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2017-05-19 09:30:24 | 日記
写真9

写真10

2004 年 8 月、カナダのホワイト
ドッグとグラッシーナロウズとい
う居留地で、水銀の長期微量汚染
の影響について追跡調査をするこ
とになり連れて行っていただきま
した。ここでも検診は非常に和や
かでした。水俣市と似たような景
色で、穏やかな湖が広がっていま
した[写真 10・11]。
写真11
最初の調査は、1974 年の秋に、写
真家のユージン・スミスのパートナー
であるアイリーン・スミスがカナダか
らかけた「カナダに水俣病が発生して
いるらしいから、来てください」との
電話がきっかけでした。翌年、3 月と
8 月に臨床、疫学的な調査を行い「人
体に有機水銀の影響がみられている」
との結論を出しています。ところがカ
ナダ側の最終報告は「水俣病は発生し
ていない」というものでした。現在も、
カナダ政府は水銀汚染については認めているものの、水俣病の発生については認めていな
い状況です。汚染源は、160 ㎞離れたパルプ工場で、湖に無処理の水銀を流し続けました。
湖の魚や森のいきものの命を、自分たちが必要な分だけいただくという考えを持ち、自然
とともに生きてきたカナダの先住民たちがここでも犠牲となりました。歓迎会では、伝統
28
医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
の踊りを披露してくださいました[写真 12]。
写真12

スライド1
水俣とカナダの共通する加害と被害の構図について、
・差別される人たちのところに公害が起きる。
・権利を主張することが苦手な相手だからこそ、平気で毒物を流し、被害を無視できる。
29
医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
・伝統的な生活や文化が外圧で急激に変化させられるときが、公害の前兆なのだ。
・水俣とカナダ、遠く離れた二つの公害現場だが、加害と被害の構図はあまりにも共通。『マ
イネカルテ(2008)』p.150~151
ということを実感する調査となりました。
原田先生の人生の後半部分しか私は知らないので、前半部分についても触れておきたい
と思います。レジュメの 1 ページ目にまとめてみました。先生はお酒が強くて、酒の席で
昔話をしてくださることもあったのですが。先ほど寺西先生のお話に出てきた天草環境会
議は、開催するにあたって今年はどんな風にするのか、という事前の話し合いをするんで
すね。天草の漁師さんたちが、魚介類を原田先生のご自宅に持ってきて下さって、ハコフ
グが珍しかったんですけど、そして会議という名の飲み会をしつつ、今の問題点について
語り合うんですけど。先生はその飲み会(会議)が終わって、後片付けも一通り終わって、
それからご自分の部屋で書類を作ったり原稿を書いたりされていました。とてもタフな方
でした。
1934 年に鹿児島県でお生まれになって、お父様が開業医で、「医療は技術ではなく心」と
常々おっしゃられていたようです。熊本が疎開先だったそうで、そこでお母様を亡くされ
敗戦を迎えることとなります。敗戦は、お上から下まで戦争の責任を曖昧にした、「曖昧な
日本の始まり」と、責任の所在を明らかにしない日本の姿を経験します。1960 年に、熊本
大学の大学院に入学され、そこで宮川先生と出会います。この当時、水俣病の原因が何な
のか、水銀なのか、タリウムなのかと、色んな説があって、宮川先生は、タリウム説を主
張して実験をされていたのですが、その先生が(「過労もあったかもしれない」、と原田先
生はおっしゃっていたんですが)、「水俣病は最後までやれよ」という言葉を残してお亡く
なりになります。その後任ということで、東京都の松沢病院から立津政順教授が赴任しま
す。この方の特徴は、長時間の診断法で、1 人につき 2~3 時間。長時間の調査方法を重視
していました。診察室で診たら、次は病棟で生活を診る。さらに生活の場で診る。とにか
く、一か所だけで患者を診たのではわからないから、患者のそばに密着するようにして診
察することを教わります。水俣病でも、患者の自宅まで行って廊下の歩行や、階段の上が
り下がり、食事の仕方など詳しく診て、運動失調や筋力低下などを診察されていたそうで
す。そして、1961 年、初めて水俣病多発地区の湯堂を訪れます。ここで貧困と差別を目の
当たりにして「見てしまった責任」を感じ、「治らない病気を前にして医者は何ができるか、
何をすべきか」を考えます。これが、原田先生の医学の原点の一つで、ここから水俣病事
件と一生向き合うこととなります。
1964 年に熊本大学医学部に就職してからは、日本国内から海外まで公害の起こっている
場所があれば現地に赴き、「環境問題の調査研究は専門と非専門の枠を超えること」、「現場
に立つことの重要性」、「公害が起こって差別が生じるのではなく、差別のあるところに公
害が起こる」ことなどを提唱されます。
1999 年に熊本学園大学に赴任され、「水俣病事件でもっとも学ばされたものは『何のため
に研究をするかという研究のあり方、専門家とは何か』ということだった。水俣病を取り
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