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2017-05-18 20:44:51 | 日記

原田正純先生
プロフィール
1934
年 鹿児島県生
まれ 。
1964
年 熊本大学大学院医学研究科修了
、医学博士

熊本大学精神神経内科講師
、熊本大学体質医学研究所助教授
、1999
年より 熊本学園大学社会福祉学部教授
。2010
年、熊本学園大学
を退職 し現在同大
水俣学研究
センター
顧問 に就任 。胎児性水俣病
、カネミ
油症 など 社会医学研究
を行い、カナダ
・ブラジル
・中国 など 世界各地
において
水銀中毒
などの
調
査を行う。
【原田正純氏略年譜

1956 (昭和
31 )年5月 1 日 新日本窒素肥料
(以下 「新日窒
」という
。) 附属病院長細川
一ら、脳症状
を呈する 患者 の発生 を水俣保健所
に報告
-水俣病公式発見

1959 (昭和
34 )年3月 熊本大学医学部卒業
熊本大学医学部付属病院精神科神経科助手
1959 (昭和
34 )年 11 月 NHK
テレビ
番組 「日本 の素顔 」で水俣病患者
のフィルム
を見て大変 なショック
を受ける
1960 (昭和
35 )年 熊本大学大学院医学研究科
(内科系
)入学 第 28 回医師国家試験合格
(第 173811
号で医籍 に登録 )
1961 (昭和
36 )年4月 立津教授着任
、初の水俣病現地調査

1961 (昭和
36 )年7月 熊本大学医学部神経精神
科立津政順教授
に同行 し、水俣市湯堂
の公民館
ではじめて
水俣病患者
を診察 する
1961 (昭和
36 )年8月 明神崎
に寝たきりの
患者 の診察 に行き、胎児性水俣病
患者 の兄弟 と出会 う
立津教授
の指導 のもとに
、胎児性水俣病患者
の調査 を始める 。それから
本格的
な水俣通
いを 始める
1963 (昭和
38 )年 11 月 三井三池鉱炭塵爆発
事故 による
一酸化中毒
患者 の診療 に関わる
一酸化中毒患者
100 人について
9年間 に渡る追跡調査
に関わることで
、のちに
水俣病
で問題 になる
補償 の考え方や、被害 の実態 の評
価に関して 貴重 な体験 を得る
1964 (昭和
39)年3月 熊本大学大学院医学研究科
(内科系
)単位取得満期退学
医学博士
(熊本大学

1964 (昭和
39 )年5月 熊本大学医学部神経精神科助手
1965 (昭和
40 )年4月 胎児性水俣病
の研究 により
日本精神神経学会賞
1965 (昭和
40 )年5月 31 日 新大 の椿・植木両教授
、新潟県衛生部
(現福祉保健部
)に対し「原因不明
の水銀中毒患者
が阿賀野川下流沿岸部落
に散発 」と報告
-新潟水俣病発生
の公式確認

1969 (昭和
44 )年夏 頃 川本輝夫氏
(熊本水俣病自主交渉派代表
、元チッソ
水俣病患者連盟
委員長
)と出会 う。川本氏
と二人三脚
で患者掘
り起こしを
行う
1969 (昭和
44 )年9月 水俣病研究会
に参加 する 。研究会
で宇井純氏
(当時東大助手
)と知り合う
1970 (昭和
45 )年
水俣 を訪れた 新潟水俣病胎児性患者
を診察 する
1971 (昭和
46 )年1月 新潟大学
の水俣病追跡調査
に参加 。沼垂診療所
の斎藤所長
(現木戸病院名誉院長
)と新潟大学神経内科広田医師
の案内 で阿賀野川流域
の患者宅
をまわる
1972 (昭和
47 )年4月 熊本大学体質医学研究所気質学助教授
1972 (昭和
47 )年6月 第1回国連人間環境会議
(ストックホルム
)に熊本水俣病患
者や宇井純氏
とともに
参加
1972 (昭和
47 )年 11 月 岩波新書
から 「水俣病
」発表
1973 (昭和
48 )年5月 「第三水俣病
」の取材 を受ける
1975 (昭和
50 )年1月 世界環境調査団
の一員 として
、米国 エルパソ
に有機水銀中毒胎児性患者
を訪ねる
1975 (昭和
50 )年
熊本県認定審査会委員
に就任
1975 (昭和
50 )年3月 アイリーン
・スミス
氏の招きにより
、宇井純氏
、宮本憲一氏
(大阪市立大教授
)とともに
カナダ
先住民居留地
の水俣病
を調査 。その 後
2002
年と 04 年にも 調査団
を結成 し、現地入
りする
1979 (昭和
54 )年3月 28 日 熊本水俣病第
2次訴訟判決
。新潟大学医学部椿忠雄教授
とともに
熊本大学医学部原田助教授
の医学鑑定
を基に、チッソ
に補償金
の支払 いを 命じる 判決 が下される
1980 (昭和
55 )年9月 中国総工会
の招聘 で講演旅行
、中国 の水俣病調査
1986 (昭和
61 )年7月 ヒ素中毒患者
に話を聞くため
新潟県中条町
(現胎内市
)を訪問 。
1987 (昭和
62 )年8月 岡山大津田敏秀講師
とともに
調査団
を組み、中条町
ヒ素中毒
を調査 。住民検診
を実施
1987 (昭和
62 )年 水俣病患者
さんとともに
ベトナム
を訪問 し枯葉剤被害
による
結合体双生児
ベト 君・ドク 君に会う。
1988 (昭和
63 )年4月 トヨタ
財団 の資金援助
を受けて ベトナム
で枯葉剤影響
の共同調査
を行う。
1991 (平成 3)年2月 ブラジルパラ
州立大学
の要請 を受けて アマゾン
川流域
の水銀汚染調査
を行う。
1999 (平成
11 )年9月 熊本学園大学社会福祉学部教授
(福祉環境論
、医学一般
、環境論担当

2000 (平成
12 )年
長崎県五島
・玉之浦
のカネミ
油症 の現地調査
に関わる 。( 医師 4人と熊本学園大学大学院生看護士
4人が参加 )
2005 (平成
17 )年
熊本学園大学
水俣学研究
センター
立ち上げ
2010 (平成
22 )年3月 熊本学園大学退職
、同大学水俣学研究
センター
顧問
2012
年 6 月 11 日 急性骨髄性白血病
のため
死去 (77 歳)
【主な受賞歴

1964
年 胎児性水俣病
の研究 により
日本精神神経学会賞

1989
年 「水俣 が写す世界 」( 日本評論社
)で第 16 回大佛次郎賞

1989
年 「水俣 -もう 一つの カルテ
」( 新曜社
)で第 31 回熊日文学賞
1994
年 国連環境計画
(UNEP )から グローバル
500 賞
2001
年 熊日賞
、第 35 回吉川英治文化賞

2003
年 久保医療文
化賞
2010
年 朝日賞
、第2回 KYOTO
地球環境
の殿堂入
り者となる
【主な著書 】
「水俣病
」、「 水俣病
は終わっていない
」( 岩波書店
)、「 水俣 の赤い海」( フレーベル
館)、「 裁かれるのは
誰か」( 世識書房
)、「 水俣病
と世界 の水銀汚染
」、「 胎児 か
らの メッセージ
」、「 慢性水俣病
-何が病像論
なのか
」( 実教出版
)、「 炭坑 の灯は消えても
-三池一酸化炭素中毒
の 33 年」( 日本評論社
)、「 金と水銀 私の
水俣学
ノート
」( 講談社
)、「 いのちの
旅「水俣学
」への 軌跡 」( 東京新聞出版局
)、「 水俣学講義
」( 日本評論社
)など 多数 。
出展 :水俣病
(岩波新書
)、 水俣病
が写す世界 (日本評論社
)、 マイネカルテ
(西日本新聞社
)、熊本学園大学
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