大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年10月15日 | 植物

<1751> 大和の花 (62) コウヤボウキ (高野箒)                                               キク科 コウヤボウキ属

   

 高さが1メートル弱の落葉小低木で、短毛が生える細い枝をまばらに広げ、2年目の枝には楕円形の葉が数個ずつ集まってつき、1年目の枝には卵形の葉が互生する。9、10月ごろこの1年目の新しい枝の先に頭花を一個ずつつける。頭花は白い筒状花が10数個集まったアザミのような形の花である。関東地方以西、四国、九州に分布し、中国でも見られるという。低山の林縁や丘陵の日当たりのよいところに生え、大和(奈良県)では東西南北を問わず、秋の山路を歩くと、枝先に点頭して咲くその白い花に出会える。

 コウヤボウキの細くしなやかな枝を高野山の僧侶たちが束ねて箒にしたことによりこの名が生まれたとされるが、奈良時代には既に蚕床を掃く箒に用い、たまばはき(玉掃)の名で呼ばれ、『万葉集』の2首にこの名で登場している。つまり、コウヤボウキは万葉植物で、巻20の4493番の大伴家持の歌には「始春(はつはる)の初子(はつね)の今日のたまばはき手に執るからにゆらく玉の緒」と詠まれている。

  この歌は奈良時代の宮中における正月行事の光景を詠んだもので、天皇が農耕、皇后が養蚕を司り、その象徴である田を耕す辛鋤(からすき)と蚕床の掃除をする箒を正月初子の祭祀に用いてその年の繁栄を祈願した。この箒には玉を飾ったのでたまばはき(玉掃)と呼ばれ、歌にも詠まれた次第である。この辛鋤と玉掃は正倉院の御物として今に遺され、聖武天皇の時代、つまり、奈良時代の姿の一端をを伝えるとともに、たまばはき(玉掃)がコウヤボウキである決定的証拠を示しているのである。

  では、たまばはき(玉掃)がコウヤボウキと呼ばれるようになったのはいつごろのことだろうか。この点ははっきりしないが、別名はタマボウキ(玉箒)で、高野山の地元和歌山県ではホーキクサ(箒草)の名でも呼ばれて来た。ハギ(萩)と同じように草との認識もあったようで、草本として扱っている図鑑も見られる。 写真は秋の日差しに輝くコウヤボウキの花(左)、枝先に白い花を咲かせるコウヤボウキ(中)、花のアップ。筒状花の花冠は5裂し、裂片の反り返っているのが見られる(右)。

      いっぱいに秋の日差しを受けて咲く高野箒の輝ける花

<1752> 大和の花 (63) ナガバノコウヤボウキ (長葉の高野箒)                               キク科 コウヤボウキ属

                                                          

 キク科の植物は世界に23000種以上に及び、ほとんどが草本で、わずか3パーセントが木本であると言われる。そのわずかな中に日本ではコウヤボウキ属の落葉小低木であるコウヤボウキとその仲間のナガバノコウヤボウキが見られる。コウヤボウキは前項で紹介したとおり万葉植物として昔から知られ、関東地方以西、四国、九州と中国に分布しているが、ナガバノコウヤボウキは東北地方以西、四国、九州に分布する日本の固有種として知られる。

 大和(奈良県)でも紀伊山地のやや乾燥した林道や登山道わきで見かけるが、コウヤボウキよりずっと自生箇所が少なく、限られているのがうかがえる。コウヤボウキと同じく、1メートル前後の細くしなやかな枝を広げ、コウヤボウキより細い葉を互生する。花はコウヤボウキよりも花期が早く、8月から9月ごろで、コウヤボウキと異なり、2年目の枝の節ごとに数個ずつつく葉の腋に白い頭花を点頭させるので、花のついた枝を見ればすぐさま判別出来る。花もコウヤボウキより一回り小さく、細長い感じを受ける。

 写真は花を咲かせるナガバノコウヤボウキとナガバノコウヤボウキの冠毛(いずれも十津川村の玉置山で)。なお、低木より低いものは半低木(亜低木)と言われるが、このシリーズでは小低木とし、更に小さいものについては超小低木の表現を用いたいと思う。

     冠毛に抱かれ種子の旅立つ日 扉の向ふに明日はあるなり

<1753> 大和の花 (64) オケラ (朮)                                                            キク科 オケラ属

                                     

  『万葉集』にうけら(宇家良)の登場する歌が4首ある。4首すべて巻14の東歌の項に見え、4首とも「うけらが花」と表現され、花を比喩に用いた恋歌であるのがわかる。このうけら(宇家良)について、これは現在のオケラ(朮)であるという。そこで思われるのが、うけらがオケラになったのか、オケラがもとにあってうけらと言われたのかという疑問のこと。で、これまでも『万葉集』の研究者等に問われて来た。

  オケラ(朮)には乎家良(おけら)の表記があり、乎家良の方がもとの名とする説によれば、『万葉集』の4首はみな東歌で、東国訛りによって宇家良(うけら)と詠まれたのではないかという。この地方による場所的考察に対し、宇家良(うけら)がもとの名とする説では、『倭名類聚鈔』(938年・源順)の平安時代初期のころ、うけら(宇家良)が乎家良(おけら)に訛ったのではないかという。こちらは時代を理由にあげている。どちらにしても、うけら(宇家良)は現在のオケラ(朮)で、オケラ(朮)は、つまり、万葉植物だということになる。また、根茎を削って細片にしたものをこっぱと呼び、このこっぱの古語がコケラでオケラに通じるのではないかという意見も見られる。

  アザミに似るが、アザミほど艶やかでなく、地味な花だが、昔から食用や薬用に用いられ、庶民の間でよく知られていたので花がとりあげられて詠まれたと思われる。高さが大きいもので1メートルほどになる多年草で、茎は細くて堅く、長い柄を有する葉は3~5裂し、裂片の縁には棘状の鋸歯がある。雌雄別株で、9、10月ごろ茎の最上部に白色、稀に淡紅色の頭花を咲かせる。花の基部の総苞には魚の骨のような形の総苞片が出来る。「山でうまいはおけらにととき」と俚謡にも唄われているほど若芽は美味らしく、昔は食用にされた。とときはツリガネニンジンのことである。

  また、根茎は皮のついたものを蒼朮(そうじゅつ)、皮を取り除いたものを白朮(びゃくじゅつ)と称し、蒼朮の方はこれを焚きくすべて湿気払いやカビの防止などに用い、蚊取り線香のような用い方もしていたようである。白朮の方は煎じて服用し、健胃、整腸等に用い、オケラ(朮)は薬用植物としてよく知られ、庶民の生活にとけ入っていたと言われる。祇園祭りで知られる京都・八坂神社の白朮祭(おけらさい)は有名で、元旦に神官が切り出した御神火を初詣での参拝者が火縄に移して持ち帰り、この火を用いて雑煮を作る風習が京都にはあり、今も続いている。

  オケラ(朮)は本州、四国、九州に分布し、大和(奈良県)においても見られるが、自生地が極めて限られ、『大切にしたい奈良県の野生動植物』には絶滅寸前種としてあげられ、「かつては里山の代表的な植生であったアカマツ、コナラ林に普通な種であったが、マツノザイセンチュウ被害による林の消滅に伴って激減した」と説明している。このように、今では自生するものはなかなか見られないが、昔は近辺の山で普通に見られていたようである。花は地味ながら効用著しい庶民に愛されて来た経歴の持ち主で、図鑑にも紹介されている。写真はオケラの白花と紅花品 (葛城市で)。

       万葉のその昔(かみ)よりの歌心寄する恋とは切なくもある

 

 

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