大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年06月19日 | 植物

<1998> 大和の花 (248) ササユリ (笹百合)                                               ユリ科 ユリ属

         

 ユリ(百合)はユリ科ユリ属の総称で、北半球の亜熱帯から亜寒帯にかけて90種以上が分布し、日本にはその中の15種ほどが自生し、花が魅力的な見るべきユリが多く、ユリの宝庫と言われる。登場の歴史も古く、『古事記』や『万葉集』にその名が見える万葉植物でもある。現在の大和(奈良県)における野生のユリで言えば、花期の早いササユリ(笹百合)をはじめ、ヤマユリ(山百合)、オニユリ(鬼百合)、コオニユリ(小鬼百合)、ヒメユリ(姫百合)、ノヒメユリ(野姫百合)、ウバユリ(姥百合)、クルマユリ(車百合)、タカサゴユリ(高砂百合)等があげられる。

 このようにユリを見てみると、ユリは大和(奈良県)を代表する花の1つと言ってもよいように思われる。因みに、タカサゴユリは台湾が原産の外来種で、植えられたものが逸出等によって野生化しているものであり、オニユリは野生状態の花が見られるけれども純然たる自生ではなく、植栽起源を思わせるところがある。一方、ノヒメユリは自生地が知られているものの、私にはまだ実際に出会っていないまぼろしのユリである。また、クルマユリは深山山岳のユリで、滅多に出会えないユリである。現存するこれら在来のユリを概観すると、野生のユリは減少が著しく絶滅が懸念されているユリも見られるほどである。そして、これに加え、植栽された園芸種のユリが彩りを添えているのが大和(奈良県)のユリの状況になっている。

  ユリは世界的に知られる花で、古くはギリシャ神話に登場し、『聖書』の世界にもよく登場を見、聖母マリアの持ち物とされる純白の聖母百合(マドンナ・リリー)はキリスト教の宗教儀式に欠かせない花として敬われ愛されている。また、西洋では王家の紋章にも用いられ、貴品に満ちた高貴な花として捉えられている。日本で純白のユリと言えば、香りもよい南西諸島に自生する為朝百合(おためゆり)の異名をもつテッポウユリ(鉄砲百合)がよく知られるところであるが、大和(奈良県)で野生化している話は聞かない。とにかく、ユリは古い歴史を有し、洋の東西を問わず迎えられている花の1つと言える。

  なお、ユリの名は茎がしなやかで大きな花がそよ風にも揺れることによると一説にはある。これはヤマブキ(山吹)の命名譚と同じ発想による。また、百合は鱗茎の形から来ているとされる。この鱗茎は「ゆり根」と呼ばれ、美味で食用に供せられている。という次第で、今回は大和(奈良県)に野生するユリを見てみたいと思う。まずは、ササユリから。

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 ササユリは二次林帯の林縁や草地に生える多年草で、鱗茎から一茎を立ち上げ、大きいものでは1メートルほどになる。互生する単子葉の葉が披針形で、ササ(笹)の葉に似るのでこの名がある。花期は6月から8月ごろで、成長すると茎の先端が3枝に分れ、大きな香りのよい淡紅色の花被片6個の花をその枝先に咲かせるので、古くはサイクサ(三枝)、あるいはサイ(佐韋)などと呼ばれた。

  ササユリは『古事記』の神武天皇の条に佐韋の名で登場し、この佐韋が日本におけるユリの初出であると言われている天皇と皇后の出会いの場である三輪山の麓の佐韋河(現在の狭井川)の辺りに佐韋のササユリが沢山生え、ササユリの花園をつくっていた。天皇はササユリの花園で皇后と出逢い、結ばれた。言わば、ササユリは二人の出会いの場を飾り、その場の雰囲気を盛り上げたのである。ササユリは二人にとって思い出深い花になったわけで、ササユリは建国に関わる花と言ってもよく、『古事記』の神話に香っているという次第である。

 奈良市本子守町の率川(いさがわ)神社では毎年ササユリが咲く時期に当たる6月17日に皇后とササユリの『古事記』の記事に因む例祭三枝祭(さいくさまつり)が行なわれる。率川神社は三輪山を御神体とする大神神社の摂社で、皇后と皇后の父母3神を祭神とする神社で、祭りは天皇との出会いを寿ぎ、皇后神に捧げる魂鎮めの祭りとして、一家平安、国家安寧の祈願の趣が見られ、三枝(さいくさ)の古名とともにササユリ(笹百合)が欠かせない祭りとして、ゆり祭りの別称でも呼ばれ、親しまれて今日に至っている。

 この『古事記』の逸話と率川神社の三枝祭を思うに、ササユリは女性的な趣のある花で、祭神の皇后とイメージのダブルところがうかがえる。これについては次回のヤマユリの項で触れたいと思うが、ユリは日本を象徴する花に思える。それはさて置き、ササユリは、ヤマユリとともに一昔前まで吉野や宇陀の山地や山間地に多く見られ、珍しい花ではなかった。それが、ササユリの紅色の花粉が女性の化粧用の紅に好適とされ、高価に取り引きされるようになって減少して行ったと言われる。もちろん、これだけではなく、イノシシなどの食害も考えられるが、近年、絶滅が懸念される状況に至り、大和(奈良県)においては希少種にあげられるまでになった。

 このため、率川神社の三枝祭で神前に捧げられるササユリの花の確保も難しくなり、大神神社の奉賛会などが試験場などの協力を得て、人工による繁殖は難しいとされていたササユリの育成に取り組み、『古事記』所縁の地である大神神社の境内地において試行錯誤を重ね、ようやく育生にこぎつけ、三枝祭のササユリも提供出来るようになった。結果、最近では大神神社の境内がササユリの名所になり、新聞やテレビ等でも報じられるところとなっている。 

 なお、ササユリは中部地方以西に分布する西日本型のユリで、近畿地方以東に分布する東日本型のヤマユリとは好対照な日本特産のユリとして知られる。この2つのユリの分布状況が『古事記』の神武天皇の条の記事とともに建国を思わせるところとなっているのである。 写真はササユリ。二次林の林縁の草地に咲くササユリ(左)、花のアップ(濃紅色の葯が印象的である・中)、 茎の先端が3枝にわかれ、花を咲かせる古株のササユリ(これが古名三枝のいわれのもとになった・右)。   建国の神話に馨る百合の花

<1999> 大和の花 (249) ヤマユリ (山百合)                          ユリ科 ユリ属

      

  山地の林縁や草地、あるいは丘陵地に生える多年草で、大きい鱗茎から一茎を立て、高さが大きいもので1.5メートルほどになる。披針形の葉は10数センチになり、茎に対し輪生状に互生して密につく。花期はササユリ(笹百合)よりも半月から1ヶ月遅く、7月から8月ごろで、茎の上部に数個の花をほぼ横向きに開く。個体によっては20個以上の花をつけるものも見られるという。

  長さが20センチ近くになる6個の花被片は白色で、赤褐色の斑点が見られ、花被片の中脈には黄色の太いすじが入り、花が開き切ると先が反り返る。花粉は赤褐色で、他種に比べ、芳香が強く、女性的なササユリとは趣を異にする男性的な花で、豪華さを誇る。

  因みに、園芸品種のカサブランカはヤマユリから開発されたユリで、祝宴の場などに飾られ、人気を博している。ヤマユリは近畿地方以東に分布し、西日本型のササユリに対し東日本型のユリで知られ、大和(奈良県)は両ユリの混在地で、この分布からは、大和(奈良県)が両ユリの生育出来る気侯的自然環境にあることが見て取れる。

  このヤマユリとササユリの日本列島における分布状況と『古事記』の神武天皇の条の記事を合せ考えると、ユリが建国における花で、都の選定場所に関わりがあったことが思われるところである。記事によると、天皇と皇后が出会って結ばれた三輪山の麓の佐韋河のほとりには佐韋という山由理草が咲き乱れていた。

  即ち、神武天皇の条の記事には次のようにある。「ここにその伊須氣余理比賣の命(皇后)の家、佐韋河の上にありき。天皇、その河の辺に山由理草多にありき。故、その山由理草の名を取りて、佐韋河と號けき。山由理草の本の名は佐韋と云ひき」と。

  佐韋は三枝(さいくさ)の「さい」であり、これは1茎3花のササユリのことで、山由理草と記して、わざわざ佐韋と断りの文言を差し入れている。何とも思わせぶりな断りであるが、『古事記』の作者は山由理草と佐韋にこだわり、敢えてこの断りの文言を入れたのではないかと想像される。

  所謂、山由理草はヤマユリを思わせ、佐韋は三枝のササユリであれば、ここに神武天皇と皇后伊須氣余理比賣の命が連想されて来るわけである。神武は天照大神の天津系であり、伊須氣余理比賣は三輪の大物主の娘で、神話へと遡れば須佐之男命の国津系に関わる。二人が結ばれれば、天照と須佐之の神の世界の反目は解消され、国を一つにまとめて治めることが出来る。

  ここで『古事記』は断りの文言をもってヤマユリとササユリの登場を記事中に忍ばせた。これはヤマユリとササユリの分布圏が意識され、東西両方のユリが混在する良好な気侯的自然環境にある住みよい温暖地の大和に国の中心を置くのがよいという意志決定に両ユリが関わったということになる。言わば、ここに登場するユリはイコール人と見なされていると考えられるのである。

  つまり、この『古事記』におけるヤマユリとササユリのニュアンス上の存在は天津系と国津系の合体をにおわせ、これを寿ぐために『古事記』の作者が敢えてこの断りの文言を記事中に挟んだと推察するわけである。私には『古事記』の記事とこの両ユリの分布の状況から建国ユリ説なる仮説を立てるに至ったという次第である。

  このように見てみると、ユリは日本にとって大切な花の趣にあることが言える。果たして、ヤマユリとササユリは日本を象徴する花に思えて来る次第である。ところが、現在の大和(奈良県)ではヤマユリもササユリも減少が著しく、両方とも希少植物としてレッドデータブックにあげられるほど野生の状況がおもわしくなく、落ち込んでいる。まことにさびしい現状とは言える。

  写真はヤマユリ。宇陀市榛原赤埴の仏隆寺付近での撮影。今はイノシシの食害によるものか、皆無状態にあり、訪問者の私などはこの写真のような風景にまた出会いたいという思いがある(左)、沢山の花をつけた古株(中)、花のアップ(右)。 百合の花刈り残されてそこここに

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