大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2017年07月17日 | 写詩・写歌・写俳

<2026> 余聞、余話 「続・九州の豪雨災害に思う」

        日本は何処に向かひて行くものか山河なくしてどこにも行けぬ

 この間、九州北部の豪雨災害について、その要因の一つに放置された植林帯のツケが回って来たことに言及したが、つい最近の新聞に福岡県の筑後川水系におけるこの度の災害について、流木の量が二十万トン以上に及び、被害を拡大させたという記事が出たので、私が山歩きをして日ごろ感じていることも含め、ここで今一度この流木について私見を述べてみたいと思う。

 この流木について、植林されたスギやヒノキが間伐されることなく密生状態のまま大きくなったことで、斜面の土地にその重量がかかり、山の崩壊に繋がったと考察した。それは確かに言えると思うが、それだけではなく、木の国である奈良大和の山でもうかがえることであるが、間伐した木を現場にそのまま放置し、朽ち果てるままにしている風景がそこここに見られることである。今回の災害の流木量からして、このような放置された間伐木が山の崩壊とともに流木となって集落を襲ったのではなかったかということ、このことも考えに上り、思いは巡るのである。

 ほとんどの流木が皮を剥がれた状態であるのを見ると、雨の激しさと濁流のエネルギーが如何に凄いものであったかがわかるが、筑後川水系でそれが二十万トン以上に及んだ認識の事実は紛れもなく確かなことで、この二十万トン超のほとんどが周辺の山から流れ出たということ、これも事実として受け止めなくてはならない。こう考えてみると、山を放置状態にしていたことが今回の流木による洪水被害の拡大に繋がったと言える。

               

 植林に話を戻すと、前回触れたように、昭和時代の中ごろ、つまり、四、五十年前に全国的に行なわれ、その後、国の産業構造の路線変革等によって造林業の斜陽化が進み、植林を行なった当時の勢いは殺がれ、結果、間伐木も採算が取れず、伐り出すことなく現場に放置せざるを得ない状況に陥り、今回のような災害も引き起こされる結果に繋がった。二十万トン超の数字から認識される光景はこのような内実も含んでいる。

 造林業は一代限りのものではなく、次世代へ夢を繋ぐ職種であり、それを叶えるには計画性が求められる。だが、その計画が思うに任せない国の産業育成の動向と社会の変革が造林には大きく影響し、現在に至っている次第で、働き手も思うに任せず、山を放置せざるを得ない状況になっているのである。山の中に放置された間伐木は全国的に見てどのくらいに上るのだろうか。それは相当量と想像される。立派な家が何戸建つか知れないほどの量に違いない。

 言わば、植林帯はいまや粗大ゴミで溢れた状況になっているというのが現状で、厳しく言えば、山が粗大ゴミの捨て場所に陥っているという光景にある。資源ゴミという言葉があり、これは再利用すれば資源になるが、放置すれば厄介なゴミになるという言いで、現代社会ではこの認識が定着して久しいが、間伐木の放置はまさにこの資源ゴミの状況を物語るものと言える。しかし、山の持主はそれをどうすることも出来ない。これも時代の流れに翻弄されている日本という国の片隅の光景であろう。丹精込めて育てて来た木々を見捨てるというこの光景は私のような通りすがりの一登山者の目以上に山の持ち主には辛く、情けない思いを抱かせる歯痒い光景に違いないと察せられる。

  手入れが行き届いた植林帯ではアオキなどの低木が地表を被う形になっているが、間伐木を放置しているような手を省いている状況の山ではそのような低木は見えず、地表が露わになっているところが多い。こうした山では激しい豪雨に見舞われると、雨水は一気に流れ下り、ときには山の崩壊にも繋がるということになる。今回の被災の状況を見ていると、日本のどこでまた同じような規模の災害が起きるか知れないと思えて来る。今回の流木による被害の拡大は、山の放置が一因と見なせるからは、そこに手立てを考えて行かなければならない。流木二十万トン超の被害拡大の光景は教訓として示されたのである。

  この問題では、まず、間伐木の撤去から手をつけなければならないが、これには相当の知恵と人手と資金が必要となる。だが、流木による被害の拡大によって泣きを見たような被災者を今後如何に少なく抑えるかという観点からのみならず、放置間伐木の資源(財産)とも言えるもったいない風景をなくすることによる一挙両得の意味からも、撤去は有意義に思えて来る。多発する山が一因の災害を考えるとき、こうしたところにも目を配り、予算を投入する必要があるのではないか。

 写真は放置された植林帯の間伐木。立ち木の間に無味な姿を曝して横たわっているのが見える。全国的に見れば、この間伐木は相当量に上るはずである。放置状況だけを見ても、損失は大きく、もったいないという気がして来る(木の国を誇る奈良県内で写す)。放置間伐木の処理が叶えられれば植林帯が有する美林としての風景は十分なものになり、美しい日本の風景も一段と充実したものになるだろう。なお、冒頭の短歌の「山河」は自然を象徴する言葉として用いた。

 

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