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2017-07-29 11:59:47 | 日記
手塚は医師免許を持っていたが、大阪帝国大学医学専門部の時代からすでにプロの漫画家として活動していたため職業医師として活動したことはない。ただし、インターン時代には患者を診ている。編集者やアシスタントなど興味本位で診察を受けに来た人間の多くを追い返していた[131]。ただし、岡部冬彦が手塚と海外に行き体調を崩した際は手塚が診察している。その時、岡部は手塚のことを信じずに日本にトンボ返りして病院で検査したが、手塚の言うとおりただの飲み過ぎであった[132]。
手塚が医者になるのをやめ漫画家一本にした直接的な理由は、手塚の母にある。手塚は「せむしの仔馬」というアニメ映画を見ることを口実に母親を連れ出し開演までの時間に映画館のロビーで漫画家になるか医師になるか相談した。母親はためらうことなく自分の好きな方をやりなさいと答え漫画家一本で行くことを決心した[133]。 ちなみにその時の映画「せむしの仔馬」には火の鳥が登場し、これが手塚の「火の鳥」の着想の一つになった。またこれは手塚が病室でコンテを切っていた遺作の一つ「青いブリンク」の原作でもある。
また手塚の学生時代の恩師からは授業中もずっと漫画を描いている手塚に対して「手塚君、君は、このまま医者をつづけても、ろくな医者にはなれん。必ず患者を五、六人は殺すだろう。世の中のためにならんから医者をあきらめて漫画家になりたまえ」と言われている[134]。手塚はインターン時代に患者の顔を見るとどうしてもカルテに似顔絵を描いてしまうとも語っている。息子の眞によれば、手塚は血を見るのが嫌いで道を断念したとも言う。
なお専門は外科である。担当教授の紹介で奈良県立医科大学の研究生となり、「異形精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的研究」(タニシの異形精子細胞の研究。タニシの精子の研究を通じて人間の精子の発生のメカニズムを考えるというもの)で医学博士を取得。同論文は『奈良医学雑誌』第11巻第5号、1960年10月1日、pp. 719–735.に所収されている。
医師免許は終身有効なので、手塚はプロの漫画家になった後も医師免許(昭和28年9月18日医籍登録第150476号)を保持し続けていた。没後の2003年11月20日に宝塚手塚治虫記念館の企画展「『ブラック・ジャック』のDNA」にその現物が公開陳列されたときにある識者から、免許証は当人死亡後は政府に返納せねばならないと定めた法令に違反している、という指摘があった。厚生労働省と協議した結果、いったん規定どおりに返納手続きを行った後に同省が改めて遺族に譲渡するという特例の措置がとられた。厚生労働省医政局医事課試験免許室では「こういった例は過去にあまりない」としている。それにより現在遺されている免許証には「抹消」の赤印が押されている[注 10]。
プロ野球との関わり[編集]
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