CHIHIROCK

死ぬまでROCK。
死して屍拾うものなし。

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同様に確からしい

2008年04月13日 02時38分24秒 | Weblog
数学の確率を勉強したことがある人は聞いたことがあると思います。

つまり、どの事象も同じ確率で起こるということです。

サイコロの目はどの目も起こる確率は1/6なので「同様に確からしい」といえます(実際には構造上5が出やすいのですが)

話は飛躍するのですが、人生の運も「同様に確からしい」といえるのではないかと思うのです。

私たちは生まれてから死ぬまでに数え切れないほどのサイコロを振って生きているわけです。

20年生きてきた人は20回振ったとしましょう。

「6、5、6、3、4、3、4、2、4、5、2、3、1、3、6、5、4、3、3、5」のようにに比較的順調に生きてきた人もいると思います。

もしくは「1、3、2、1、1、5、1、1、3、2、4、2、3、4、3、4、2、1、1、2」のように比較的進めない人もいると思います。

ここまでの途中経過を見ると前者のほうがハッピーな人生を送っているのは明らかです。
しかし、80年生きるとすれば人生はまだ序章に過ぎないと思います。
30代になって1や2の目の嵐に遭って足踏みする人もいると思います。
そのまま5や6の目を出し続けて生きていく人もいると思います。

どうなるかはわかりません。
ただ、確率論だけで言わせてもらえばいい目が出る確率は圧倒的に後者のほうが待ち受けています。
試行が増えれば増えるほど事象に差異がなくなってきますから。

チャンスは平等なのですよ。

例なので1年に1回サイコロを振るという設定にしましたが、実際にはサイコロを振る回数は人それぞれです。
いろんなものにチャレンジした人はそれだけサイコロを振った人といえます。
今の状態が居心地がいいと思うならあえてサイコロを振らない人もいるでしょう。
それはそれで自由だと思います。

人生はゴールなき幸福を求めるすごろくだと思っています。

一生幸福を求めてサイコロを振り続けることになるでしょう。

出た目によっては落とし穴にはまったり、幸福にありついたりね。

「人生はギャンブルだ」という意味はこういうことじゃないかと一人で納得しています。


しかし、とまったマスの目をどうこなしていくかどうかは本人の力が問われるでしょう。
罰のマスを罰と思えないような生きる力があれば人生がハッピーになれそうです。

そう考えると、この先の人生がハッピーな気がしてならのですが。
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個性とは

2008年03月27日 19時03分33秒 | Weblog
どうも、とんでもない期間空けてしまいました。

空けましておめでとう!(天丼です)

結局部屋に花は飾ってません。
でも飾ろうとはしてます。
バラの造花にするということは決めているのですが、結局どこに売ってるのかわかりません。
見つけ次第買います。

そうそう、個性ってなんだろうって思うことありません?

奇抜なファッションやスタイルをした人を見たとしましょう。
あなたはどのような言葉を発しますか?
おそらく「個性的なファッション・スタイル」というでしょう。
その人そのものが「個性」という表現する人は少ないと思います。

個性とは内なるものであって、外面に現れているものは「個性」そのものではなくて、その象徴に過ぎないと僕は考えています。

そして、このトピックで一番主張したいのは「人の影響を受けることが個性を阻害する直接の原因ではない」といことです。

よく「個性がなくなるからマネは良くないよ」という人がいます。
何にも知らない0の状態であればむしろマネほど伸びやすいものはないと思います(手本が悪くない場合ですが)

目の前に何もないのでは暗闇を漁っているに過ぎないですからね。

勉強に例えてみます。
始めて正方形の面積を求める問題を出されたときに、何人の人がヒントなして答えられるでしょうか?
おそらく多くの人が例題(公式)をマネして解けるようになると思います。
それができたら(意味が理解できたら)直角三角形の面積を求めることができるようになるでしょう。
正方形を対角線上に切れば(つまり斜めに半分の切り口を入れる)直角三角形になりますからね。

ほかにいくらでも例を挙げれますがキリがないのでここまでにしますが、このように最初にマネる(まねぶ)ことがいかに能率的であるかは自明だと思います(もちろん本質を理解することが応用するための前提です)

では、次に「マネ」が個性を阻害する直接的な原因じゃないということに焦点を当てたいと思います。

何か趣味がある人は尊敬する人がいると思います。
スポーツや音楽、絵画、美容業界などですね。
もしくは趣味でなくても身近に尊敬できる人がいくらでもいると思います。

ではあなたはサッカーが趣味で、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんに憧れているとしましょう。
そこでいろんな人のマネをします。
Aさんのドリブル、Bさんのシュートフォーム、Cさんのパス、Dさんのフェイントをマネします。

あなたは4人から上の4つを身に付けました。

これらの4つを兼ね添えたならば、それはAさんでもBさんでもCさんでもDさんでもなく、「あなた自身」ということになります。
それはそれで新たなスタイルのプレーヤーです。
ABCDにはできませんから。

つまり、影響を受けることと猿真似とは違うとうことですよ(理解していれば)
そもそも人の長所を取り入れるのは誰もがやっていることでからね。

手が痛いです。
また、トピックがあれば更新します。
でわでわ!


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新年

2008年01月04日 14時40分00秒 | Weblog
あけましておめでとうございます。

今年も雨ニモマケズ、風ニモマケズ、人ニモマケズ活きていきたいと思います。

今年の目標は「バラのように生きる」です。

バラってロックしてると思いませんか?

あんなにきれいでかっこいい、そのくせ、きどっていて、人が近づくと自慢の棘で刺してきます。

それを気にせず自分を持って一輪で独自のスタイルで人を魅了する。

それで結局はなんだかんだでみんなから愛されるというなんとも憧れる生き方をしてるんでしょうか。

今年も書初めなんてことはしませんが、その代わりに家に一輪のバラでも飾ろうかと迷っています。

PS:その前はタンポポを飾ろうとしてました。







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青い鳥(ネタばれ注意)

2007年12月12日 05時09分06秒 | Weblog
最近チルチルとミチルで有名なメーテルリンクの「青い鳥」を読みました。

物語自体は有名なんですが、本当に感動しました。

物語全体に感動したというよりも登場人物に感動しましたね。

その対象は犬の「チロー」です。

彼の忠誠心というものは類を見ないものです。

チルチルとミチルは数人の仲間を連れて旅に出るのですが、途中で裏切り者が出てきます。
それに気づいた犬は主人(チルチル)に真実を伝えようとするんですが、信じてもらえず、挙句の果てには「あっち行け、目障りだ、お前なんかいなくてもいいんだ、殴られたいのか?」という風なことまでいわれる始末。

それなのに彼は「わかりました、ご主人さま、ピンチになったらいつでも呼んでください、向こうの陰に隠れていますから」という。

そして森の植物や動物と戦うこととなり、ピンチとなったときに犬のチローが待ってましたと言わんばかりに登場します。

脚が折れても勇敢に戦い、主人が怪我をしたら「ぼくにキスをさせてください、ほら、これで治っちゃいますよ、あとはぼくの後ろにいてください」と優しく、たくましい言葉をかけます。

オオカミに「兄弟、やつの両親はお前の子供を川へ流したんだ」などと味方になるようにそそのかされても「とんでもない、ぼくがお前ら全員を相手にしてやる。ぼくはな、神々に一番立派な方に忠実なんだ」という忠誠心。

戦いながらも主人を気遣うことができることがすごいですね。
怪我をして余裕があるはずもないのに気持ちには余裕があるという、一見矛盾しているようで矛盾していない彼の存在に圧倒されました。

一方、裏切りを企んでいた仲間は最後までその企みが見抜かれることがないままに終わってしまいます。
僕自身はそこが少し残念でしたね。

犬みたいな人もいれば、後者のような人もいます。

馬鹿正直に生きていても結局はそれが報われることがなく終わってしまう。

一方、ずる賢いことを考えていても失敗することなく成功し続ける人。

「ああいう人はいつか失敗するから、そして見てる人は見てるから安心しなさい」という人もいますが、いや、僕も人に言ってあげたことがありますが、その言葉を簡単に発しないほうがいいような気がします。

ずる賢いとまで行かなくても、多少力を抜いたり、ズルイことをやったりした人間の方がうまくいっているのかもしれません。

僕の周りの人はそうですね。

それが「要領がいい」というのでしょうか?

最近僕もそちら側の人間になってましたが、実際、物事が面白いほどうまく行くもので驚きました。

でも、なんか悲しいです。

仮にそれを「要領がいい」というのなら、僕は「要領がいい自分」は大嫌いですね(笑)

そうは言ってもやっぱり人間成功したいですよ。

個々人によって自分の「合法ライン」が違い、もしかしたらそこが成功するためのラインかもしれませんね。

つまり、自分に厳しい人は損ってことですかねぇ。
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悔しい批判

2007年12月09日 01時58分34秒 | Weblog
人間って批判を受けながら成長していくものだと思ってます。

批判と自分を照らし合わせて自分の位置を確認したり、新しい自分を見つけたりと得るものはあります。

その中で少しかわいそうな批判のされ方があります。

それが「ゆとり教育の弊害」という批判のされ方です。

もちろん、ゆとり教育によって様々な批判を受けるような事態になった部分もあります。

それを作ったのはその教育を受けている人間じゃありませんよ、大人です。

それなのにたまに子供に向かって(もしくは先輩が後輩に向かって)批判している場面があります。

対象が違いますよ。

今教育を受けている人たちは今ある環境で平凡に生活しています。

それなのにどうして批判されなければならないのでしょうか?

本当に理不尽な話だと思いますよ。

仮に「ゆとり教育というシステムを変えてください」と言ったところで変わらないでしょうし。
環境は自ら切り開くと言えど、このレベルにくると努力しても変えられません。

だから、「君らゆとり教育だね」とか言うのは本当にいけないことだと思います。

あまり言い過ぎると「自分たちはゆとり教育という名の本当にダメな教育を受けてきたんだ」という拭いようがないコンプレックスを背負ったまま大人になっていきます。

似たようなことで「やっぱり平成生まれだね」というもの少し。

あれですね、「最近の若いもんは」ていう批判のされ方に似てます。

ちなみに、自分はよく「やっぱり、末っ子は甘えてるな」と言われ続けて育ってきました。
さすがに努力しても長男にはなれないために、末っ子として生まれてきた自分にコンプレックスがあります。
あとは甘えない努力をします。

以上、駄文でした。
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いい夢は本当にいい夢なのか?

2007年12月08日 01時48分29秒 | Weblog
どうも、またもや疑問系のタイトルです。

皆さんは夢を見ますよね?

私も最近よく見ます。

悪い夢もあればいい夢もあります。

悪い夢って本当に気持ちが悪いもんです。

目が覚めてしばらくしても引きずってしまいがちです。

では、いい夢は?

昔はいい夢を見ると「いやー、いい夢見たよ」って感じで余韻に浸ってました。

しかし、最近はそうでもありません。

夢の中で楽しんでも起きたらそこは現実。

「あー、夢だったのかぁ、期待させるなよぉ」てガッカリしてしまいます。

夢が楽しければ楽しいほどそのギャップは大きくなるもので。

もちろん、宝くじが当たるとか、空を飛べるようになったとかあまりにも現実から離れすぎているものならいいんですが、妙に現実味があって、今の現状でありえる範囲内での最高の夢は本当に目が覚めたときに落ち込んでしまうものです。

つまり、いい夢って果たしていい夢なのか疑問を持ってしまいます。

目が覚めて落ち込んでしまうなら、夢の中では楽しんでも、それは結果として悪夢に近い気がします。

だって、夢の最中は夢を見ているという意識がないわけですからね。

そんな疑問を持ちながら日々に励んでいます。
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理想が高いのは悪いことか?

2007年11月29日 00時41分51秒 | Weblog
理想が高いことはそんなに悪いことでしょうか?

私はそうは思いませんね。

現実を踏まえながらの理想ほど素晴らしいものはなく、それは人を成長させてくれます。

「青い鳥症候群」はよろしくないということはここで断っておきたいですね。

理想っていうのは自分が望む最高峰の形のことです。

多くの場合がそれは追いつくことができない望みでしょう。

でも、それは言い換えると最大の目標であるために、理想を目指す人々は理想を持たない人よりも成長すると信じています。

実際に私の周囲の人間はそうでした。

謙遜はしても理想は高い人々はたくさんいます。

悪く言えば「野心」でしょうか。

理想という頂上があり、その前にいくつかの目標という休憩所があるのではないでしょうか。

最終的には届かないにしろ、そこまでで得れるものはたくさんあると思います。

「ALL OR NOTHING」ではないはずですよ。

ゴールを目指すならゴールのその先をゴールとしたいものです。

もちろん現状を確認しながらです。

簡単に理想が高い人を罵倒するのはいかがなものかと思います。

ちなみに、英語では「野心」も「野望」も「大志」も「ambition」で表せます。

結局は日本語のニュアンスは違えど根底は同じような気がします。
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専門の勉強に取り掛かってから・・・

2007年11月22日 19時24分52秒 | Weblog
先日の記事にも書いたように、最近は少しづつ勉強に取り掛かりました。

学生は勉強が本分なんですから、こういうセリフを吐くこと自体やはり羞恥心を持たなければないと反省しています。

今思えば、小学校から高校までは学校の教師になろう思い続け、それに関連していじめの問題を勉強したいと思い、さらにはそれからカウンセラーになろうと思い始めたあのときは必死だった気がします。

一流大学の指定校(心理以外の学部)の話を持ちかけられたにもかかわらず、「僕は心理学を勉強したいんです」と言って頑なに断ったのを覚えています。

現役時代に一応地方国立には合格していたものの、やはり心理学をやりたいということで浪人することを決心して、親に頼み込んだのも3年半前。

そして、安全圏と言われていた国立に落ちて、合格できそうもなく、もし合格できたとしても入学させてくれない私立に受かって、今はその私立にいるという偶然が重なった学校に通っているわけで。

そこまで懸けてきたものだったはずなのに、ついこの前までは崩れ落ちていっていました。

今は真面目にやって、やはり心理学はおもしろいと再確認した程です。

本当に自分がやりたかったことですからね。

あのときに、大学名、そして学部名だけに惹かれずに己を貫いた自分は紛れもなく正解です。

そして、それに納得してくれた両親には感謝です。

その恩は近い将来の自分の姿で返したいと思います。

今からでも遅くはないと思います。

もう一度やり直したいと思う今日この頃です。
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一人にになって得れるもの

2007年11月21日 19時35分06秒 | Weblog
みんなと一緒にいて得れるものはたくさんあります。

人と接すると自分にはないものを得れますからね。

小さな異文化コミュニケーションですよ。

今まで学祭というイベントがあったために、一日のほとんどを人と過ごしていました。

しかし、それが終わったら一人でいることが多くなりました。

一人だと一日が長いですね。

でも勉強に励むには最適な環境だと思います。

よく友達と一緒に勉強する人がいますが、僕にはあれは無理です。

ついつい友達が気になってしまって結局は集中できないんで。

あと、今まで考えなかったことを考えたりしますね。

それがまるで夢のようなものもあれば、近い将来のものであったりと様々です。

あと最近はまってるのが詩を書くことですね。

思いついたら書き下ろす感じなんで、実際に詩のために時間を費やすことはないんです。

いつかは曲にしたいとは考えてます。

なんか歌詞だけ書いてると俗にいう「イタイ人」になるんでしょうが全然気にしません。

僕から言わせれば、曲から先に書くほうが難しいんで。

歌詞という人間がいて、そのバックに曲という景色がある気がするのは僕だけでしょうか?

まぁ、作曲の仕方がわからないのが大きな問題なんでしょうが(笑)

でも外を歩いてるともの凄くいいメロディがふと舞い降りたりします。

すぐ忘れてしまうのが悲しいです、

詩の方はバイト中とかが多いですね。

ただ、家に帰って書き下ろしてもちょっと違ったりします。

そのときに降りてきた言葉が出ないんですよね。

表現したいことは同じでも、そのときに思いついた絶妙な言葉を見失ってしまうんですよ。

かといって、家にいるときには何も出てこないからどうしようもないですが。

思いついた瞬間に忘れないように絶えず暗唱するしかないですね。

そんな感じで、勉強、ギター、その他諸々に励んでおります。

しばらく飲みに行く気がしないです。

軽い外食くらいかなぁ。
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さあ 神の指を舐めるの

2007年11月06日 04時49分57秒 | Weblog
先日学祭にて鬼束ちひろの曲をコピーさせていただきました。

曲は「月光」、「LTTLE BEAT LIFFLE」、「眩暈」、「僕等 バラ色の日々」、「CROW」です。

始めは借りたアコギで練習してましたが、自分が一番好きなアーティストをコピるのに借り物で練習するのは冒瀆に値すると考え、思い切ってアコギを購入しました。

一生懸命練習したけど、始めて一ヶ月の練習じゃ限界がありますね。
まぁ、Fを押さえられなかったころのことを考えると割と頑張ったほうかと・・・。

本番は頭が真っ白になりました。
間違えたことがないようなところで間違えるし、フレーズは飛んでしまうし。
自分だけの結果を見つめればボロボロでしたねぇ。
なぜかすごく汗かいてたし。
演奏面じゃないところでもいろんな点でバッシングを喰らったんで反省したいと思います。

ただ、「鬼束ちひろが本当に好きなんだね」という声はたくさんいただきました。

本番のMCでも僕が好きなCROWについて語ったんですが、そのときにオーディエンスの席から録音した音源を聞くと
Aさん「あいつ単なるオタクじゃねーか」
Bさん「でもすげーうれしそうに話してるよ」
という会話が入ってました。


練習のときの録音音源にも「この曲を生で聞いたら死んでもいい」という僕の声が入ってました(笑)

自分でも本当に好きなんだなぁと思いました。

一つ感動したことが、今回組んだバンドの鬼束が本番の月光のラストで歌いながら座り始めたんですね。
それは鬼束本人もやったことあるんです。
終わった後に「お前動きとか完コピだったな、DVDで研究したの?」て聞いたら。
「DVDは見たけど座り込むのは見たことない」て言ったことに驚きましたね。
神が降りてきたみたいです。
まぁ、もともと歌い方とか鬼束みたいだから不思議じゃないって言えば不思議じゃないんですが。

話は戻って、鬼束をバンドで組んで得たものは大きいです。
アコギを買って真剣に練習するようになりまして、そのおかげで他のアーティストのアコースティックな曲もできるようになるわけで。

右手の大切さがエレキ以上に出るし、オープンコードをたくさん使うようになったし(まだ下手ですが)

鬼束を好きになって邦楽を聞くようになって、JPOPを聞くようになって、歌詞に目を向けるようになったように、鬼束の曲を練習することによって今度は演奏面でビジョンが広がりました。

鬼束ちひろは本当にいい影響を与えるアーティストだと思いました。

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