▼真打ってなんだろう?
落語の学校の講師だった噺家が出るというので寄席に聴きに行った。世話になった講師の噺をナマで聴くのは2年ぶりだが、二席とも堪能させてくれた。ところが他の4人の落語家にはがっかり。「聴かせよう」という心意気が全く感じられないのである。われわれ文七迷人会の仲間の方がよほどましだ。二つ目、真打ってなんだろう?
恰幅のいい二つ目が登壇。その日朝の金環日食観測をマクラに持ち出すのはいいが、その後、ダラダラと変哲のない話を続けた。何が言いたかったのか全く意味不明のマクラに終始。その流れが本題にまで伝染し、とうとう最後まで凹凸のない噺で終わった。その前に登場した巧みな講談で温まっていた会場のムードは一転、笑いもなく冷え切った。残りの真打3人の噺も「ついでに聴く」といった程度。「噺に引き込まれた」などと世辞にも言えない中身だった。
▼28人抜きで昇進
このところ関東の落語界は、真打昇進を相次いで決定。古今亭菊六はなんと28人抜きで昇進。春風亭一之輔は21人、古今亭朝太は8人抜き。いずれも落語協会所属の落語家だ。これに対し落語芸術協会は、この春5人が真打となったが、こちらは抜擢なしの年功序列。入門から見習い、前座、二つ目と修業を重ね、14、5年をめどに順番に昇進させるという。
落語協会も長年、年功序列でことを納めていたが会長交代に伴い今回、抜粋方式を採用した。昭和の名人、三遊亭圓生は1978年、落語協会会長だった柳家小さんの真打大量昇進のやり方に反発し、協会を脱退、新会派を結成した経緯ある。実力を伴わない者まで年季明けのように昇進させては、真打の意味がなくなるというのである。
▼3日前に抜いたビール
圓生の考えに賛成だ。例え100円でもオアシをいただく、木戸銭を頂戴する噺家なら「プロにふさわしい」落語を聴かせる力を蓄えてもらいたい。実力の伴わない者まで「15年の年月が経ったから」と、一人前のレッテルを貼り付けて、高座に送り出すのはいかがなものか。
万年8勝7敗の大関の取り組みをみたくないのと同様に、技量不足の落語家の噺ほど、聴くに耐えないものはない。相撲界は1勝でも勝ち越せば、番付が下がることはない。相撲界よりさらに優遇されている落語界はいったん、真打になれば降格なしの世界。だから真打の座に安住し、3日前に栓を抜いたビールのような落語家が少なくないのである。いつ行っても寄席で毎度、同じマクラで、同じ噺をしている真打がいる。この男、やる気があるのか、と問いただしてみたくなる。
▼実力本位の抜粋に
生半可な落語家が、のべつに登場する寄席から客は遠ざかる。不入りの原因のひとつはここにある。木戸銭を取るからには、プロの芸を披露することだ。そのためには年功序列を改め、力量本位の選抜に改めることが必要ではないか。努力を置き去りにしたところに花は咲かない。
コメント (1) |
トラックバック (0) |










