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2017-05-20 14:10:33 | 日記
 あいさつに立った寿美子夫人。6月3日に結婚45周
年のお祝いをされたばかり。涙声だが、しかし、メッ
セージは真っすぐに伝わった。
「2006年に脳梗塞、その後食道がん、白血病と発病
しましたが、最後まで仕事をして、原田らしかったと
思います。多くの本を残し、たくさんの賞をいただき
ましたが、患者さんのことを思い続け、差別をしない
ことに一貫した信念をもち、現場主義を最後の最後ま講演などに一緒に行き、ああ原田はこんなことをして
いたんだ、もう遅いんですが、ああ、原田はすごいな
と思いました。熊大を辞めた時に、油絵をしたかった
んでしょう、一式そろえました。学園大に移ってから
も絵を描きたいと言っていたんですが、忙しく、私が、
早くしないと絵の具が腐っちゃうよと言ってたんです
が、後で家に先生に来てもらって、1カ月1回、本当
に楽しんでいました。最期は自宅でという本人の希望
で、治療もしない、延命治療もせずということで、娘
2人、孫、それにたった1人の弟が鹿児島から駆け付
けてくれ、弟が着いて安心したのか、苦しみもせず、
77歳の生涯を終えました。酒が好きで、私が注意する
と、俺が酒を飲めない時は死ぬ時だと言っていました
が、ほんとに最後は飲めませんでした。
 もう一度、水俣に行きたい、もう一度、(勤めていた)
病院に行きたいと言っていましたが、かないませんで
した。原田と結婚したことで多くのことを学びました。
大好きな夫でした。病気したことで、一緒にいる時間
ができて、今まで一緒にいなかった時間を今、取り戻
しているねって。病院から帰ったら、『母ちゃんが家
に戻してくれた、ありがとう』と言って、庭を眺めな
がら、何の薬よりいいと言って、アマリア・ロドリゲ
スを聞いていました。原田は幸せだったと思います。
本当にありがとうございます」
「原田正純医師 最後の水俣病検診 2011年8月」
のビデオ上映もあった。「水俣病は一つしかないのに、
行政の方が(いくつもの水俣病に)分断するんですよね」。
スクリーンの原田さんはいつもの「原田節」である。
で貫き通しました。病気になるまで、世界中、日本中
を回って家にいることは少なく、原田がどういうこと
をしているか知らなかったんですが、病気をしてから
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