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2016-10-13 | 日本100名城&番外



上下監からなる慶応4年に発行された武教講録です、吉田松陰先生は慶応4年(1851)に山鹿素水から山鹿流を学んでいるそうですが、1840~1842年の阿片戦争で清が西洋列強に大敗したことを知り山鹿流兵学が時代遅れになったことを痛感し九州、江戸に遊学 真田松代藩の佐久間象山先生が開校した五月熟で教えを受けたそうです、なお門下生には勝海舟 坂本竜馬などがいたそうです


まぁ~もとをただせば、明治維新の立役者は、関ヶ原の戦いで、秀忠の徳川主戦軍を足止めしたので、京都から西は外様大名の勢力下にした、真田一族ですかね、
しかし真田のチャンバラ映画を観ていますと以前から疑問に思っていますが、幸村は本当に兄上に焼酎の、おねだり等の生活援助をしていたのでしょかね~
、お袋は葉隠れの娘でしたので、生活に困り行商しているところを、本家に見つかり、商品を全部買い取るので持ってこいでしたが、毅然と断りました、武士でしたら、おねだりなんてしないと思いますが、
ある女子大の学長さんが、女性の品格で、タダノ物は貰わないでした、

まぁ~徳川家康が朱子学を取り入れるまでは強い者の天下ですので、ある面では本当の武士は江戸幕府からですので、みっともなく、たかるのはしかたなしかなです、


なお明治維新で活躍した高杉晋作 久坂玄端 木戸孝允 山田顕義など松蔭門下生は松下村塾で山鹿流を習得しているそうで、また乃木希典も学んでいるそうです、

文鎮代わりに具えて在ります、刀の鍔は、松蔭先生となんの関係も、在りません、今は無き母は明治時代に文京区の本郷三丁目で生まれ、自由販売の王道の八百屋を、輿入れの時に、小生の名付親にもなっている一族の長の本家から持たされた刀で本身はWWⅡの時の金属類回収令の勅令により拠出、親の形見であったので鍔だけ請願して残したものです、

なお鍔の大きさから行って脇差用と思われます、磁石にはペッタンコしませんので、合金と思います、昔ある材料研究所の室長さんから聞きましたが、地球上で錆びない金属を人類は未だ作る事が出来ないそうです、チタニュ-ムなどは整形外科で使用されていますが、人の寿命を考えると、なんら問題はないようです、
色味は何十年経っても変わりませんので赤銅かとも思いますが、材料分析しないと判りません、
なお、今わ亡き、小生の名付親は、装飾品類を扱う東京の業界で組会長をしていて、工場の敷地内に研究所などが在り、貴金属に関しては目利きだったと思いますので、鍔は粗悪品ではないかもです、
なお日本刀には赤羽刀なども在るようですが現在、買い求め所有しています刀は金属類回収令の勅令をズルした生き残りですが、まぁ~国宝にもなっている刀もある事だし良しとしますかです、
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