もみさんの一日一冊遊書録(2011年9月1日 スタート!:メメント・モリ)   ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

170503(論壇時評)日本国憲法 改正されずにきた訳は 歴史社会学者・小熊英二

2017年05月03日 19時00分38秒 | 時々刻々 考える資料
5月3日(水):  
朝日デジタル(論壇時評)日本国憲法 改正されずにきた訳は 歴史社会学者・小熊英二  2017年4月27日05時00分
  日本国憲法には、どんな不備があるのか。不備があるのに、なぜ改正されずにきたのか。今回はこの問題を考えたい。
  月刊誌が自民・民進・公明・維新の4党に憲法観を聞いた〈1〉〈2〉。各党とも、「憲法はいまの日本の姿に見事に定着しています」(保岡興治・自民党憲法改正推進本部長)という点では、ほぼ共通しているようだ。
  だが一方で、時代の変化に応じた改正が必要だという認識でも、4党は共通している。各党が挙げている改正点は、9条を別にすると、環境権、地方自治、緊急事態対応、合区解消、教育無償化、首相の解散権などだ。
  とはいえ上記の諸問題の多くは、改憲せずとも法律の改正で対応できる。総じて「これは急いで改憲しないと困る――といった具体的な提案はどの党からも出ていない。変えたほうが望ましいといった議論があるのみ」(枝野幸男・民進党憲法調査会長)なのだ。
    *
  実はこうした状態は、今に始まったものではない。敗戦直後から、憲法の不備を指摘する意見は多かった。それでも改憲は実現しなかったし、また実現しなくても大きな問題はなかった。
  その理由は何だろうか。改憲への反対が強かったこととは別の理由として、ケネス・盛・マッケルウェインは、日本国憲法の特性を指摘する〈3〉。
  実は日本国憲法は非常に短い。各国憲法を英訳した単語数を比較すると、日本国憲法はインド憲法の29分の1、ドイツ基本法の5分の1に満たず、世界平均の4分の1以下なのである。
  なぜ短いのか。日本国憲法制定以後の他国の憲法が、環境権など新しい権利を記していることが多いのも一因だ。だがそれ以上に大きな理由は、条文に具体的規定が少ないことである。例えば他国の憲法では、選挙や地方自治の制度などを具体的に書いてあることが多い。だが日本国憲法では「法律でこれを定める」と書いてあるだけだ。
  マッケルウェインはこれが、日本国憲法が改憲されなかった理由だという。他国では改憲が必要な制度改正でも、日本では公職選挙法や地方自治法の改正で対応できたからだ。
  なお議会での改正手続きをもつ憲法のうち、3分の2の賛成を必要とするものは78%だという。つまり日本国憲法は、特段に改正が難しいわけではない。改憲しなくても「事足りた」から改憲されなかったというのである。
  私が確認してみたところ、日本国憲法で「法律でこれを定める」と書いてある条文は10カ所もある。それには選挙制度や地方自治、会計検査院の権限など統治機構の条文、さらに国民の要件、財産権の内容、労働条件、参政権資格など人権に関する条文が含まれる。他にも教育を受ける権利、納税の義務など、法律で詳細を決めるという条文は数多い。
  このことを踏まえると、昨今の改憲論の背景がわかる。例えば民進党の細野豪志は、現憲法は「国と地方の関係」を「法律に丸投げ」しているとして、地方自治や教育権などの条文を詳細にする私案を公表した〈4〉。確かにそういう不備はあるといえるだろう。
  とはいえ、そうした不備は細野が指摘した条文だけにあるのではない。このやり方で各条文を詳細にすれば、憲法全体を書き直す作業になる。その困難さと、過渡期の混乱を考えれば、政策の実現手段としては現実的ではない。
  なおこれとは別に、「押しつけ憲法」だから改憲しようという声もある。だが木村草太は「『押しつけだから気に入らない』というのでは、『いまの日本国憲法に内容的問題がない』と自白しているようなもの」と評する〈2〉。こうした心情的改憲では、条文の具体的内容がよくなる目途はないだろう。
  だが現憲法も人間が作ったものである以上、完全無欠ではない。マッケルウェインは「ここで改めて憲法とはなんであるかを確認しておきたい」「憲法は権力者が守るべきものとして定められたものである」と述べ、憲法の規定が簡略すぎるのは問題だと指摘している。憲法が簡略であるほど、政権党や政府の裁量や解釈が入りこみやすいからだ。
  つまり問題はこうだ。憲法が簡略すぎるのは、確かに一種の不備ともいえる。とはいえ、憲法全体の書き直しは現実的でない。ではどうするか。
    *
  ここで発想を変えてみよう。安易に憲法を変える前に、まず憲法の不備を別の形で補う努力をするべきだ。例えば国民が国政への関心と権力への監視を高めれば、上記のような不備を補う機能を果たしうる。そもそも「憲法の不備は自分たちで補う」というくらいの国民意識の高まりがないのなら、形だけの改憲をしても混乱を生むだけではないか。
  木村はこのようにも述べている。「改憲が必要かどうかは、これまでに生じている問題を分析した上で、法律の運用の適正化でも、法律改正でも対応できない、となって始めて議論されるべきものだ」。だが「権力者の問いを待っているだけでは国民のための国家は実現しない。国民の側から、『こんなことに困っている』『この制度はおかしい』と声を上げていかねばならない」。
  そうした状態をめざすことが、憲法をめぐる全ての議論の前提だ。それなしには、「憲法を変える」ことも、「憲法を守る」ことも、ありえないのだから。
    *
〈1〉田原総一朗・司会の座談会「70年間改憲できなかった本当の理由」(中央公論5月号)
〈2〉木村草太による連続インタビュー「憲法改正 自公維民4党の論点」(文芸春秋5月号)
〈3〉ケネス・盛・マッケルウェイン「日本国憲法の特異な構造が改憲を必要としてこなかった」(中央公論5月号)
〈4〉細野豪志「現実的な憲法改正案を提示する」(同)
    ◇
 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。近著『首相官邸の前で』は、監督を務めた同名の記録映画のDVD付きで、脱原発運動の分析論文なども。論壇時評の執筆は今月から2年目に。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 6 060 池上彰「池上彰の憲法... | トップ | 6 061 水木しげる「水木しげ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

時々刻々 考える資料」カテゴリの最新記事