吉野驎太郎の屋根裏部屋

つぶやき、回想録、日記など。

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ブランクを埋めるもの

2014-10-26 20:39:39 | 日記
今年、9月上旬に約10ヶ月ぶりに大学以来の親友である S と N に会って飲んだ。今回は吉祥寺で。いろいろ話したが、久しぶりだと積もる話も多すぎて、分かれてからあの話をしたら良かったなと思うことが多い。つまり、会っていなかった10年や20年という年月、ちょっと会う3時間や4時間では語り尽くせない。40歳半ばを越えた我ら、せっかくの貴重な時間を有意義に過ごしたいからお題の選定が悩ましい。来月の中頃にも彼らと東京で会う。

今度はあの話をしようか?この話をしようか?と考えている。
書き留めておかないと、忘れてしまう程、彼らと会っていないときに起こった出来事が多すぎる。

二人が卒業したあとの私の大学院生活の話なんて、全然しらないだろうし。
ましてや、アメリカでのポスドクのころのことも知らないだろう。

1)私の挫折と継続と不屈
2)今の信条と座右の銘
3)社会人になってから始めた趣味の仲間
4)最近思うこと

多すぎるか。
そんなところを話してみようかと思う。

今一番伝えたいことは何かを探る上で、今一番歌いたい歌は何かと考えてみた。
もちろんカラオケである。1人3曲までとしたら。
僕は、
1)僕の人生の今は何章目くらいだろう(ウルフルズ)
2)人生を語らず(吉田拓郎)
3) Progress (スガシカオ)
かな? 3)は、中年になって敢えて、浪漫飛行(米米クラブ)かもしれない。
これらの歌の歌詞に自分のお題も含まれているように思う。
やはり音楽は過去の思い出だけでなく今に至るブランクを埋めるにも効果的なような気がする。
そして未来を語り合うためにも。
今度の飲み会は、居酒屋からカラオケ経由でバーで終わる展開が良いかもしれない。
ただし、カラオケは時間限定にしなくては時間が足りなくなってしまう恐れがある。
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あの小料理屋のこと

2014-10-25 21:56:54 | 日記
博士課程の学生だった頃、僕は月20万程度の支給奨学金(奨励金)を貰っていた。
そのうち、9万円は学費に、残りの11万円程度で衣食住を賄えば良かったのだが、
阪神大震災で下宿が破壊されてからは自宅からバイクで片道50分弱かけて通っていた。
したがって、衣食のみを11万以内で賄えば良かった。

しかし、博士課程の研究生活は、朝10時から夜11時くらいまで実験室で過ごす訳で、他の活動にお金を使う時間がない。
加えて、衣服は、学会発表のときのスーツ以外は実験で使えるような服装である。
おしゃれなで高価な衣服は薬品で穴があいたらショックなので着ない。

ということで、せいぜい昼と夜の食費3~4万である。残りの7~8万円。
が、二ヶ月に1度くらいは、私の指導下で実験をしてくれている後輩(卒研生や修士学生)に
旨いものをご馳走しに行きつけの小料理屋に行ったことを思いだす。
これが、人数にもよるが、3~5万円。残りは将来の留学のための貯金。

あの小料理屋は、私は常連で、暖簾をおろしてあっても、電話して入れてもらったものである。
つまり、12時過ぎて3時くらいまで飲ませてもらった。
そして、後輩には、高くてもかまわないから旨いものを頼めと。
そして、将来、社会に出て、その旨いものを食べられる人間になって欲しいと言ったものである。
つまり、納得できる仕事をして、それだけのステータスを築いて、それに相応しい味を知っておいてほしいと願ったのである。
それは、自分自身にも言い聞かせていたことなんだと思う。
若干博士課程の青二才ではあっても、二十代半ばを越えた僕はそんな志を持っていたのである。
また、その小料理屋に来る常連のおじさま達は実に魅力的な中年であったので、よく話に混ぜてもらって、
時には、一杯おごってもらいながら、ご馳走をお裾分けしてもらいながら、酒と実学という講座に混ぜてもらったものだ。

あの小料理屋は今はもうない。
でも、あの小料理屋の主人とは今も年賀状の交換をしている。
僕は、中年になった。
今、僕は、あのときの僕のような若者に会ったら、あのときの素敵な中年たちのように振る舞えるのだろうか。
だんだん、若い頃のように歯切れよく話せなくなっている自分。
幾通りもの正解を知った経験がそうさせるのか、あるいは正解がないことを知った経験がそうさせるかもしれない。
若い頃は、希望や夢に従って明確に言い切れたのである。
それは、危うい面があるが、勇気に基づいていて、純粋で、ある意味羨ましい。
少なくとも、言葉にしなくても、かっこう悪くても前に進む勇気は備わってきたんじゃないだろうか。
あのときの素敵な中年たちがそうだったように。
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思い出は音楽とともに

2014-01-31 17:13:30 | 日記
この間、かつて2年間勤務したR研究所出張の帰りに、大学時代の親友、N口とS川の両氏にアポイントメントを取って、新宿でランチ後、喫茶店でお茶。学生時代と今について少しずつ話した。
いろいろ話したが、O村さんの件で、1つ話していない事実がある。
私はD2 の終わりくらいまで、週末に足しげく和歌山に通って週末を O さんと過ごしていたのだが、だんだん恋愛感情の報われない状態と言うか生殺しの状態に「あほらしくなってきた」
よく心の中でこの言葉を反芻しはじめた。
あと、和歌山にも「遊んでくれる人」がいるようなことを臭わせていたので
ついに、踏ん切りを付けたくて
「アメリカに行くときには君を連れて行きたい」と申し出た。
このとき、O 村さんは「そんなこと急に言われても」と明らかに動揺した。
予想していなかったのだろう。
そして、そのときは「そんなこと言われても無理やわ。」と言われた。
その時点で、俺は激しく落胆し失恋した。沖縄学会帰りに S 君と付き合ってんねんと切り出されたときのように涙は出なかった。「あほらしい」と思い始めていたからだろう。そして急激に冷めた。
その翌日だったか翌々日だったか、
O さんから電話があり「やっぱりあなたとの関係を絶ちたくないよう」という答えが来た。
今考えると、この時が唯一の私の勝機というか恋愛を成就させることのできる唯一の機会だったように思う。しかしである。もう私の心は冷めてしまっていた。このような冷め方は、属に言う「愛想を尽かす」という状況だったと考察する。完全にクールダウンしてしまったのである。
このとき、私は、「君に関わっていることがアホらしくなってきた」とういうようなニュアンスのことを言ったと思う。すると、「ああ、あなたは私を切りたいんやね」と返してきた。その計算というかオプション感覚にまた私は嫌気がさしまったので、「まあ、そう受け取ってもらっても良い」と売り言葉に買い言葉で終了した。これでジエンドとなったのだ。
全く未練がなかったわけではない。その後、しばらくは飲んで独りで帰る道すがら気がつくと彼女のことを考えたりもした。

しかしである、その後、いろいろ思い出すと、あの奇妙で報われない恋愛感情が僕の内面を育ててくれたと言っても良い。彼女には今も感謝している。
そして、幸せであってほしいとも思う。一つだけはっきりしていることは、私は全力であったということだ。最後は、報われなさにアホらしくなる程燃え尽きたということだ。文字通り、私の愛想が尽きたのだ。

カーステレオから流れてくる CCR の曲「Who’ll stop the rain?」を聴くと彼女とドライブした日々が思い浮かび、元気にしてるかな?と言う気持ちになる。「相当好きだったんだな」と遠くを見る。目を細めてほろ苦い気持ちで微笑んでみたりもする。
そして、アメリカに旅立つ日に電話をくれた彼女は言った「この間、FM でCCR のHave you ever seen the rain? が流れてきた時、あ、あなただと思った」と。どちらの曲も彼女とドライブするカーステレオでオートリバースで流していたカセットの中に入っていた曲である。今は時代は変化してカセット自体が私の車にはない。しかし、私のipod の中にこれらの曲は収録されている。ここに未練を残したかは、はっきり分からない。そして、たまに流れてくると彼女のことを思い出すのである。私は、Who’ll stop the rain? で彼女を思い出す。今も彼女はHave you ever seen the rain? で私を思い出してくれるのだろうか。思い出の彼方で。

思い起こせば、H さんに関しても、「愛想を尽かした」状態に切り替わっていたから、O さんとの二股な感情は毛頭存在しなかったのだと思う。

オチがあるとしたら…..
滑稽さがあるとしたら、私は「雨を誰が止ませるか?」を気にしていたら、彼女は、その根本の「雨」を見たことあるの?を気にしていたということ。
この rain を私の恋愛に置き換えれば本当に滑稽で、また、ほろ苦い気持ちで微笑んでしまう。
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