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2017-05-19 12:49:56 | 日記
 水俣病の発生
■公式確認
 熊本県八代海の水俣湾一帯は、魚類の産卵場として、また天然の漁礁にも恵まれた美しく
豊かな海でした。しかしその水俣湾一帯で昭和20年代後半(1950~)から、貝類が死んだり、
魚が浮き上がったり、海草が育たなくなるなどの現象が現われはじめ、沿岸周辺では、猫が
狂い死にするなどの異変が頻繁に見られるようになりました。
 昭和31年(1956)4月21日、熊本県水俣市の月浦地区の幼児が、口がきけない、歩くことが
できない、食事もできないなどの重い症状を訴えて、新日本窒素肥料株式会社水俣工場附属
病院(以下「チッソ附属病院」という。現在の社名は「チッソ株式会社」で、以下本書では
「チッソ」という。)に受診し入院しました。
 その後、同じような症状を訴える患者3人が入院することになって、同年5月1日、チッ
ソ附属病院の細川一院長は「原因不明の脳症状を呈する患者4人が入院した」と水俣保健所
(伊藤蓮雄所長)に報告しました。
 この日が「水俣病の公式確認日」となっています。
 公式確認当時は、病気の原因がわからず、奇病か、それとも伝染病ではないかとおそれら
れていました。
 最初の患者が確認されてから、水俣保健所を中心として、水俣市、市医師会、チッソ附属
病院、市立病院の調査によって、ほかにも似たような症状の患者が確認され、その年の末に
は、昭和28年(1953)12月から発生していた54人の患者とそのうち17人が死亡していることが
確認されました。昭和37年(1962)11月、脳性小児マヒ診断の子どもを胎児性水俣病患者と認
定(胎児性水俣病公式確認)しました。
 その後も、原因究明に長時間を要したことなどもあって、八代海沿岸地域に水俣病の発生
拡大は続きました。
上島
下島 御所浦島
獅子島
長島
●チッソ水俣工場
患者発生地域
「水俣病 その歴史と対策1997」環境庁環境保健部より、一部改変
八代海 ●水俣湾
図1 水俣病発生地域図
006 ● 第2章 水俣病の発生とその原因
2 水俣病の原因究明
■奇病・伝染病説
 昭和31年(1956)5月1日に病気の発生が公式に確認されてから、つぎつぎに、新たな患者
が確認されました。
 このような地元で「奇病」とよばれていた病気の集団発生をみて、5月28日、水俣市奇病
対策委員会(水俣保健所、水俣市、市医師会、市立病院、チッソ附属病院で構成)が設置さ
れ、患者の措置と原因の究明にあたることになりました。当初、患者が月浦、出月地区に多
く発生していることから、伝染病の可能性を考え、患者の家などの消毒を行ないました。
 また同委員会では8月14日、熊本大学医学部に原因究明を依頼しました。(熊本県は8月
3日に依頼している。)。
 熊本大学では8月24日、水俣病医学研究班(以下「熊大研究班」という。)を組織して、
現地で患者の診察、諸検査を行なうと同時に、患者を医学部附属病院に収容し、厳密な臨床
的観察を行いました。また、死亡した患者については、病理学教室において、病理解剖学的
検査を行ないました。
■重金属中毒説
 熊大研究班では臨床的観察や病理解剖学的検査と併行して、患者発生地区の現地調査を進
めるとともに、現地で採取した飲料水、海水、土、魚貝類などの資料について、微生物学、
衛生学、公衆衛生学の各教室で調査研究が開始されました。熊大研究班は昭和31年(1956)11
月3日、熊大医学部において同研究班員、県衛生部職員及び水俣市奇病対策委員の出席のも
とに中間報告会を開き、「本疾患は、当初考えられた伝染性の疾患ではなく、ある種の「重
金属による中毒」と考えられ、人体への侵入は主として現地の魚介類によるものであろう」
と報告しました。
 水俣病は、水俣湾産の魚貝類を多量に食べることによって起こることがわかりましたが、
魚などを汚染している物質が何であるかは長い間わかりませんでした。
 水俣病の原因物質として、マンガン、セレン、タリウム、あるいはこれらの2つ、または
3つが複合したものではないかという説が唱えられましたが、文献的にも水俣病の臨床・病
理像と違い、動物実験的にも水俣病を再現できず、確証が得られませんでした。
■有機水銀中毒説
 昭和34年(1959)7月22日、熊大研究班は、武内忠男教授、徳臣晴比古助教授らの病理・臨
床からの研究を踏まえ、「水俣病は現地(水俣湾)の魚貝類を食べることによって引き起こ
される神経系疾患であり、魚貝類を汚染している毒物としては、水銀が極めて注目されるに
至った」と公式発表しました。
■チッソの反論
 チッソは昭和34年(1959)8月5日、熊本県議会水俣病特別委員会で「熊大の有機水銀説は
実証性のない推論であり、有機水銀説は化学常識からみておかしい」と反論し、「いわゆる
有機水銀説に対する工場の見解」を発表しました。なお、チッソでは、同年にチッソ附属病
院で工場廃液を猫に与える実験を行い、水俣病を発症する(10月6日、「ネコ400号」発症。)
ことを確認していましたが、公表しませんでした。
第2章 水俣病の発生とその原因 ● 007
■爆薬説・アミン中毒説
 このほか、水俣病の原因として日本化学工業協会が昭和34年(1959)9月28日に「爆薬説」
を、翌年4月12日に清浦雷作東京工業大学教授が「アミン中毒説」を発表しました。
■厚生省食品衛生調査会水俣食中毒特別部会見解
 昭和34年(1959)11月12日には、水俣病の原因調査に当たっていた厚生省食品衛生調査会水
俣食中毒特別部会は「水俣病の主因をなすものは、水俣湾周辺の魚介類のある種の有機水銀
化合物である」と厚生大臣に答申しました。
■熊大研究班のメチル水銀化合物特定
 その後、有機水銀について研究が進められていましたが、昭和35年(1969)9月29日、熊大
研究班の内田槇男教授は「水俣湾産の貝から有機水銀化合物の結晶体を抽出した」と発表、
さらに昭和37年(1962)8月、入鹿山且朗教授らは「(アセトアルデヒド)酢酸工場の水銀滓
から塩化メチル水銀を抽出した」と発表しました。
 熊大研究班は昭和38年(1963)2月20日、「水俣病は、水俣湾産の魚などを食べて起きた中
毒性の中枢神経系の疾患であり、その原因物質はメチル水銀化合物であるが、それは水俣湾
内の貝及びチッソ水俣工場のスラッジから抽出された。しかし、現段階では両抽出物質の構
造はわずかに違っている」と正式発表しました。
3 水俣病の原因の確定
■政府公式見解
 水俣病の原因追求が行なわれているなかで、昭和40年(1965)5月31日、新潟大学から新潟
県衛生部に「原因不明の水銀中毒患者が阿賀野川下流海岸地区に散発している」と報告があ
り、新潟水俣病の発生が公式に確認されました。
 昭和42年(1967)年6月12日、新潟水俣病患者らが新潟水俣病の汚染源とされる昭和電工を
相手どり、慰謝料請求を新潟地裁に提訴し、わが国初の本格的公害裁判がはじまりました。
 このような状況の中で、政府は昭和43年(1968)9月26日、「水俣病は、メチル水銀化合物
による中毒性の中枢神経系疾患であり、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で副生
されたメチル水銀化合物が工場排水とともに排出され、環境を汚染し、魚介類にメチル水銀
化合物が濃縮蓄積され、これらの魚介類を地域住民が多食することにより生じたものであ
る」と、水俣病に関する公式見解を発表し、水俣病は、公害病と公式に認定されました。水
俣病が確認された昭和31年(1956)5月から数え
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