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2017-05-19 11:43:12 | 日記

・水俣学
・熊本学園大学
・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E6%AD%A3%E7%B4%94

■HP

◆原田正純 著作目録
 http://www.geocities.jp/uwasano/harada-masazumityo.html
◆http://gw.civic.ninohe.iwate.jp/100W/06/070/page3.htm
◆http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E6%AD%A3%E7%B4%94
 原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - ) は、鹿児島県出身の医師。学位は医学博士。ラ・サール高校、熊本大学医学部卒業。水俣病と有機水銀中毒に関して数多にある研究の中でも、患者の立場から徹底した診断と研究で水俣病に関してもっとも詳しい医師であるといえる。1989年、『水俣が映す世界』(日本評論社)で大佛次郎賞を受賞。2001年、吉川英治文化賞受賞。2010年、朝日賞受賞。
経歴
1959年、熊本大学医学部卒業
1964年、熊本大学大学院医学研究科神経精神医学修了、精神神経科助手
1970年、精神神経科講師
1972年、熊本大学体質医学研究所助教授
1984年、体質医学研究所改組のため遺伝医学研究施設疫学部に移籍
1993年、再改組で遺伝発生医学研究施設に移籍
1999年3月、熊本大学退職
1999年4月、熊本学園大学社会福祉学部教授に就任
2010年、熊本学園大学を退職

◆「2010年度朝日賞、3氏1団体に贈呈」
 http://www.asahi.com/national/update/1228/TKY201012280001.html

 「2010年度の朝日賞は次の3氏1団体に決まりました。各界からの推薦をもとに、朝日新聞文化財団と朝日新聞社の選考委員会(委員長=秋山耿太郎同財団理事長・朝日新聞社社長)が審議し、決定しました。1月27日に東京・日比谷の帝国ホテルで贈呈式を行い、正賞のブロンズ像と副賞(1件500万円)を贈ります。
◇池澤夏樹氏 作家
 世界的視野に基づく創作・評論活動と文学全集の編集
◇原田正純氏 医師
 水俣病研究を通した学際的な「水俣学」の提唱と深化
◇探査機「はやぶさ」プロジェクトチーム
 (チーム代表=川口淳一郎・宇宙航空研究開発機構教授、産業界代表=萩野慎二・NEC宇宙システム事業部シニアマネージャー、学術界代表=土屋和雄・京都大名誉教授)
 産官学の協力による世界初の小惑星探査往復飛行
◇細野秀雄氏 東京工業大フロンティア研究センター教授
  透明酸化物半導体・金属の創出
主催 朝日新聞文化財団」

■著書

◆???? 『有機水銀中毒(水俣病)』(共著)出版社:薬物が起こす神経障害(高倉公明,宮本忠雄編)

◆19721122 『水俣病』,ミネルヴァ書房,244p. ISBN-10: 4004111137 ISBN-13: 978-4004111139 [amazon] ※ ee
◆1976 『有機水銀中毒,神経疫学』(黒岩義五郎編)(共著)
出版社:医学書院
◆1983.9『いま、水俣病は?』原田正純、宮本憲一(岩波書店・岩波ブックレット), 岩波書店,71p. ASIN: B000J7B46S
◆19850120 『水俣病にまなぶ旅――水俣病の前に水俣病はなかった』,日本評論社,310p. ISBN-10: 4535575266 ISBN-13: 978-4535575264 2600 [amazon] ※ b
◆1985.2『水俣病は終っていない』原田正純(岩波書店・岩波新書)
◆198605 『水俣の赤い海』,フレーベル館,279p. ISBN-10: 4577008734 ISBN-13: 978-4577008737 [amazon] ※ ee
◆19890601 『水俣が映す世界』,日本評論社,321p. ISBN-10: 4535577978 ISBN-13: 978-4535577978 3570 [amazon] ※ b
◆1989.9『水俣病』原田正純(岩波書店・岩波新書)
◆1989.10『水俣・もう一つのカルテ(水俣=語りつぎ)』原田正純(新曜社)
◆1990 『発展途上国の環境問題』出版社:「21世紀の政治経済学」 有斐閣(共著)
◆1992.10『水俣の視図 弱者のための環境社会学』原田正純(立風書房、学習研究社)
◆1994.8『炭じん爆発 三池三川鉱の一酸化炭素中毒』原田正純(日本評論社)
◆19940920 『慢性水俣病・何が病像論なのか』,実教出版,223p. ISBN-10: 4407029579 ISBN-13:978-4407029574 [amazon] ※ ee
◆1995.5『この道は(シリーズ・私を語る)』原田正純(熊本日日新聞社(熊本日日新聞情報文化)
◆1995.6『水俣病と世界の水銀汚染(J・JECブックレット)』原田正純(実教出版)
◆1996.7『裁かれるのは誰か』原田正純(世織書房)
◆1996.9『胎児からのメッセージ 水俣・ヒロシマ・ベトナムから(J・JECブックレット)』原田正純(実教出版)
◆1997 『メチル水銀の神経毒性,水俣とアマゾン』(共著)
◆1997 『有機水銀中毒,その他の重金属中毒』(共著)出版社:器質,症状性精神障害(三好功峰,他編)
◆1997 『広がるアジアの環境汚染と健康障害』(共著)出版社:アジア環境白書(日本環境会学編)(東洋経済新報社)
◆1997.12『炭坑の灯は消えても 三池鉱炭じん爆発によるCO中毒の33年』原田正純(日本評論社)
◆1998 『水俣病原因究明の道程,水銀の分析と臨床疫学』(共著)出版社:環境計測の最先端(三田出版会)(小泉英明編)
◆1999.6『三池炭鉱1963年 炭じん爆発を追う』森弘太、原田正純(日本放送出版協会)
◆2000 『胎児性水俣病とPCB胎児症』出版社:カネミ油症 ダイオキシン汚染・関東ネットワーク
◆2000 『アジアにおける環境汚染による健康障害』出版社:アジア環境白書2000
◆2001.3.21『日本国憲法の逆襲』佐高信編(岩波書店)
◆2002.2『金と水銀 私の水俣学ノート』原田正純(講談社)
◆20020830 『環境と人体』,世界書院,279p. ISBN-10: 4792710405 ISBN-13: 978-4792710408 [amazon] ※ ee
◆2002.11『いのちの旅 「水俣学」への軌跡』原田正純(東京新聞出版局)
◆2003.5『OD>水俣・もう一つのカルテ(OD版)』原田正純(新曜社) amazon bk1
◆2004.3『Minamata disease』原田正純(熊本日日新聞情報文化センター)
◆2004.3『水俣学研究序説』原田正純、花田昌宣(藤原書店)
◆2004.3『水俣学講義』原田正純(日本評論社)
◆2004.5『環境福祉学入門』炭谷茂、原田正純(環境新聞社)
◆2005.7『水俣学講義 第2集』原田正純(日本評論社)
◆20070406 『豊かさと棄民たち――水俣学事始め』,岩波書店,双書時代のカルテ,126p. ISBN-10: 4000280880 ISBN-13: 978-4000280884 1155 [amazon] ※ b

■論文・他

◆1968 「Sudeck症候群や多彩な精神症状を示した一酸化炭素中毒後遺症の1例」『脳と神経』20:1095-1099
◆19700607 「この痛苦に軽量があるのか(告発された水俣病の重大局面)」『朝日ジャーナル』12(23):117-120
◆1971 「炭じん爆発により集団発生した一酸化炭素中毒後遺症の5年目の脳波学的研究」『精神経誌』73:854-865
◆19710305 「水俣病の前に水俣病なし――医学者としての視点(むき出しになった"水俣差別”)」『朝日ジャーナル』13(9):40-41
◆1972 「16年後の水俣病の臨床的・疫学的研究」『神経進歩』16:870-880
◆197204 「水俣病の概念(公害裁判(特集)2)――(公害裁判の現状と問題点)」『法律時報』44(5):41-43
◆1973 「環境における長期微量汚染の人体に及ぼす影響」『公衆衛生』37:171-175
◆1973 「中毒性脳障害における痴呆」『精神医学』10:408-412
◆197308 「第二、第三の水俣病をもたらしたもの(公害・薬害と人間の権利(シンポジウム))」『中央公論』88(8):149-152
◆19731125 「公害と国民の健康(医療と人権(特集))――(疾病構造と医療の現実)」『ジュリスト』548:128-132
◆1974 「中毒性疾患と頭痛」『診断と治療』62:50-55
◆19750115 「水俣病の認定の遅れを問う――認定とは医学にとって何か(公害健康被害補償制度)」『ジュリスト』579:44-51
◆197508 「重症臓器質障害患者の睡眠特性、とくにREM期睡眠を中心にした睡眠リズムの検討(第10回「脳のシンポジウム」<特集>)」『神経研究の進歩』19(4):767-770
◆197511 「カナダにおける水銀汚染問題」『日本の科学者』10(11):511-514
◆197601 原田 正純・赤木 健利・藤野 糺 「疫学的・臨床的調査(カナダ・インディアン水銀中毒事件――第2次世界環境調査報告<特集>)」『公害研究』5(3):5-18
◆197601 「臓器質性疾患患者の睡眠周期(睡眠と臨床<今月のテーマ>)」『臨床脳波』18(1):11-19
◆197604 原田 正純・立津 政順 「中毒・その他――一酸化炭素中毒(救急計画法)――(主要疾患の救急計画)」『綜合臨床』25(増刊号):1146-1151
197609 原田 正純[他] 「長期にわたって精神病とされた水俣病――部検所見と水俣病の精神状況」『精神医学』18(9):935-944
◆1977 「二硫化炭素中毒,水銀中毒」『薬物依存と中毒』Ⅱ:295-332
◆1977 「水俣における保存臍帯のメチル水銀に関する研究」『公害研究』6(3):49-60
◆197702 原田 正純[他]「カネミ油症(塩化ビフェニール中毒)小児の6年後の精神神経学的追跡調査」『精神医学』19(2):151-160
◆197704 樺島 啓吉・原田 正純・丸林 徹「異所性松果体腫瘍の1例――経過・部検所見」『脳と神経』29(4):453-458
◆197708 原田 正純・津嘉山 毅・立津 政順「水俣病の精神病状――病例報告を中心に」『精神神経学雑誌』7988):393-413
◆197710 原田 正純[他] 「一酸化炭素中毒後遺症――炭塵爆発により集団発生した患者の10年目の脳波」『臨床脳波』19(10):668-673
◆197804 「水俣から土呂久へ――公害病の概念について(最近の公害訴訟)」『公害研究』7(4):38-39
◆197806 「私に教え、勇気づけるもの――川本裁判上告審への意見書」『思想の科学』第6次(92):122-139
◆197810 原田 正純[他] 「慢性進行性脳症状を呈した先天性トキソプラズマ眼症」『脳と神経』30(10):1101-1107
◆19781103 「「語り言葉」があぶり出す民衆の差別構造――岡本達明編『近代民衆の記録7・漁民』(思想と潮流)」『朝日ジャーナル』20(44):67-69
◆197812 原田 正純[他] 「トキソプラズマ症の脳波」『臨床脳波』20(12:795-799
◆1979 「慢性水俣病の臨床症状」『水俣病』:301-329(作成者注:72年の『水俣病』改定時の増補分か<要確認>)
◆197905 南 竜一・原田 正純 「夜間せん妄状態とREM睡眠との関係(睡眠<今月のテーマ>)」『臨床脳波』21(5):315-323
◆197908 「今こそ水俣病の全容解明を(トピックス)」『科学朝日』39(8):30-31
◆197910 原田 正純・赤木健利・樺島 啓吉 「高圧電流による脳外傷」『脳と神経』31(10):1025-1031
◆198003 「振動病の精神神経学的研究」『熊本大学体質医学研究所報告』30(2):143-172
◆198006 原田 正純 [他] 「慢性二硫化炭素中毒(血管障害型)のCT-scanと脳波所見」『臨床脳波』22(6):420-426,永井書店
◆198010 原田 正純 [他] 「ベェネズエラの水銀汚染事件」『公害研究』10(2):53-57,岩波書店
◆198103 原田 正純 [他] 「慢性に進行した重症小児水俣病の1剖検例」『熊本大学体質医学研究所報告』31(2):219-233
◆198103 原田 正純 [他] 「心停止後15年間失外套症状群を呈した1例の睡眠特徴と経過」『Brain and nerve』33(3):283-290,医学書院
◆198109 原田 正純 [他] 「先天性(胎児性)水俣病の1例――13年めに見出された剖検例」『精神神経学雑誌』83(9):572-581,日本精神神経学会
◆198203 原田 正純・鹿子木 敏範・宮崎 美代子 「加齢が脳波に及ぼす影響の研究――中枢神経機能老化の1つの指標として (加齢に関する体質的研究)」『熊本大学体質医学研究所報告』32(2):27-39,熊本大学体質医学研究所
◆198203 原田 正純 [他] 「加齢が睡眠に及ぼす影響の研究――老年期精神障害の終夜睡眠ポリグラフの検討 (加齢に関する体質的研究)」『熊本大学体質医学研究所報告』32(2):41-52,熊本大学体質医学研究所
◆198204 「世界の水銀による環境汚染事件 (水俣病問題の現段階<特集>)」『公害研究』11(4):29-37,岩波書店
◆198212 「Hypsarhythmia, 失外套症状群を示した重症水俣病の睡眠と脳病変」『臨床脳波』24(12):850-857,永井書店
◆1983 「不知火海有機水銀汚染の医学的追及」,(以下要修正)最首・丹波編[1983:325-388]*
*最首 悟・丹波 博紀 編 20071215 『水俣の啓示 上』,筑摩書房,368p. ISBN-10: 4861821657 ISBN-13: 978-4861821653 2940 [amazon]/[kinokuniya] ※ b
◆198301 原田 正純 [他] 「一酸化炭素(CO)中毒の脳波と後遺症――1症例の初期脳波, CT所見から」『臨床脳波』25(1):38-43,永井書店
◆198307 「水俣病の認定制度と医学的実態 (公害の原点・水俣病の解決のために<特集>)」『公害研究』13(1):23-29,岩波書店
◆198707 インタビュー:Olthuis, John・原田 正純・宮本 憲一 「カナダ・インディアン水銀中毒事件の現状――ジョン・オルシス護士に聞く (公害の原点・水俣病の解決のために<特集>)」『公害研究』13(1):49-52,岩波書店
◆1990 「ベトナムにおける枯葉剤の健康に及ぼす影響について」『社会医学研究』9:75-79
◆1993 「環境と先天異常」『日本体質学雑誌』56/2:16-24
◆1993 「胎児性水俣病」『大阪小児科学会雑誌』10/1:27-33
◆1995 「水俣病、日本の環境汚染におけるメチル水銀中毒」『中毒学評論』25/1:1-24
◆1995 「ブラジル・アマゾン水域の採金による水銀汚染調査」『公衆衛生』59/5:307-311
◆1996 「発展途上国における工業中毒と環境汚染の特徴」4/捕冊:157-169
◆1999 「タンザニアにおける水銀汚染調査、健康と頭髪水銀の関係について」『綜合環境科学』227/:149-156
◆1999 「三池一酸化炭素中毒症の長期予後、33年目の追跡調査」『日本精神神経学会雑誌』101/7:592-618
◆20000205 「医学における認定制度の政治学――水俣病の場合を中心に」
 『思想』908(2000-02):103-123 
◆2001 「ケニアにおける漂白せっけんによる水銀中毒」269/2:183
◆20071215 「水俣病公式発見から五〇年――宝子を想う」,最首・丹波編[2007:]*
*最首 悟・丹波 博紀 編 20071215 『水俣五〇年――ひろがる「水俣」の思い』,作品社,368p. ISBN-10: 4861821657 ISBN-13:978-4861821653 2940 [amazon]/[kinokuniya]※ b

■言及

◆立岩 真也 2005/08/** 「良い死・3」
 『Webちくま』[了:20050724]

◆岡本 晃明 200702 「医療と報道倫理」
 『新聞研究』2007年2月号
 「公害、環境問題の原点であり、現在に至るまで日本の戦後ジャーナリズムの歴史に大きな位置を占める水俣病の問題は、写真家ユージン・スミスが撮影した一枚の胎児性水俣病の少女の写真によって、世界に知られることになった。目を見開く少女を抱きかかえて入浴する母の写真は、大きな力を持った。少女は亡くなった。だが写真は近年、母の申し出により、京都在住の写真家の元妻の手で封印され、もう人の目に触れることはない。水俣病の発見、治療に尽力した原田正純医師は、苦い思いを込めて、こう語っている。
 「我々は、胎児性患者の姿を先頭に、公害の悲惨さを告発してきた。だがいつかそのことが、こんな悲惨な人間を生んでしまったと、重度障害者は悲惨だ、と見なすことになってはいなかったか。後に発生した新潟水俣病で胎児性患者が少ないことは、中絶が多かったからではないか。写真を封印したお母さんは、この子は宝子だった、もう十分働いたといっていた」。

◆立岩 真也 2008 『良い死』,筑摩書房 文献表

◆立岩 真也 2008/10/01 「争いと償い――身体の現代・4」,『みすず』50-10(2008-10 no.565):42-52 資料,

 「□害について
 身体を巡る社会について何を知り、何を考えて、何を言ったらよいのかを考えている。そこで、ほんのすこし、振り返ってみたいと思ったのは公害や薬害のことだ。それがこれまで書いてきたこととどのようにつながるのか。その説明は後でしよう。
 一九六〇年代から七〇年代頃のそれは、昨今の「地球環境問題」の受け止められ方とはまたいくらかは異なる感触とともに、多くの人たちにとって相当の意味をもつできごとであったはずである。ただ、それが「社会」について考えたり、やがてそれを仕事にするきっかけの一つになったとして、そのことはそのまま「環境」を自分の仕事の主題に選ぶことにはならない。例えば私には――宇井純が亡くなって、追悼の催しの冊子が出され、多くの人がそれに文章(講演要旨)を寄せているのだが、その中で吉岡斉が述べているように★01――例えば水俣病について、ことのよしあし、問題の構図自体はまったくはっきりしているように思えた。もちろん、きちんとした実証研究と社会運動が必要である。ただこの世には他にも様々が起こっており、水俣に関わる人たちは――たしかに数えれば少なくはあったのだが――いないでもなかった。私の知人にもそんな人がいた。それで私はそちらにおまかせということにして、別のことについて考えることになり、それは今後もそうだろうと思う。
 ただそれでも、何も思わないできたわけでなく、いくつか気になってきたことはあった。そしてこのしばらくの間に、何を知っているわけではない私であっても、またごく当たり前のことであっても、言っておいてよいことがあるように思えることがあった★02。そこで以下、一部は別に記したから省きながら、すこしのことを述べる。
 むろん、それにどのように「社会」が関わったのかはみなが知っていることである。害は、もちろん物理的、化学的な過程を経て身体に及ぼされるものなのだが、人・社会は、その害を起こさないことができたのにそれを起こした、止めることができたのに止めなかった。そのことを被害者は訴え、糾弾した。そしてその多くはまだ解決されていない状態にある。また争いはいったん決着したとして、その身体は残り続ける。それだけのこと、しかしそれだけで十分に重たいことだ。
 その上で、三つある。そのうちの二つは考えること、もう一つは、その二つともに関わって、知って確認しておきたいと思うことである。
 第一に、「害」のことをどのように言うのかという問題がある。社会を指弾するのであっても、技術による救済を求めるのであっても、害を与えられるのはよくない。よくないから批判し、謝罪を求め、問題の解決を求める。そして「私の体を返せ」と言う。その人たちの中に障害者との連帯を求め呼びかけた人がいたのだが、それは障害者を否定することだと言われてしまった。こんなことが幾度か起こってきた。新潟水俣病では胎児性の患者が出なかった。それを喜べるのかという反問があった。とくにチェルノブイリでの事故の後しばらく盛況だった原発反対運動で、障害児が生まれるから反対という反対の仕方がよいのかと思った人たちがいた★03。
 これらのことは知られている人には知られている。ただどれだけの範囲に知られているのだろう。だから語る人は繰り返し語らねばならないことになる。二〇〇五年の六月、原田正純は「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」の集会でもそのことを――その集会に合わせた話というよりは、水俣病に関わることごとの歴史の概説といった内容の話の中で――語った。彼はその会の代表にさせられてしまったのだ。その時に「阻止」の主張に賛同者を募ったのだが、そこには例えば宇井純も名を連ねている。
 そのことを不思議がる人がいるかもしれない。公害・環境破壊と連続して生起する科学技術批判、現代医療批判は、「自然」を肯定する。するとその批判は、医療という技術に支配されない「自然な死」を肯定してもよいのではないかというのである。実際、そのような流れも存在しないではない。例えば、イヴァン・イリイチの思想は、その時代に大きな影響を与えたのだが、その「脱病院化社会」の思想をそのように受け止める人、利用する人たちがいる。
 すると私たちはいったい何を肯定し何を否定するのか。その答は単純なもののはずだという予感はあるのだが、それでもいくらか考え、説明する必要があるように思える。それで、今度出してもらった『良い死』(立岩[2008a])の第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」でこのことについて、すこしのことを述べた。そこでは、ユージン・スミスが撮った有名な胎児性水俣病の子とその子の母親の写真が与えたもの、そしてそれが「封印」されることになった経緯などにもふれている。それでこの論点については、ここでは論じない。ただ、このような様々があるにはあったのに、忘れて、あるいは知らずに、なにか新しいこととして、昨今流行し出したテーマとして、こうした主題を論じようとするのは、あまり格好のよいとことではないように思う。これらで言われたことはたしかに、「脳神経倫理(ニューロエシックス)」や「エンハンスメント」といった最近流行りであるらしいテーマとまるで同じではない。しかし関係はしているはずなのだ。」

◆立岩 真也 2008/11/01 「争いと償い・2――身体の現代・5」,『みすず』50-11(2008-11 no.566):44-54 資料,

 「[…]同時に、この国に起こってきたことについて何かを言おうと思う時、あるいはそれを引き継いで考えようとするとき、難しいところもあると思う。簡単で明瞭で取り付く島がないように思われ、同時に、言葉が無力であるように思われる。
 学問はいくらかの複雑さを好むところがある。何十字かで言ってしまえそうなことがあるとして、そしてそこで言われることはたしかに正しいとして、しかしそうであれば、その一度だけ言えばよいということになる。そして、この数十年の間にこの国で言われたことで大切なことは、煎じ詰めればそういう単純なことであるようにも思えるのだ。
 つまり、一つ、ただ生きているのでよいことが言われたと思う。一つ、この社会で損な立場に置かれる人が損をし続けるのだ(それはよくない)と言われたと思う。私はどちらも正しいと思う。ただ、ならばこれ以上なにか言うことがあるのかということになる。
 もちろん、本当に何もなければそれはそれでよい。考える必要のないことを考える必要はないのだから。そして何がよく、何がよくないかがわかった上でするべきことはいくらもある。つまり実態を細かに調査し、具体的な問題を指摘し、そして改善を主張すればよい。
 例えば宇井純や原田正純がした仕事を、いま述べたように要約することはできる。というか本人たちの書き物に書いてあるのは、そんなこと、例えば「差別のあるところに公害が起こる」(原田[2007:123])といったことだ。十四字である。本人たちは、そのように認識し、そして人によっては半世紀を超えて、するべきことをしてきた。それでよい。ただ、なにかもうすこしそれに足して言えることがあるようにも思う。「学問」として成立している「環境倫理学」といったものであれば、それに言われることは複数の部品から成り立っていて、そしてどの部品を採用するかについて、受け取る人によったら瑣末でくだらないと思える延々とした議論を行なっていくことができる。そこに通用する文法があり、文法通りの言葉を発すれば、それは蓄積されていく。引き継がれている。そしてそうした営みを対象として記述することもそう難しいことではない。同様に私たちは、(バイオエシックスとしての)生命倫理学の歴史を語ることができる。他方はそうではない。例えば「水俣学」が提唱されもするのだが、それがどんなものなのか、私にはよくわからない。
 それでかまわないのだと考えることもできる。しかしやはり、言えることがあるようにも思える。結果として、また意図してのこととして、アカデミズムの外側に身を置いてきたもの、言葉の体系を構築していくことを意図せず、ときには言葉を発しないような営みでもあったものについて、どのように語るか。これはなかなかに難しく、はっきりした目算が立っているのではないが、いつか、考えてみたいと思う★04。」
「★04 生存学創成拠点が二〇〇八年に刊行した冊子に『時空から/へ――水俣/アフリカ…を語る栗原彬・稲場雅紀』(発行:立命館大学生存学研究センター、生存学研究センター報告2)がある。その前半には、特別公開企画「歴史のなかにおける問い――栗原彬先生に聞く」が収録されている。栗原の講演の後に私とコメントがあって、その中で私は同様のことを述べている。」

 *上掲『みすず』連載は2011年内に単行書化される予定。→『身体の現代・1』

◆立岩真也 2009/03/25 『唯の生』,筑摩書房,424p. ISBN-10: 4480867201 ISBN-13: 978-4480867209 [amazon]/[kinokuniya]→Kyoto Books ※ et. [English]

 「〔二〇〇五年〕六月の集会は「「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」発足集会」。これは、名称のとおり、このたびの法律制定に対して反対の立場を明確にした集会だった。
 四月の集会でも発言された清水昭美さんが中心になって呼びかけた、のだと思う。私もまた、呼びかけ人の一人ということになったのだが、これもまた、はなはだ確固としない腰の据わらない行ないとしてなされた。私は今でも、どんな場所・位置にいるのがよいのか、よくわからない。しかし、この法案がいらないと思っていることはたしかだから、まあよかろうと思った。集会の案内をホームページに載せ、賛同人を募集した。ほかにすこしメーリング・リストで広告したりもした。そして当日の昼東京に着くと、式次第そのものがよくわからないまま、次に発言する人にマイクを渡すというような役をなんとはなし務めることになった。
 集会は、最初は呼びかけ人、次に賛同者として名をつらねた人が次々に話をするというものだった――その幾つかについては次回に書こうと思う〔結局書けなかった〕。そして原田正純さんが講演した。またなんであっても「長」のつくものはいやだという原田さんはこの会の代表を引き受けてもくださった。
 ▽234 原田さんの講演の時、私はマイクをまわしたりする仕事を一休みできて、ぼうっと座っていた。講演そのものは、とくに安楽死・尊厳死についての話というわけではなく、水俣病に関わる基本的なことを、よく知らない人にも知ってもらおうというものだった。先日の〔二〇〇五年五月の〕日本保健医療社会学会の大会での話とも多くは共通するものだった。
 私はこの集会がどうやって終わるのかすこし心配しながら、原田さんの話を、失礼ながら、聞くともなしに聞いているうち、以前から気になっていた反公害と病者・障害者の生との間にある、あるいはあるように思える緊張、矛盾について、なにか考えようがあるような気がしてきた。
〔この後に続く部分を、『良い死』第2章「自然な死、の代わりの自然の受領としての生」4節「会ってしまうこと」1「告発との不整合?」の一部(一七〇―一七二頁)とした。「例えば水俣病の悲惨があったし、現在もある。[…]こんなことをどう考え継ぐか、そしてそれと「尊厳ある死」というものがどう関わるかである。」〕」(pp.233-234)

◆立岩真也 2015/07/01 「生の現代のために・4――連載 113」,『現代思想』43-(2015-7):-

 「そして新潟県阿賀野川流域の人々に起きた第二水俣病(新潟水俣病)のことがある。このとき、胎児性の水俣病者はほとんど出なかったと言われる。中絶されたと言われる。そういうことでよかったきだろうかという疑問が、例えば生涯水俣病の人たちに関わった原田正純の著書・講演に出てくる。
 そしてたぶん一九九八年、「入浴する智子と母」という胎児性水俣病の子を抱く母を撮った有名なユージン・スミスの写真が、非公開とされることになったことを『良い死』(立岩[2008:227-230])に記した★06。ユージン・スミスは七八年に亡くなっており、アイリーン・スミスがそう決めたという。原田もこのことに関わることを記している。

 「水俣高校で社会科の先生がユージンの智子の写真を見せて「環境を汚染するとこのような子どもが生まれる」と解説した。在校していた妹は手を挙げて「それは姉です。姉をそんな風に言わないでください」と涙ながらに抗議した。」(原田[2007:350])

 二〇〇四年の『京都新聞』によれば、非公開にしたきっかけは九八年に父好男から「もう休ませてやりたい」と聞かされたことだったという。「写真がいたるところで使われ、ビラや広告の一部のような気がした。裸姿が痛々しかった。やっとうちに帰ってきたね、という思いですかね。智子は家族全員の毒を持って行ってくれた「宝子」です」と語ったという。その記事を書いた岡本晃明の文章(岡本[2007])も含め、より長く『良い死』に引用した★07。
 悲しいそして/あるいは醜い現実を知らせるために悲しいそして/あるいは醜い姿・現実を写真を撮り、それを見せる/見ることについてはいくらかの議論がある。後で紹介することがあるだろう。ただそれとともに、その姿は――もちろん悲しいとともに美しいということはあるわけだが、そのことをふまえても――そもそも悲しいのかという問いがある。そうしたことが問われている。」

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■原田正純氏追悼記事

◆20120611 訃報:原田正純さん死去77歳…水俣病研究の第一人者(毎日新聞 [外部リンク]http://mainichi.jp/select/news/20120612k0000m040088000c.html)

 医師として水俣病患者の診療や公害問題の解決を訴え、水俣病研究の第一人者だった原田正純(はらだ・まさずみ)さんが11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため熊本市東区長嶺南7の1の30の自宅で亡くなった。77歳だった。

 鹿児島県出身。鹿児島のラ・サール高、熊本大医学部を卒業し、熊本大大学院神経精神科教室へ入った。水俣病公式確認(1956年)から約5年後の61年、現地調査のため初めて熊本県水俣市を訪れ、母胎内で有機水銀を浴びた胎児性患者に接した。当時の医学で胎盤は化学物質を通さないとされていたが、症例を集めて62年、胎児性水俣病の存在を立証した。

 患者29世帯が原因企業チッソ(東京)に損害賠償を求めた水俣病1次訴訟の原告支援を目指した水俣病研究会に参加し、73年の原告勝訴判決(熊本地裁で確定)につなげた。72年、スウェーデンのストックホルムで開かれた第1回国連人間環境会議に胎児性患者らと乗り込み、公害被害を世界に伝えた。

◆20120612 原田正純氏が死去(新潟日報 [外部リンク]https://www.niigata-nippo.co.jp/world/main/2012061101002469.html)

 胎児性水俣病など水俣病研究に取り組み、患者の早期救済を訴えてきた医師の原田正純(はらだ・まさずみ)氏が11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため熊本市東区長嶺南7の1の30の自宅で死去した。77歳。鹿児島県出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。

 熊本大大学院に在籍していた1961年夏、初めて熊本県水俣市で被害者を診察、その悲惨な生活にショックを受けた。以後、一貫して水俣病研究に取り組んだ。

 64年、胎盤は毒物を通さないという当時の通説を覆し、胎児が有機水銀中毒になる胎児性水俣病を研究した論文を発表し大きな衝撃を与え、日本精神神経学会賞を受賞した。

◆20120612 原田正純氏が死去 水俣病研究の第一人者(日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG12011_S2A610C1CC0000/)

 水俣病研究の第一人者で、患者の支援に尽力した元熊本学園大教授の医師、原田正純(はらだ・まさずみ)氏が11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため熊本市の自宅で死去した。77歳だった。連絡先は同大水俣学研究センター。お別れ会は14日正午から、熊本市東区月出8の1の5の玉泉院月出会館。喪主は妻、寿美子さん。

 鹿児島県出身。熊本大医学部の大学院生だった1961年に水俣病の研究を始めた。「胎盤は毒物を通さない」という当時の定説を覆し、母親の胎内で有機水銀中毒になる胎児性水俣病を確認。62年の胎児性患者の水俣病認定につなげた。

 患者らが起こした数多くの訴訟に原告側の証人として立つなど、支援活動にも尽力。患者の認定については複数の症状を組み合わせる国の基準を批判し、幅広く認定するよう主張した。カナダやアマゾンの水銀汚染など、世界各地の公害も精力的に調査してきた。

 熊本大助教授から熊本学園大に移り、水俣病問題を医学だけでなく社会や文化の領域にまで広げて包括的に研究する「水俣学」の講座を2002年に開講。05年には同大に水俣学研究センターを設立し、センター長を務めた。

◆20120612 原田正純さん死去 水俣病研究の第一人者(くまにちコム [外部リンク]http://kumanichi.com/news/local/main/20120612002.shtml)

 水俣病事件に長く向き合い、水俣病研究の第一人者だった医師、原田正純(はらだ・まさずみ)さん=神経精神医学=が11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため熊本市東区長嶺南7の1の30の自宅で死去した。77歳。通夜、葬儀の日程は未定。

 熊本大医学部卒。1972年から同大助教授。99年から2010年まで熊本学園大教授を務めた。

 熊本大大学院生だった61年から水俣に通い続け、多くの水俣病患者を診察。ライフワークともなった胎児性水俣病の研究では日本精神神経学会賞を受賞した。水俣病訴訟の法廷では患者側に立った証言を続け、長年の臨床経験から構築した病像論を展開した。

 活動は海外にも及び、カナダやアマゾン川流域などの水銀汚染やアジアのヒ素中毒、ベトナムの枯れ葉剤の影響など世界各地の環境汚染の現場で調査を継続。三池炭鉱の炭じん爆発によるCO(一酸化炭素)中毒やカネミ油症事件など研究対象も多岐にわたった。熊本学園大では、水俣病事件を学際的にとらえる「水俣学」を提唱した。

 「水俣病」(岩波新書)や子ども向けの「水俣の赤い海」(フレーベル館)など著書多数。「水俣が映す世界」は大仏次郎賞、「水俣、もう一つのカルテ」は熊日文学賞。環境保護への貢献から、94年にUNEP(国連環境計画)のグローバル500賞、2001年に熊日賞。10年には「KYOTO地球環境の殿堂」入りが決まった。(石貫謹也)

◆20120612 医師の原田正純さん死去 水俣病研究の第一人者(朝日新聞デジタル [外部リンク]http://www.asahi.com/obituaries/update/0612/SEB201206110063.html)

 水俣病研究の第一人者で、半世紀を超える研究や被害者の診療にあたり、有機水銀が胎盤を通じて子どもに伝わる胎児性水俣病を突き止めた元熊本学園大教授で医師の原田正純(はらだ・まさずみ)さんが11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため死去した。77歳だった。葬儀の日取り、喪主は未定。

 1934年生まれ、鹿児島県育ち。熊本大で医師免許を取った翌年の61年、熊本県水俣市で水俣病の調査を開始。「胎盤は毒物を通さない」という当時の常識を覆し、母親の胎内で有機水銀に侵されて起こる胎児性水俣病を突きとめた。

 周辺の不知火海一帯を歩いて診察し、被害の広がりの解明にも貢献。全国の水俣病裁判では、一貫して被害者の立場に寄り添って証言を続けた。

 また、戦後最悪の炭鉱事故で、458人の命が奪われた63年の三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)の炭じん爆発では、一酸化炭素中毒患者を40年間追跡し、「後遺症はほぼない」とする教科書の誤りを正した。
 (無料記事はここまで)

◆20120612 原田正純さんのお別れ会、14日に熊本で(朝日新聞デジタル [外部リンク]http://www.asahi.com/obituaries/update/0612/SEB201206120008.html)

 水俣病研究の第一人者として知られ、11日に77歳で死去した元熊本学園大教授で医師の原田正純さんの葬儀について、同大の水俣学研究センター長の花田昌宣教授(59)が12日記者会見し、発表した。通夜は近親者のみで行い、無宗教の「お別れ会」を14日正午から熊本市東区月出8の1の5の玉泉院月出会館で開く。喪主は妻寿美子(すみこ)さん。

◆20120612 水俣病研究 原田正純医師が死去(NHK NEWSWEB [外部リンク]http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120611/k10015760331000.html)

 公害の原点と言われる「水俣病」研究の第一人者で、半世紀にわたって患者の診察を続けてきた医師の原田正純さんが、11日夜、急性骨髄性白血病のため、熊本市内の自宅で亡くなりました。
77歳でした。

 原田さんは、昭和9年、鹿児島県に生まれ、昭和34年に熊本大学医学部を卒業して医師となり、翌年から水俣病の研究に携わりました。
 患者の家を一軒一軒訪ねて診察し、昭和37年には、母親の胎内で有機水銀の影響を受けた胎児性の水俣病患者の存在を発表。
 水銀が母親の胎盤を通ることはないとされていた当時の世界の医学界の定説を覆しました。
 水俣に通うなかで目の当たりにした患者への差別や、補償が進まない現実から「水俣病は単なる病気ではない。企業と行政による犯罪行為であり、事件だ」と発言していました。
平成11年に熊本大学を助教授で退官後、熊本学園大学の教授に就任し、負の遺産としての公害を将来に生かすことを目的に「水俣学」を開講しました。
 去年から闘病生活をしていましたが、最近まで水俣に通い、胎児性患者の診察を続けるなど半世紀にわたって医師として水俣病に関わり続けました。

◆20120612 水俣病研究の第一人者、原田正純氏が死去(YOMIURI ONLINE [外部リンク]http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120612-OYT1T00009.htm)

 「公害の原点」とされる水俣病研究の第一人者で、胎児性患者の存在を明らかにした元熊本学園大教授の原田正純(はらだ・まさずみ)氏が11日午後10時12分、急性骨髄性白血病のため死去した。77歳だった。

 鹿児島県出身。水俣病の公式確認から5年後の1961年に熊本県水俣市を訪れて以来、水俣病患者の診察や症状の研究に従事。熊本大講師、助教授を務め、研究グループの一員として患者の診断や聞き取りを行った。その過程で、母親の胎内でメチル水銀を摂取して生まれた胎児性患者の存在に気付き、胎盤は毒物を通さないという当時の定説を覆して62年の胎児性患者の水俣病認定へとつなげた。

 一方、多くの水俣病訴訟で患者側の証人に立ち、国や原因企業チッソの責任を追及してきた。2002年度には熊本学園大で「水俣学」を開講し、同大の水俣学研究センター長も務めた。

◆20120612 <原田正純さん死去>胎児性水俣病を確認…患者から学ぶ貫き(YAHOO! JAPAN ニュース [外部リンク]http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120612-00000000-mai-soci)

 水銀汚染の恐ろしさを世界に知らしめ水俣病やカネミ油症患者の医療にも携わり、国内外の公害問題で活発な発言を続けた原田正純さん(77)。胎児性水俣病を確認して50年の節目の死に、関係者から惜しむ声が相次いだ。

【死去の一報】訃報:原田正純さん死去77歳…水俣病研究の第一人者

 4月23日に原田さんの自宅を訪ねたNPO法人「水俣フォーラム」(東京)の実川(じつかわ)悠太事務局長は「病床でも『患者さんを1人にしちゃいかん』と繰り返した」と振り返り「患者から学ぶ姿勢を貫き、それが差別され医療に対する信頼を失いつつあった患者の救いとなった」とその死を惜しんだ。

 約50年前、原田さんの診察を受けた水俣病胎児性患者の永本賢二さん(52)=熊本県水俣市=は「体が痛くてものすごくきつかったが、原田先生はいつも真剣に診察してくれた。先生が診てくれたから私たち胎児性患者の存在が認められた。ありがとうという言葉しかない」
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