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リタイアーのよもやま話

少子高齢化と古代ローマ帝国

2012-02-18 23:52:10 | 経済

少子高齢化が古代ローマ帝国の衰亡の原因かなんて
書いたのだが、気になって、ネットを検索すること
にした。

「少子高齢化と古代ローマ帝国」

すると、なんと、関連すると思われるのが、続々と
でてきた。

 

ネットにこういうのがある。


【資料1】
深刻なのは高齢化 | 田中良紹の「国会探検」というのが
あって、紹介してみたい。

 

少子高齢化はこれからの政治が取り組まなければならない
大問題である。

 ところが柳沢発言もそうだが、このところの議論は少子
化にばかり目が向いているように思える。もちろん少子化
も大問題には違いないが、それはアメリカを除く先進国に
共通する問題で日本だけが突出している訳ではない。

 そもそも動物は生命の危機に遭遇すると種の保存本能が
働いて子孫を増やそうとするが、危機が去るとその本能は
減退する。

人間も動物だから戦争や貧困がなくなり生活が安定すると
少子化が起こる傾向にある。


数々の戦争を経て版図を拡大した古代ローマも、「パクス・
ロマーナ」(ローマによる平和)の時代を迎えるとローマ
市民の少子化が顕著になった。塩野七生著「ローマ人の
物語」(全15巻)によると、紀元前2世紀頃は10人もの
子供を産むのが珍しくなかったのに、ジュリアス・シーザー
が帝国の基礎を築いた紀元前1世紀になると子供2,3人
が普通になり、帝国が安定した紀元前1世紀末になると
恵まれた階層では結婚をしない人達が増えた。

子供を産み育てる以外にも快適な生活を選択できるように
なったからである。

 ローマ市民の少子化は国家を維持する上で深刻な危機と
認識された。

皇帝アウグストゥスは少子化対策のための立法を行う。それ
は子供のいる人達を社会的に優遇し、子供のない人達は税制
や公職のキャリアなどで不利になるというものである。

例えば独身女性には独身税というべき税金が課せられ、独身
男性には相続権がなくなる他、公職に就く時には子供のいる
人より不利になるなどが決められた。

この法律は多少の修正は加えられたものの、キリスト教が
ローマ社会を支配する帝政末期まで存続することになる。

 人権思想が確立した現代ではとうてい受け入れられない
政策だと思うが、塩野氏によれば現代の歴史学者の間で
この古代ローマの少子化対策それほど不評ではないと言う。

塩野氏自身も「税控除や家族手当の補助金などでは到底
解決は不可能なのだと妙に感心した」と書いている。

 かつて田中角栄氏が「親の膝は2つ、子供は3人以上
いないと民族は滅亡する」と語ったことがある。

その意味は、子供が2人以下だと親の膝を分け合って喧嘩
にならない。しかし子供が3人以上だと親の膝を奪い合って
必ず喧嘩が起こる。子供は兄弟(姉妹)喧嘩の中から人間
関係の機微を学び成長していく。

子供の頃の切磋琢磨がないと未熟な大人が出来上がり、民族
の将来は危うくなる。しかも2人の親から3人以上の子供が
産まれれば人口は減少しない。だから民族は滅亡しない。
 
 そのために政治は何をするのかを私が問うと、角栄氏は
「子供が3人以上の家庭は減税の対象にする」と言った。

古代ローマと似た考え方である。
 
 柳沢大臣も「女性は産む機械」、「女性に一人頭頑張って
貰う」などと言わずに、「子供が3人以上の家庭は、税金、
教育費、医療費を優遇する」と言えば良かった。

 ところで少子化問題には古今東西真似をすべき前例がいくつ
もあるが、高齢化の問題となるとそうはいかない。

なにせ日本は世界一の長寿国だから、高齢化問題では世界に
先駆けたトップランナーの位置にいる。目標とすべき相手、
真似をすべき前例がないのである。


以上。


少子高齢化は、さておき、少子化は国力の衰亡ということで
相関性がありそうだ。もしかして、衰亡した文明は、この
うような事情が根底にあったかも知れぬ。


ところで、次のような資料もあった。その一部だが。

【資料2】
一方少子化は子供が生産財でなく高い消費財になるためで、
大学や大学院を卒業させてもなおパラサイトシングルで親に
寄生するので、こんな馬鹿高い消費財にうんざりし、できる
だけ子供を生まないようにするためである。


「一方少子化は子供が生産財でなく高い消費財になるため」
という論じ方があるが、わたしには、疑問である。

子どもは、将来の労働力である。つまり、消費財に見えても
実はより有効な生産財として機能すべく、教育されている
のである。

「こんな馬鹿高い消費財にうんざりし」というが、社会が
高度化すればするほど、その育成に費用がかかるだけの
話しである。

だから、子供数が減ってくるのである。

問題は、国家に「のびしろ」が無くなってくると、労働力の
需要が無くなってくるだけの話しである。

何しろ、弁護士が増えすぎ、経済的に成り立たなくなって
いるのは、なんとも信じがたい時代になったものだ。

あらゆる職種の労働力の需要が頭打ちになってきている。
新しく生まれてくる労働力を吸収するほどには、労働力の
需要がなくなってきている。

しかし、どのような国家も、先行する国家、例えば、日本
の労賃は、後続する国家、例えば、中国の労賃より、高く
なる。つまり、円高になる。

資本主義が、世界中に広まってしまった。これだけ、広まっ
て、ロボットも動員して生産するような時代になれば、生産
過剰である。

そこで、労働力の国際的な競争が起こる。

先進国において、いくら金をつぎ込んでも、費用対効果は
悪くなる一方になり、大学院を出ても、フリーターになり
かねない時代の到来だ。


一方少子化は子供が生産財でなく高い消費財になるためで、
大学や大学院を卒業させてもなおパラサイトシングルで親に
寄生するので、こんな馬鹿高い消費財にうんざりし、できる
だけ子供を生まないようにするためである。

このような本末転倒の論理では、何も解決できる方向性性は
見えてこない。

問題は、社会が発展すればするほど、世代間の労働力の
再生産にコストが膨大になる。

ところが、そのようなコスト高になるような時代になると、
労働力の国際間の競争が起こり、先行する国家の費用対効果が、
恐ろしく悪くなる。

そこに、少子化にありながら、就職難という理解しがたい現象
が起こるのではないのか?

そこが、先進国の苦悩なのでは?

と、いろいろ考えてしまった。


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