もみさんの一日一冊遊書録(2011年9月1日 スタート!:メメント・モリ)   ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

170420 語りつぐ戦争「妹に薬飲ませ… 失った記憶」無職 村上敏明(京都府 82)

2017年04月21日 01時27分14秒 | 時々刻々 考える資料
4月20日(木):
のんきに介護」さんのサイト(4月19日)で紹介されていた記事。こういう記憶は大事にしたい。

朝日デジタル(声)語りつぐ戦争 妹に薬飲ませ… 失った記憶  2017年4月17日05時00分
無職 村上敏明(京都府 82)
  敗戦翌年、1946年の春、旧満州(中国東北部)四平で、中国共産党軍と国民党軍は内戦中だった。父は徴兵されて音信不通。砲火の中、母子5人で暮らした。
  7月、日本引き揚げが決まり、家に日本人会の男性数人が来た。1歳の一番下の妹について、「長い旅に耐えられないから殺しなさい」と言い、液体の毒薬を渡された。母が抱き、小学6年の長男の僕がスプーンでのませると妹は死んだ。その後の幾つもの記憶を僕は失った。
  後年再会した小学校同窓生によると、その日僕は泣きながら毒をのませた様子を話したらしい。
  心身共に不調だった母が荷車に横たわっていたのは覚えている。弟2人と共に貨物列車に乗せた。引き揚げ船出発地の葫蘆(ころ)島に到着。病院で、母は畳の上に寝かされた。処方された薬を母はのんでいたがある日、僕は別の粉薬を医師から渡された。
  僕がのませると、母は泡を吹いて死んでしまった。ぼうぜんとした僕。通夜で弟2人と僕は黙りこんだ。8月、3人で父母のふる里、京都へ。祖母の懐に飛び込んだが、上の弟はすぐに病死。
  今、75歳の下の弟と私。安保法制や、昔の治安維持法を想起させる「共謀罪」法案に反対だ。「誰の子どもも殺させない。いつまでも平和を」と声を上げ続けている。
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