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2017-05-19 09:03:47 | 日記
1999 年に熊本学園大学に赴任され、「水俣病事件でもっとも学ばされたものは『何のため
に研究をするかという研究のあり方、専門家とは何か』ということだった。水俣病を取り
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
巻くさまざまな経験から、何か教訓を若い人に残したいという想いがある」ということで、
水俣学を立ち上げます。原田先生の遺言として、「水俣病は終わっていない」という想いが
あると思い、レジュメ 2 ページ目の 3 に、水俣病事件は終わっていないということについ
て書いてみました。

スライド2
まず、行政は、水俣病の認定制度の誤りを正そうとしていない。本来であれば、食中毒
事件で全員が対象となるはずなのに、そうはなっていない。歴史的にはチッソの要請でで
きたものなので、患者のためのものとは素直に言えないものでして、本人が申請しないと、
どんなに症状があっても審査会にすらかけられない、何の補償も救済も受けられないもの
です。「知らない人」、「気がつかない人」、「差別を恐れ申請できない人」などを、結果的に
は排除する仕組みとなっています。「みんな隠しとったもんね」というように、結婚や就職
ができなくなるんじゃないかということで差別を恐れて申請できない人が沢山いました。
そういった人たちを結果的には排除する仕組みとなっていて、不平等な制度設計になって
います。大学院の講義の中で、原田先生が認定制度について「僕に言わせると、そんなの
やめちゃえと思う」とおっしゃるくらい、問題の多い認定制度の仕組みが今も運用されて
います。
次に、係争中の裁判があります。胎児性世代訴訟と呼ばれているものです。「海鳴」の号
外を印刷したものをお配りしています[別紙 1]。これは、2013 年 4 月 16 日に、「溝口訴訟」
の最高裁で勝訴判決が出た時の写真で、溝口秋生さんと、後ろに顔半分映っているのが息
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
子の知宏さんです。下の写真の右側に映っているのが、胎児性世代訴訟原告の佐藤英樹団
長です。判決までには、溝口秋生さんのお母様のチエさんが認定申請してから 39 年も経っ
ていました。チエさんは、すべての検診が終了しないまま亡くなり、感覚障害があるとす
る民間病院の診断書だけが残されていました。原田正純先生は、地域ぐるみの汚染だった
という前提で「環境病跡学」をもとに証言し、チエさんが水俣病であったことを立証しま
した。この最高裁判決は、現在、熊本地方裁判所で争われている胎児性世代訴訟にも大き
な影響を与えると見られています。この訴訟の原告の方々は、胎児性・小児性世代です。
この世代の方の中には、幼少期に劇症患者の方を見て育ったりした環境があることと、行
政が「何が水俣病なのか」について具体的症状を積極的に周知しなかったこともあり、「重
篤な劇症患者だけが水俣病」だと思い込んでいたりします。また、幼少期から何かしらの
症状を持っていたが、若さで乗り切っていた。しかし、40~50 代に差し掛かり症状が重く
なり、体力的にも乗り切れなくなっていく人が出てきました。家族ぐるみで、地域ぐるみ
で汚染を受けてそれぞれに症状を抱えていますので、自分だけが特別なのではなく「世の
中は、こんなもんだろう」と思いがちになってしまう。私も、原田先生から水俣病の具体
的な症状を知るまでは感覚障害について気に留めたことがありませんでした。思い返して
みると、近所のおじさんやおばさんが、素手に近い状態で平気で熱いものを持って後でや
けどに気が付いたり、作業中に指が切れそうになっているのに気が付かなくて切断してし
まったりと、そういった日常生活の中に、感覚障害による怪我があったんだろうなぁと、
言われてみてはじめて気が付くわけです。生活の場で、困難を抱えている方がいらっしゃ
るんだけれど、周囲の人も同様に困難を抱えているもんだから、「まぁ、世の中こんなもん

スライド3
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なんだろうな」となって問題が表面化されにくいのだと思います。それと、「まさか自分
が?」という思いを持ちつつも診断してみると、感覚障害や視野狭窄、震えに頭痛など、
何らかの症状を持つ人が多くてですね。このまま行動を起こさなかったら「何もなかった
ことにされてしまう」、「被害者を患者と認めず、責任をとろうとしない国・県・チッソに
対し怒りを感じ、このままでは被害者は救われない」という思いを持った人たちが 2007 年
10 月に提訴しました。
【 参考リンク 】
チエの話
http://homepage3.nifty.com/mizogutisaiban/index.htm
溝口さん(水俣病認定)棄却取消・義務付け行政訴訟のホームページ。半世紀にわたっ
て水俣病被害者を苦しめ続けている「水俣病認定制度」。その政治的な認定基準や行政の不
合理な運営に対する患者遺族の闘いについて裁判資料も含めた詳細なデータを掲載。
水俣病訴訟を支える会より
http://sosyousasaeru.cocolog-nifty.com/blog/2/index.html
阪南中央病院労働組合より
http://www.mmjp.or.jp/hannan-union/0712minamata.htm
チッソなどを相手に、損害賠償請求訴訟を続ける水俣病被害者互助会の佐藤英樹団長の
決意や、熊本地方裁判所で 2010 年 7 月 12 日に行われた原田正純医師の第一回証人尋問の
傍聴報告が掲載されている。
隣のページ[別紙 2]には、南日本新聞の「水俣病介護過酷さ増す」という記事がありま
す。これは、水俣病第 1 号の田中実子さんを取り上げた記事です。今も、海の上に立って
いると言っても過言ではない場所に立つご自宅でひっそりと生きています。私は、「NPO
法人はまちどり」が主催する、水俣病の歴史と制度について理解を深め、当事者の声に傾
聴し理解できるヘルパーになって欲しいという趣旨の「水俣病を理解したヘルパー養成研
修」を受けました。その縁で、田中実子さんのヘルパーとして一晩だけ過ごしました。こ
れから夜の介護に入ろうと思っていた矢先に、妊娠が分かったので結局 1 回しかお手伝い
することができませんでしたが、この記事にもあるように、24 時間目が離せない状態です。
決まった症状が出るわけではないので、日によって変わるのです。とても静かな日もあれ
ば、ひざ立ちでぐるぐる回って、どこにパタンと倒れるかわからない日もあるそうです。
これまでは、家族で介護をされてきたわけですが、やはり家族も高齢化していきますので、
ヘルパーが必要ということでようやくヘルパーを入れることになりました。第 1 号の患者
だったために、最初は感染症・伝染病ではないかと恐れられ、差別を受け心に大きな傷を
負ったという歴史があります。そのため、外部の人間を家の中に入れることに拒否感があ
りました。こうした歴史のある方々は、今もひっそりと生きているわけで、そういった意
味でも、水俣病はまだ終わっていないのです。
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
水俣病事件を見つめることで、行政がかかえる問題や、政治や社会のありようが見えて
きます。水俣病と似た構造の事件は、日本だけではなく世界中で起こっています。最近の
日本でいえば、新たな「ミナマタ」が「フクシマ」で起こる可能性が高いのではないかと
危惧しています。福島第一原子力発電所の事故に関しては、報道での情報しか知らないで
すけど、見ている限りにおいては、責任の所在を明らかにせず曖昧なまま、問題を先送り
にする行政の体質があり、声を上げなければ「なかったこと」にされてしまうように感じ
ています。「海に放出された放射性物質は希釈・拡散されるから大丈夫ですよ」なんて学者
さんが言っていましたが、そののち、生物濃縮されてもどってくることは水俣病事件で実
証済みです。こうした場面で、水俣病の教訓を生かして今後起こるであろう健康被害を少
しでも減らして欲しいと、日本政府に対しては思います。
最後になりましたが、「若い人にもぜひそれぞれの内なる水俣病を見つけてもらいたい」
と、原田先生は生前、おっしゃっていました。それは何も水俣病に関わる問題だけではな
くて、様々な問題があるかと思うので、皆さんの足元にある問題を見つけていただきたい
なと思います。私も、水俣病事件について、今後もずっと関わっていきたいなと思ってい
ます。以上で、私の話を終わりたいと思います。ありがとうございました。
【 報告を終えて 】
濱谷正晴先生や林公則さん、森明香さんたちとのご縁で、一橋大学で行われた「医師原
田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~」にて話をさせていただいた。林さんや森さんと
は、2006 年 9 月に熊本学園大学で開催された「水俣病 50 年の教訓は活かされたか」とい
う問い掛けを国内外に発する第 1 回国際フォーラムで出会った。濱谷先生とは、林さんの
紹介で被爆者の記録をテキスト化するお手伝いをしたことをきっかけに出会った。それぞ
れの出会いは、原田先生が間接的に導いてくれたものと思っている。
当日は、80 名ほどの方が集まってくださり、水俣病事件や原田先生に関心のある方が多
いことを嬉しく思った。東京の地で、さまざまな立場にある若者が水俣病事件について議
論が交わしている姿を見たら、きっと原田先生は喜んだことだろう。企画・運営して下さ
った方々に御礼申し上げます。
以下に、報告の中では話すことができなかった、原田先生への感謝の思いをこの場をお
借りて記しておきたい。
私が卒業した水俣市立袋小・中学校では、道徳の授業のほとんどが水俣病についてであ
った。小学生の時に見た、ネコ実験の映像が衝撃的で、その晩は、クレーン車で宙づりに
なった自分が海の中に少しずつ沈められて行き、ネコのようにもがき苦しむという夢を見
て恐怖で目が覚め、朝まで眠れなかった。いつも見ている青くきれいな海が、夢の中では
どす黒くて、「人間はなんておろかなことをしてしまったんだ。何で毒を流し続けたのか」
と、チッソの非人間的な行為が許せなかった。道徳の授業では、水俣病の歴史に加えて、「水
俣出身であることに誇りを持ってほしい」、「水俣出身と堂々と言える子になろう」という
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メッセージが込められた授業が展開されていた。それは、部活の遠征試合や修学旅行に行
った先で、他校の児童・生徒から、「水俣病がうつるから近寄るな」と避けられたり、ばか
にされるなどして帰ってくることがあったためだった。私自身も、高校生の時に水俣出身
という理由でからかわれた経験がある。からかわれたことに対する恥ずかしさを感じたと
同時に、被害者である水俣病患者が、なぜ中傷の対象となるのか理解できずに悩んだ。そ
れ以降、水俣出身であることを隠す必要はまったくないはずなのに、堂々と言えるかとい
われると、そうではなく、ためらうようになっていた。
熊本学園大学で原田正純先生と出会い、そんな私の生き方が変わった。柔らかい口調で、
時にはユーモアを交えながら学生に語り掛ける姿が印象的だった。水俣病は、国策のもと
行われた企業と行政の犯罪であり、大量殺人と言ってもいいほどの大事件なのだというこ
とを、自身の体験をもとに一つひとつ説明して下さった。チッソが人命よりも利益を追求
したことは知っていたが、まさか国も加担していたとは思いもよらず、「経済のために水俣
は見捨てられたのか」と悔しい思いをした。また、公式確認以来、不知火海一帯に住む住
民の健康調査が一度も行われておらず、水俣病の被害者がどのくらいいるのかさえ把握し
ていない日本政府の怠慢と傲慢さに唖然とした。原田先生は、大学の外でも大忙しだった。
原告被害者側の証人として何度も証言台に立った。常に患者の立場に立って水俣病を告発
し続ける姿に「水俣のために、患者のために、ここまで人生をかけてくれる人がいるのか」
と心打たれ、「水俣出身と言えないなんて言っている場合じゃない、こんな理不尽なことが
行われている事を多くの人に伝えなくては」との思いが芽生え、ようやく堂々と名乗れる
自分になれた。生き方を変えるきっかけを作って下さった原田先生には本当に感謝してい
る。
大学 4 年の秋から水俣学講義が始まり、「水俣病のことが学問に?しかも、水俣病事件に
特化した講義が始まるのか」と、驚いた。「水俣学は、水俣病学ではないんです。学問は何
のために、誰のためにあるのか。なぜ人は学ぶのかといったことを皆さんと一緒に考えて
いきたい」という言葉を聞いて、水俣で起きたこと/起こっていることが学問になるので
あれば、それらを可視化するために住民の記憶を記録しなくてはならないと思った。特に、
私が悩んだ患者に対する中傷の言葉がどのようにして生まれたのか、その差別構造につい
て明らかにする必要があると感じた。原田先生の講義では、物事について多角的に考える
視点を学び、自分の立ち位置をどこに持っていくのかといった生き方を問われた。原田先
生が残してくださったものを大切にしたい。原田先生の意志を受け継ぐ花田昌宣先生のも
とで、これからも水俣病事件を見つめ、関わり、少しずつだが研究を続けていきたいと思
っている。
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号 外
次男の溝口秋生さん(81)が、母親チエさん(享年 77)の水俣病認定を求めていた溝口訴訟は、4月 16
日最高裁で判決が言い渡されました。寺田裁判長が「上告を棄却する」と判決を言い渡すと、傍聴席から「よ
し」という声があがり、喜びの声にあふれました。難聴の溝口秋生さんは、隣の永野三智さんから「勝ったよ」
と大きな声で教えられ、支援の人達と抱き合って喜びました。
最大の争点となった国の水俣病認定基準について、最高裁は否定はしませんでしたが、「複数症状の組み合
わせが認められない場合でも、関係証拠を総合的に検討した上で水俣病と認定できる」として、総合的検討
が必要であることを指摘しました。チエさんは、検診が終了しないまま死亡し、感覚障害があるとする民間
病院の診断書だけでしたが、故 原田正純医師の証言などで、原告側は、チエさんが水俣病であることを立証
しました。
この最高裁判決は、現在、熊本地方裁判所で争われている胎児性世代訴訟
にも大きな影響を与えると見られています。佐藤英樹団長は、「自分たちの
裁判に光が見えた」と語りました。
又、判決は、これまでの大勢の棄却者の中にも認定されるべき人がいること
さらに、去年7月で締め切られた特別措置法の救済申請者の中にも、認定され
るべき人がいることを示しています。
行政の認定業務について、根本からの変革を求めた判決と言えます。
水俣病裁判は、弁護士や支援者の手弁当で支えられています。支援カンパを下記の口座にお願いいたします。
銀行名:肥後銀行 店番:160 預金種目:普通
店名:東支店 口座番号:1479468 宛先:水俣病訴訟を支える会
5月 12 日
2013 年(平成 25 年)
溝口訴訟 最高裁で勝訴 ! 認定申請から 39 年
総合的に検討すれば、感覚障害の診断書だけでも水俣病と認定できる。
最高裁判決は、胎児性世代訴訟(佐藤英樹団長)にも大きな影響。
判決後、支援者に応える原告の溝口秋生さん
溝口訴訟
最大の争点は、国の水俣病認定基準が
妥当かどうか。二審の福岡高裁で溝口
さんが逆転勝訴したため、熊本県が上
告していた。
チエさんの認定申請から 39 年、死亡
から 36 年、次男秋生さんの提訴から
12 年という長い年月がかかった。
佐藤団長を激励する溝口さん
別紙1
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医師原田正純の営み~知り・学び・うけつぐ~
4.明日へつなぐ~感じたこと・思うこと~(出席者によるフリー・トーク)
埼玉大学教育学部 2 年
まだ何を話すか整理できていないが、私自身も去年大学で水俣に行って水俣病患者の方
と交流した。今年も水俣に行こうと思っている。福島原発事故が起きたとき自分を加害者
のように感じていた。水俣病についても去年学習会に参加したとき、私はチッソの幹部で
はないのに、無意識に自分を加害者の立場に置いていた。水俣に行ってからそれがなぜか
をずっと考えていたが、未だに答えは出ていない。自分をどの立場に置くか云々よりも、
自分と何か生じた事件とのつながりを考えるときに自分の中にどのように位置づけるかを
考えるのが大切なのかと改めて思った。今日話してくださった先生方のお話を聞き、今日
本はアフリカを新天地として行こうとしているが、そこにも水俣のようなことが起こりか
ねないし、そういうときに私たちがどう動くかも考えねばいけないことなのではと改めて
考えさせられた。
一橋大学社会学研究科修士 1 年
僕の研究しているのが知的障害者だが、研究する自分の立ち位置をどうするかは非常に
難しいと思っている。被害者加害者と容易に言えないが、もどかしい気持ちがあり寄り添
いたいと思い、医学者でもなく社会科学者を目指す者がどういう立場にあるべきなのか
日々悩んでいるので、同じ姿を感じた。水俣で考えるならば社会科学者を志す者としては、
なぜ水俣病が起こり、公害が輸出されている問題だとか、繰り返されている現状をどう分
析しどう生かしていくのか考えなければいけないと思った。自分のゼミが地域医療に深く
かかわるところなので、原田先生の診察の態度などを見て、長野に地域医療を進めてきた
佐久病院のお医者さんや地域医療を担ってきた人たちと、同じような姿勢を感じた。現場
に入って病状だけを診るのではなく現場の生活を診て全体像を捉えていく姿勢というのを
見て、何かしらつながりがあると思い、これからの医療や生活やケアを考える上でも今後
学んでいかなければいけないなと思った。
一橋大学経済学部 4 年
ゼミで去年、公害も伴い高度経済成長してきたがそのあり方は正しかったかと議論する
ことがあった。そのとき僕は「公害で被害に遭った人がいてもそれで今の豊かな社会があ
るからある程度は仕方ないのではないか」という意見を述べたが、今も苦しんでいる方が
いるという現状を知らずにそう言ってしまい、考え方を改める必要があるのかなと、聞い
ていて思った。福島でも同じことが起こるかもしれない。自分がどうかかわっているかわ
からないが、海に放射性物質が出ているということは自分にもかかわってくる可能性があ
る。ちょっとずつ考えていけたらいいと思った。ありがとうございました。
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医師原
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