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2017-05-19 12:45:50 | 日記

 水俣病はなぜ公害の原点と言われるのでしょうか。世界で公害はたくさんありますが、産業による環境汚染が起こり食物連鎖を通して公害病が発生した例は、水俣が初めてだったのです。
  当時「水俣病」という病名を変えようという署名運動が起こりました。患者には居場所がありません。僕は学会で強く反対しました。ただの「有機水銀中毒」としては、水俣以外の「有機水銀中毒」と区別がつかなくなってしまいます。これでは、水俣の教訓を残すことができないのです。水俣病の固有性を理解するべきなのです。


原因究明への阻害

 熊大医学部が原因解明までに2年半かかったと言いましたが、これはラッキーな方です。下手すれば迷宮入りになった可能性はたくさんあった。なぜなら、熊大医学部はチッソのことは何も知らなかったのです。チッソ内部を一番知っていたのは、工場の技術者です。しかし彼らは、原因が明らかになることによってチッソが不利益を被ると思い、協力でなくむしろ妨害をした。今考えれば原因を早く突き止め、対策を早く打ったほうが、損失は少ないはずです。そのことを当時はわからなかったのですね。


患者の立場

 原因解明でめでたしめでたしと思われていましたが、その陰で患者さんたちは見事に閉じこめられた。家にこもって出てきませんでした。熊大の先生は来ないでくれ、と言われたのです。なぜか、どうしてもわかりませんでした。患者は何も悪いことをしていないのに。(スライド)これは、当時の患者さんたちの家の写真です。なんというあばら家でしょうか。その上、魚を食べないと生きていけないのです。本当にショックでした。ここに人が住んでいると想像できますか?このような家に住んでいる患者さんたちは、私たちの来訪を拒んでいました。


胎児性のヒントをくれた母子との出会い

その理由を探してふらふらしていたとき、ひとつのヒントに出会いました。ある日2人の子供が道で遊んでいました。母親に「2人とも水俣病か。」ときくと、「兄は水俣病だけど、弟は脳性小児麻痺だ。そう診断された。」と答える。まったく同じ症状なのにそんなおかしなことがあるかと思って詳しく聞くと、弟は「生まれつき」この症状で、つまり水俣の魚は食べていないのだから「水俣病」ではないのだということです。一端納得しました。なぜなら当時は、胎盤を通じて毒物が胎児に伝わるとは考えられていなかったのですから。しかし母親は次のように言ったのです。「わたしはそう思いません。先生考えてみてください。魚をみんな、一緒に食べた。一緒に食べた主人は水俣病で死んだでしょう。一緒に食べた上の子は発病したでしょう。私も食べたが、私は元気だ。私の食べた水銀はおなかの中のこの子にいったから、下の子も発病したのでしょう。」それも説得力あるなと思った時に、母親に「あの村に行ってごらんなさい。そこでは、この子と同じ年に生まれた子供はみんな脳性麻痺ですよ。そんな馬鹿なことってありますか。」と言われました。そして行った先が、先ほどのビデオの子供たちの村です。これを見た時僕はショックでした。十人の小児水俣病に七人の脳性小児麻痺と、村の子供は全滅ですよ。しかしショックであったと同時に、確信を得ました。毒が胎盤を通って中毒が起こるということを。胎児性水俣病を何とか解決しようと決心した、運命の出会いでした。


胎児性水俣病の証明に至る

 自分は世界で初めて胎児性水俣病を発見したと思っていましたが、実はみんな気づいていました。しかし、他の人も行き詰まっていました。何が行き詰まっていたかというと、

(1)小児科:一般の小児麻痺との違い
  →脳の幼い時にやられるとみな同じような症状になるため、行き詰まる
(2)神経内科系:水俣病との共通点
  →視野狭窄や感覚障害は患者の協力がないと調べられないため行き詰まる
(3)疫学:同一症状で同一疾患
  →疫学条件(発生率、発生時期、発生分布など)から原因を特定するのに成功
(1)も(2)も行き詰まり、みな動物実験を始めた。しかし私は動物実験は嫌だったのでやらなかった。そこで気がついたのは、患者がみんな同じ表情だということです。疫学条件により原因を特定するのに成功しました。全く同じ症状で同じ病気だということを第1段階として認め、第2段階として発生率が非常に高く、発生の時期と場所が水俣病と一致している。そのように疫学的条件を積み重ねて、水俣病だと証明したつもりだった。当時は疫学はあまり重視されていなかったため、誰も認めてくれなかった。しかしその後、たまたま私の診ていた子供の一人が死んで解剖をした。その結果、世界で初めて胎盤を通して起こったメチル水銀中毒だということを証明できたのです。


子宮は環境

 他に何か証拠はないかと探しました。髪の毛の中には、大きくなると水銀なんて残っていません。探しに探しました。そしてついに、「へその緒」が証拠になることを突き詰めました。このことで、「子宮は環境」「環境汚染は、子宮の汚染」ということが分かりました。子宮を汚染するということは、次の世代の命を奪うということです。この教訓を、胎児性水俣病患者達は教えてくれていたのです。これは現在の例えばダイオキシン問題でも同じです。これをみてください。無機水銀は胎盤を通さないのです。しかし、有機水銀は胎盤を通してしまいます。なぜでしょう。それは、有機水銀がもともと自然に存在しない物質だったためです。胎盤は、子供を毒物から守りつづけてきたため、人類は今まで生き残ってきました。ところが自然界に存在しない化学物質が誕生したとき、胎盤はどう対応してよいかわからないのです。だから取り込んでしまう。ダイオキシンや環境ホルモンの問題も同じです。このたったの100年間の間に、大量の自然界に存在しない化学物質が合成されてきました。これがどういうことなのか、ということをもう一度考えてみてください。

新潟水俣病からの教訓

 新潟で水俣病が発生したとき、我々はびっくりしました。1959年に水俣病の原因がわかったのに、その6年後に同じ工場が何も処置をせずに同じ毒物を流し、そして同じ病気を起こしたからです。行政は一体何をしていたのでしょうか。しかし、新潟水俣病は予想外の効果をもたらしました。新潟では、疫学調査により水俣病像をつくっていった。汚染されたと思われる人たちを母集団ととらえ、継続的に調査することにより、最終的に水俣病という病像を作っていったのです。ところが熊本では最初から判断条件を作り、その条件にあうものを水俣病とした。これら2つは、全然意味が違います。
 これが、水俣病の3番目の山場です。第1が、原因究明。第2が、胎児性の発見。第3が、水俣病の見直しです。
 しかし、第3は今日においても不十分です。なぜなら、母集団20万人を調べなくてはならないからです。しかも、今日まで行政はその調査をやっていません。


専門家の果たす役割

 今年の4月27日、実に20年もかかって大阪高裁で行政責任を認めさせたのに、環境省は上告してしまった。このあと何年かかりますか。患者はもう死んでしまいますよ。私たちが裁判の中で争ってきたことは、被害の実態を明らかにすること、責任の所在を明らかにすることの二つの問題です。
 被害の実体を明らかにすること、これは医学的な目的です。しかし、それによって困る人々もいます。その人々は、被害の実体を明らかにさせないようにします。何をもって水俣病と診断するかが争われてきました。これが水俣病裁判を30年かからせた原因です。その中で専門家の果たす役割が問われてきます。専門家といわれる人たちは東京・中央にいて、患者を見もせずに「それは違う」などと判断をする。「自分は聞かれたから答えただけだ」といっても、聞かれたからといって専門家として言ったことは一人で動き出すのです。それをひっくり返すのに30年もかかるのです。間違っていたならば、そう言って謝ってもらわなくては困る。それが、専門家は言いっぱなしで責任を取ろうとせずにきた。専門家が意見を言うことによって、その意見が行政にとりこまれて、制度として固定していく。それが間違っていた場合のことを考えてみてください。一度権威者が言ったことをひっくり返すことにどれだけの力が必要となるか、分かりますか?その大変さ、つまり自分の意見のもつ影響力をを専門家は理解しなければならないと考えます。
 あとは、被害の実態の解明をどこから行うかです。それは、今から起ころうとしているところを調査する。そうすれば、一番軽い、一番最初の水俣病が見られるはずです。熊本の水俣の場合はひどすぎた。底辺を明らかにすることは、世界に出て、今から起ころうとしているところを見てまわるしかないのです。


世界の水銀汚染と日本のもたらす影響

 世界の水銀中毒を少し見てみましょう。

 これはアメリカの例です。水銀で消毒された種麦を豚に食べさせて、その豚を食べた。そのために子供たちが重症になりました。お母さんはその時妊娠していて、アメリカで唯一の胎児性水俣病患者が生まれたのです。アメリカでも、被害を受けるのはやはり貧しい人たちです。彼らは、床にこぼれた麦を拾ってきたのです。

 カナダインディアンです。カナダ政府はあそこに人はいないというが、ネイティブの人たちがいるのです。インディアンの人たちの髪の毛の水銀値を調べると、夏は高く、冬は低い値が出る。これは夏に魚をたくさん食べ、冬にはあまり食べないからです。ネコの実験でネコも水俣病になった。そして人間の調査も行い、私たちは「人間も軽いが水俣病は起こった」と結論を出した。しかし、カナダ政府は日本政府に問い合わせて政府の水俣病の診断基準を当てはめたため、カナダでは水俣病は起こっていないことになってしまった。

 これは、アマゾンのジャングルで金をとっている場所です。金をとりだす過程で無機水銀が蒸発し、それを吸った労働者が無機水銀中毒になります。しかしそのずっと下流で、魚を食べて暮らしている漁師がいます。彼らの髪の毛の水銀値を測りましたが、かなりのひどい症状でした。何をもってミニマムなメチル水銀の影響とするかということで、ここでも議論が発生します。その際に、「日本はどうしたのか」ということが必ず出てきます。つまり、水俣病は日本だけの問題ではなく、世界の問題と関わってくるのです。

 私は、世界中で水銀中毒の患者に会ってきました。どこの国でも、社会的、生物的な弱者に被害が現れていました。ともすると、絶望的になります。しかし、子供たちの笑顔に僕らは救われるのですね。子供たちの未来を私たちは考えなくてはならないと思います。


「この子は宝子」

 ユージン・スミスのこの写真は、川村ともこさんという胎児性水俣病患者です。22歳まで生きましたが、その間一言も言葉を発しませんでした。だけど、母親のよしこさんはこの子を宝子だといいます。本当に大事に大事に育てました。「この子が私が食べた水銀を全部吸い取ってくれた。そのために、私は元気です。そしてそのあと5人の子供が生まれたけれど、みんな元気です。この子は我が家の災い・水銀を全部一人でしょってくれた。我が家の命の恩人です。」といいます。また、母親はともこさんを22年間抱きっぱなしです。あとから生まれた5人の子供たちの面倒も見られず、生みっぱなしだった。しかし、「弟・妹たちはこのお姉ちゃんを見て育ち、自分のことは自分でやる、協力しあう、優しいいい子に育った。それはこのお姉ちゃんの姿を見たからだ」というのです。何でこの写真を撮らせたのかときくと、「よかじゃなかですか」という。あっけらかーんとしているんです。


命のもつ意味

 僕は、人間の価値・命を考えるとき、思い出すのはこの子です。写真の中のこの子は、何一つできなかった。ひと言も言葉は発せられないし、動くこともほとんどできませんでしたが、この子の存在のもつ意味はものすごく深いものです。22歳の短い生涯でした。しかし、どんなにか命のもつ意味を世界に教えてくれているでしょうか。


水俣からみなさんへのメッセージ

 いったい、私たちは環境問題を何のために勉強するのでしょうか。僕は、命を守るため、弱い人のため、だと考えています。決して権力や大金持ちのために環境問題を勉強するわけではないと思います。これが、水俣からのみなさん若い人たちへのメッセージと思ってもらえればありがたいです。




質疑応答


Question
 水俣病において東京大学医学部の責任は大きいと思うが、公害を引き起こす状況は水俣病を通して変化したか?


Answer
 歴史は長いからいろんな所でいろいろな局面があるが、○○大学の○○権威とは言わなくても、本当の専門家とは何かが水俣病のなかで問われたと思います。私自身も含めて、専門家としての自負がありました。僕らが教えてやる、指導してやるという気持ちがありましたが、実は本当の専門家ではなかったのですね。本当の専門家とは、現場で当事者の意見を聞いてそれを自分のものとして発展させられる人です。ところが、多くの専門家はあまり聞く耳を持たずに、自分たちの枠・既成の概念・知識に閉じこもっている。
 例えば、おじいちゃん・おばあちゃんの二人とも魚を食べ、水俣病の同じ症状が出たとする。ところが専門家は「おばあちゃんは水俣病でおじいちゃんは神経痛だ」という。彼らはこんなことは理解できず、あるのは自覚症状だけだ。しかし専門家は「自覚症状は客観的でない。」という。簡単な理屈が正しいのに、専門家はいろいろな理屈をねじ曲げてしまう。本当の専門家はおじいちゃんおばあちゃんたちの言葉を受け入れ、自分たちで新しい枠組みを作っていくことのできる人だ。
 現在でも専門家は非常に重宝がられて、現場に来ずに自分たちの概念で片づけてしまう危険性がある。水俣病の判断条件を審査する専門委員会座長は、「僕は水俣病のことは知らないんですよね。みなさんがご存じだから。」という。知らないのなら、なぜ委員長をつとめるのか。座長が決めたことは一人歩きして、何千人という患者を切り捨てていく。そんな人を専門家とは、僕は呼びたくない。患者を見もしない、現場にも行かない、「私は何も知らない」といいながら役割を果たしていく専門家たちを私たちは監視していかなくてはならない。



Question
 水俣病では、チッソ労働者と患者との間の差別などで地域のコミュニケーションが悲しくなっていると思ったが、それを現場で感じたか?


Answer
 僕は労働組合やいわゆる革新という政党に、弱いものの味方という幻想を持っていたが、現実は見事に違った。どうしてなのかと理解できなかった。しかし労働組合の人たちも被害者なのである。被害者が被害者を差別する、という構造があった。
 水俣病は単純に割り切れる問題でなく、いろいろな切り口がある。それぞれの学問や分野から水俣の問題を見てもらえれば、研究者は研究者としての、市民は市民としての、役人は役人としてのあり方を学べるのではないかと思う。そのためには、水俣病を医学の世界に閉じこめたのは失敗だった。もっと多面的に水俣病を研究していく。これを教訓として残していくためには、いろいろな分野の人たちが水俣病を見ていき、どこにどのような問題があったかを明らかにすることが後世に水俣病を負の遺産として残すことになる。その中で医学の責任は大きい。

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