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リタイアーのよもやま話

物語ること、生きること

2017-05-03 20:38:07 | 読書

少し前に、上橋菜穂子の「獣の
奏者」を読み終えた。

前に彼女の「精霊の守り人」シリ
ーを読んでいたせいもあって、読
む気になったからだ。

そして、その勢いで、彼女の「物
語ること、生きること」も読み終
えた。

この本の帯びの表には、
「どうしたら作家になれますか?」
とある。

そして、裏には
「物語に夢中だった少女が、作家に
なるまで。」とある。

読んで、思いだしたことがあった。

それは、「獣の奏者のⅢ」にあっ
た文章である。

次の内容が、それだった。

 しかし、話してみれば、ダミヤさま
は、思っていたよりもずっと懐の深い
男だった。

世の穢れにさらされて長いあいだ
生きてきた大人は、清廉な志を気恥ず
かしく思うものなのだよ。

と、ダミヤさまは、明るい声で言った。

だが、ほんとうに大切なのは、ど
れほど世の穢れにさらされても、清廉な
志を捨てずに生きることなのだ。

以上。

である。

ここで言う。

「清廉な志を捨てずに生きる」という
一途な思いを抱き続けている人こそが、
実は、上橋菜穂子自身のことのように
思えたのである。

この本は、「どうしたら 作家になれ
ますか?」への答えとして、書かれた
ように思われる。

しかし、読んで思うに、誰もが作家に
はなれない。というのが、私の答えだっ
た。

この本を読むと、努力して作家になれ
るものではない。というのが結論だ。

彼女は、作家になる以外の生き方は、
できないのである。

非常に文学的表現だが、「神から選
ばれた人」なのだ。

いとも気軽に作家になろうという人
を戒める本ではなかろうか?

松本人志は、「哲学」という本で
こう厳しく言っている。

才能がなかったらこの世界に入っ
てきてはいけない

いってる意味、わかります?

好きなら才能はあるか。

それは絶対に違う。好きでも、才
能のない人間はいる。

 さっきも書いたけれど、才能が
なかったらそれは辞めないといけ
ない。

好きならやっていいのか、好きだ
ったらやる権利はあるのか。

僕はそんな権利はないと思う。

才能がなかったら、辞めないと迷
惑だ。

一所懸命やってる奴にも迷惑だし、
見てる側にも迷惑だ。

才能がないにもかかわらず、やろ
うとするのはワガママというか、
その人のエゴだ

と思う。それは、自分の才能を信
じるということとは違う。

 昔、こいつ才能ないなあという後
輩がいて、いったことがある。

「辞めろ。辞めた方がええよ、絶対
に無理やから」って。

「いや、好きなんですよ」ってその
男はいっていたけれど。

好きならやっていいのか。

それは違うだろう。

以上。

こういう厳しいことを彼は言って
いる。

わたしは、こう言いきられて、自分
の人生を反省した。

しかし、無い才能に人生を浪費した
気もしないこともないが、結果的に
言い意味で、平凡で、人生を大過な
く過ごせた気もしないでもない。

無い才能にしがみついたおかげで、
人生を棒に振るようなことが起こら
なかった気もするからである。

複雑な気分であるが。

少なくとも、退職してみて、ちゃんと
年金があるという事実は、重たいもの
がある。

「見果てぬ夢」に拘り続けて、人生
を棒に振った先輩や後輩を思うと、
その重みは、一段と増す。

それは、さておき。

自分は、本当のところ、何をやりた
かったのだろう。と思う毎日である。

You Tubeで、Gerald Finzi を聴いて
いたら、そのうち、日頃聴いてない曲が
ながれてきた。

今日は、なんとなくこの曲に親しみが
わいている。