扇子と手拭い

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ほんに有難い親心

2014-03-26 11:45:07 | 日記
▼息子の門出を盛大に
 上野の寄席、鈴本に真打襲名披露を聴きに行った。鈴々舎馬風門下の風車が四代目・柳家三語楼を襲名したのを祝う特別興行だ。母親は、息子の晴れの門出を盛大にと友人、知人やそのまた知人に声掛けするなど大奮闘。その甲斐あって会場は満員の大盛況だった。親てーものは、いくつになっても有難いものだねえ。

 「25日は空いてるかい?」―。落語仲間から電話があった。「いいよ」とあたくし。「どうしたんだい」と聞くと、電話の向こうで応えた。「うちのカミさんの、知り合いの、そのまた知り合いの倅が噺家で、襲名披露がある。行かないか」。「いいね」。二つ返事で話がまとまった。

▼めでたく華やぐ高座
 馬風の名はよく知っているが、弟子の鈴々舎風車は知らない。初めて聞く名前だ。実はこの春、三語楼をはじめ、柳家権太楼門下の東三楼ら落語協会の5人が真打に昇進した。それを祝っての襲名披露興行が日替わりで催されている。

 これまで何度か襲名披露を聴きに行ったことがあるが、いいものだ。この日も、高座には紋付きはかま姿の協会幹部や師匠連がズラリ顔をそろえて、ユーモアたっぷりに口上を披露した。背景には後援会が贈った、柳家一門の家紋と「柳家三語楼師匠江」と書いた大きな幕が掛かる。

▼初めて見た「松づくし」
 落語家は、二つ目までは師匠とは言わない。真打になって初めて「師匠」と呼んでもらえる。高座上手には贔屓筋から贈られた5本の博多帯。下手には「こもかぶり」が並ぶ。いつもの寄席風景とはひと味違い誠にめでたく、華やいだ雰囲気を醸し出した。

 後半に入り、三遊亭歌る多一門が祝いの席だけで演じる「松づくし」を披露した。初めて見た。両手、両足を使って、松葉を描いた扇子で見事な松の枝ぶりを表現する。最後は、益々繁盛を願い三段重ねのマスの上に乗り、3人がかりで大きな松を披露した。

▼「桜まつり」で賑わうお山
 披露興行は鈴本演芸場から新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場、国立演芸場へと順々に5月20日まで繰り広げられる。

 鈴本に行く前に、好天のポカポカ陽気に誘われて、不忍池や上野公園をぶらり散策した。平日だというのにお山は大変な人出だ。桜並木の一部で、早くもピンクの花を咲かせていた。夜は周りの「桜まつり」と書いたボンボリに、灯がともるという。

大事な「つくも寄席」

2014-03-23 01:46:50 | 日記
▼「満室」の表示に力む
 早いもので「つくも寄席」も今回で8回目を迎えた。いつものように昼席、夜席の二部構成。3人で計8席を披露した。春分の日の21日は土曜日を挟んだ3連休の初日とあって、ホテルの入り口には「満室」の表示があった。この日の泊り客は96室でざっと300人と聞き、肩に少し力が入った。

 東京駅前から私たちの宿、サンライズ九十九里まで普段はバスで1時間半だが、この日は行き帰りとも2時間かかった。東京周辺の高速道路が、行楽の車でごった返していたのである。

▼快諾はサンライズのみ
 バスは30分遅れでサンライズ正面に到着。いつものように支配人が出迎えてくれた。支配人との付き合いも4年になる。20カ所を超えるホテル、旅館に無料落語会を売り込み、快諾してくれたのはサンライズただ1か所だった。

 落語の稽古を付けてもらった桂文治(当時、平治)師匠が、「落語上達の早道は、高座に上がること」と言った。そう言われても、名もない者に出演依頼など来るわけがない。

▼至れり尽くせりの協力
 「来ないなら、こちらから売り込むしかない」と、片っ端から伊豆や箱根、房総のホテル、旅館に電話攻勢をかけた。1か所に1時間以上かけて説明に努めた。そこで出会ったのがサンライズの支配人だった。「分かりました。ウチでやってください」。「つくも寄席」の誕生である。

 1泊2日のホテル代を払っただけの私たちに、支配人は立派なカンファレンスルームを無料で提供してくれた。その後、高座用の座布団、金屏風まで用意してくれた。ポスターや掲示用の案内も整えてくれた。至れり尽くせりの協力に感謝するのみだ。そんなことから、「つくも寄席」には格別な思い入れがある。

▼豪華な食事に満腹
 昼席は家族連れが多かったので急きょ、演目を変更。あたくしが「時そば」で開口一番を務めた。次いでAが「親の顔」を、Bが「太鼓腹」。あたくしの「宿屋の富」でひとまず幕を閉じた。夕食は午後6時からホテル2階のレストランでとった。

 貝のこのわたの「先付け」に始まり、マグロ、カンパチ、甘エビの「造り」、「焼肴」、「紙鍋」、ローストポーク、ぶぐ天揚げなど「天ぷら盛り合わせ」と次から次へと続いた。断っておくが、われわれだけが特別なのではない。

 周りの家族連れやグループ客も「荒波コース」はみんな同じ料理である。マグロの刺身は厚さ約1・5センチ。料理が“売り”というだけあって、流石である。3人とも食べきれず、申し訳ないが残してしまった。

▼盛り上がった打ち上げ
 夜席はあたくしが「粗忽長屋」を、Aが「初音の鼓」、そしてBが「うどん屋」を披露。最後にあたくしの「蛙茶番」でお開きとなった。時計の針は午後9時18分を指していた。小さな子供連れは早めに帰ったが、大人の客は最後まで熱心に聴いてくれた。

 夕食では夜席があるので飲まなかった。部屋に戻り、自動販売機の缶ビールで細やかな打ち上げをした。話が盛り上がり、3人が床に就いたのは午前1時を過ぎていた。

落語ネタの愉快な裏話

2014-03-17 18:37:23 | 日記
▼銀行強盗みたいで
 赤鳥寄席はいつもながら勉強になる。桂文治師匠が一席終わるごとに落語の解説をしてくれる。われわれ社会人落語家には、これがありがたい。だから、どんなに寒くても、花粉が「非常に多い」と花粉情報が警告しても、メガネをかけ、マスクをして、フード付きのコートを着込んで聴きに行く。これじゃあ銀行強盗みたいだが、花粉症なので仕方がない。

 東京・目白の日本庭園にある数寄屋造りの茶室が赤鳥庵だ。数カ月に一度、ここで開く文治師匠の落語会が赤鳥寄席である。客のほとんどが常連。追っかけさんも多い。だから師匠も気楽に話してくれる。

▼日に一度は世話になる
 16日は前座と二つ目が一席ずつ。文治師匠が「肥がめ」と「親子酒」を披露した。これらの噺は、出演者の多い寄席では15分しかやれないが、今日は20-25分とタップリ聴かせてくれた。

 「肥がめ」は、日ごろ世話になっている兄貴分の新築祝いに何か持っていこうと思った弟分の2人。だが、肝心なお宝がない。2人合わせて50銭。「これで買える物」と聞くと、古道具屋が指差したのが大きな瓶(かめ)。「どうして安いの」の問い掛けに、店主は「誰でも、日に一度は世話になるものだ」。

▼臭い噺を、臭くなく
 「この臭い噺を、臭くなくやるのが落語だ」、と文治師匠。30分近い噺の中に「肥がめ」という言葉は出てこない。それでいて、祝いに持参した瓶が「肥がめ」と分からせるのが落語の技、面白いところである。

 この噺は、「見るからに臭そうな噺家がやると、汚く聞こえる。汚くならないようにやる(演じる)のは大変だ」と師匠。パンフレットやチラシに「肥がめ」と書くと、連想したり、オチが分かってしまうので、「家見舞」、あるいは「祝いの瓶(かめ)」とも言う。

▼親子で禁酒を誓う
 「親子酒」は一般にもよく知られた噺。酒好きの商人(あきんど)親子が禁酒を誓う。が、「一杯ぐらいなら息子にゃあ分かりゃしない」と女房に酒を注がせる。一杯が二杯、三杯と重ねるうちにオヤジが酔っぱらう。

 そこへ酔って帰って来たセガレに、「何だ、オマエは。顔が7つも、8つもあるような化け物に、家の身代は継がせない」とオヤジ。セガレも負けずに「こんな、グルグル回るような家はいらねえ」。

▼酔う様を仕草と口調で
 一杯目と二杯目、三杯目と、酒がすすむにつれて話す口調、飲み方、酔いが回る様子が変化する。脇に、苦虫をかみつぶしたような女房。「まだ飲むのかい? いい加減におしよ」と小言を言っているようだ。こんな光景が目に浮かぶ。

 「柳家(一門)は二杯目、三杯目と酔うところは説明するので12、3分で噺が終わる。うち(桂一門)はそこを、はしょらないで酒飲みを演じる。終いまでやると時間がかかる」と師匠。「だから、うちの連中は寄席でこの噺はほとんどやらない。やるのはホール落語や、今日みたいな独演会だ」という。

▼師匠は簡単に言うが
 酒の飲み方は町人、商人、武士はそれぞれ、みんな違う。町人を演じる時は、飲むほどに「テメエ」と段々と口調が粗っぽくなってくる。商人は、飲んでも「オレ」とは言わないが、目は朦朧。

 武士は、姿勢を崩さずに呂律が回らないなど、言葉で酔う様を表現する。「こうして、演じ分けることによって、お客さんに想像してもらう」と師匠は簡単に言うが、出来ないよ。

全員に赤い「大入り」袋

2014-03-10 01:40:26 | 日記
▼一之輔を聴きに行った
 往復3時間かけて一之輔を聴きに行った。なぜかというと、都内の独演会はチケットの入手が難しい。予約開始と同時に「完売御礼」となる。そこで遠征となった次第。3月9日の柏落語会が春風亭一之輔と聞いて柏に飛んだ。予想通りの盛況で、席亭が「大入り」と書いた赤い袋を観客全員に配った。

 一之輔をライブで初めて聴いたのが柏落語会。まだ二つ目だった。彼の後で高座に上がった真打が誰だったか思い出せない。一之輔だけが印象に残っている。とにかく上手かった。並みの真打ではとても歯が立たないくらい噺が巧みだった。「この男はきっと、出てくるぞ」と直感した。

▼21人ごぼう抜き
 それから半年も経たないうちに、「春風亭一之輔 21人ごぼう抜き」の見出しが新聞紙面に躍った。飛び級で真打になったのである。入門からわずか11年での昇進。真打になるには、通常は15-17年かかると言われているので、異例の大抜擢だ。

 実力を備えた噺家は、古今亭志ん朝をはじめ、立川談志、春風亭小朝、最近では桂宮治など、真打になる前から客がつく。落語好きはよく心得ていて前座、二つ目の時分から目を付ける。贔屓の噺家が成長するのが嬉しくてたまらないのである。

▼ついでに便乗、PR
 隣席の女性も一之輔が贔屓で20代の「姪を誘って来た」と言った。「噺が上手くて、それにイケメンだから、大好きなの」とご機嫌だ。一之輔の一席が終わった中入りに、姪御さんに感想を聞いた。「目の前で落語を聴くのは初めてですが楽しい」と彼女。ついでに、「あたくしたちの落語会にも来てください」、と案内させてもらった。

 開演に先立ち、明後日に3年目を迎える3・11東日本大震災の犠牲者に、全員起立して1分間の黙とうをささげた。主催者が正面入り口横に、募金箱を設けた。

▼目に浮かぶ太鼓持ち
 落語会は前座2席のほか、一之輔が2席。1つは「愛宕山」。これは一之輔落語の巧さ、楽しさが随所に出ていた。「山登りなんぞは朝飯前」とホラを吹いていた太鼓持ちのイッパチ。最初は「梅―は咲いたーか・・・」と鼻歌混じりだったが、登り始めると次第に鼻息が荒くなり、歌どころではなくなる。ついには「帰ろう」と言い出す始末。この辺りは、情景が浮かんでくるようだった。

 もう1席は「面白くないので」誰もやらなくなった、という古典落語を披露した。ホントにあまり面白くはなかったので、演目も覚えて来なかった。

 恒例となった噺家の色紙の抽選会の後、会場の全員に「大入り」と書いた赤いポチ袋が配られた。中には5円玉。これを「ご縁」に末永くお付き合いを、との願いを込めた縁起物である。