大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

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2017年04月18日 | 植物

<1937> 余聞・余話 「スミレに見る植物の変異について」

         それぞれに生きゐるものよ生きるとは適合即ち適応にある

 スミレ(Viola)ほど変異の多く見られる草花はないと山野を歩いてスミレの花に出会うたびに思う。花を見ながらどのスミレに属するのだろうかと迷うのはいつものことで、その迷いは葉であったり、花であったりするわけであるが、その都度、図鑑等に照らして考え込むということになる。ときには消去法によって種の判別、特定に当ることもあるが、迷う花においては種が有する特性にすべて合致するということがなかなか見い出せず、いよいよ判断に迷うということになったりする。

 このような変異に関わる問題はほかの植物にも言えることであるが、スミレ類には特に変異の傾向が顕著であるように思われる。どうしてスミレには変異が多く見られるのだろうか。その要因を探ってみると、次のような点があげられる。

  1、生える場所の環境に左右されやすい。

  2、気象的条件の変化によく対応出来る。

  3、自生種における交雑が行われやすい。

  4、動物の食害の影響を受けやすい。

  5、人為の影響が及びやすい。

 生える場所の環境で言えば、スミレの中でも広い範囲に自生分布するタチツボスミレとシハイスミレに環境による変異が多く見られるのは当然と言え、言わば、タチツボスミレにしても、シハイスミレにしても、生える場所によって花の色が微妙に異なり、中には別種かと思われる花も見られるといった具合である。これはスミレが生える場所の環境に左右されやすい弱い存在の植物であることを示すとともにどんな環境にも適合出来る柔軟さをもって生き延びているということでもある。山道でスミレに出会ったりすると後者の方をもって可憐なスミレを顕彰したい気分になる。言わば、スミレの生える場所による変異はスミレの頑張っている姿の現れと言ってよいと思われる。

        

 タチツボスミレでは、日当たりのよい草地に生える淡紫色の花が標準タイプであるが、日陰に生える個体は概ね葉も花も標準タイプより大きく、渓流沿いの岩場とか山岳の高所に見られる花は相対的に色の濃いものが多く、ときには別種を思わせる個体に遭遇することもある。これは生える場所に、冷たい外気に触れる気象的要因なども加味されるからではないか。白い花のタチツボスミレもときに見かけるが、これなんかも生える場所の土壌や日当たりの多少に影響されているのではないかと想像される。所謂、生は環境への適合、適応によって成り立ち、これはスミレのみならず、また、植物のみでもなく、生物全般に言えることと思われる。

 自生種における交雑については、既に多くの例が見られ、図鑑等にもその例があげられている。例えば、アリアケヒメスミレ(アリアケスミレとヒメスミレ)、ヘイリンジスミレ(スミレとヒメスミレ)、カツラギスミレ(シハイスミレとヒゴスミレ)等々、まだほかにもある。現在も私たちが知らない間に交雑は広がりを見せ、交雑種の交雑が重ねられているということも考えられる。これは生の多様性に通じるところで、純血主義には受け入れがたい光景に映るかも知れないが、これが生の成り行きというものではなかろうか。

 動物の食害の影響で言えば、シカの食害が考えられる。シカの食害を受ける植物の特徴は矮小化していることである。食害を受けるそれぞれの個体は生き延びるために極力小さくなる。否、小さくならざるを得ない状況下に生存している。シカの多い奈良市の若草山の草原がよい例で、若草山ではシカの食べない植物は普通の状態で成長するが、シカに食べられる植物は大きくならない傾向にある。草原に生えるスミレ類にもその傾向は言えることで、スミレ(Viola mandshurica)がヒメスミレのようになることも考えられ、そのような姿を見せる判別し難い個体も実際に見られる。また、草地に貼りつくように花を咲かせるところからニョイスミレかフモトスミレか、一見するだけでは見分けのつかない個体もうかがえるといった具合である。これには生きる必死さとそこに発する知恵の現れが思われるところである。

 人為の影響については、人工的に交配させて故意に変異させるということが科学の進歩とともに容易になりつつある。だが、これは人間の志向と意志に関わることで、行き過ぎは自然に反し、災いをもたらすことも考えられる。どちらにしても、スミレの類に変異の多く見られることは山野を歩いてスミレを観察してみればよくわかることで、スミレという植物の生物としての立場が見て取れる次第である。思うにスミレの変異の姿というのは、すべての植物に当てはまることで、生物全般にも言え、それは生きること、即ち、生の存続が適合をもって成り立ち得ていることを示していると言ってよい。これは生物の幸せへの道筋の大きい条件とも受け止められる。つまり、変異とは生における適合への現われであるということになる。

 写真は判別し難いスミレたち。左端の写真は距が白く、オオタチツボスミレと見えるが、葉の形状がオオタチツボスミレに似つかわしくない個体。次は葉や花からアケボノスミレと思われるスミレであるが、シハイスミレの変異かも知れない個体。三枚目は若草山の草原で見かけたスミレで、矮小化したスミレ(Viola mandshurica)かヒメスミレか一見では判別の難しい個体。右端の写真は淡紫色の標準タイプとはかなり異なり、濃い花の色が別種を思わせるタチツボスミレ。いつも冷たい滝風に触れる岩場に生えているのが一因かも知れない。  ほどよくて日向に嬉しすみれ草

 

 

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