private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

A day in the life 4

2016-12-24 20:35:13 | 連続小説

 これが50を越えたいいオッサンでなければ、少しは格好もつくのだろうか。そう夏木は卑屈に嘲笑った。
 曇り空の天気は陽が差し込んでいなくとも蒸し暑さは容赦なく、あのまま地下街を歩いていればよかったと後悔していた。昼食を取り損ねて、いったい何を食べようかと悩みながらブラついてみても、食べ物屋が多すぎて、それがかえって選択肢を狭めることになり、どれも決定打に欠け、いまひとつだと却下しているうちに地下街は終わり、いいかげん効きすぎた冷房にもうんざりして、そのまま階段を上がって外に出てしまった。
 
外に出たすぐは、プールから上がった時のような爽快感もあり、まだ暑さも堪えず、まあこの先になにかあるだろうとたかをくくって歩いていたら、ビジネス街に入ってしまったようで喫茶店はあっても、まともな食事を取れるような店が見当たらなくなってしまった。
 地下街に戻るのもひとつの手だが、それも今となっては手遅れだと思えてならない。後戻りすることが、それほど悪い判断と決めつけているわけではなくとも、自分はそうやって半世紀生きてきたため、それでうまくいったこともあり、失敗したこともあった。それで勝率は50%ぐらい。五拾歩百歩、フィフティ、フィフティ。半々。言いようはいくらでもあっても、そんな事実より後戻りすることを否定し続けていた自分のこだわりを尊重したいだけだった。
 電車の駅と駅のあいだにある目的に行く時は必ず、手前の駅に降りて先へ進む。決して行き過ぎた駅で降り引き返すことはしない。そこにどれほどの意味があるのかわからなくとも、これまでかたくなに守っていた自己規律を途中で放棄する決断ができないだけで、やめてしまったとたん、これまでのすべてを否定することになってしまい、その結果がどちらに転んでも後悔するのは間違いないと考えていた。
 定価で買ったジャケットが、別の店では50%セールで売られているのを見たときとか、無理すれば渡れそうな信号を渡らなかったら、そのせいで電車を一本乗り過ごし30分待つ羽目になったとか、見たくない現実は容赦なく襲いかかってくる。自分で守るべきルールを破らないのは、別の世界に足を踏み入れないための叡智と、これまでの経験に培われた安全地帯を確保するためだ。
 たかだか食事の場所を決めるのに自分の人生論や、哲学まで持ち出すのは大げさだとはわかっている。そうだとしても、ものごとは一事が万事で、なにかひとつのちょっとした裏切りがすべてを失くしてしまう人たちを何度も見てきた。
 年を取るほどに人は強くなれるはずなのに、経験という足かせが同じように人を弱くしていく。年寄りが恐れているのは老いていくことではなく、経験により知りえた数々の痛みと傷の痕跡により、次の一歩が踏み出せなくなってしまうことなのだ。
 暑さのせいだろうか、そんななんの役にも立たない持論が、あたまのなかでめぐっている理由は。なんだっていいのだ、なにかの帰着できる安心材料が欲しいだけなのだから。
 ハンバーガーショップの店先で脚立の上に立った女性店員が足元もおぼつかない様子で、天井に手を伸ばしている。その店はビジネス街を抜け、繁華街に入ろうとしている場所にあった。この先は、スナックやら居酒屋が立ち並び、ますます昼食からかけ離れていくため、食事をとれる最後の砦にも見えた。
 あぶないと思った。これは自分でも嫌な性格だと常々わかっていた。年寄りがフラフラとひとりで歩いていると、体の具合を悪くして倒れないだろうか。わき見運転をしているドライバーを見れば、事故を起こすのではないか。友達と話しながら自転車に乗る子供を見かければ、曲がり角を飛び出しクルマにハネられるのではないか。心配すると同時に、もしそうなればすぐさま駆けつけて、自分がその人を助け、あわよくば正義のヒーローになれるのではないかという邪まな考えがあった。
 起こらなくてもいいアクシデントを陰ながら望んでいる。そうでありながら何も起こらなければホッとしている。トラブルを目にすれば避けて通ろうとする。悪人を成敗するイメージは何度でも繰り返せても、実際に行動を起こす勇気などない。ひとを助けるイメージはできていた。でもそれが本当に起きたならば自分はどう動くのか知りたかったのかもしれない。
「スイマセエエン、……」
 店の責任者だろうか、男がなにやらいいわけがましく恵比須顔でしゃべってきた。腕の中にいた女性店員は、すでにもう自分で立ちあがっている。申し訳なさそうな顔をこちらに向け、深くお辞儀を重ねている。
 たまにはこんなこともある。イメージ通りの行動ができるのも、日ごろから他人のトラブルを期待していたたまものだ。ここは、さも何でもないことだと余裕を見せるのが粋というもので、そこまがしっかり予定に組み込まれていた。一番いい場面だ。
「まあ、まあ、こちらへ。さっ、さっ」
 その余韻に浸る間もなく、男になれなれしく肩を抱きかかえて夏木は店内へ連れ込まれて行った。いったいハンバーガーショップなるものに入店するのはいつ以来何だろう。若い頃に見たチェーン店とは随分様変わりしたそこは、小洒落た店の造りだった。
 店内にこもっているタバコの匂いとかからも、子連れの家族が好んで来るような場所ではなく、逆にそういった子どものいない店を求めるニーズを満たす場所だと読み取れた。それにメニューを見渡してみると、予想どおりこれまで目にしたことのない、これがハンバーガーかと思うような商品ラインナップだ。ランチやおやつ代わりにこれほど金額をかけられない学生では敷居が高いだろうし、かといって50になろう男がひとりで店内で食べている姿が様になるかといえばそうとも思えない。
 この頃ではこういった高級嗜好を売りにしたハンバーガー屋が流行っているらしく、ひとつがあたれば2号店、3号店と増店していく。二千円出しても旨いハンバーガーを食べたいと思う人間がいればそれに応える商売が発生し、需要がなくなれば消えてなくなる。同じことを繰り返しても、栄えれば時代を先どる寵児ともてはやされ、衰えれば時代を読み切れなかった没落貴族とさげすまれる。
 需要があろうがなかろうが自分には縁のない店であり、こんなキッカケでもなければこのような店に入ることなどなかっただろう。なんとなく席について、ガランとした店内は、昼のピークを過ぎて閑散期に入っているようで店内には誰もおらず、注文待ちの女性と、奥で待ち構える店長と思える男性の注目をあびるなか、オーダーを考えようにも、いっこうにあたまが働かない。
 ここは、ちょっと考えるからと、女性にさがってもらってメニューボードに集中した。数種類のセットメニューが表記されているがなにがなんだか、つまりどのような食材が挟まっているのか商品名を見ても写真を見てもピンとこない。それより何が美味くて、何を自分が欲しているのかも湧きあがってこない。
 はやり自分には縁のない店だったのかとも考えるが、いまさら他の店を探す気にもなれず、とりあえずは腹を満たすことを先行させるべきかと思い悩んでいると、店内に、にぎやかな声が押し寄せてきた。出入り口を見ると5人の若い男女が楽しそうにおしゃべりをしながら入ってきた。女性店員のいらっしゃいませーという声に、軽く手を振り、手慣れた様子で席に着き始めた。どうやら常連らしい。学生とも思えず、会社員にしては服装も昼食の時間も自由度が高いように見える。断片的に聞こえてくる会話の内容からすると、IT系ベンチャー企業の社員、いや全員で起業した仲間たちなのかも知れない。
 仕事なのか趣味なのか、趣味の延長が仕事なのか、なんにしても自分が知っている会社勤めの形態からは程遠い、大学のサークルをそのまま仕事場に移したように思えた。TVの情報番組はそんな真新しい仕事の仕方を若者の象徴として担ぎあげている。そのような現象もすべて国の方向性しだいで、モデルケースにもされるし、若者の奇行と笑われることにもなる。今がただ、前者の時代だというだけだ。
 メニューを開いて、今日は何にする? なんて声も聞こえてくる。そして、めいめいが灰皿に手を伸ばし、男も女も一斉にタバコをふかしはじめた。やはりこれがこの店の存在価値のひとつだと理解でき、タバコを吸わない夏木にとってこの中で食事をする気には到底なれず、テイクアウトを決断する決定的な後押しになった。
 飲み物を見ても、ソフトドリンク、野菜ジュース、そしてありがちな炭酸飲料の数々。いまどきなのはノンアルコールのビールテイストがラインナップされているぐらいで、これならばハンバーガーとサイドメニューを買って、どこか場所をさがして食べた方が気も楽だし、財布にも優しい。そんな心配をしなければならないのは本意ではなくとも現実的な考え方だ。なにかを手にするには、なにかを手放さなければならない。賢い人間は、まず手放すものを用意してから、欲しいものを手にする。そんなことはわかっていても、しょせんは手放す手持ちがあればの話しだ。
 若者のグループに先を越されないように席を離れ、カウンターに立つ。オーダーを取る女性店員は思いのほか若くアルバイト然としていた。なんにしますかあ? 語尾を伸ばす話し方は社会人としては誉められた行為ではないが、それで顧客が喜べはいつしかスタンダードに成っていく。良い、悪い。礼、無礼。常識、非常識なんてものは時代とともに変わってしかるべきだ。それが古代ローマの時代から、いまの若者はなんて嘆きが続いていることが証明している。
 夏木は、フレッシュヘルシーバーガーなるものと、オニオンリングフライをテイクアウトで注文した。レンジの前の男性店員は某有名チェーン店もビックリのスマイルフリーを携えて、そんなあ、ゆっくりしてってくださいよと、いかにも社交辞令な言葉をかけてきた。なにも商品をタダにして欲しいとか、少しは値引きして欲しいとか、そんなことは望んでいるわけではない。そもそも、そういったシチュエーションでのこのこと店に入ってしまった自分が不甲斐ないだけだ。そこで間髪いれずに女の子が800円になりますとにべもなくのたまう。
 こうなれば一刻も早く店を出てこの嫌な流れを断ち切るしかない。男性店員はフライパンにパティを滑らせ、輪っかにカットされた玉ねぎに、塩とコショウをふり、薄い衣をつけて鉄製のかごに放り込み、油の中に投入した。ジューという小気味いい音と、香ばしい匂いが漂ってきた。
 いやね、ちょっとこのあとに用事があってねと、無難な言い訳をすると、ああそうなんですか、残念ですねえと、一ミリも残念そうに聞こえない言葉が、油と一緒に換気口に吸い込まれていく。その男はフライ返しを右手に、左手を腰にあてて、口笛でも吹きながらやれそうなぐらいの手慣れた様子で調理を続けている。
 
ここはファストフードの店ではない。頼んでから1分もかからないで商品が出てくるような店ではないのだ。注文を取った女性店員は悪びれる様子もなくニッコリと笑顔で小首を傾ける。所在をなくした夏木は、レジ横に据えられている椅子にしかたなく腰をおろした。そうすると、それを見計らったように若者グループがぞろぞろと、レジに並びだした。
 各々が、女性店員と小粋な会話を交わしながらオーダーをしている。奥の男も時折会話に交じりながら、次々と入るオーダーを手際よくこなしていく。夏木はなにやら、若い時に見た、流行りのテレビドラマのシーンが目の前で行われているような気分になってきた。ここに自分の居場所はない。では、どこにならあるというのか。口に笑みがこぼれそうになり、あわてて手で口元を押さえていた。
 待つこと5分ほど、注文を取ってくれた女の子がお待たせしましたと、見た目クラシックな紙袋を差し出してきた。夏木はこのごろクセになっているように、どんな店だって女性店員から商品を差し出された時には、手が触れないように気をつかって袋の端を持った。そんな気遣いなどどうだっていいのか、女の子は微笑んで会釈をしてくれた。それを真に受けるほど素直な性格でもない。調子にのってこれ見よがしに手でも触れようものなら、あとで何を言われているか分かったものではない。それどころかセクハラだのなんだの、すぐに抗議されてもおかしくない昨今だ。
 席を立ち、お礼を述べようと顔を上げた時には、女の子はもうそこにはいず、若者グループの商品が次々と出来上がり、お皿に盛りつけるのに忙しそうだ。拍子抜けの夏木は軽くあたまだけさげて店を出ようとしても、奥の男性店員も調理にかかりきりで、夏木の行動など気にも留めていない。やれやれという思いでいっぱいになる。落下を救った彼女もあれ以来姿をみせないし、これはもしかしたら新手の呼び込みなのではないかと勘繰りたくもなりつつ、それもこれも自分が望んだ状況でもあればいたしかたないとあきらめ顔だ。
 店を出ると若者グループの楽しげな顔がガラス越しに見える。彼らが楽しげなのは現象でしかなく、実体ではない。自分が現象を見て架空の人間像を作っているに過ぎない。実際に話したこともない人間の外見だけでどうのこうのと思って、勝手にひがんだり、勝手に優越感に浸ってみたり。こんなことを50年も続けてきて、これからも続けていくのだ。たぶん、きっと。
 
食事中も白い帽子を取らない彼は、相続の問題で実の姉と犬猿状態にあり、電話がかかってくるたびに罵りあっている。ロイヤルブルーのサマーストールの彼女は、実の親から関係を迫られ家を飛び出し、いまだに男性と深い仲になれないでいる。黒いセルロイドのメガネをかけている彼は、隣家の騒音にあたまにきており、何度か言い争ったすえに相手の恨みを買い、夜道で襲われそうになった。銀色に髪を染めた彼女は胸のしこりが気になり、先週産婦人科で見てもらったら、早期ガンの可能性を疑われ、来週に再検査を受ける予定になっている。そして… そして最後の彼女は…
 誰もが平凡な日常を生きているようにみえる。誰もが最悪の事態から抜けられずにいる。なにもないような顔して生活できるのは、見栄か、意地か、反骨心か。そんなまわりを意識しながら、今日もまた生きながらえている。30になっても行き先が見当たらなくてもしかたがない、50過ぎてもなにも見えてこないのだ。
 さて、どこかに座れる場所はないものかと、ビル街を歩き出した。手に抱えた紙袋は温かく冬場ならまだしもこの時期なら不快にも思える。折り曲げられた開口部を開くと英字新聞に見立てた包装紙にハンバーガーと、オニオンリングが入っている。英字新聞は湯気のために湿り始めていた。このままではバンズも、カリッと揚がったフライも、湿ってふやけてしまい、わざわざ不味くしてから食べるのは馬鹿げたはなしだ。
 夏木は歩きながらも手早く包装紙を開き、蒸気を逃がしてやった。そのままハンバーガーを取り出し口にした。大豆由来のパティと盛りだくさんの野菜。たしかに値段相応の価値はある味だった。それが原材料のコストなのか、調理人のコストなのか、店舗、雇用者などのランニングコストなのか。どこでなにを搾取しているのか誰にも分からない仕組みの中で暮らしていけるこの国の仕組みとシステム。
 野菜が高いのは美術品のようなキレイなスーパーで売られるような商品だけで、すでに加工されて店で使用するモノは、見た目がどうであれ味に間違いなければ問題なく、安値で仕入れることができる。消費者は見てくれにごまかされて高いモノをつかまされているだけだ。
 人件費が高いのは、実生活に必要以上の商品を必要だと思わせる政策に気づかず、それらを購入させるために与えられている。生きるために必要のない無意味な金の流通にしか過ぎず、かたや最低限を得るだけで苦労する人たちがそれを支えている。
 
不動産の価値はそれを効果的に使える者達の手の中にある。自分の手持ちにするのもいいし、誰かに貸して利ザヤを得るのもいい。時代と流行の中で利益の消費の波を受けて変動することで、手ゴマが増えればそのまま内ポケットに納められ、手ゴマが減れば消費者に負担させて元に戻せばいいだけだ。
 結局、あの女性を二度と見ることはなかった。別になにかが起こるとも思っているわけでない。なんとなく追いかけて来てくれて、お礼の一言でも言ってもらえる。そんな光景を想像していた。ふりかえっても殺風景なビル街が立ち並んでいるだけで、行きかう人々も無言で足早だ。誰も誰にも干渉せず、自分のテリトリーを守っている。ビルのテナントに入っている靴屋の女性店員は、ショーウインドウに流行りの靴を並べている。スマホをいじりながら歩いている男性は、何処かの誰かとつながっているのだろう、ニヤニヤとしながら指先を動かしている。耳にイヤホンをしてジョギングをする男性が走り抜けていく。
 その中で、信号待ちをしている女性の立ち姿がなんともさまになって目に付いた。燦々と照りつける太陽に、目の前の風景は色彩を奪われて白色に近づいていく。目に見える色は温度とともに変化し、一定の華氏の下で色彩が成り立っているだけであり、それが変わればすべてのものの色はズレてしまうのだ。水辺に浮かぶ白鳥もゴミ袋が浮かんでいるに変わりなく、華やかな紅葉も嘔吐にまみれたアスファルトと同じで、美しいという観点が大きく様変わりしてしまい、女性のきめ細やかな白い肌が青くもなり、赤くもなれば近づこうとも思わない。点で愛せる一次元はまだ楽なやりかたで、線で愛す二次元の中で苦労を感じていれば、だれも面で愛そうとはしなくなっていく。
 自分は本当に彼女を助けたのだろうか。本当に彼女という存在はいたのだろうか。長年の希望が現実と妄想を入れ替えてしまったのだろうか。事実あれから、店内で彼女の姿を見かけることもなく、店員たちも彼女の存在がないようにふるまっていた。
 正面から笑顔の少年が近付いてきた。すれ違いざまに夏木のポケットに何かをねじ込んできた。タチの悪いイタズラかと驚いて振り返ると、顔はなにも問題はなさそうであっても右手はダラリとさがり、右足は引きずっている。それでもニッコリ笑っていた。夏木はポケットに手を突っ込み、その感触で数枚の紙幣を感じ取ると、寂しげな顔で少年に応えた。自分のしたことに後悔を感じつつも、それを生活に糧にしているならなにも文句を言う筋合いではない。
 生まれた時からモノがあった世代から、それらを取り上げることはできない。なにもなかった時代に生まれた人たちが、新しい物質を次々と手にしていくことを夢を叶えたと呼べるなら、今はもう夢の中に生まれてきたと同じで、これ以上夢を追い求める動機が新たに生まれてこなくてもいたしかたない。それとも若者たちの夢は物質から、あてのない精神へシフトされていくのだろうか。はたしてそれが幸せなのか、不幸なのか。物質的価値が高い次元であふれているいまでは誰もその答えを出すことを望んではいない。あの少年もまた時代が創り出した象徴でしかないはずだ。
 大通りに面した歩道に花壇が造られており、その縁に腰をおろした。さきほどコンビニで買った廉価ビールテイスト飲料のプルトップを起こし、喉に流し込んだ。この暑さにはおあつらえ向きの飲みごたえだ。食べさしのハンバーガーを取り出し口にねじ込む。これはこれでおいしいのだがビールには合わないのは健康食品と、嗜好品では相性が良くないのだろうか。薄ころものオニオンリングも味付けが薄く、オニオン自体の味は申し分なくともケチャップぐらいはつけないとツマミには心もとない。
 数匹のハトが夏木の足元に近づいてきた。食べ物の匂いに引き寄せられたのだろうか。それにしても、この危機感のなさは野生の動物とは思えないほどだ。食を得るために受け継がれてきた遺伝子がこうも簡単に覆るのは、それ自体も生死にかかわる事態だからなのか。食を得るために自らを危険にさらすのでは、本末転倒以外のなにものでもないように思える。バンズをつまみ指でつまんで粉々にすると、レンガ敷きの歩道にパラバラと落下していく。ハトは何の躊躇もなく口ばしでつまみ上げている様子をみて、自分も落下してくる食いぶちに無条件で食らいついていることに対して、どれほど危険なのかを改めて考えさせられた。
 人間は自らの造形を認識し、危険区域に入り込まないようにしているはずだ。動物の知能をもってして、はたして一緒にいる仲間たちが自分と同じ姿をしていると認識できているのだろうか。鳥は自分の尾翼が見えなくても、尾翼にどこにもぶつけないし、飛来物もよけることができている。そうであれば知能の範囲ではなく、脊髄レベルの神経が反応して、危険を察知する前に命令を下しているのだろうか。
 夏木は興味本位に鋭いスピードで、足回りのハトめがけて足を蹴り上げてみた。エサを摘まみながらもハトは一瞬の間合いで避けて見せ、それぐらいではやられはしないと馬鹿にした態度ですぐさまエサを摘まみだす。
 人間にだって、かつてその機能は備わっていたはずだ。緩慢なる平穏は、緩慢なる危険認知となりさがり、緩慢なる死を迎える状況が進行していくだけなのだ。
 これもすべて人生の一日。
 それもすべて人生の一日。

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