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2017-05-19 12:39:18 | 日記
佐高信

この存命人物の記事には検証可能な出典が求められています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。(2010年9月)
さたか まこと
佐高 信
生誕 1945年1月19日
日本の旗 日本 山形県酒田市
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学法学部法律学科
職業 評論家、週刊金曜日社長、東北公益文科大学客員教授
親 佐高 兼太郎
佐高 信(さたか まこと、1945年1月19日 - )は、日本の評論家、東北公益文科大学客員教授。週刊金曜日編集委員・株式会社金曜日前代表取締役社長。「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人 [1]をつとめる。山形県酒田市出身。
目次 [非表示]
1 人物
2 批評活動と自身の評価
3 人物評論の特徴、事例、変遷
4 問題発言など
5 「皇室コント事件」
6 「現代ビジョン」について
7 著書
7.1 単著
7.2 共著
7.3 編著
8 論文
9 脚注
10 外部リンク
人物[編集]
父・兼太郎は茜舟(せんしゅう)の雅号を持つ書道家・教師で[2]、支持政党は一貫して日本社会党(現・社会民主党)である。 山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1967年に大学を卒業後、郷里・山形県で高校教員となるが同僚女性(現在の妻)との出会いがあり、前妻と離婚し1972年に再度上京した。佐高の全面協力により書かれた評伝によると、次のような事情があったという。
「昭和四十二年の春、卒業と共に帰郷して庄内農高の社会科教師となる。ここで三年、教科書はいっさい使わず、ガリ版の手製テキストで通したため“赤い教師”の非難を浴びた、庄内工高に転じて結婚もしたが、同じく“赤軍派教師”のレッテルを貼られる。教育の現場に怒って県教組の反主流派でがんばるうちに、同僚教師と同志的恋愛に陥った。「佐高なんかのツラも見たくない」と反発する教師仲間は、陰湿に白眼視。母・千代は孫娘を抱いて死ぬと言い出し、佐高も自殺を思いつめる。四十七年八月、ついに辞表を出して上京」[2]
上京後は総会屋系経済誌『現代ビジョン』編集部員を経て編集長となる。その後、評論家活動に入った(『現代ビジョン』誌については下の項目も参照)。
日本企業に関する批判的な評論で、『噂の眞相』(休刊に伴い、月刊『創(つくる)』に移行)に連載した「タレント文化人筆刀両断」は連載100回を超える。「佐高信の政経外科」をサンデー毎日に連載中。また『週刊金曜日』のコラム「風速計」も担当している。
経済小説や歴史小説にも造詣が深く、池波正太郎、藤沢周平の熱心なファン。『金融腐蝕列島』(角川書店、1997年)など高杉良の著書の解説を多く手がける。
第44回衆議院議員総選挙直前の2005年9月4日放送「サンデープロジェクト」(テレビ朝日)に『社民党応援団』として出演するなど、公然とした社民党支持者である。また、2007年3月まで新社会党の機関紙『週刊新社会』にコラム『毒言毒語』を連載していた。土井たか子らと“憲法行脚の会”を結成、加藤紘一との対談集会を開くなど護憲運動を行なっている。日本共産党には批判的で、九条の会への参加を呼びかけられた時は日本共産党の関係者が加わっていることを理由に拒否していた。 2005年3月、「マガジン9条」発起人となった[3]。
小泉内閣・安倍内閣への批判から、「クリーンなタカ派よりはダーティでもハト派の方が良い」と、加藤紘一や野中広務、鈴木宗男ら自民党内の左派や旧竹下派人脈との関係を深め、ロッキード事件で失脚した田中角栄に関してもかつてはこき下ろしていたものの今では「ダーティなハト」として相対的に評価している。なお田中秀征については「クリーンなハト」としており、昔から親しい。
批評活動と自身の評価[編集]
批判の対象である保守系や共産党系の人びとでも佐高の企業批判を高く評価する人は少なくない一方で、その言動や姿勢を批判されることも多い。
小泉内閣の国民的人気を決定的なものにした2001年の大相撲総理大臣杯授与での賛辞「痛みに堪えてよくがんばった、感動した」に対し、その後横綱・貴乃花(現・貴乃花親方)は故障が続き最終的に引退に及んだことから、「小泉の発言が貴乃花を追い詰めた」と小泉を非難。その後は、新自由主義経済政策を批判している。
地下鉄サリン事件などオウム真理教が引き起こした凶悪事件に対し、破壊活動防止法の適用論議が巻き起こった際には、『ニュースステーション』の取材に、同法の適用を目指す公安調査庁に対し、「公安は薬害エイズ事件を引き起こした厚生省(当時)以下」と発言している。
1990年代の大銀行に対する公的資金の投入に対して、激しい批判をしたことで知られる。
小渕恵三・元首相に対し、「私の郷里の山形弁では、オブチのことをオブツと発音する」と発言。
「週刊現代」での作家の米原万里との対談の中で、小泉純一郎・元首相とアドルフ・ヒトラーがともに、リヒャルト・ワーグナーの熱狂的なファンであることから、小泉をヒットラーと同一視するかのような言説を展開。また、小泉についてはワンフレーズポリティクスを多用したことから「小泉単純一郎」とも。
2009年4月4日から、保守派の論客で、かつて自身が酷評したこともある西部邁とともに政治家や思想家、評論家について語る『西部邁・佐高信の学問のすゝめ』(朝日ニュースター)に出演している。
さらに、『映画芸術』(編集プロダクション映芸)で441号(2012年10月30日発売)以降連載されている対談「連続斗論」にて、西部邁と映画やテレビドラマについて語っている(司会は寺脇研)。
連続テレビ小説『おしん』(NHK)について、「(おしんの奉公地に設定された)酒田周辺では、おしんよりもっと苦難を強いられた女性が沢山いる」として、作品に批判的である。
元第一勧業銀行広報部次長だった江上剛が第一勧業銀行元会長で総会屋事件に絡んで1997年6月に自殺した宮崎邦次の遺書に「佐高さんにほめられる銀行にしてほしい」と書かれていたことを明らかにした[4]。
人物評論の特徴、事例、変遷[編集]
本田宗一郎を評価し松下幸之助を酷評している。企業の世襲を、理由としている。そのため松下電器勤務経験を理由に弘兼憲史も批判の対象。
小泉純一郎、田中真紀子、小林よしのり、後藤田正晴、中坊公平などの評価に関しては、絶賛と酷評の両極端の文章を書いている。小泉が衆議院議員に当選以来一貫して唱え、最終的に実現に至る郵政民営化にはかつては賛成で、小泉を「信念の人」と評していたが、その後は反対に転じている。小泉内閣の経済政策に関しては、財務省に対し融和的であると断じている。広岡達朗、長嶋茂雄を批判したため、最近では日本球界関係でも知られるようになった。
小説家では藤沢周平や大岡昇平など民衆史観の持ち主を評価し、司馬遼太郎を全面否定する。司馬関連では、宮部みゆきと対談している。経済小説では安土敏や城山三郎を評価し、また、佐高が「会社に飼い慣らされ、社会との関係を見失った」労働者を呼ぶのに好んで使う「社畜」は、安土の造語といわれている。
タレント文化人~シリーズではビートたけしや猪瀬直樹、昔には長谷川慶太郎に対して強い批判を連発している。
問題発言など[編集]
1990年、日本社会党から出馬し当選したマドンナブームの一人長谷百合子(バー経営者)が、のちに1993年の総選挙で落選したあと小沢一郎の新進党に入党すると批判した。
日垣隆も「日垣を使うなら俺は降りる」と、佐高が雑誌に圧力をかけて回ったと告発した[5]。呉智英も、同様の体験をしていると書いている[6]。
また鳩山邦夫を批判する際、「変質者の代名詞のような蝶のコレクター[7]」と書いたことが昆虫研究者などから批判された[8]。また、他の執筆者(斎藤美奈子)からも批判されている。
2006年10月28日、鶴岡市にて「言論の自由を考える」と題した討論会が行われた際、加藤紘一宅放火事件を聞いて、「思うに『犯人』は小泉前首相ではないか。問答無用のやり方が受ける時代をつくってしまった。小泉さんは右翼を元気づけることしかしなかった」と発言した。
一方で、1970年代に連続企業爆破事件などの爆弾テロを実行した新左翼集団「東アジア反日武装戦線」を評して「爆弾テロが善行でないことは確かだが、なんの弁明も許されぬ悪業かといえば、それは断定できない」としている[9]。
池田大作名誉会長の意向のままに動くとされる創価学会・公明党批判を、自自公連立以降活発に行い、一部の対立する言論人に対しては創価学会系の『潮』(潮出版社)に執筆すること自体を批判材料にしている。佐高自身も以前は創価系雑誌『潮』『パンプキン』『第三文明』などに寄稿していたが、自自公連立を機に絶縁を宣言している(政教分離を尊重する建前から、当初は公明党の媒体のみ寄稿を中止していたが、まもなく創価学会系全般への寄稿を取りやめた)。
田原総一朗を権力者の「マイク」(インタビュー対象者の主張を拡声するだけ)として、田原の姿勢に対し執拗といえるほどの批判を展開。佐高と田原の確執は、1997年から1998年にかけて起こった山一證券の破綻、旧大蔵省の汚職事件、金融危機の際に旧大蔵省に対する批判が巻き起こった際、責任者である旧大蔵省幹部・長野厖士に対する田原の取材が「説得力があった」と結ばれていたことから、取材姿勢が大蔵側に迎合的だと佐高が批判し、田原が「自身のジャーナリストとしてのキャリアに対する全否定」と激しく応酬したことが発端。また、田原には仕事上の姿勢以外にも、「田原総一朗は自身の妻に『君が死んだら後を追うよ』と言っていた。妻の友人達は『いつ後を追うのか』と噂しているという」などと、今すぐ後を追えというような解釈も出来る批判を行い、これに対し田原は「佐高は私に死ねと言うのか!」と激怒したという。佐高は「言論人として言葉に責任をもてといいたいだけである」と反論した。
佐高が「小心者」として断罪した石原
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