往診と叔父が自宅へ

2016-09-18 05:10:06 | 日記
 母はオムツで排尿できないと言います。 オムツで排尿したくないのかもしれませんし、実際できないのでしょう。 頻繁にポートブルトイレまでの介助をしなければならないので、疲れてしまいます。 そこで、近所の診療所のお医者に尿バルーンを付けて貰えないか相談に行きました。 専門が整形外科の先生であるため、紹介状を書くから泌尿器科の先生でなおかつ往診に来てくれる先生を探さないといけないと言われてしまう。 でも、ポータブルトイレで排尿できているのなら、尿バルーンを付けなくてもよいのではないか、硬いものが体内に入るので、人によっては嫌がって抜いてしまうし、雑菌が入るリスクもあると言われる。  昼過ぎに往診に来てくれることになりました。

血圧上130 下80 口の中を開けて見て、舌を動かして下さいと言ってから、下の裏を診ていた。 お腹を診察。 指先に器具を挟んで、酸素が行き渡っているいるかを診る。 酸素は行き渡っていると言った。先日、脱水症状で近所の病院に入院したとき、3日で退院してきた。 何故、もっと長く入院しなかったのかと聞かれる。 診療所の先生は病院の先生に紹介状を書いたのに、返事がないと言う。  たったの3日で退院したのは、本人が家に帰りたいと言ったのではないかと言う。

本当の理由は分からない。

病院で暴れるか本人が帰りたいというか、この二つぐらいしか短期で退院する理由が思い当たらないと言う。 何だったら、もう一度紹介状を書きますと言う。 ご親族の方に今後どうするか相談されたらどうかと言われる。 先生が帰った後、母は「先生は逃げている」と言った。 母は苦しそうで、「このまま死ねたら、こんなありがたいことはないわ」と言った。



住職をしている叔父に電話で、母がそう長くないのではないかと伝えた。 今から夫妻で来てくれると言う。母にそのことを言うと、もう一度電話して来ないように言ってと言われる。 母は、「あの人達に借りができる」と言った。

母はもう会話できるような状態ではありません。 見舞いに来られても、気疲れしてしまうのです。


2時間ほどして叔父夫妻がやってきました。 叔父が母の名前を呼んだが、母は1度だけ片手を振って、拒絶する素振りを見せただけでした。



いつもは携帯電話で母から呼び出しを受けていたのだが、もはや携帯を扱うことができなくなっていました。 


そこで、母の声が聞こえるように、部屋の扉をすべて開け放して就寝しました。  1時間おきに母に呼ばれ、両腕を抱えポータブルトイレへ運び、排尿の介助をした。 深夜12時に虚ろな目をして、やせ細った身体から振り絞るように声を出し、歩いて部屋の外のトイレに行くと言い出した。 自力で最後まで歩いていたい気持ちの表れだったのだと思う。 息子に迷惑をかけたくない気持ちの表れだったのだと思う。

とてもそんなことができる体力はなく、上体を起こしたものの、前のめりに崩れてしまった。 目をカッと見開いて、呼吸が激しくなり何かうわごとを繰り返した。幻覚でも見ているのだろうか。 私は何となくこれが最後の別れになると直感し、泣きながら母の頭や肩、背中を手で何度も撫でた。 「触らんといて」と言われた。 母を横に寝かせた。 うわごとがなくなり、苦しそうな呼吸から眠りの呼吸に移行した。 赤ん坊のような大きなあくびを何回かした。深夜12時からは付きっ切りでした。 朝の4時ごろまで母の冷たい手を握っていた。1時ごろだったか2時頃だったか、 母は手を強く握ってきて手を繋いだまま過ごした。 朝4時に母から離れ少し横になり、朝5時過ぎ、このブログを書いて、様子を見に行った。 昏睡状態に入ったのかもしれない。


6時半、上の記述を書いて母のところへ行くと、もう母は亡くなっていた。79年間のかけがえのない生涯を閉じた。


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