追悼集』(2012)
である。
今回初めて原田先生の著書を読んだという院生、環境問題をテーマとする院生、水俣に育ち原
田先生の教えを受けた経験も持ち水俣病を研究テーマとしている院生が参加し、多岐にわたる論
点が出された。水俣病がこれほどのものだとは思わなかったという感想。原田先生の豊かな人間
観、お酒での失敗が多いことに対する親近感、調査記録をしっかりつけていること。原田先生が
周囲の人から得ていた信頼や人としての魅力。“専門家”は何から学ぶのか、学ぶ・知るとはどう
いうことか、なぜ専門家は権力にたやすく利用されることに無自覚になりがちなのか。未だ十分
に取り組まれているとは言い難い公害・環境問題と今なお変わらぬ社会構造等々。その後議論の
場は飲み屋へと移り、日が変わり閉店になるまで原田先生の営みから何を学び思ったかを語りあ
った。
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