スーパーロボット大戦.マクロス二次創作ブログOR日本史教官.長田義家。

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盛岡藩初代藩主 南部利直

2017-06-15 12:41:58 | 戦国武将図鑑
南部利直
【諱】利直
【苗字】南部
【朝臣】源
【生没】1576年ー1632年
【通称】彦九郎
【官位】従四位下、信濃守
【父親】南部信直
【母親】慈照院
【正室】源秀院
【兄弟】
千代(八戸直栄室)
季子(秋田英季室)
【子息】
南部家直
南部政直
南部重直(2代盛岡藩主)
南部利康
南部重信(3代盛岡藩主)
南部利長
南部直房(八戸藩主)
七姫(中野元慶室)
娘(北直愛室)
娘(東胤政室)
【養子】松前利広
【解説】
1576年.南部信直の嫡男として田子城で生まれる。
前田利家を烏帽子親として元服し、それが縁で偏諱を受けて利直と名乗り1595年従五位下・信濃守に叙任する。
秀吉の死後、父信直と共に五大老筆頭徳川家康に接近し、翌 父が亡くなると家督を相続する。
前述の通り家康に接近していたため関ヶ原の戦いでは最上義光.伊達政宗.秋田実季.戸沢政盛.六郷政乗.仁賀保挙誠.津軽為信と共に東軍に属し上杉景勝を筆頭とする小野寺義道.相馬義胤.岩城貞隆ら西軍と対峙する。
その関ヶ原の戦いの一部.慶長出羽合戦では最上義光の後詰として出陣するが、伊達政宗が和賀忠親を煽動して和賀郡や稗貫郡で岩崎一揆を引き起こし直様帰国し翌年まで鎮圧する羽目になる。
盛岡藩主になると直様藩政に乗り出し鉱山を開発して財政を安定させ。

盛岡城を築城(完成は息子重直の代)して城下町を形成し、住民を盛岡城下に移住させる。
九戸政実の乱の先例からか家臣の多くを処罰追放し藩体制を整えた。
大坂冬の陣に参陣し幕府と関係強化し、1632年江戸で死去。
家督は三男.重直が相続。

【利直とわんこそば】
給仕がそのお椀に次々とそばを入れ続け客が満腹になりふたを閉めるまで続けるまで食べる事で有名な岩手県名物わんこそばの起源は利直と深い関係かある。
江戸に向かう途中の利直が花巻城に立ち寄った際に食事を所望した。
家臣は殿様に対して民と同じ丼で差し上げる事は失礼との発想から、山海の幸と共に漆器のお椀に一口だけのそばを試しに恐る恐る出した。
利直は食すと風味と味が気に入り「うまい」と何度もおかわりしたと言う。
それから200年後、蕎麦屋「大畠家」が今のスタイルのわんこそばを振る舞うようになり名物になったと言う。
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